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第52話 闇市場への招待状

光ある場所には、必ず濃い影が落ちる。


だが、このゼノリス王国において、影はもはや光を凌駕し、国そのものを腐敗の沼へと引きずり込んでいた。


王都ゼノリスの地下。


かつて王族の緊急避難路として掘削され、今は廃棄されたはずの大規模地下水路。


その奥深くに、地図には決して記されない巨大な空洞が存在する。


湿った石壁に反響するのは、水の滴る音ではない。


鎖の擦れる音。


絶望に掠れた(うめ)き声。


そして、欲望に濡れた豚たちの哄笑だ。


――闇市場(ブラック・マーケット)


(ルール)も、倫理も、神の慈悲さえも届かぬ場所。ここでは「命」が最も安く、かつ最も高価な商品として取引されている。


「グフ、グフフフ……! 素晴らしい。実に素晴らしい艶だ」


豪奢な調度品が不釣り合いに並べられた支配人室で、下卑た笑い声が響いた。


声の主は、巨大な肉塊のような男だった。


脂ぎった禿頭に、贅肉で埋もれかけた細い目。指にはめられた幾つもの宝石の指輪が、魔導灯(マギ・ランプ)の光を反射してギラギラと輝いている。


裏社会(アンダー・ワールド)最大手の奴隷商(スレイブ・ディーラー)、ヴァルダー。


表向きは貿易商を名乗っているが、その実態は、近隣諸国から戦争孤児や亜人を攫い、あるいは借金漬けにした市民を「商品」へと加工する、外道(げどう)の長である。


「どうですかな、ジェイド殿。このエルフの娘は。北方の深緑の森(ディープ・フォレスト)から直輸入した極上品でしてな。まだ男を知らぬ処女ですぞ」


ヴァルダーが太い指で指し示した先には、鉄檻に閉じ込められたエルフの少女がいた。


金色の髪は泥に汚れ、翡翠色の瞳は恐怖で見開かれている。口には魔封じ(アンチ・マジック)の猿轡が噛ませられ、涙を流すことしか許されていない。


「……ふむ」


ヴァルダーの対面に座る男――ジェイドは、優雅な仕草で紅茶のカップを傾けた。


仕立ての良い漆黒のスーツに身を包み、片目には金縁のモノクル。その立ち振る舞いは、どこぞの大国の貴族か、あるいは王族の執事のようにも見える。


彼こそは、組織レギオン【蜘蛛(アラクネ)】における最高幹部の一角。


十王(デケム・キング)・第一席、『黄金の支配者(ゴールデン・ルーラー)』ジェイド。


ゼノリス王国の経済を裏から掌握するために送り込まれた、経済戦争のスペシャリストである。


「悪くはありませんね。……ですが」


ジェイドはカップをソーサーに置くと、冷徹な値踏みの視線をエルフに向け、そしてヴァルダーへと戻した。


「傷がついている」


「は……?」


「左足首。逃走防止用の鎖による擦過傷が見受けられます。それに、精神的な摩耗が激しい。恐怖で商品価値が目減りしていますよ。これでは、私の主の収集品(コレクション)には程遠い」


ジェイドの言葉は、まるで腐った果実を選別するかのように無慈悲だった。


ヴァルダーの額に青筋が浮かぶ。


「な、何を……! これほどの素材、王都中を探してもそうは見つかりませんぞ! そもそも、あんたはどこの馬の骨とも知れぬ新参者だ。紹介状を持っていたから通したが、冷やかしなら――」


ドサリ。


ヴァルダーの言葉を遮るように、ジェイドは懐から革袋を取り出し、机の上に放った。


袋の口が緩み、中からこぼれ落ちたのは――金貨ではない。


虹色に輝く、美しい宝石の山だった。


「……ッ!?」


ヴァルダーの目が飛び出さんばかりに見開かれた。


魔晶石(マナ・クリスタル)


