第6話:嘲笑と紅蓮の獅子
ドッ、と熱波が押し寄せる。
酒と汗、タバコの煙、そして魔物の血の鉄臭さが混じり合った、冒険者ギルド特有の強烈な体臭。
高い天井のホールは、数百人の冒険者でごった返していた。
「ガハハハ! 見ろよこの爪! オーク・ジェネラルのドロップだ!」
「すげえ! さすがCランクパーティ! 精鋭級は違うな!」
「おい、誰か【水魔法】持ちはいねえか! 酒がぬるいぞ! キンキンに冷やしてくれ!」
ここにいる者たちは、メジ村の住人とは格が違った。
彼らの装備、筋肉の付き方、纏う魔素の量。
Dランク(兵士級)、Cランク(精鋭級)が当たり前のように闊歩している。
シンは、喧騒に紛れるように壁際を伝い、一番奥の受付カウンターへ向かった。
「……登録、したいんですが」
受付の女性は、シンの差し出した木札を見ると、張り付いたような事務的な笑顔を向けた。
「はい、ようこそネメシスギルドへ。新規登録ですね。では、手始めに【ゼロ】の能力測定を行います。こちらの水晶に手を置いてください」
カウンターの上に置かれた、直径三〇センチほどの透明な水晶玉。
シンがおずおずと手を乗せる。
シンは体内の魔力出力を、極限まで絞った。
Gランクの魔力をそのまま流せば、この水晶はおろか、ギルド本部ごと吹き飛んで地図から消えてしまう。
水晶が、弱々しい灰色に光った。
「……判定出ました」
受付嬢の声は、業務的だったが、隠しきれない落胆が含まれていた。
その声は、喧騒の中でも不思議と周囲に響いた。
「能力名【蜘蛛操作】。判定ランク……Fです」
一瞬、近くにいた冒険者たちの会話が止まった。
そして次の瞬間、ホール中がドッと爆笑に包まれた。
「おい、聞いたか? またFランクだ」
「【蜘蛛操作】? なんだそりゃ、クラス【害虫駆除係】が増えたな!」
「おい坊主! ここは託児所じゃねえぞ! ママのおっぱいに【蜘蛛】でも這わせてな!」
「ギャハハハハ!」
嘲笑。侮蔑。見下し。
視線の一つ一つが、シンを「取るに足らない弱者」として認定し、踏みつけにしようとしていた。
受付嬢は、気まずそうに咳払いをした。
「……静粛にお願いします。ええと、シン様。こちらがギルドカードです」
渡されたのは、輝きのない、鈍い銅色のプレートだった。
「Fランクの方は、基本的に都市内の清掃、資材運び、下水道の点検などが主な依頼となります。魔物討伐などの戦闘依頼は受けられませんので、ご了承ください」
「……構わないです。ありがとうございます」
シンはカードを受け取った。
周囲の嘲笑は続いているが、シンの心は凪のように静かだった。
(Fランク。都合がいい。俺の【ゼロ合成】には、同ランクの能力が大量に必要だ。下水道には、いい『素材』がいそうだ)
目立つことなく、地下で力を蓄える。
始祖の計画には、この上ない環境だ。
その時だった。
バンッ!!
