第75話 絶望の四次元、砕ける獅子
王城の地下深層へと続く螺旋階段を、四つの影が疾走していた。 四天のアレス、ミラ、ボルトス、チェルシー。 彼らの背後、地上の入り口付近では、溢れ出した無数の影の眷属たちを食い止めるべく、ジェイドやヴィンセントら十王が激しい防衛戦を繰り広げている。
「ここは我らが食い止める! 雑魚に構うな、お前たちは元凶を叩け!」
ヴィンセントの怒号を背に、アレスたちは最奥の巨大空洞――かつて禁忌の扉があった場所へと飛び込んだ。
「――ッ!?」
足を踏み入れた瞬間、肌を焼くような濃密な瘴気が彼らを襲った。 そこは既に、物理的な地下室ではない。 空間そのものがねじれ、歪み、色彩さえも喪失した異界の入り口。 その中心に、四体の怪物が鎮座していた。
全身を漆黒の刺々しい甲冑で覆った、巨人の槍騎士『ガルド』。 ボロボロのローブを纏い、顔のない髑髏の相貌を持つ死神『ゾル』。 空間を歪める杖を携え、赤い眼光を放つ老魔導師『ユグ』。
そして――それら三体を従え、玉座にて黒い太陽の如き威圧を放つ、王冠を戴いた魔人『ヴェゼル』。
かつてアレスたちが瞬殺した『幻視の魔王』とは、存在の格が違う。 生物としての本能が、「逃げろ、喰われるぞ」と警鐘を乱打していた。
「……チッ。どいつもこいつも、化け物揃いじゃねェか」
アレスが魔剣を構え、獰猛に笑う。だが、その額には冷や汗が伝っていた。 対峙しただけで理解できる。 目の前の三体(ガルド、ゾル、ユグ)は、自分たちと同等か、それ以上。 そして奥の『ヴェゼル』に至っては――底が見えない深淵そのものだ。
『騒がしい羽虫どもだ』
杖の魔将ユグが、鬱陶しそうに枯れ木のような手を振った。 ただそれだけの動作で、世界が軋む音がした。
『王の御前だ。場所を弁えよ――【隔離世界】』
パリンッ!!
空間が、ガラス細工のように砕け散った。 アレスたちの視界から仲間の姿が消え、それぞれが孤立した「閉鎖空間」へと弾き飛ばされる。 分断。各個撃破。 それが、太古の魔将たちの狩りの流儀だった。
◇
【第一の牢獄:剣の山】
「ぬうっ……!? ここは……!」
巨漢の戦士、ボルトスが転移させられたのは、地面から無数の刃が生えごわった「針山」の世界だった。 空からは鉄の雨が降り注ぎ、逃げ場などどこにもない。 その中心に、巨人の槍騎士ガルドが立っていた。
『硬いだけの肉塊か。……退屈だ』
ガルドが、身の丈を超える長大な黒槍を構える。 その穂先から放たれる殺気だけで、ボルトスの肌が粟立つ。
「舐めるなよ……! 俺の守りは、城壁すら凌ぐ『不落の城塞』だ!」
ボルトスは咆哮し、自身の身長ほどもある超重量の大盾を構えた。 金属硬化のスキルを何重にも重ねがけし、物理攻撃に対しては無敵の防御力を誇る、ボルトスの最大奥義。 たとえドラゴンのブレスだろうと、隕石だろうと防いでみせる自信があった。
だが、ガルドは兜の奥で低く嗤った。
『紙切れが一枚』
ガルドの腕が動いた。 それは、ただの突きだった。だが、そこには「貫通」という概念そのものが宿っていた。
ズドンッ――!!
