第77話 三禍の暴虐、捕食する王
心象風景・処刑場。
シンの精神世界を現実に侵食させて作り出したこの空間は、あらゆる物理法則がシンの意思一つで書き換わる、絶対不可侵の神域である。 逃げ場のない円形闘技場。 天井はなく、頭上には毒々しい赤紫色の空と、複数の月が不気味に輝いている。 観客席には誰もいない。ただ、死の静寂だけが、これから始まる惨劇を待ちわびている。
対峙するのは、太古の昔に大陸全土を震え上がらせたとされる伝説の四魔将。 そして、現代に蘇った始祖とその配下、三禍。
ピリ、と大気が張り詰めた。 それは開戦の合図であり、同時に一方的な蹂躙劇の幕開けでもあった。
『我らを侮るなよ、人の子よ! 我らが魔力は無限にして絶大! 貴様らが束になろうと――』
王冠の魔人ヴェゼルが吠える。 彼らは先ほど、レギオンの幹部たちを一方的に屠った自信があった。空間支配が破られたとはいえ、純粋な戦闘力において負けるはずがないという、古強者ゆえの自負があった。
だが、その驕りは、瞬きの間に絶望へと塗り替えられることになる。
「――殺れ」
シンの唇が、短く動いた。 その言葉は、死刑執行書への署名よりも重く、冷たく響いた。
ドォォォォォンッ!!
三つの災厄が解き放たれた。
◇
【第一の蹂躙:魔導の終焉】
老魔導師ユグは、戦慄していた。 目の前に立つ白銀の髪の魔人、ルシリウス。 彼から放たれる魔力の質が、あまりにも異質だったからだ。静謐でありながら、底が見えない深海のような重圧。
『小僧……! 魔法とは、こう使うのだ! 思い知るがいい、神代の叡智を!』
ユグが枯れ木のような杖を掲げる。 彼が口ずさむのは、現代の魔術師が一生かかっても解読できぬ古の詠唱。 瞬間、空中に数百もの魔法陣が多重展開された。 炎、氷、雷、風、土。相反する属性を複雑に組み合わせ、互いの威力を増幅させる、回避不能の広範囲殲滅魔法。 先ほど、聖女ミラを完封し、絶望の淵に叩き落とした絶技である。
『五大元素混合・極大消滅波!!』
空間そのものを焦がすような極光が放たれた。 それは大地を削り、山をも消し飛ばす破壊の奔流となり、ルシリウスへと殺到する。
だが、ルシリウスは動かない。 防御結界すら張らず、回避行動も取らず、ただ冷ややかな瞳で、迫りくる破滅の光を「観察」していた。 まるで、稚拙な落書きを評価する美術評論家のように。
「……ふむ。術式構成、第三節にノイズあり。魔力変換効率、四割未満。接続も歪だ。……美しくないな」
ルシリウスが、指揮者のように優雅に指先を振るった。
パチン。
指を鳴らす音一つ。 ただそれだけで、世界を焼くはずだった極光が、煙のように霧散した。 爆発もしない。相殺でもない。 魔法を構成していた「数式」そのものが、より上位の計算式によって強制的に解体され、ただの無害な魔素へと還されたのだ。
『な、何……!? 私の究極魔法が……消えた、だと?』
ユグの目が飛び出さんばかりに見開かれる。 何が起きたのか理解できない。彼にとって魔法とは「力」だが、ルシリウスにとって魔法とは「理屈」なのだ。 理屈で劣る者が、勝てる道理はない。
「古代の魔導師と聞いて期待したが……所詮は野良仕事か。術式が粗雑で、見ていて吐き気がする」
