第66話 『パンデミック・パニック』
王都ゼノリスの地下深く。 光の届かぬ暗渠の底から響く獣の咆哮は、惨劇の幕開けを告げるファンファーレに過ぎなかった。
王都の中央広場。 シノの魔導爆弾とヴォルカンの剛腕によって合成獣の先兵が排除され、一時の安寧が訪れたかのように思えたその時だった。
ゴォォォォォ……。
地底から、不気味な風切り音が響いた。 それは、鉄蓋の穴、井戸、そして石畳の隙間から、毒々しい紫色の煙となって噴き出した。
「――ゴホッ、ゴホッ! なんだ、この煙……!?」
「臭い……! 目が……目が痛い! 息ができない!」
逃げ遅れた市民たちが、次々と喉を押さえて蹲る。 煙は生き物のように地を這い、人々の足元に絡みつき、肺腑へと侵入していく。
異変は、劇的かつ瞬時に訪れた。
「ア……ガ……ッ!」
蹲っていた一人の男性が、不自然な痙攣と共に立ち上がる。 その背骨は奇妙な角度に反り返り、全身の血管がどす黒く浮き上がっている。 見開かれた白目は真っ赤に充血し、口からは泡と涎を垂れ流し、理性の光が完全に消え失せていた。
「おい、大丈夫か……? しっかりしろ!」
近くにいた衛兵が駆け寄り、男の肩を揺する。 だが、その親切心が仇となった。
ガブッ!!
「ギャアアアアアッ!?」
男は獣のような咆哮を上げ、衛兵の喉元に噛み付いたのだ。 鮮血が噴き出す。肉が食いちぎられる。
「ひッ……!? な、何をして……グァッ!?」
衛兵もまた、噴き出した血と煙を吸い込み、数秒後には同じように白目を剥いて痙攣し始めた。
「殺せ……コロセ……ッ!」
伝染する狂気。 一人、また一人と、理性を失った「暴徒」が増えていく。 彼らはもはや人間ではない。破壊衝動と殺意のみで動く、生物兵器の傀儡だ。
感染爆発。
第三王子カインが地下培養槽で育て上げ、兄ギルバートが解き放った禁断の『魔毒』――通称「狂化菌糸」が、王都の風に乗って拡散されたのだ。
◇
その阿鼻叫喚の地獄絵図を、広場の隅にある時計塔の陰から、冷ややかに見つめる瞳があった。
「……カインめ。随分と趣味の悪い兵器を作ったものだ」
Fランク冒険者の姿をしたシンは、鼻を覆う仕草をしながら、冷静に状況を分析していた。
(空気感染する菌糸型の魔毒か。潜伏期間はほぼゼロ。吸い込んだ瞬間に脳の大脳辺縁系をハッキングし、理性を焼き切って闘争本能を暴走させる)
シン自身の身体は始祖の加護により、あらゆる状態異常や毒を無効化し、即座に分解・吸収してしまうため、毒煙の中で平然と立っていられる。 だが、周囲の状況は最悪だ。
「シン! 離れるなよ! 煙を吸うんじゃねぇぞ!」
「シンちゃん、ハンカチで口を押さえて! 絶対に吸っちゃダメよ! お肌が荒れちゃうわ!」
シノとサフィナが、慌ててシンの周りに空気浄化結界を展開する。 彼らはシンが「ただのFランクの弟君」だと思っているため、過剰なまでに心配してくるのだ。
「……あ、ああ。わかってる。でも、これじゃ逃げ場がないぞ」
シンの演技混じりの悲鳴は、決して大袈裟ではなかった。 広場を取り囲むように、数千人の市民が「暴徒」と化して迫ってきているのだ。
武器を持った衛兵、包丁を持った主婦、石を握りしめた老人。 彼らは皆、充血した目で涎を垂らし、「殺せ」という本能のみで動いている。 かつては隣人であり、家族であった者たちが、今は殺戮の群れとなって押し寄せてくる。
「チッ! 一般人かよ! やりづれぇな!」
ヴォルカンが巨大な戦槌を構えるが、振り下ろせずに舌打ちをした。
「魔物ならミンチにすりゃいいが、こいつらはただの病気だろ!? 叩き潰したら俺たちが悪モンじゃねぇか!」
彼らは敵を殺すことに躊躇はない。 だが、それはあくまで「レギオンの敵」に対してだ。 洗脳されただけの一般市民、それも将来的に「レギオン・蜘蛛の支配下」に入り、労働力として働く予定の「財産」を大量虐殺するのは、組織の利益に反する。
「おいサフィナ! てめぇの薬でなんとかならねぇのか!?」
シノが叫ぶ。 だが、当のサフィナは、迫り来る暴徒たちを前にして、恐怖するどころか、うっとりとした表情で頬を染めていた。
「んー……そうですねぇ♡」
彼女は白衣のポケットから、奇妙な蛍光色をした液体が入ったフラスコを取り出し、光にかざした。
「カイン王子の作った毒……解析完了しましたわ。 ベースは『狂乱茸』の胞子に、魔物の血液を混ぜて活性化させたものですね。……ふふ、構造がお粗末です。雑味が多すぎて、美しくありません」
サフィナはマッドサイエンティスト特有の審美眼で、敵の兵器を酷評する。
「これなら、私の『お薬』の方が、ずっと素敵ですぅ」
サフィナが巨大な注射器型杖のシリンダーをガチャリと引く。 その先端に、フラスコの中身を充填した。 ドロリとしたピンク色の液体が、不気味に泡立っている。
「シンちゃん、ちょっと耳を塞いでてね。……さあ、患者さんたち! お注射の時間ですよぉ♡」
サフィナが杖を掲げ、トリガーを引く。
「――術式解放。広域散布・強制鎮静!」
シュゴオオオオオッ!!
