第79話 断罪のショータイム、そして戴冠
陽が落ち、月が昇り、そしてまた白々とした暁光が王都を照らし出す頃には、広場の中央に転がる「それ」は、もはや人の形を留めてはいなかった。
肉塊だった。 かつて第一王子ギルバート・ゼノリスと呼ばれていたモノは、数万の民衆による憎悪の奔流に晒され、破壊と再生の無限地獄を彷徨い続けていた。
「あ……が……、ぁ……」
喉が潰れているため、言葉にはならない。 だが、その濁った眼球は、虚空に向かって必死に何かを訴えていた。
――殺してくれ。 ――もう、終わらせてくれ。
サフィナが施した【不死の秘薬・改】の効果時間は三十時間。 その間、彼は一度として意識を失うことを許されなかった。 石が頭蓋を砕く音。皮膚が裂ける感触。内臓が破裂する苦悶。 それら全てが、百倍に増幅された痛覚信号として脳髄を焼き焦がし、精神を千切れ飛ぶ寸前で縫い留めていたのだ。
「おい、動かなくなったぞ!」 「まだだ! まだ足りねえ!」 「俺たちの苦しみはこんなもんじゃなかったはずだ!」
民衆の狂気は冷めることを知らない。 彼らは「正義」という名の美酒に酔いしれていた。 かつて自分たちを見下し、踏みにじっていた絶対権力者が、今は泥にまみれて命乞いをしている。 その倒錯した優越感が、彼らの理性を麻痺させ、獣へと変えていた。
だが。 永遠に続くかと思われた煉獄にも、終わりの時は訪れる。
カチリ。
ギルバートの体内で、何かが切れる音がした。 薬効が切れ、強制的な再生能力が失われたのだ。
「……う、あ……」
ギルバートの指先が、微かに痙攣する。 再生しない。痛みが引かない。 代わりに訪れたのは、急速に冷えていく体温と、死神の足音だった。
「……時間だ」
バルコニーの上から、冷徹な声が降ってきた。 民衆が弾かれたように動きを止め、視線を上げる。
そこには、深紅の髪を風になびかせた英雄――アレスが、巨大な処刑斧を担いで立っていた。
「ショータイムは終わりだ。……幕を下ろすぞ」
アレスが手すりを飛び越え、重力を無視してふわりと広場の中央へと着地する。 その着地だけで衝撃波が走り、群がっていた民衆が波のように道を空けた。
アレスは、足元の肉塊を見下ろした。 かつて王位継承権第一位を誇り、この国を我が物顔で闊歩していた男の成れの果て。
「……あ、れ……す……」
ギルバートが、血の泡を吹きながら、すがりつくようにアレスを見上げた。 その瞳にあるのは、敵意ではない。 慈悲への懇願だ。 早く殺してくれ。楽にしてくれ。この苦しみから解放してくれ。
「……フン。王族としての矜持も、悪党としての覇気もねえ。ただの哀れな生ゴミだ」
アレスは吐き捨てるように言い、処刑斧を高く振り上げた。 太陽の光を反射し、刃がギラリと輝く。
「安心しな。……俺の一撃なら、痛みを感じる暇もねえよ」
それは、アレスなりの最後の情けか。 あるいは、これ以上醜態を晒させることへの嫌悪か。
ギルバートの瞳から、一筋の涙が流れた。 感謝の涙だった。
「――断罪」
ゴッ!!