ルシリウスは深い溜息をつき、自らの掌をかざした。 その瞳に宿るのは、絶対的な知の暴力。
「本物の『魔法』を見せてやろう」
ヒュン、ヒュン、ヒュン……。 ルシリウスの背後に、ユグのものとは比較にならない、数万、数十万の幾何学模様が浮かび上がる。 それは魔法陣などという単純なものではない。世界の法則そのものを記述した、神の設計図。 圧倒的な術式密度の差に、ユグの精神が軋む。
『ひ、ひいぃッ!? なんだその桁違いの情報量は!? あ、ありえん、人の身で扱える領域ではない……!』
「――塵に還れ」
放たれたのは、音のない閃光。 ユグが張っていた数百重の防御結界が、薄紙のように透過された。 そして、光が彼の肉体を通過した瞬間、老魔導師の体は、存在の構成因子レベルで分解を始めた。
『ギャアアアアアアアッ!! 体が、崩れるぅぅぅッ!?』
絶叫と共に、ユグの半身がサラサラと崩れ落ちる砂のように消滅していく。 ルシリウスは、あえて止めを刺さずに指を止めた。主の「捕食」のために、ギリギリで生かしておく必要があるからだ。 半身を失い、黒焦げになって地面を這いずり回るかつての大魔導師を見下ろし、ルシリウスは冷徹な侮蔑の言葉を吐き捨てた。
「教科書からやり直してこい、三流」
◇
【第二の蹂躙:破壊の鉄拳】
巨人の槍騎士ガルドは、激怒していた。 鎧兜の奥で、彼のプライドが煮えくり返っていた。 目の前の男――夜霧が、武器も持たずに、ポケットに手を突っ込んだまま立っていたからだ。
『武器を持たぬか。戦士としての誇りも捨てた蛮族め!』
ガルドが吠え、全長五メートルを超える漆黒の巨槍を構える。 その切っ先には、「貫通」の概念が付与されている。 どんな装甲も、魔法障壁も、触れただけで穴が開く必殺の槍。ボルトスの大盾すらバターのように粉砕した一撃だ。
『串刺しにしてくれる! 魔槍・穿孔ッ!!』
ガルドが突進する。 その速度は巨体に似合わず、迅雷の如き速さだった。 踏み込みの衝撃波だけで地面が裂け、切っ先が夜霧の心臓へと迫る。
だが、夜霧は笑っていた。 獰猛な、獲物を見つけた肉食獣の笑みで。
「おうおう、いい音出して突っ込んで来やがる。……だがよォ!」
ガシィィィィィッ!!
空気が破裂するような、鈍く重い音が響いた。 夜霧が、突き出された槍の穂先を――あろうことか、「素手」で掴み止めたのだ。
『な……ッ!?』
ガルドの動きが強制的に停止する。 貫通の概念を持つ槍が、夜霧の皮膚一枚すら破れずに、その掌の中で火花を散らしている。 夜霧の異常な身体能力と、彼が全身に纏う濃密な黒い闘気が、概念攻撃すらねじ伏せたのだ。
「軽い、軽いぜ! こんな楊枝で俺を刺そうなんざ、一億年早ぇんだよッ!」
夜霧の腕の筋肉が、丸太のように膨れ上がる。 彼の手の中で、魔槍が悲鳴を上げる。 メキ、メキメキメキッ……! 伝説級の硬度を誇り、オリハルコンすら貫くとされた魔槍が、飴細工のように捻じ曲げられていく。
『馬鹿なッ! 我が魔槍はドラゴンの鱗すら貫く至高の……』
「うるせぇよ。壊れろ」
バキィィィィィンッ!!
轟音と共に、巨槍が粉々にへし折られた。 勢い余って前のめりになるガルド。 その兜の目の前に、夜霧の拳があった。 黒い闘気を纏った、死の鉄槌。
「次はテメェの番だ。……歯ァ食いしばれや!!」
ドゴォォォォォォンッ!!