杖の先端から、淡いピンク色のガスが爆発的に噴射された。 それはカインの毒煙よりも重く、濃密で、瞬く間に広場全体へと拡散していく。
ガスを浴びた暴徒たちの動きが、ピタリと止まった。
「……あ?」
先頭を走っていた男が、間の抜けた声を上げた。 次の瞬間。
バタリ。
糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。 一人ではない。十人、百人、千人。 迫り来ていた暴徒たちが、次々と白目を剥いて倒れていく。
死んではいない。 全員、痙攣しながら口から泡を吹き、完全に意識を失っているだけだ。
「……おい、サフィナ。これ、本当に大丈夫なのか? 死んでねぇよな?」
シノがドン引きしながら尋ねる。 倒れた市民たちの顔色は青白く、呼吸も浅い。どう見ても死体累々だ。
「失礼ね、シノ君。 これは強力な筋弛緩剤と、象でも眠らせる麻酔毒、それに幸福感を与える幻覚剤をブレンドした、サフィナ特製『安眠導入剤』よ? 三日くらいは起きられないし、起きた後は激しい頭痛と吐き気に襲われるけど、命に別状はないわ。……たぶん♡」
「たぶんかよ……」
シンは内心で冷や汗をかいた。 毒を以て毒を制す。相変わらずの手法だ。 だが、これで市民への被害(死亡)は最小限に食い止められた。 暴徒化した市民たちは「患者」として無力化され、あとは寝ていれば治る(はずだ)。
その時だ。
ズシン、ズシン、と地面が大きく揺れた。
「な、なんだ!?」
広場の中央、先ほどシノたちが塞いだはずの巨大な鉄蓋が、内側からの凄まじい爆圧で空高く吹き飛んだ。
ドゴォォォォォォンッ!!
「オオオオオオオッ!!」
噴出したのは毒煙だけではない。 巨大な影が、地下から這い出してきた。
全長十メートルを超える巨体。 象のような太い胴体に、獅子、山羊、蛇の三つの首が生え、背中からは鷲の翼が生えている。 全身の筋肉は鋼鉄のように隆起し、その皮膚は幾重にも縫合された傷跡で覆われている。
カインが切り札として温存していた、地下実験室の最高傑作。 巨大合成獣。
「ヒッ……! あ、あんなデカいのが……!」
シンは驚く演技をしながら、冷静に敵を分析する。
(……デカいな。Aランク相当の魔力反応。単純なパワーだけなら、ヴォルカンともいい勝負か?)
巨大キメラの獅子の首が吠え、衝撃波を撒き散らす。 山羊の首からは雷撃が、蛇の首からは猛毒のブレスが放たれ、周囲の建物を破壊していく。
「へっ、図体ばっかりデカくなりやがって! 届かねぇぞ!」
ヴォルカンが悔しげに地団駄を踏む。 彼の武器は射程の短い戦槌だ。相手の頭上までは手が届かない。 サフィナの毒も、あの巨体相手では効き目が回るのに時間がかかりすぎる。
「おいおい、諦めんのかよ爺ちゃん」
隣に立つシノは、ニヤリと不敵に笑った。 彼は背中に背負った巨大な『背嚢』のベルトを締め直し、中から奇妙な装置を取り出した。
「泣き言言ってんじゃねぇよ。……とっておきの『発明』を使うぞ」
それは、太い金属製の筒と、巨大なバネが組み込まれたアタッチメントだった。 そして、赤く輝く特大の魔石が埋め込まれた樽。
「ヴォルカン、武器を貸せ!」
シノはヴォルカンの戦槌のヘッド部分に、その装置と赤い魔石――爆縮魔石を素早く固定する。
「お、おいシノ! まさかお前、また俺の武器で変な実験を……!?」
「ガタガタ言うな! 魔法に頼らねぇでも、空だって飛べるって証明してやるよ!」
シノが戦槌の柄にあるトリガーに指をかける。
「原理は簡単だ! この筒の中で『爆発』を起こし、その反動をバネで増幅して推進力に変える! 名付けて――『魔導噴射跳躍』機構だ!」
「な、なんじゃそりゃあ!?」
「行くぞッ! ――点火ッ!」
シノがスイッチを押す。
カチッ!