轟音。 ボルトスは、何が起きたのか理解できなかった。 衝撃も痛みもない。ただ、視界が揺らぎ、足元の力が抜けた。
ふと見下ろせば、彼の自慢の大盾の中央に、巨大な風穴が空いていた。 いや、盾だけではない。 彼の腹部にも、同じ大きさの穴が空き、背後へと貫通している。
「が、は……ッ? ば、かな……俺の、盾が……」
ボルトスが膝をつく。 口から大量の鮮血が溢れ出し、鉄の味で満たされる。 硬度など関係ない。ガルドの一撃は、ボルトスの存在ごと、豆腐のように突き破ったのだ。
『脆い。……次だ』
◇
【第二の牢獄:死の荒野】
光の一切ない、濃霧と静寂に包まれた世界。 腐敗した土の臭いが鼻をつく。 暗殺者チェルシーは、即座に影の中へと身体を沈めた。 気配を消し、心音を止め、環境と同化する。彼女の隠密スキルは、達人ですら感知できぬ神業の域にある。
(敵の死角から、首を……一撃で)
彼女は影を渡り、死神ゾルの背後へと回り込む。 相手はまだ、こちらの位置に気づいていないはずだ。 必殺の間合い。 黒曜石のナイフを振り上げ、首筋を狙った、その瞬間。
『――見えているぞ、嬢ちゃん』
ゾルの顔のない髑髏が、真後ろのチェルシーを向いた。 視線ではない。「死」の気配そのものが、彼女を捕捉していた。 心臓が凍りつくような悪寒。
「なッ――」
『隠れん坊は終わりだ』
ゾルが巨大な鎌を振るう。 チェルシーは咄嗟に影の中へ深く潜り込み、次元の狭間へと退避しようとした。 物理攻撃なら、影の中にいれば当たらない。それが彼女の絶対の回避法。 だが、その鎌は肉体を斬るものではない。 「空間」そのものを、刈り取る刃。
ザシュッ!!
空間ごと影が切り裂かれ、チェルシーは強制的に実体化させられた。 身を隠していた「闇」そのものが血を噴き出すように裂け、彼女の身体にも深々とした斬撃が刻まれる。
「あ、が……影が……斬られ……」
脇腹から鮮血が噴き出し、彼女は地面に叩きつけられる。 逃げ場がない。隠れる場所がない。
『死からは逃げられんよ。影に潜もうが、次元の狭間に逃げようがな』
死神の鎌が、無慈悲に振り上げられる。 チェルシーの瞳に、初めて「死への恐怖」が浮かんだ。
◇
【第三の牢獄:万華鏡の回廊】
上下左右の感覚がない、極彩色の歪んだ空間。 聖女ミラは、吐き気を催すような魔力の嵐の中にいた。 重力がランダムに変化し、立っていることさえままならない。
「主よ、邪悪なる者を祓いたまえ……『聖なる光』!」
彼女が放った極大の浄化光弾。 だが、それは老魔導師ユグに届く直前で、まるで鏡に映ったかのように軌道をねじ曲げられ、あろうことかミラ自身へと跳ね返ってきた。
「きゃああっ!?」
自身の魔法を受け、ミラが吹き飛ばされる。 ユグが、空中で胡座をかきながらクツクツと笑う。
『祈りか。無力だな。ここでは物理法則も、魔力の流れも、すべて私が定義する』
ユグが指を鳴らすと、ミラの周囲に無数の魔法陣が展開された。 火、氷、雷、毒。ありとあらゆる属性の魔法が、雨あられと降り注ぐ。
「い、いやぁっ……! 回復……回復しないと……!」
ミラは必死に治癒魔法を唱える。 だが、傷が塞がるよりも早く、新たな傷が刻まれていく。 さらに恐ろしいことに、彼女が唱えた『治癒』の魔法が、ユグの指先一つで『腐敗』へと書き換えられ、傷口を悪化させる。
「魔法が……言うことを聞かない……?」
絶望。 圧倒的な魔力差。知識差。 魔法使いとしての格が、大人と赤子ほどに違いすぎた。
◇
【第四の牢獄:虚無の謁見室】
そして。 何もない、漆黒の闇に玉座だけが浮かぶ空間。 アレスは、膝をつき、荒い息を吐いていた。
「はぁ……はぁ……クソッ……! なんで……燃えねえ……!」
