第78話 王都の夜明け、不死身の生贄
王都の地下深く。 かつて王家の宝物庫であったその広大な空間は、いまや地獄の釜の底と化していた。
鼻を突くのは、焼け焦げた肉の臭いと、濃密な血の鉄錆臭。 地面には、原形を留めぬほど破壊された四魔将の残骸が散らばり、黒い煙を上げて消滅しようとしている。
その惨状の中心で、四人の男女が泥と血にまみれて倒れ伏していた。 レギオン最強の戦力、四天。
アレスの自慢の魔剣は半ばで砕け、鎧はひしゃげている。 ミラの光の翼は無惨にもぎ取られ、ボルトスの大盾は粉砕され、チェルシーは片腕を失って意識を失っていた。
完敗だった。 Sランクに至ったと自負していた彼らが、魔界の将軍相手に手も足も出ず、蹂躙されたのだ。
「……ぐ、ぅ……申し訳……ありませ、ん……」
アレスが、血の泡を吹きながら、地面を這うようにして顔を上げた。 その視線の先。 一切の汚れなき漆黒のコートを纏い、無傷で立っている一人の青年がいた。
始祖、シン。 彼は倒れ伏す配下たちを一瞥もしない。 ただ、掌の上で転がしている四つの「魔核」――魔将たちから抜き取った力の結晶を、退屈そうに見つめているだけだ。
「……期待外れだ、アレス」
シンの低い声が、アレスの心臓を凍りつかせる。
「準災害級(A+)になった程度で、本物の災害(S)に勝てると思ったか? ……慢心したな。その結果が、この無様だ」
「……ッ!!」
アレスは悔しさに唇を噛み切り、拳を地面に叩きつけた。 弁解の余地はない。シンが三禍を連れて救援に来なければ、彼らは間違いなくここで全滅していた。
「ですが、主よ。彼らも時間稼ぎの役目は果たしました」
シンの背後で、執事服のルシリウスが静かに進言する。 傍らには、まだ暴れ足りなさそうな夜霧と、欠伸をしているリリアが控えている。彼らにとって、魔将など準備運動にもならなかったようだ。
「分かっている。……死なれては、俺の『駒』が減る」
シンはため息をつき、魔核を握りつぶした。 パリン、と砕けた魔力が粒子となり、倒れている四天たちへと降り注ぐ。
「――強制修復」
ドクンッ!!
アレスたちの体が跳ねた。 千切れた筋肉が繋がり、砕けた骨が接合し、失われた四肢が高速で再生していく。 激痛を伴う荒療治。だが、数秒後には、彼らの体は傷一つない「全快」の状態へと戻されていた。
「あ、あぁ……力が、戻って……」
アレスが震える手で自身の体を確認し、深く平伏する。
「感謝、いたします……! この御恩、必ずや……!」
「口はいらん。結果で示せ」
シンは冷徹に言い放ち、天井を見上げた。 分厚い岩盤の遥か上、地上からは夜明けの気配が微かに伝わってくる。
「結界は消えた。……次は『地上の掃除』だ」
シンが指を鳴らす。 足元の影が渦を巻き、巨大な転移門が開かれた。
「行け、敗北者ども。……地上では『勝者』の顔をして、愚民どもを扇動しろ。傷一つないその体で、レギオンの無敵を示してこい」
それは、あまりにも皮肉な命令だった。 ボロボロに負けた直後に、無傷の英雄を演じろというのだ。 だが、アレスたちは迷わなかった。
「……御意!!」
屈辱を飲み込み、四人は影の門へと飛び込んだ。 今の彼らに必要なのは、勝利の栄光ではない。主のシナリオを完遂する、完璧な演技力だ。
「さて……俺たちも特等席へ戻るか」