ギルドの巨大な両開きの扉が、何者かの蹴りによって乱暴に開け放たれた。
ホールを一瞬で静寂が支配した。
先ほどまで嘲笑していた冒険者たちが、慌てて道を開ける。
入ってきたのは、揃いの真紅の鎧を纏った四人の男女。
その全身から放たれる威圧感は、他の冒険者たちとは次元が違った。
歴戦の猛者たちが放つ、濃密な血の匂い。
「……おい、あれ」
「『紅蓮の獅子』だ……!」
「リーダーのアレス様だ! かっこいい……」
「Bランク……ネメシス最強のパーティだ!」
Bランク(覇王級)。
この街の頂点。
先頭を歩くのは、太陽のような金髪の美丈夫。リーダーのアレスだ。
年齢は二八歳。冒険者として脂の乗り切った全盛期。
彼は、周囲の視線を「当然のもの」として受け流し、不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
その背中には、身の丈ほどもある巨大な魔剣が背負われていた。
対象:アレス(28歳)
ランク:B(覇王級)
ゼロ:【身体強化】
派生:【大剣術】【炎魔法】【剛力】
クラス:【ヘビーウォリアー(重戦士)】
アレスの後ろには、揃いの真紅のローブを纏った美女が続く。サブリーダーのミラだ。
その隣には、氷のように冷たい目をした短剣使いチェルシー。
そして最後尾には、山のような巨体の盾使いボルトスが控えている。
アレスはカウンターへ直行し、ドカッと魔剣を置いた。
木製のカウンターが悲鳴を上げる。
「おい。緊急依頼だ」
アレスの声には、隠しきれない怒気が混じっていた。
「我々はこれから古代遺跡ダンジョン『奈落の寝床』へ潜る。だが、深層エリアの鍵を開けるのに『生物感知センサー』が必要になった。ウチの盗賊が怪我をしてな。代わりを探している」
受付嬢が顔面蒼白になる。
Bランク指定の高難易度迷宮。そんな場所に同行できる探索者は、今は出払っている。
「え、ええ!? 『奈落の寝床』ですか!? ですが、あそこはBランク指定で……」
「チッ。誰でもいいんだよ! 俺を待たせる気か!?」
アレスが怒鳴る。
【憤怒のアレス】。彼の短気さと傲慢さは有名だった。
その威圧に、受付嬢が涙目になる。
「……アレス。声を荒らげないでくださいな」
後ろから、ミラがゆったりとした、しかし有無を言わせぬ大人の余裕で諫める。
そして、その美しい瞳が、カウンターの端にいたシンを射抜いた。
その目は、人間を見る目ではなかった。
道端の石ころ、あるいは使い捨ての道具を見るような、冷徹な光。
「あら、ちょうどいい捨て駒がいましたわ。……ねぇ?」
ミラの視線の先。
シンは、わざとらしく体を強張らせて見せた。
「……弱そう。盾にもならないわね。まあ、鍵にはなるでしょ」
チェルシーも、シンを一瞥し、鼻で笑った。
アレスの視線が、シンに向く。
アレスが近づいてくる。Bランクの威圧感。普通のFランクなら、この距離に立たれただけで失禁していただろう。
だが、シンはただ無表情に見上げ、内心で舌なめずりをした。
(……Bランク。この街の最強種か。……不快だが、美味そうだ)
「おい、そこの薄汚れたガキ。お前の【ゼロ】はなんだ?」
「……【蜘蛛操作】」
アレスは一瞬きょとんとし、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「ぶっ……ははは! 【蜘蛛操作】! 虫使いだと!? 最高だ! おい聞いたかミラ、蜘蛛使いだってよ!」
「あらあら。傑作ですわね。蜘蛛なら、あの狭い鍵穴にも入るかしら。……死んでも代わりはいくらでもいるし、好都合ですわ」
アレスは、懐から金貨を一枚取り出し、シンの足元にチャリンと投げ捨てた。
「おい、Fランク。拾え。前金だ」
アレスは、シンを人間として見ていなかった。
「俺たちの荷物持ち兼、鍵開け役として雇ってやる。ネメシス最強のBランクパーティ『紅蓮の獅子』の偉大なる冒険に同行できるんだ。光栄に思えよ?」
ギルド中が、固唾を飲んで見守っていた。
断れば、アレスの機嫌を損ねて殺されるかもしれない。
だが行けば、間違いなくダンジョンの罠で死ぬ。
哀れなFランクの生贄。
シンは、ゆっくりと屈み込み、足元の金貨を拾い上げた。
その指先が、金貨に残っていたアレスの「指紋」と「魔素の残滓」を、極小の蜘蛛に喰わせる。
……解析中。対象:アレス。ランク:B。
シンは顔を上げ、怯えた演技を捨て去った。
その瞳の奥には、アレスですら気づかない、深淵のような闇が覗いていた。
「……わかった。引き受ける」
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
もし「続きが気になる!」「応援してやるか」と思っていただけたら、ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価や、ブックマーク登録をしていただけると泣いて喜びます。
執筆のモチベーションになりますので、ぜひよろしくお願いします!
明日も18時過ぎに更新します。




