第7話:奈落の入り口(メトロ・エントランス)
ネメシスの北に広がる荒涼とした岩山地帯。
その中腹に、まるで山そのものが絶叫しているかのように、巨大な穴がぽっかりと開いていた。
古代遺跡ダンジョン『奈落の寝床』。
その正体は、かつての旧文明時代、「地下鉄」と呼ばれていた巨大輸送網と地下街が、数百年前の地殻変動と魔素の暴走によって複雑怪奇に融合し、魔窟と化した場所だ。
入り口のアーチには、風化したコンクリートにかろうじて『M...tro Sta...on』というアルファベットが刻まれているのが読めるが、今の時代、その意味を理解できる者は誰もいない。
Bランク指定の高難易度ダンジョン。生半可な冒険者が足を踏み入れれば、二度と地上の太陽スペクトルを見ることはできない魔の領域である。
「……おい、Fランク。遅いぞ」
先頭を歩くアレスが、苛立ちを隠そうともせずに振り返った。
真紅の鎧が、朝日を反射してギラリと輝く。
その後ろを、シンは自身の体重ほどもある巨大なリュックサックを背負い、よろよろとついていっていた。
中身は「紅蓮の獅子」全員分のキャンプ道具一式、予備武器、保存食、ランタン用の魔石。総重量は80キロを超えている。
【身体強化】の因子を持たない一般人(Fランク)なら、一歩踏み出すことすらままならない質量だ。
「は、はい……申し訳ありません、アレス様……」
シンは膝を震わせ、過呼吸気味の演技を完璧にこなしながら頭を下げた。
もちろん、シンの肉体スペックならば、この程度の荷物は小指一本で持ち上げられる。だが、今の彼は「無能な荷物持ち(ポーター)」という役割を演じなければならない。
「チッ。これだから雑魚は使えねえ。おいボルトス、少し荷物を持ってやれ。日が暮れちまう」
「過保護ですな、リーダー。こいつの仕事は荷運びと『鍵』でしょう? 甘やかすとつけ上がりますぞ」
巨漢の盾使いボルトスが、下卑た笑い声を上げながら、自身のタワーシールドを軽く叩いた。
彼らの目に、シンへの労りなど微塵もない。あるのは、使い捨ての道具を見るような無機質な視線だけだ。
一行は、暗い洞窟の入り口へと足を踏み入れた。
冷たく湿った空気が、肌にまとわりつく。カビと錆、そして微かなオゾンの臭い。
「あらあら、暗いですわねぇ。埃っぽくて嫌になりますわ」
ミラが、ハンカチで鼻を覆いながら退屈そうに杖を掲げた。
「【聖なる灯火】」
クラス【ビショップ】の基本ブランチ。
杖の先から光球が浮かび上がり、薄暗いコンクリートの通路を照らし出す。
壁面には、色褪せた旧時代の広告看板がボロボロになって張り付き、床には赤錆に覆われた鉄のレールが、闇の奥へと続いていた。
「グルルル……」
通路の奥から、腐肉の臭いと共に魔物が現れた。
カタカタと骨を鳴らす音。
「スケルトン・ナイト」。魔素によってカルシウム密度が強化された骸骨兵士の群れだ。その数、およそ30体。錆びついた剣や盾を持っているが、その眼窩には殺意の赤光が灯っている。
「雑魚が。俺の前に立つな!」
アレスが吼え、単身で群れに突っ込んだ。
「【紅蓮剣】!」
アレスの持つ【炎魔法】のブランチ。
大剣が爆炎を纏い、横薙ぎの一撃がスケルトンたちを粉砕する。
ドォォォン!!
熱膨張による爆風が走り、前列の十数体がたった一撃で炭化した。
「すごい……これがBランクのクラス連携……!」
シンは荷物の陰に隠れ、棒読みで称賛した。
(……ふむ。剣速は秒速40メートル。悪くない。だが、やはり魔力消費が多すぎる。今の出力なら、手首の角度を3度修正すれば30%の省エネが可能だ。排熱処理も雑だな)
シンは冷静にエネルギー効率を計算しながら、アレスたちが残りの敵を蹂躙している隙に、足元の影から極小の「捕食蜘蛛」を放った。
米粒ほどの蜘蛛たちは、誰にも気づかれることなく、残骸に群がる。
【ゼロ・プレデション】——バックグラウンド実行。
捕食対象:スケルトン・ナイト(ランクD)
獲得ブランチ:【骨格強化(ランクD)】
獲得素材:高純度カルシウム粉末
(……骨密度の上昇を確認。悪くないサプリメントだ)
地下五階層。
ここまでは順調だった。だが、旧時代の「ホーム」跡に降り立った瞬間、肌にまとわりつく湿度が急激に上がった。
(……妙だな。空間線量が異常値を示している)
微かだが……「死」の匂いが濃くなっている。
Bランクダンジョンにしては、魔素の濃度がSランクに近い。地下深層に溜まった汚泥のような魔素だまりが、何らかの特異点を生み出している可能性がある。
「……あの、アレス様。空気が重くないですか? 嫌な予感が……」
「あ? ビビってるのか、Fランク。黙ってついてこい」
アレスは聞く耳を持たなかった。自身の【身体強化】への絶対的な自信が、危機察知能力を鈍らせている。
その時。
行く手を阻む、巨大な鋼鉄の扉——かつての核シェルター用隔壁——が現れた。
高さ5メートル、厚さ50センチ。表面には、有機的な紋様が血管のように刻まれている。
「……ここだ。この扉は、生きた人間の生体電流を感知して開く。だが、開ける瞬間に防衛機構が作動し、強烈な『呪いの奔流』を放つ」
アレスは、邪悪な笑みを浮かべて振り返り、シンを見た。
「おい、シン。出番だ。その穴に手を入れろ」
生体認証鍵。
そのためにシンを雇ったのだ。
ミラも艶然と微笑む。
「あらあら、大丈夫ですわよ? 腕が壊死しても、私が【治癒】をかけて差し上げますわ。……元通りになるかは保証できませんけれど」
シンは、恐怖に震える手を演出した。
顔面を蒼白にし、後ずさる。
「そ、そんな……腕が腐るなんて……聞いてません……!」
「つべこべ言うな! やれッ!!」
アレスが剣の柄に手をかける。拒否すれば斬る、という脅し。
(……愚かな。未知のテクノロジーに、安全装置もなしに触れようとは)
シンはおずおずと穴に手を差し込んだ。
ジュワッ!
瞬間、強烈な呪いの魔力がシンの腕に襲いかかる。皮膚を溶解し、細胞を崩壊させようとする悪意のプログラム。
だが、シンの体内には、数万年かけてアップデートし続けた【状態異常無効】の常時発動型ブランチがある。
Bランク程度の呪いなど、バグにすらならない。
シンは、穴の中でこっそりと指先からナノサイズのスパイダーを放ち、扉の電子ロック機構を物理的に食い破らせた。
ガコン、と重い音が響く。
「う、うわぁぁぁ!」
シンは悲鳴を上げて手を引き抜いた。腕は……無傷だった。演技のために少し充血させておいたが、それだけだ。
「……チッ。無傷かよ。運のいいガキだ」
アレスがつまらなそうに舌打ちした。
重厚な扉が、地鳴りと共に左右へ開いていく。
その奥から吹き出してきたのは、絶対零度の冷気と、濃密すぎる死の気配。
「……行くぞ。宝の山が待っている」
アレスは意気揚々と足を踏み入れた。
その先に待つのが、宝ではなく「捕食者」だとも知らずに。
続く




