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第8話 静寂なる死の庭、|嗤《わら》う|観測者《スペクテイター》

「……ッ、ガ……ァ……」


シンが捕食の言葉を漏らした、その直後だった。 隣にいた戦士ボルトスが、何か見えない巨人の手で押し潰されたかのように、唐突に膝をついた。


ガシャン、と重厚な鎧が悲鳴を上げ、膝が石床を砕く。 彼だけではない。 盗賊のチェルシーは喉を押さえて後ずさり、聖女ミラは杖に(すが)りつくようにして辛うじて立っている状態だった。


酸素が消えたわけではない。 だが、この空間に充満する濃密な死(デス・マナ)が、生物としての生存本能を直接レイプし、肺の機能を強制的に拒絶させているのだ。


目の前に鎮座する、Sランク指定魔物『不死王(ノーライフキング)』。


玉座に座るその骸骨は、指一本動かしていない。 ただ、虚ろな眼窩に浮かぶ青白い鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)で、眼下の侵入者たちを見下ろしているだけだ。 それだけで、Bランク(一流)と呼ばれる冒険者たちの精神は、ガラス細工のように(きし)みを上げていた。


『――愚かな、羽虫どもよ』


地響きのような重低音が、鼓膜を通さず脳髄に直接響く。 声ではない。 数千年の時を死者として君臨し続けた王の、絶対的な「意思」の奔流。


『我が眠りを妨げるか。……その貧弱な魂、我が供物となる光栄を与えよう』


ズゥゥゥン……。


王が、杖を軽く床に突いた。 ただそれだけの動作で、空間の密度が倍加する。 物理的な衝撃波ではない。(ランク)の差による、魂への圧殺宣告。


「あ、が……息、が……」


チェルシーが白目を剥きかける。 彼女の鋭敏すぎる知覚が、目の前の存在を「勝てる相手」ではなく「災害」として認識してしまい、ショック死寸前のパニックを起こしているのだ。


「ボ、ボルトス! チェルシー! しっかりなさい!」


ミラが叫び、震える手で自身の杖を掲げた。


「邪悪な気配を退けよ……【聖なる守りホーリー・プロテクション】!」


彼女の全身から黄金の光が溢れ出し、パーティ全体を包み込むドーム状の結界を展開しようとする。 聖職者の最上位魔法。 通常ならば、上級悪魔の呪いでさえも弾き返す鉄壁の守りとなるはずだった。


だが。


パリン。


乾いた音が響き、光の結界は形成される端から霧散した。 まるで、熱したフライパンに落ちた水滴のように、一瞬で蒸発させられたのだ。


「な……魔法が、かき消された……?」


ミラの顔色が蒼白になる。 魔法が失敗したのではない。 この空間そのものが、不死王の支配領域(テリトリー)であり、彼の許可なき「異物(聖なる力)」の存在を許さなかったのだ。


理不尽。 絶対的絶望。 人は神の前では無力であると思い知らされるような、圧倒的な力量差。


だが。 その絶望的な静寂の中で、ただ一人、口元を歪めて笑っている男がいた。


「……へッ、上等じゃねえか」


アレスだ。 リーダーである彼は、全身から脂汗を流し、膝をガクガクと震わせながらも、深紅の魔剣を杖代わりにして、無理やり体を支えて立っていた。


「ア、アレス……?」


「ビビってんじゃねえよ、お前ら! 見ろよ、ただの骨だぜ?」


アレスの声は(かす)れていた。 虚勢であることは明白だった。 彼の本能もまた、「逃げろ」と叫び続けている。 だが、彼の肥大化したプライドと、これまで築き上げてきた「ネメシス最強」という虚飾が、彼をその場に踏み止まらせていた。


「俺たちは『紅蓮の獅子』だ! 次期Sランク候補だぞ! こんなカビ臭い地下で、骨のオモチャにされてたまるかよォッ!」


それは、恐怖を誤魔化すための咆哮。 だが、その熱量は確かに仲間たちの凍りついた心を溶かした。


「燃えろ! 俺の魂、俺の炎!」


ボォッ!! アレスの全身から、紅蓮の魔力が噴き上がる。 【才能(ゼロ)炎操作フレイム・コントロール】。 彼の魂を燃料として限界を超えて駆動した炎が、周囲の冷気を一時的に押し返す。


「おおおおおッ! 行くぞオラァッ!!」


アレスが吼える。 その背中を見て、絶望していた仲間たちも正気を取り戻す。


「そうね……ここで死ぬわけにはいかないわ!」 「アレスに遅れを取るな! 守りは俺が固める!」


彼らは武器を構え、死の王へと向き直る。 悲壮な決意。 だが、その勇気はあまりにも無謀で、滑稽だった。


最後尾で、シンはその様子を冷めた目で見つめていた。


(……愚かだな)


シンは内心で吐き捨てた。 彼らは気づいていない。 自分たちが戦おうとしている相手が、単なる「強い魔物」ではないことを。 あれは、世界を構成する(ことわり)そのものを部分的に書き換える権能を持つ、上位存在なのだ。 気合や根性でどうにかなる相手ではない。


(だが、好都合だ)


シンは、アレスたちが特攻の構えを見せている隙に、自身の魔眼(アイ)による解析(アナライズ)を進めていた。 彼の深紅の瞳孔が、カメラのレンズのように微かに収縮する。 視界に映る不死王の姿が、数値と情報の奔流へと分解されていく。


