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第76話 神域の介入、理《ことわり》の書き換え

世界が、悲鳴を上げた。


 それは比喩でも誇張でもない。  視界を覆っていた不可視の牢獄――物理法則すら書き換えられた四つの絶対空間が、何者かの手によって物理的に、そして一方的に粉砕された断末魔だった。


 パリン、パリン、パリーンッ……!!


 鼓膜をつんざく硬質な破砕音が、地下空洞に反響する。  アレスたちが囚われていた「針山」「死の荒野」「万華鏡」「虚無」といった四つの異界が、まるで薄氷のように砕け散る。  舞い散る次元の欠片かけらが、キラキラと幻想的な燐光を放ちながら虚空へと溶け、本来あるべき地下の闇へと還元されていく。


 あまりに唐突な結界の崩壊。  その光景に、勝利を確信し、獲物をなぶり殺そうとしていた四体の魔将(デーモン・ロード)たちは、動きを止めざるを得なかった。


『……何者だ』


 王冠の魔人ヴェゼルが、不快げに低い声を漏らす。  彼らが展開していたのは、ただの魔法障壁ではない。  世界の(ことわり)そのものを切り取り、己の支配領域とする、神域(ディバイン)に足を踏み入れた大魔術である。  それを、外部から――しかも、たった一撃で粉砕するなど、神話の時代においてすらあり得ぬ暴挙だった。


 砕け散った空間の亀裂。  そこには、光ではなく、全てを飲み込むような「より深い闇」が渦巻いていた。  その深淵の奥から、コツン、コツンと、靴音が響く。


 その足音は、静かでありながら、地殻を揺らすような重圧を持って、その場にいる全ての存在の心臓を叩いた。  空気の密度が変わる。  先ほどまでの「絶望」が、「畏怖」へと塗り替えられていく。


「――随分と楽しそうだな、三流共」


 氷点下の怒気を孕んだ声。  闇のコートを翻し、深紅の魔眼を輝かせる黒髪の少年――始祖(オリジン)・シン。  彼が姿を現した瞬間、地下空間の温度が数度下がったような錯覚を覚える。


 そして、彼の背後には、主の怒りに呼応するように、制御できぬほどの殺意を撒き散らす三つの影が控えていた。


 白銀の長髪をなびかせ、この世ならざる美貌に冷酷な笑みを浮かべる魔人、ルシリウス。  全身から荒々しい闘気を噴き上げ、獲物を屠りたくてうずうずしている黒衣の狂戦士、夜霧。  死そのものを具現化したかのような虚ろな瞳で、巨大な鎌を引きずる幼き少女、リリア。


 レギオンにおける真の最高戦力、三禍(トリア・カタストロフ)。  彼らが放つ覇気(オーラ)は、先ほどまで魔将たちが放っていた威圧を正面から押し返し、空間そのものをミシミシと軋ませていた。


「シ、ン……様……」


 瓦礫の中で、アレスが微かに声を絞り出す。  全身の骨が砕け、指一本動かせぬ重傷。  呼吸をするたびに血の泡が溢れる。だが、肉体の痛みよりも遥かに鋭い激痛が、彼の胸を締め付けていた。  敗北の屈辱。そして何より、敬愛する主の前で無様な姿を晒した己への憤怒。


「申し訳……ありません……。俺たちは、貴方様の期待に……最強の矛、だと……大口を叩いておきながら……」


 アレスだけではない。  盾を貫かれ、血の海に沈むボルトス。  影ごと斬られ、震える手で傷口を押さえるチェルシー。  魔力を封じられ、涙を流して項垂れるミラ。  彼らは皆、主の顔をまともに見ることができずにいた。合わせる顔がなかった。


 シンは無言のまま、瀕死のアレスの元へと歩み寄る。  そして、跪き、その血と泥に汚れた頬に、優しく手を添えた。


「……よく耐えた」


 その声に、アレスがカッと目を見開く。  叱責はない。失望もない。  そこにあったのは、愛する「所有物」を傷つけられたことへの静かなる憤怒と、命を賭して忠義を尽くした部下への、海よりも深い慈悲だった。