シンは三禍を従え、自身もまた影の中へと溶けていった。
◇
レギオンハウス、屋上。
ズズズッ……。 コンクリートの床に黒い染みが広がり、そこからアレスたちが吐き出されるように姿を現した。
東の空から、朝日が差し込んでくる。 王都を覆っていた死の結界は既に消滅し、澄み渡る青空が広がっていた。
「……チッ。空気が美味くねぇな」
アレスは舌打ちをし、再生したばかりの腕をさすった。 傷は消えたが、魂に刻まれた敗北の恐怖は消えていない。手が微かに震えている。
「アレス。……震えを止めなさい。見られていますよ」
ミラが小声で叱咤する。彼女もまた顔色は悪いが、聖女の仮面を完璧に被り直していた。 眼下の大通りには、結界の消滅に安堵した市民たちが集まり始め、レギオンハウスを見上げているのだ。
「ああ、分かってるよ……」
アレスは深呼吸をし、頬を張った。 そして、震えを無理やり覇気でねじ伏せ、傲然と胸を張る。
「行くぞ。……主の舞台だ。トチったら、今度こそ殺される」
アレスたちは屋上から飛び降り、重力制御でふわりと王城の正門前へと着地した。 そこには既に、十王のヴィンセント率いる警備隊が、混乱する近衛兵たちを制圧し、道を作っていた。
開かれた城門。 アレスは、敗北の苦味を噛み締めながら、しかし英雄の顔で堂々とその門をくぐった。
◇
王城、謁見の間。
そこは、喜劇と悲劇が入り混じる狂乱の場と化していた。
「なぜだ……なぜ魔将が来ない! 余の儀式は完璧だったはずだ!」
玉座にしがみついているのは、第一王子ギルバート。 彼は結界が消えたことの意味を理解できず、ただ虚空に向かって喚き散らしている。
「余は神になる男だぞ! 魔界の力を得て、この国を……いや世界を支配するのだ!」
「……哀れですね、兄様」
凛とした声が、狂気を断ち切った。 ギルバートが弾かれたように顔を向けると、入り口に一人の少女が立っていた。
純白のドレスを纏った、セリス王女。 そしてその背後には、無傷のまま殺気を放つアレスら四天が控えている。
「セ、セリス……!? 生きていたのか、この役立たずが!」
「ええ。生きて、貴方の罪を終わらせに来ました」
セリスは一歩も引かない。 かつての彼女なら、兄の怒声に震えていただろう。だが今は、その後ろに「絶対的な組織」がついている。
「反逆者め! 近衛兵! であえ! こいつらを殺せ!」
ギルバートの絶叫が響くが、誰も動かない。 既に城内の騎士たちは、ヴィンセントの手によって武装解除され、あるいはレギオンの威光に恐れをなして降伏していた。
「誰も来ませんよ。……貴方はもう、裸の王様です」
「黙れェェェッ!」
ギルバートが錯乱し、自ら剣を抜いてセリスに斬りかかる。 王族としての誇りも品位もない、獣のような突撃。
ガシッ。
その剣は、アレスの鋼鉄のような手によって、刃の部分を鷲掴みにされた。
「……っ!?」
「おいおい。俺たちが苦労して守った『新しい女王陛下』に、傷をつけようってのか?」
アレスの声は低く、地獄の底から響くようだった。 魔将戦での鬱憤、自分への不甲斐なさ。その全ての行き場のない怒りが、目の前の愚かな王子へと向けられる。
「ひ、ひぃッ……!? 貴様、何をする気だ……余は王だぞ……!」
「王? 笑わせるな」
バキンッ!!