対象(ターゲット)不死王ノーライフキング】 【種族(レース)死の超越者(リッチ・ロード)】 【位階(ランク):S(災害級)】 【魔力量(マナ・プール)測定不能エラー


(……やはり、腐ってもSランクか。魔力量だけで言えば、現在のアレスの百倍はある。まともにやり合えば一瞬で消し炭だ)


だが、シンが注目しているのは、そんな単純な数値ではない。 彼の視線は、不死王が握る杖ではなく、その右手首に浮かび上がっている、複雑な幾何学模様の「紋章」に釘付けになっていた。


紫色の光を放ち、脈動するその刻印。 玉座の周囲に立ち並ぶ無数の「動く死体リビングデッド」たちと、見えない魔力の糸で繋がっている「支配の中枢」。


(見つけたぞ)


シンの口元が、誰にも気づかれない角度で、獰猛に吊り上がった。


(保有才能(ゼロ):【従属の契約(ドミネーション)】……!)


ビンゴだ。 シンがわざわざこんな地下深く、埃っぽい墓所まで足を運んだ真の理由。 それは、金銀財宝でも、名声でもない。 この「支配の能力」を手に入れるためだった。


現在のシンの権能【才能捕食(ゼロ・プレデション)】は強力だが、他者を恒久的に支配下に置く力は持っていない。自身の影から生み出した眷属である「蜘蛛」だけが、唯一の手足だった。 だが、これから世界を相手に「国盗り」を行うためには、他者――人間や魔物、あるいは英雄たちを、自身の意のままに操る力が必要不可欠だ。


(あの能力を喰らい、俺の【始祖の権能(オリジン・スキル)】と掛け合わせれば……)


シンの脳内で、冷徹な計算式が弾け飛ぶ。


(他者の魂に直接『刻印(ブランド)』を焼き付け、俺の魔力を流し込むことで強制的に進化させ、同時に絶対服従を強いる……最強の支配システムが完成する)


王が王であるために必要な、絶対的な首輪。 それを手に入れるための鍵が、あの骸骨の右手にある。


「……美味そうだ」


シンの唇から、本音が漏れた。 その瞬間、彼の胃袋が強烈な飢餓感に震え、影の中で待機していた無数の眷属たちが、主の号令を待ってざわめき立った。


だが、まだだ。 メインディッシュを味わう前に、前座の道化師たちに踊ってもらわねばならない。 彼らが絶望し、心を折られ、完全に無力化したその時こそ、救世主(と見せかけた新たな支配者)が登場する最高のタイミングなのだから。


『……ほう? 羽虫が牙を剥くか』


不死王が、アレスの闘気を見て、興味深そうに顎をさすった。 眼窩の青い炎が、嘲笑うように揺れる。


『良いだろう。永き眠りの退屈しのぎにはなる。……その命の灯火、我が絶望の風で吹き消してくれるわ』


不死王が杖を掲げる。 その先端に、どす黒い闇の球体が凝縮されていく。 ただの魔力弾ではない。空間そのものを削り取り、接触した物質を原子レベルで崩壊させる上位魔法。


虚無の弾丸(ヴォイド・バレット)】。


「来るぞ! 散開ッ!!」


アレスが叫ぶ。 だが、遅い。 Sランクの魔法発動速度は、人間の反射神経を遥かに凌駕している。


ヒュンッ。


放たれた闇の弾丸は、音もなく空間を滑り、アレスたちの中心へと着弾した。


ドォォォォォォンッ!!!!!


爆音などという生易しいものではない。 世界が反転したかのような衝撃波が、四人を襲った。


「が、はぁぁぁぁッ!?」 「きゃああああッ!」


ボルトスの自慢の大盾(タワーシールド)が紙屑のようにへし曲がり、ミラの防御障壁がガラスのように砕け散る。 四人の体は枯れ葉のように吹き飛ばされ、石畳の上を無様に転がった。


「ぐ、ぅ……な、なんだ今の……威力は……」


アレスは血反吐を吐きながら、何とか上半身を起こした。 鎧はボロボロに砕け、全身から血が噴き出している。 一撃。 たった一発の「牽制」で、パーティは半壊した。


もろい。……脆すぎるな、人間とは』


不死王は玉座から立ち上がることもなく、杖を振るう。 次弾が装填される。 今度は、一人一人を確実に仕留めるための、四つの弾丸。


「くそっ……負けて、たまるかよォッ!!」


アレスは折れた心を無理やり繋ぎ止め、立ち上がった。 死ぬかもしれない。いや、死ぬだろう。 だが、ここで逃げれば、自分の存在意義が消滅する。 それだけは、死ぬよりも恐ろしいことだった。


「俺は……英雄になる男だァァッ!!」


狂乱の特攻。 アレスは魔剣に全ての魔力を注ぎ込み、不死王へと突っ込んだ。 それは勇気ではない。恐怖に背中を押された、玉砕覚悟の自殺行為。


その背中を見送りながら、シンは影の中で指を鳴らす準備をしていた。


(……いいザマだ、アレス)


シンは冷酷に評価する。


(お前のその無謀な勇気こそが、俺の計画に必要な「囮」となる。……精々、派手に散って時間を稼げ)


シンは一歩、前へ出た。 Fランクの少年の仮面の下で、始祖(オリジン)の牙が剥き出しになる。


アレスが砕け散るその瞬間こそが、魔王が舞台に上がる合図となる。


――さあ、食事の時間だ。


その瞬間、シンの影が爆発的に膨れ上がり、地下迷宮の闇をさらに深く塗りつぶした。

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続きます。

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