バネが弾け、魔石に衝撃が走る。 瞬間、戦槌に取り付けられた筒から、下方向へ向けて爆発的な炎が噴出した。
ドッッッゴォォォォォォォン!!
「うおぉぉぉぉぉッ!? 体が勝手にィィィッ!!」
爆発の推進力を得て、ヴォルカンの巨体が砲弾のように空へ打ち上げられた。 魔法の飛行ではない。純粋な爆発反動を利用した、強引すぎる物理跳躍。
「うわああああ! 高ぇ! 高すぎるわい!」
ヴォルカンは悲鳴を上げながらも、空中で体勢を立て直す。 鍛冶師としての平衡感覚と、強靭な肉体が、彼を空中の支配者へと変える。
「シノの馬鹿野郎! 熱ちぃんだよ! ……だが、届くッ!」
ヴォルカンの眼下に、巨大キメラの三つの首が無防備に晒されている。 彼は空中で戦槌を振りかぶった。 落下の勢いと、さらに追加で点火した二段目の爆破推進力を、全て戦槌の打撃点に乗せる。
「鉄屑になれぇぇぇッ!! オラァッ!!」
ドッッッッッゴォォォォォォォン!!!!!
打撃の瞬間、ハンマーの打面に仕込まれた衝撃魔石も誘爆する。 物理的な打撃に加え、至近距離での爆破。 二重の衝撃が、キメラの獅子の頭部を直撃した。
グシャァッ!!
頭蓋が砕ける鈍い音と、肉が弾ける音が重なる。 巨大な怪物が、頭を粉砕され、前のめりに吹き飛んだ。 地面に激突し、ズズーンと地響きを立てて沈黙する。
一撃必殺。 魔力強化も、身体能力強化の魔法も使わず、ただ「爆発」と「質量」だけでAランク魔獣を葬り去ったのだ。
「……ふぅ。魔石の量は適正だったな」
地上で見ていたシノは、煤けた顔で親指を立てた。
シンは心の中で(……いや、適正じゃないだろ。一歩間違えればヴォルカンが死んでたぞ)とツッコミを入れつつも、その威力には舌を巻いた。
魔力を持たない者が、技術だけで怪物を屠る。 それこそが、シノが目指す「魔導科学」という名の暴力だ。
「さあ、お掃除の続きですわ♡」
サフィナが倒れたキメラに歩み寄り、その死体から漏れ出る魔力の残滓を杖で採取した。
「この子から、地下の『培養槽』の魔力パターンが逆探知できました。 ……巣穴の位置、特定完了です」
サフィナが眼鏡を光らせ、地下への道を指し示す。
「行きましょう。……悪いカインお兄ちゃんに、お薬をあげないと」
シンは頷き、瓦礫の陰でこっそりと念話を送った。
『――アレス、ミラ。聞こえるか』
『はッ! こちらアレス。……見事な花火でしたね、シノの奴』
『ええ。街の被害も最小限ですわ。……サフィナさんの「お薬」の後遺症を除けば』
『十王たちの露払いは終わった。……本番だ』
シンの瞳が、冷徹に光る。
『奴らの“芸”を、特等席で見せてもらおうか。……手出しは無用だ。あくまで「護衛」として振る舞え』
『御意に、我が主』
シンはFランクの少年の顔に戻り、ヴォルカンたちの元へ駆け寄った。
「す、すごかったよヴォルカンさん! 空を飛ぶなんて!」
「ガハハ! 死ぬかと思ったわい! ……シノ、次はもう少し火力を下げろ!」
「えー、これくらいが一番楽しいのに」
騒がしい部下たちを従え、シンは地下への入り口を見据えた。
そこには、黒煙と共に立ち昇る、禍々しい狂気の気配が渦巻いている。
「さて……カインと言ったか。せいぜい楽しませてくれよ?」
魔王の足音が、地下の闇へと響き渡る。 ゼノリス王国崩壊のカウントダウンは、もう止まらない。
本日もお読みいただきありがとうございます!
今回はレギオン技術班(十王)たちの「やりたい放題」な回でした。
サフィナの治療: 「毒を以て毒を制す」を地で行くスタイル。死ななきゃ安い、の精神です。
シンの演技力: 迫真の「腰抜け演技」でしたが、内心では部下の火力を冷静に分析しています。
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