「お前たちが稼いだ時間は無駄ではない。敵の手の内は見えた。……今は休め」


 シンが指を振るう。  瞬間、アレスたち四人の身体が柔らかな闇に包まれた。  空間転移。彼らの体は戦場の後方、安全圏で待機する十王たちの結界内へと優しく転送された。


 障害物はなくなった。  守るべき背中が消えたことで、シンの纏う空気が一変する。  慈悲深い君主の顔が消え、残ったのは――冷徹なる破壊者の相貌。


 シンはゆっくりと立ち上がり、四体の魔将を見据えた。


「さて」


 その一言で、空気が凍りつく。


「俺の可愛い部下を壊した代償だ。……高くつくぞ?」


『……貴様、人間ではないな』


 ヴェゼルが玉座から立ち上がることなく、頬杖をついたまま傲慢に問いかける。  彼もまた、本能で悟っていた。目の前の少年が、先ほどの「羽虫」たちとは根本的に異なる、異質の存在であることを。


『我の展開した【隔離世界(セパレート・ワールド)】を破壊する力……。褒めてやろう。だが、所詮はガラスを割っただけのこと。この空間の支配権は、未だ我らにある』


 ヴェゼルが合図を送ると、両脇に控えていた三体の魔将が、再び魔力を爆発的に膨れ上がらせた。


『そうだ……我らの聖域を汚すな、矮小なる者よ』


 老魔導師ユグが杖を掲げる。  再び、世界が歪み始める。  針の山が隆起し、死の霧が立ち込め、極彩色の魔法陣が展開される。  破壊されたはずの四つの地獄が、自己修復機能によって再生し、シンたちを飲み込もうと波打つ。  彼らのホームグラウンドである以上、何度壊しても蘇る。それが彼らの絶対的な優位性。


 だが。  シンは鼻で笑った。


「支配権? 聖域?」


 彼はまるで、聞き分けのない子供の戯言ざれごとを聞くかのように、憐憫の目を向けた。


「勘違いするなよ、旧時代の遺物共。ここは誰の庭だと思っている?」


 シンが右手を天に掲げる。  そのてのひらに、夜よりも暗い、漆黒の極光が収束していく。


「家主は俺だ。勝手に人の庭で、くだらない箱庭遊びを始めるな」


 【才能(ゼロ)空間掌握(エリア・ドミネート)


 ドクンッ――!!


 世界が、脈打った。  それは魔将たちが展開しようとしていた歪な法則を、より強大で、より絶対的な「ことわり」が塗り潰していく音だった。


『な、何だ……!? 私の魔法陣が、消える……?』


 ユグが驚愕の声を上げる。  彼が再構築しようとした万華鏡の世界が、黒いインクを垂らしたように侵食され、消滅していく。  魔法的な中和ではない。  「そこにある」という事実そのものが、シンの意思によって否定され、抹消されているのだ。


『バカな……! 我が槍の領域が、押し返されているだと?』 『死の気配が……喰われていく……』


 ガルドとゾルもまた、後退りを余儀なくされる。  彼らの支配領域が、シンの放つ圧倒的な覇気によって、物理的に「上書き」されているのだ。


「狭苦しい四畳半は終わりだ。……戦うなら、もっとマシな舞台を用意してやる」


 ズズズズズズズッ……!


 地下空洞の壁が、床が、天井が、変質していく。  湿った土壁は黒曜石のように滑らかな石材へと変わり、天井は遥か彼方の虚空へと消え、周囲には古代の遺跡を思わせる円形の観客席が隆起する。  四つのバラバラだった空間が無理やり縫い合わされ、一つの巨大な闘技場へと再構成される。


 ――心象風景(イマージュ)処刑場(コロシアム)


 かつてシンが数多の敵を葬り、絶対の王として君臨した、魂の原風景。  逃げ場のない、完全なる閉鎖空間。  ここでは、シンの許可なく、魔法一つ、呼吸一つとして許されない。彼の法こそが、世界の物理法則となる。


