第5話 地下迷宮の道化師たち 改稿2/9
深淵迷宮『奈落の寝床』。
この大陸の地下深くに広がるその巨大な洞窟は、かつて地上を支配していた魔王の墳墓であると噂される、死と腐敗の聖地である。
湿った空気が、生者の肌にねっとりとまとわりつく。
壁面の岩肌からは絶えず地下水が染み出し、その雫が地面に落ちる音が、永遠に続く時計の針のように、規則正しく、そして陰鬱に響いていた。
鼻を突くのは、カビと苔の臭い。
そして、その奥底に澱む、濃厚な血と臓物の腐臭。
地下三層。
通常ならばCランク以上の熟練パーティでなければ足を踏み入れることすら許されない『危険地帯』を、一団が我が物顔で進んでいた。
◇
「オラァッ! 死ねぇ!」
轟音と共に、通路を塞いでいた『溶岩蜥蜴』が爆散した。
アレスの過剰な魔力によって、内側から破裂させられたのだ。
「ふん。脆いな。よく燃える薪だぜ」
鼻を鳴らしたのは、リーダーのアレスだ。
身の丈ほどもある巨大な魔剣からは、未だにチロチロと余剰魔力の炎が漏れ出している。
彼の才能である『火炎操作』は、自身の魔力を炎に変換し、自在に操る力だ。
それを大剣術に乗せる「魔法剣」こそが、彼がBランク最強と呼ばれる所以だった。
「さすがアレス様! あのトカゲを一撃で炭にするなんて!」
「私のダガーが出る幕もなかったわね。つまんないの」
後ろに続く女司教のミラが感嘆の声を上げ、盗賊のチェルシーが退屈そうにナイフを弄ぶ。
巨体の盾使い、ボルトスは無言で周囲を警戒しているが、その顔には明らかな慢心の色があった。
彼らは強い。
Bランク(一流)。その称号は伊達ではない。
『火炎操作』を使いこなすアレスを中心に、一応の連携も取れている。
この階層の魔物相手なら、遅れを取ることはないだろう。
――ただし、それはあくまで「人間」の尺度での話だ。
最後尾を歩くシンは、その光景を冷めた目で見つめていた。
(……雑だな)
シンの魔眼には、アレスの剣から漏れ出る魔力の無駄が、はっきりと見えていた。
ただ骨を砕くだけなら、あそこまでの火力は必要ない。
過剰な魔力放出は、周囲の空気を焼き、自分たちの体力を消耗させるだけだ。
そして何より、その「熱」が、奥に潜む魔物たちに自分たちの居場所を大声で知らせる狼煙になっていることに気づいていない。
(燃費が悪い。力の制御ができていない。……子供が棒を振り回しているのと変わらん)
シンは小さくため息をついた。
「おい、Fランク! 遅いぞ! 置いていくぞ!」
アレスが苛立った声を上げる。
隊列の最後尾。
自身の体重の倍はあろうかという巨大な背嚢を背負わされ、よろよろと歩く少年の姿があった。
シンだ。
「は、はいっ……申し訳ありません、アレス様……!」
シンは滝のような汗を流し、荒い息を吐きながら必死に追従する「演技」を続けていた。
背負っているのは、彼らの野営道具、予備の武器、水、そして採取した魔石の数々だ。
本来なら荷運び用の従者を複数人雇うべき量だが、彼らはその役目をすべて、捨て駒であるシン一人に押し付けていた。
辺りに飛び散る肉片と、鼻を突く焦臭。
アレスは満足げに剣を肩に担ぎ、顎でトカゲの死骸をしゃくった。
「おい、Fランク。魔石だ。拾え」
「は、はいっ! ただいま!」
シンは小走りでまだ煙を上げている死骸に駆け寄った。
通常の冒険者なら、熱が冷めるのを待つか、厚手の手袋をして慎重に行う作業だ。
だが、シンは素手で、ドロドロに焼けた肉塊の中へと躊躇なく手を突っ込んだ。
「うわ、汚ねぇ」
チェルシーが顔をしかめる。
その視線が外れた一瞬の隙に、シンは「二つの作業」を同時に行った。
まずは右手。
心臓部を探り、熱を帯びた『魔石』を掴み取る。これは彼らへの貢ぎ物だ。
そして左手。
潰れた頭部へ指を突き入れ、脳髄の奥にある小さな結晶――『核』を摘出する。
こちらこそが、シンにとっての真の獲物。
(……いただき)
シンは誰にも気づかれぬ速さで、左手の『核』を口元へ運び、放り込んだ。
ガリッ。
硬質な音は、魔物が肉を焼く音にかき消される。