それも、最高純度の輝きを放つ逸品だ。その一粒だけで、小さな屋敷が買えるほどの価値がある。


「これは手付金です。……私の主は、こんな『端した金』には興味がない。お求めなのは、究極の『絶望』と『美』のみ」


ジェイドは口元に薄い笑みを浮かべた。


それは商談相手に向ける笑顔ではなく、餌に食いついた魚を眺める釣り人のそれだった。


「聞けば、今夜のオークションには『特別な商品』が出品されるとか。……そして、その席には、この国の『高貴な方』も招かれているそうですね?」


ヴァルダーの顔色が、欲望の色から警戒の色へと変わる。


王国の第二王子バルダスが、この闇市場(ブラック・マーケット)の主要株主であり、今夜のオークションに極秘で参加することは、最重要機密だ。


「……どこでそれを」


「商人の耳は、地獄の底まで届くのですよ。ヴァルダー殿」


ジェイドは立ち上がり、机の上の魔晶石(マナ・クリスタル)を指先で弾いた。


「招待状をいただきましょうか。……最上級貴賓室(ロイヤル・スイート)の席を二つ。我が主と、私の分を」


ヴァルダーは生唾を飲み込んだ。


目の前の男から発せられる、底知れぬ威圧感。


単なる金持ちではない。背後にどれほどの巨大な組織がいるのか、想像もつかない。


だが、目の前の宝石の山と、今夜売り上げられるであろう莫大な利益が、彼の理性を麻痺させた。


「……よろしい。歓迎いたしますぞ、ミスター・ジェイド」


ヴァルダーは震える手で、漆黒の封筒を二通、差し出した。


その封筒に刻まれた紋章は、王家の百合の紋章を、鎖が絡め取っているデザインだった。


「賢明な判断です」


ジェイドは封筒を受け取ると、恭しく一礼した。


その双眸の奥で、冷たい黄金の光が明滅する。


(招待状は確保した。……これより、収穫(とりこ)みの儀を執り行う)


ジェイドの思考は、自身に繋がれた(ことわり)の糸を伝い、会場の外に待機する「主」へと瞬時に念話(テレパス)として送信された。



地下大空洞、オークション会場メインホール。


そこは、狂った舞踏会のような様相を呈していた。


円形劇場の形をしたホールには、仮面をつけた数百人の貴族や豪商たちが詰めかけ、熱気に満ちたざわめきが渦巻いている。


漂うのは、高級な香水と、隠しきれない血の臭い。


ステージ中央には巨大な檻が置かれ、司会進行役の男が声を張り上げている。


「さあさあ、皆様! 今宵も素晴らしい『素材』が揃っております! 労働力、愛玩用、あるいは実験材料! 皆様の欲望を満たす逸品を、心ゆくまでご堪能ください!」


ワアアアッ! と歓声が上がる。


その最前列、特別にしつらえられた貴賓席(VIP・シート)に、一人の青年がふんぞり返っていた。


ゼノリス王国第二王子、バルダス・ゼノリス。


金髪碧眼の美男子だが、その目元には隠しきれない残虐性と、放蕩によるクマが刻まれている。


彼の膝には、首輪をつけられた半裸の獣人の少女が侍り、震える手でワインを注いでいた。


「ふん、退屈な出品ばかりだ。ヴァルダーの奴、もっとマシなネタはないのか」


バルダスは不機嫌そうにワインをあおる。


隣に控える側近が、揉み手をして囁いた。


「殿下、ご安心ください。本日のメインディッシュは、北の戦場で捕獲されたという『戦乙女(ワルキューレ)』だそうです。なんでも、騎士団を壊滅させたほどの使い手だとか」