アレスは素手で王家の宝剣をへし折ると、そのまま裏拳でギルバートの顔面を殴り飛ばした。
「ぶべらッ!?」
ギルバートが吹き飛び、玉座の階段を転げ落ちる。 鼻が潰れ、歯が数本飛び散る。
「お前はただの『敗戦処理』だ。……さっさと舞台に上がれ」
アレスが顎でしゃくると、柱の影から白衣の美女が進み出た。 十王・サフィナ。 その手には、紫色の液体が満たされた巨大な注射器が握られている。
「うふふ……初めまして、王子様。顔色が悪いですねぇ」
サフィナは倒れ伏すギルバートの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「あ、あ……誰だ、貴様……」
「魔物召喚の代償……『呪い』が必要でしょう? 国民が納得するような、ね」
サフィナは楽しげに笑い、注射器の空気を抜いた。
「この薬は特別製よ。投与されると、三十時間……絶対に『死ねなく』なります」
「な……?」
「心臓が止まっても、首が落ちても、即座に再生する。……ただし、痛覚神経だけは百倍に鋭敏化させておきました。風が吹くだけで、皮を剥がれるような痛みが走るわよ?」
「や、やめろ……! そんなもの、悪魔の……!」
「あら、人聞きの悪い。これは『治療』ですよ? 貴方の腐った性根を治すための」
ズプッ。
太い針が、ギルバートの首筋に深々と突き刺さる。
「ぎ、ギャアアアアアアアアアアアアアッ!?!?!?」
薬液が注入された瞬間、ギルバートの絶叫が城内に木霊した。 血管が蛇のように浮き上がり、全身の筋肉が痙攣する。 ただ床に転がっているだけなのに、全身を焼かれたような激痛が彼を襲い続けているのだ。
「運びなさい。……メインステージへ」
サフィナの合図で、レギオンの兵士たちが泡を吹くギルバートの足首を掴み、ズルズルと引きずっていく。
◇
王城のバルコニー。 朝日が照らす大広場には、何ごとかと集まった数万の市民がひしめき合っていた。
そこへ、セリス王女が姿を現す。 彼女は魔道具のマイクを手に取り、涙ながらに語りかけた。
「愛する国民よ! ……兄ギルバートは、悪魔に魂を売り渡しました!」
その告発と共に、バルコニーの下――広場の中央に、鎖で繋がれたギルバートが放り出された。
「あ、あ゛あ゛あ゛……ッ!! い、イタ……ッ!!」
ボロ雑巾のように転がり、空気に触れるだけで絶叫する王子の姿。 それは見るも無残な、呪われた罪人の姿そのものだった。
「彼は魔物召喚の代償として、神より『死ねない呪い』を受けました! ……これは、彼がこの国に与えた痛みの分だけ、彼自身が痛み続ける罰なのです!」
セリスの言葉に、民衆の動揺が怒りへと変わっていく。 昨夜の恐怖。奪われた日常。その元凶が、今、無防備に晒されている。
「私は彼を裁けません! 肉親の情けゆえに、手を下せないのです! ですから……どうか皆さんが、彼に教えてあげてください! 人の痛みというものを!」
それは、レギオンが書いた残酷な脚本。 王族への断罪を、国民自身の手で行わせる「共犯」の儀式。
ゴクリ、と誰かが喉を鳴らした。 誰かが、石を拾った。
『……やってやる!』 『俺たちの街を壊しやがって!』 『死ね! 化け物!』
一人が投げた石がギルバートの顔面に命中し、鼻を砕いた。 それを合図に、広場は暴徒と化した民衆の波に飲み込まれた。
「ギ、ギィィィヤアアアアアアアッ!?!?」
石が、棒が、瓦礫が、雨あられと降り注ぐ。 肉が裂け、骨が砕ける。だが、サフィナの毒が即座に肉体を再生させる。 死ねない。気絶すら許されない。 無限に続く痛みと再生の地獄。
◇
その光景を、地下宮殿の玉座から見下ろすシンは、冷ややかにグラスを傾けた。
「……いい悲鳴だ。魔将戦の疲れも癒やされる」
モニター越しに見るギルバートは、もはや人の形をした肉塊だ。 再生と破壊のループの中で、王としての尊厳など微塵も残っていない。
「三十時間。たっぷりと踊れ。……その痛みが、新しい国の礎になる」
シンは立ち上がり、背後の闇へと視線を向けた。 そこには、次なる計画――「戴冠式」と「国譲り」の準備を進めるジェイドとヴィンセントの姿が映し出されている。
すべては、シナリオ通り。 ゼノリス王国は今日で死に、レギオンの国が生まれる。
本日もお読みいただきありがとうございます!
ついにギルバート王子、国民の手に落ちました。 サフィナ特製の「死ねない薬(痛み100倍)」……自業自得とはいえ、なかなかにエグい末路です。彼にはたっぷり30時間、自分の犯した罪と向き合ってもらいましょう。
そして、裏ではアレスたちが魔将相手に完敗していました。 シンの「強制修復」で無理やり立たされていましたが、彼らにとっては一番キツイお仕置きだったかもしれません(笑)。
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本日はこのまま2章最終話まで続きます。