夜霧の拳が、ガルドの分厚い胸甲をぶち抜いた。 鎧だけではない。その衝撃は内側にある肉体、骨格、内臓に至るまで突き抜ける。 背中から衝撃波が抜け、ガルドの巨体がくの字に折れ曲がって吹き飛んだ。
『ガ、ハッ……!? バ、カ、な……』
闘技場の壁に激突し、動かなくなるガルド。 外見上の鎧は胸が凹んだ程度だが、中身はグチャグチャに破壊されている。 夜霧は拳についた血を払い、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「ッタク、期待外れだ。……少しは楽しませろよ、デカブツ」
◇
【第三の蹂躙:死神の黄昏】
死神ゾルは、困惑していた。 彼がどれほど「死の呪い」を振りまいても、目の前の少女――リリアが、平然と歩いてくるからだ。 彼女が歩いた跡には、草木一本残らず枯れ果てるような死の気配が漂っているが、彼女自身は無傷。
『なぜだ……? なぜ死なん? 我が鎌は魂を刈り取る……触れれば即死のはず……』
ゾルは焦り、巨大な鎌を乱舞させる。 空間ごと切り裂く斬撃がリリアを襲うが、彼女の体に触れる直前で、刃の方が朽ちてボロボロになっていく。 まるで、より上位の「死」に触れて、死神の武器が死んでしまったかのように。
「……ねえ、おじさん」
リリアが、虚ろな瞳でゾルを見上げる。 その手には、ゾルのものよりも遥かに禍々しく、血に濡れたような深紅の大鎌が握られていた。
「死神って、死なないと思ってた?」
『な……に?』
「死を与える側だから、自分は安全な場所にいると思ってるの? ……ずるい」
リリアの姿が、揺らぐ。 次の瞬間、彼女はゾルの懐にいた。 物理的な速度ではない。「死」がいつの間にか背後に忍び寄っているような、不可避の接近。
「本当の『死』を、教えてあげる」
リリアの大鎌が一閃。 ゾルは咄嗟に自分の鎌で受けようとしたが、無駄だった。 リリアの刃は、物理的な鎌だけでなく、ゾルという存在が持つ「不死性」や「霊体」といった概念そのものを断ち切ったのだ。
ザンッ――。
音もなく、ゾルの両腕が斬り飛ばされた。 断面からは、血ではなく黒い霧が噴き出す。
『ギャァァァッ!? 痛い、熱い!? なぜだ、我は死神……痛みなど……死など……!』
数百年ぶりに感じる「激痛」と、魂が消滅しかける「死への恐怖」。 ゾルは武器を失い、ガタガタと震え出した。 彼は初めて理解したのだ。自分は狩る側ではなく、狩られる側なのだと。
リリアは無表情のまま、逃げようとする死神の足を、容赦なく斬り飛ばす。
「逃げちゃだめ。……シン様の餌になるんだから、大人しくしてて」
ダルマ状態になったゾルが、恐怖に引きつった悲鳴を上げ続ける。 その光景は、死神がさらに上位の死神に惨殺されるという、皮肉な悪夢そのものだった。
◇
【第四の蹂躙:王の捕食】
そして。 部下たちが瞬く間に無力化されていく光景を、王冠の魔人ヴェゼルは呆然と眺めていた。
『バカな……ありえん……。我が四魔将が、こうも容易く……』
戦況は、もはや戦闘と呼べるものではない。 災害だ。理不尽なまでの暴力の嵐が、彼の自慢の配下たちを紙屑のように散らしている。
「よそ見をしている余裕があるのか?」
耳元で囁かれた声に、ヴェゼルは心臓が止まるほどの悪寒を感じて飛び退いた。 いつの間にか、玉座の目の前にシンが立っていた。
『貴様ァッ!!』
ヴェゼルは恐怖を振り払うように、全魔力を解放した。 王冠が妖しく輝き、周囲の空間が重力崩壊を起こす。 光さえも呑み込む暗黒星のような闇が渦を巻き、シンを押し潰そうと襲いかかる。
『消えろ! 暗黒重力波ッ!!』
直撃。 王城一つを粉砕できるほどのエネルギーが炸裂する。 だが。
カツン、カツン。
爆煙と重力の嵐の中から、シンは何事もなかったかのように歩いてきた。 服の裾一つ、乱れていない。髪の毛一本、揺れていない。 彼の全身から立ち昇る紅蓮の覇気が、ヴェゼルの放つ闇を、触れる端から喰らい尽くし、無効化しているのだ。
『な、なぜ効かん!? これは空間すら圧殺する神代の魔法だぞ!?』
「王権の質が違うと言ったはずだ」
シンはヴェゼルの目の前まで歩み寄り、その細い首を片手で鷲掴みにした。
『が、は……ッ!?』
抵抗しようとするヴェゼルの力が、霧散していく。 シンの手に触れられただけで、魔力が、意志が、強制的に封じ込められる。 絶対的な支配者の前では、偽王は指一本動かすことすら許されない。
「民の命を啜り、安全な地下でふんぞり返るだけの貴様ごときに、その座は相応しくない」
シンは腕に力を込め、ヴェゼルを玉座から強引に引きずり下ろした。 そのまま、地面へと叩きつける。
ズドンッ!!