風切り音すら置き去りにする、神速の一撃。 重厚な刃が首を両断し、石畳に深々と突き刺さる。
ドサッ。 首を失った胴体が崩れ落ちるのと、首が転がるのは同時だった。
一瞬の静寂。 そして。
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!」」」
爆発的な歓声が、王都の空を揺るがした。 悪は滅びた。 自分たちの手で、自分たちの英雄が、悪魔を討ち果たしたのだ。 熱狂の渦の中で、アレスは血振るいをして斧を肩に担ぎ直し、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「……軽い命だ」
◇
ギルバートの死体は、ゴミのように速やかに処理された。 広場の血は魔法で洗い流され、代わりに真紅の絨毯が敷き詰められる。 祝祭の準備は、驚くべき手際で整えられていった。
数時間後。 清められた王城のバルコニーに、ファンファーレが高らかに鳴り響く。
現れたのは、豪奢な王衣ではなく、純白の騎士礼装に身を包んだセリス王女だった。 頭上に王冠はない。彼女はその王冠を、胸に抱くようにして持っていた。
その両脇には、十王のジェイドとヴィンセントが控えている。 経済と武力。この国の実権を握る二人の怪物が、彼女を支えているという構図。
「愛する国民の皆様!」
セリスの声が、魔道具を通じて朗々と響き渡る。 広場を埋め尽くす民衆が、静まり返り、彼女の言葉を待つ。
「今日、長きにわたる圧政と恐怖の歴史は終わりました。兄ギルバート、そして父王の失政は、皆様に多大なる苦しみを与えてしまいました。……王家の血筋として、深くお詫び申し上げます」
セリスが深々と頭を下げる。 王族が民衆に頭を下げる。その衝撃的な光景に、民衆の心は鷲掴みにされる。
「私は、王になる資格などありません。……この国を救ったのは私ではなく、ここにいるレギオン【蜘蛛】の皆様なのですから!」
セリスが手を示すと、アレス、ミラ、ボルトス、チェルシーら四天がバルコニーに進み出る。 圧倒的な武威。神々しいまでのオーラ。 民衆は理解する。彼らこそが真の支配者であり、守護者なのだと。
「ですから……私は決断しました」
セリスは顔を上げ、凛とした瞳で宣言した。
「今日この時をもって、『ゼノリス王国』の名を捨てます!」
ざわッ……と広場がどよめく。 国名を捨てる。それは歴史の否定であり、アイデンティティの喪失だ。
「古い王権など不要です! 血筋だけで偉ぶる王などいりません! 必要なのは、民を守り、富ませる『力』です! そしてその力を持つのは、レギオンをおいて他にありません!」
セリスは抱いていた王冠を、恭しくアレスへと差し出した。 国譲りの儀式。
「私は女王となりますが、それは支配者としてではありません。レギオンの意志を受け、民を守るための『代表』としてです! 私はレギオンに忠誠を誓い、この国を彼らの『庭』として捧げます!」
そして、彼女は高らかに、新たな国の名を叫んだ。
「この国の新たな名を――『アラクネ共和国』と定めます!!」
アラクネ。蜘蛛。 かつては不吉とされたその名は、今や救済と繁栄の象徴として、民衆の耳に響いた。
一瞬の空白の後。
『アラクネ! アラクネ!』 『共和国万歳!』 『セリス女王万歳! レギオン万歳!』
怒涛の歓声が巻き起こった。 誰も反対などしない。 王国の歴史? 伝統? そんなもので腹は膨れない。 レギオンが支配する国になれば、税はなくなり、食料は配給され、魔物の脅威からも守られる。 ならば、国名が蜘蛛になろうが、王が傀儡になろうが、何の問題があるというのか。
ジェイドは扇子で口元を隠し、冷ややかに笑った。 ヴィンセントは腕を組み、満足げに頷いた。
愚民化政策の完成。 彼らは自由意志で選んだつもりになっているが、その実、自ら進んで「蜘蛛の巣」の中へと飛び込んだに過ぎない。
セリスは、民衆の熱狂を浴びながら、背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。 (……これでいいのですか、シン様。私は、貴方様の人形として、完璧に踊れましたか?) 彼女の魂は、既にシンの刻印によって染め上げられている。 国の滅亡さえも、主への供物として捧げられることに、背徳的な喜びを感じていた。
◇
その光景を、地下宮殿の玉座から見下ろす影があった。
始祖、シン。 彼は幻影の窓に映る熱狂を、極上の喜劇として鑑賞していた。
「……ククッ、傑作だ」
シンは喉を鳴らして笑った。
「自ら檻に入り、鍵をかけ、飼い主に尻尾を振るとはな。人間というのは、これほどまでに飼い慣らしやすい生き物だったか」
手元の地図。 「ゼノリス王国」と記された領域が、黒いインクで塗りつぶされ、「レギオン領」へと書き換えられていく。
「国一つ、いただきました」
シンはグラスを傾け、紅い液体を煽った。 その味は、極上の蜜の味がした。
実質的な支配から、名実ともの支配へ。 アラクネ共和国の誕生は、世界に対する高らかな宣戦布告だ。 これより、この国は周辺諸国を飲み込む「毒の震源地」となる。
「さて……」
シンは立ち上がり、背後に控える三禍を振り返った。
「遊びは終わりだ。次は仕事にかかるぞ」
その視線は、地図の西側――軍事大国「鋼牙帝国アイゼンガルド」の方角へと向けられていた。
お読みいただきありがとうございます!
ついにギルバート王子の断罪が完了しました。 サフィナ特製の「30時間耐久・死ねない薬(痛覚100倍)」……自業自得とはいえ、壮絶な最期でしたね。彼には地獄で自分の罪を数えてもらいましょう。
そして、後半ではセリス王女による衝撃の「国譲り宣言」。 「ゼノリス王国」が消滅し、「アラクネ共和国」が誕生しました。 国の名前を堂々と「蜘蛛」にするあたり、シンたちの世界に対する挑発と支配欲が見え隠れしています。国民もパン(利益)のためにそれを受け入れる、まさにジェイドの愚民化政策の集大成といった形になりました。
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それでは、第2章の締めくくりでお会いしましょう。