『空間転移……いや、世界の再定義だと……!?』


 ヴェゼルが初めて表情を変えた。  ただの力押しではない。自分たちが最も得意とし、神域に達していたはずの「空間支配」の分野において、完全に格上の力を見せつけられたのだ。  自分たちのキャンバスに描いた絵を、上から黒いペンキで塗り潰されたような屈辱と恐怖。


「ようこそ、俺の処刑場へ」


 シンは闘技場の中央に立ち、両手を広げた。  その姿は、観衆のいない劇場で独演する指揮者のようだ。


「ルールは簡単だ。……どちらかが全滅するまで、ここからは出られない」


 四対四。  古の魔王軍と、新時代の支配者たち。  役者は揃った。


「ルシリウス、夜霧、リリア」


 主の名を呼ばれ、三禍が一歩前へ出る。  彼らの顔には、獲物を前にした捕食者の、獰猛かつ愉悦に満ちた笑みが浮かんでいた。  彼らにとって、これほどの獲物は久しぶりなのだ。


「相手を選べ。……教育の時間だ」


 シンの言葉に、三人はそれぞれの敵を見定めた。


「やれやれ……。魔法の理屈も知らぬ原始人と遊ぶのか。退屈で欠伸あくびが出そうだ」


 ルシリウスが、冷ややかな視線を老魔導師ユグへと向ける。  その背後には、ユグの展開する魔法陣よりも遥かに精緻で、複雑怪奇な幾何学模様が浮かび上がる。  神代の魔法対決。


「ッハ! 俺はあのデカブツをもらうぜ!」


 夜霧が拳を鳴らし、野獣のように笑う。  その視線の先には、巨人の槍騎士ガルド。  最も硬く、最も重い一撃を持つ相手に、あえて正面から殴り合うことを選ぶ。  破壊の権化による、物理の頂上決戦。


「…………私は、あの死神さんがいい」


 リリアが、虚ろな瞳で死神ゾルを見つめる。  彼女の手には、ゾルの持つ鎌よりもさらに禍々しく、巨大な深紅の大鎌が握られていた。  死を司る者同士の、概念の削り合い。


 そして。  残されたのは、二人の王。


 シンは、玉座に座るヴェゼルへとゆっくり歩み寄った。


「残るゴミは、お前だけか」


『……貴様』


 ヴェゼルの全身から、漆黒の瘴気が噴き出す。  それは先ほどアレスの剣をへし折った時とは比較にならぬ、本気の殺意。  玉座がガタガタと震え、周囲の空間に亀裂が入る。


『深淵の王たる余を、ゴミと呼んだか……! 万死に値するぞ、若造が!』


「ああ、呼んだとも」


 シンは立ち止まり、見下すようにわらった。  その瞳には、ヴェゼルの殺意などそよ風ほどにも感じていないという、絶対強者の余裕が宿っている。


「王冠の重みも知らぬ紛い物が。……本物の王権ドミネートを見せてやる」


 シンの周囲に、紅蓮の魔力が螺旋を描いて立ち昇る。  それは、ヴェゼルの闇を飲み込み、喰らい尽くす暴虐の光。  二つの巨大な魔力が衝突し、闘技場の大気に稲妻が走る。


「総員、構え」


 シンの号令が、処刑場の空気を震わせる。  もはや言葉は不要。  ここにあるのは、どちらが上かという、生物としての純粋な格付けのみ。


「――(モノ)の違いを、教えてやれ」


 刹那。  三つの災厄と一人の魔王が、同時に地を蹴った。  ことわりが書き換えられた世界で、神話の戦いが幕を開ける。

ここまでお読みくださりありがとうございます。


アレスたちの敗北から一転、真打ち登場です。 敵の得意分野である「空間支配」を、より上位の力で無理やり上書きして自分のホームグラウンドに引きずり込む。これぞ魔王シンの真骨頂ですね。 そして、傷ついた部下には優しく、敵には慈悲がない。このギャップも彼の魅力です。


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明日も更新します。

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