石畳が擂り鉢状に陥没し、ヴェゼルが血を吐く。 シンは倒れた魔王の胸を靴底で踏みつけ、冷酷に見下ろした。
「王冠など、お前には重すぎる」
勝負あり。 四体の魔将は、すべて地に伏した。 闘技場に静寂が戻る。 だが、これで終わりではない。 シンにとって、ここからが「食事」の時間だ。
「――才能捕食」
シンの影が、生き物のように蠢いた。 影は広がり、巨大な四つの「顎」を形成する。 その顎は、深淵の闇そのものであり、決して満たされることのない飢餓の具現化。
『ひ、ひいぃッ!? やめろ、くるな、くるなぁぁぁッ!!』 『助け……喰われる……魂が……!』
瀕死の魔将たちが、本能的な恐怖にかられて絶叫する。 死ぬよりも恐ろしい、存在の消失。 だが、シンの影は無慈悲に彼らを飲み込んだ。
バリ、ボリ、グシャアッ……。
おぞましい咀嚼音が響く。 肉体だけでなく、魔力、魂、そして彼らが長い時をかけて培ってきた「能力」の全てが、シンの内側へと取り込まれていく。
――【才能:空間断絶】獲得。 ――【才能:概念貫通】獲得。 ――【才能:万能魔導】獲得。 ――【才能:深淵の王権】獲得。
膨大な力が、シンの魂へと統合される。 脳髄が焼け付くような情報の奔流と、全身の細胞が沸き立つような全能感。 シンは深く息を吐き、その力を馴染ませた。 彼はまた一歩、神へと近づいたのだ。
◇
パリンッ……シャラララ……。
魔将たちの消滅と共に、地下空間を維持していた結界が崩壊した。 それと同時に、王都上空を覆っていた赤い魔法陣もまた、ガラス細工のように砕け散った。 市民の命を吸い上げていた呪縛が解かれ、人々は深い眠りについたまま、安らかな呼吸を取り戻していく。
天井の岩盤が消え、東の空から、眩しい朝日が差し込んでくる。 夜が明けたのだ。 長い悪夢の終わりを告げる、希望の光。
光の中に立つシンの姿は、逆光を浴びて神々しく輝いていた。 その背中を見上げるアレスたちは、回復した体でその場に跪き、震えるほどの畏怖と、狂おしいほどの崇拝を目に宿していた。 これが、自分たちの主だ。 神話の怪物さえも糧とし、さらに高みへと登る、絶対なる魔王。
「……終わりましたか、シン様」
ルシリウスが恭しく問いかける。 シンは朝日を見上げたまま、口元に獰猛な笑みを浮かべた。
「ああ。害虫駆除は終わりだ」
彼は翻り、地上への出口を見据える。 その瞳は、既に次の獲物を見据えていた。
「行くぞ。……仕上げの時間だ」
広場には、まだ断罪されるべき愚か者と、新たな時代の幕開けを待つ民衆が残っている。 魔王は歩き出す。 真なる支配者として、その冠を戴くために
本日もお読みくださりありがとうございます。
第77話、いかがでしたでしょうか。 前回、四天を苦しめた強敵たちでしたが、「三禍」にかかればこの通り。 魔法を理屈で分解するルシリウス、概念ごとへし折る夜霧、死神をも殺すリリア。 そして、それら全てを従え、敵を糧として飲み込むシン。 まさに「格付け完了」の回でした。スカッとしていただけたなら幸いです。
面白かった、スカッとした、続きがきになると思った方は、ブックマーク登録と、広告下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると執筆の励みになります!
続きます。