彼の全身から噴き出していた紅蓮の炎は、今は風前の灯火のように揺らいでいる。 目の前に立つのは、黒き王ヴェゼル。 人型の闇に、王冠だけを戴いた異形の王。
アレスは何度も斬りかかった。 最大火力の爆炎も放った。 だが、その全てが、ヴェゼルの体に触れることさえできずに消滅した。
障壁ではない。防御魔法でもない。 ただ、王が放つ圧倒的な「覇気」に触れただけで、アレスの炎(魔力)が萎縮し、かき消されているのだ。
『獅子と名乗ったか』
ヴェゼルが、感情のない声で呟く。
『我のペットである地獄の番犬の方が、まだ牙が鋭いぞ』
「黙、れ……ェ!!」
屈辱に、アレスの全身が沸騰する。 彼は咆哮し、残った生命力の全てを魔剣に注ぎ込んだ。 刀身が赤熱し、空間すら焼き焦がす。
「俺は……レギオンの矛だ! シン様の……最強の騎士だァァッ!!」
命を燃やした、捨て身の一撃。 紅蓮の軌跡を描き、魔剣が王の首へと迫る。 だが。
ガシッ。
ヴェゼルは、漆黒の手で、魔剣の刀身を「鷲掴み」にした。 皮膚が焼ける音もしない。
『――温い』
バキィッ!!
硬質な音が響き、伝説級の強度を誇る魔剣が、素手でへし折られた。 折れた刃が宙を舞う。
「な……!?」
驚愕に目を見開くアレスの顔面を、ヴェゼルの裏拳が捉える。 ドォォォォンッ!! アレスの体は砲弾のように吹き飛び、見えない壁に激突して崩れ落ちた。 全身の骨が砕ける音が響く。 意識が飛び、視界が霞む。 体が動かない。指一本、ピクリともしない。
完敗だった。 手も足も出ない、完全なる敗北。
『我らは、かつて貴様らが倒したミラージュ・ロードごとき弱卒とは違う。王に仇なす鼠よ……ここで朽ちろ』
ヴェゼルが掌を向ける。 圧縮された闇の塊が、アレスの心臓を狙う。 走馬灯のように、主の顔が浮かんだ。
(申し訳……ありません……シン、様……)
最強を自負していながら、時間稼ぎにすらならなかった己の弱さを呪う。 絶望が、アレスの心を塗りつぶそうとした、その時。
――パリンッ。
場違いな音が、虚無の空間に響いた。 それは、決して壊れるはずのない、空間の壁に亀裂が入る音。
『……何?』
ヴェゼルが、怪訝そうに手を止める。 亀裂は蜘蛛の巣のように広がり、そこから眩い光ではなく、全てを飲み込むような「より深い闇」が漏れ出していた。
パリーンッ!!
盛大な破砕音と共に、アレスたちが囚われていた四つの空間の壁が、同時に粉砕された。 次元の破片がキラキラと舞い散る中、その裂け目から、ゆらりと歩み出る影があった。
「……随分と楽しそうだな、三流共」
氷点下の怒りを孕んだ声。 闇のコートを翻し、深紅の魔眼を輝かせる少年――始祖・シン。
そしてその背後には、主の怒りに呼応し、制御できぬほどの殺意を撒き散らす、三柱の災厄が控えていた。 ルシリウス、夜霧、リリア。 レギオンにおける真の最高戦力、三禍。
「俺の可愛い部下を壊した代償は……高くつくぞ?」
魔王が、戦場に降臨した。
本日もお読みくださりありがとうございます。
ついに「禁忌の四宝」の恐ろしさが明らかになりました。 ボルトスの盾が貫かれ、チェルシーが影ごと斬られ、ミラの魔法が通じず、アレスの魔剣が折られる……。 これまで無敵を誇っていたレギオン幹部たちの、初めての完全敗北です。
相手はかつての「ミラージュ・ロード」とは格が違います。 あの短剣の魔人は、四魔将の中では最弱……いわば門番レベルだったのです。
しかし、絶望の淵で空間を砕いて現れたのは、我らが主人公シンと、最強の側近たち「三禍」。
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次に続きます。