「ほう? 強い女を屈服させるのは、余の愉しみの一つだ。……精々、泣き叫ばせてやろう」


バルダスが歪んだ笑みを浮かべた、その時だった。


カツン。


喧騒渦巻く会場に、場違いなほど澄んだ靴音が響いた。


それは決して大きな音ではなかった。


だが、奇妙なことに、その音は数百人の話し声や歓声をすべて塗りつぶし、会場の隅々にまで届いたのだ。


水を打ったように静まり返る会場。


全員の視線が、会場の最上段にある「入り口」へと吸い寄せられる。


そこには、奇妙な二人組が立っていた。


一人は、完璧な仕立ての執事服を着た男。


その髪は、白と黒が不規則に混ざり合った、まるで混沌を象徴するような大理石(マーブル)模様を描いている。


優雅な笑みを浮かべているが、そのオッドアイ――右目の黄金と左目の深紅は、周囲の人間を塵芥(ちりあくた)としか見ていない冷酷さを湛えていた。


三禍(トリア・カタストロフ)・筆頭、ルシリウス。


そしてもう一人は――見すぼらしい革鎧に、安物の黒いマントを羽織った、どこにでもいるような冒険者の少年。


その首元には、冒険者ギルドが発行する金属プレートが揺れている。


色は、最低ランクを示す「灰色」。


紛れもない、Fランク冒険者の証だった。


「……なんだ、あれは?」


「冒険者? しかも子供じゃないか」


「おいおい、ここは託児所じゃないんだぞ。迷い込んだのか?」


会場のあちこちから、失笑と嘲笑が漏れ始める。


貴族たちにとって、冒険者など野良犬と同義であり、ましてやFランクの子供など、視界に入れる価値すらない存在だ。


だが、不可解なのは、その「野良犬」の後ろに、洗練された執事が恭しく控えていることだった。


「おい、係員! あの汚いガキを摘み出せ! 気分が悪い!」


バルダス王子が、不快そうに手を振った。


その命令に応じ、会場の警備兵たち――武装した屈強な傭兵たちが、ニヤニヤと笑いながらシンたちに近づいていく。


「坊主、お家へ帰んな。ここはガキの来るところじゃねえぞ」


「それとも、商品になりに来たのか? ああん?」


傭兵の一人が、シンの肩を掴もうと太い腕を伸ばした。


Fランクのひ弱な子供など、指一本でひねり潰せる。誰もがそう確信していた。


プチン。


濡れた雑巾を絞るような音がした。


「……え?」


傭兵は、自分の視界が突然、ぐるりと回転したことに気づかなかった。


気づいた時には、彼の首は胴体から離れ、床に転がっていた。


血飛沫一つ上がらない。


あまりにも速く、あまりにも鮮やかな切断。


シンの隣にいたルシリウスが、純白の手袋をはめた手で、手刀を振り抜いた姿勢のまま微笑んでいた。


「おや。……無礼な手ですね。切除させていただきました」


ルシリウスは、床に転がる首を、ゴミを見るような目で見下ろした。


悲鳴が上がるよりも早く、シンが歩き出した。


彼は、血の海の真ん中を、靴底一つ汚さずに歩き抜ける。


その際、彼は背後の入り口に向かって、無造作に指を振った。


ヒュンッ。


目に見えない糸が、入り口の扉を縫い合わせるように封鎖する。


さらに、天井、壁、床。会場全体を覆うように、不可視の結界(ネット)が展開される。


(――封鎖完了。ここからは、一匹も逃がさない)


シンは内心で呟くと、凍りついたバルダス王子の目の前にある、空いた貴賓席(VIP・シート)へと腰を下ろした。


本来はジェイドが確保した席だが、シンが座ることに何の違和感もない。


その上方のバルコニーには、いつの間にかジェイドが姿を現し、優雅にグラスを傾けながら主の観劇を見守っている。


すべては、この少年王のために用意された舞台だった。


「……き、貴様、何者だ! 余の前に座るとは無礼であろう!」


バルダスが引きつった声で叫ぶ。


シンは首を傾げ、わざとらしく明るい声で答えた。


「ただの買い物客だよ、お兄さん。……僕みたいなFランクでも、参加させてくれるよね?」


言葉とは裏腹に、その瞳の奥には底なしの深淵(アビス)が広がっていた。


シンは右手をかざし、指先から目に見えない極細の糸――蜘蛛の糸(アラクネ・ワイヤー)を放つ。


それは王子のうなじを撫で、極小の蜘蛛を皮膚に這わせる。


捕食(イート)の前準備。


髪の毛一本、血の一滴を啜るだけで、その魂の全てをコピーする悪魔の所業。


「まさか、断ったりしないよね? ……だって、もう出口はないんだから」


シンはニヤリと嗤った。


その笑顔は、Fランクの少年が浮かべていいものではなかった。


それは、鳥籠の中の獲物を見下ろす、残酷な飼い主の顔だった。


「代価は、君たちの『すべて(命と記憶)』でいいかな?」


闇市場(ブラック・マーケット)への招待状。


それは、彼らにとっての破滅への招待状となった。

読者の皆様、本日も更新にお付き合いいただきありがとうございます!

いよいよゼノリス王国の「膿」を出し切る粛清編がスタートです。

Fランク冒険者の皮を被った魔王(始祖)、この絶対的な「格」のギャップがたまりませんね。

ジェイドのスマートな交渉(物理的な札束攻撃)も、さすが第一席といったところでしょうか。

そして、しっかりとヘイトを稼いでくれたバルダス王子とヴァルダー。

彼らがこれからどう料理されるのか……次回、闇市場が真の地獄へと変わります。

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明日も更新します。

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