――捕食。
ドクン、と心臓が跳ねる。
脳裏に、新たな情報の回路が焼き付けられていく感覚。
【捕食完了】
【獲得才能:『耐熱』D】
(味は……炭の味だな。少し焦げすぎだ)
シンは内心でアレスの火力調整にダメ出しをしつつ、右手で掴んだ『魔石』を高々と掲げた。
「と、取れました! アレス様、立派な魔石です!」
「遅えよグズ。さっさと袋に入れろ」
アレスは興味なさそうに吐き捨て、再び歩き出す。
シンはぺこぺこと頭を下げながら、彼らの背中を見つめ、口元についた煤を舌で舐め取った。
誰も気づかない。
この少年が、魔物よりも遥かに貪欲な捕食者であることに。
◇
そうして一行は、迷宮の深部、通路の突き当たりにある巨大な青銅の扉の前で足を止めた。
扉の表面には、苦悶の表情を浮かべた悪魔のレリーフが彫り込まれている。
「おい、ボルトス。開けろ」
「……うむ。罠の気配はない」
盾使いのボルトスが、扉の周囲を軽く叩いて確認し、重々しく頷く。
盗賊のチェルシーも「鍵はかかってないみたいね」と退屈そうに欠伸をした。
(……馬鹿が)
最後尾のシンだけが、その扉に施された「二重構造」の罠を見抜いていた。
物理的な鍵はかかっていない。
だが、扉の蝶番には、微細な魔力回路が組み込まれている。
『強酸の霧』。
扉を開いた瞬間、高圧縮された溶解液が霧状になって噴出し、前衛の皮膚と装備をドロドロに溶かす凶悪なトラップだ。
(ボルトスの『直感』は錆びついている。チェルシーの『解錠』も、魔法的な罠には無力だ)
シンは値踏みするような視線を送った。
このまま放置すれば、ボルトスは顔面を焼かれ、戦闘不能になるだろう。
それでは、荷物持ち《ポーター》としてのシンの「楽」が減ってしまう。
「あ、あのっ……! アレス様!」
シンは怯えた声を上げ、わざと足をもつれさせて転倒した。
その拍子に、背負っていた荷物の中から水筒が転がり落ち、ゴロゴロと音を立てて扉の方へ転がっていく。
「ああん!? 何やってんだテメェ!」
「ひ、ひぃっ! すみません、足が滑って……!」
アレスが怒鳴り声を上げるのと同時だった。
転がった水筒が、扉の下の隙間にピタリと挟まる。
シンは、その一瞬の隙を見逃さなかった。
地面に伏せた掌から、肉眼では捉えられない極細の『鋼糸』を射出。
糸は水筒の影を縫うように走り、扉の蝶番に仕込まれた魔力回路の導火線を、外科手術のような精密さで切断した。
プツン。
誰にも聞こえない、微かな切断音。
「チッ……ドジな野郎だ。ボルトス、とっとと開けろ!」
「承知した」
ボルトスが力を込め、重い青銅の扉を押し開ける。
本来ならここで致死性の酸が噴き出すはずだったが、仕掛けは沈黙したまま、扉はただの重い金属の板として開かれた。
ギィィィィ……。
不快な金属音と共に、その奥に広がる広大な空間が姿を現す。
「……なんだ、空っぽかよ」
中は、古代の闘技場のような円形のホールだった。
敵の気配はない。ただ中央に、古びた宝箱が一つ、ぽつんと置かれているだけだ。
「おい見ろよ! 宝箱だ!」
チェルシーが目を輝かせて駆け寄ろうとする。
「待て」
アレスがそれを手で制し、ニヤリと笑った。
「こういう時は、あの『毒見役』を使うのが定石だろうが」
アレスの視線が、まだ地面に這いつくばっているシンに向けられる。
その瞳には、弱者をいたぶる嗜虐的な光が宿っていた。
「おい、Fランク。名誉挽回のチャンスをやるよ。……あの箱を開けてみろ」
(……はいはい、そう来ると思ったよ)
シンは内心で呆れながらも、ガタガタと震える演技を披露する。
「そ、そんな……も、もし罠があったら……」
「罠があったら死ぬだけだ。安心しろ、骨くらいは拾ってやる」
ゲラゲラと笑うアレスたち。
シンは青ざめた顔で、ふらふらと宝箱へ近づいていく。
もちろん、シンには分かっていた。
その宝箱が「宝」などではなく、この部屋全体が巨大な胃袋であることを。
(『擬態部屋』。……部屋そのものが魔物か。ランクはB+。お前たちじゃ、ギリギリ勝てるかどうかだな)
シンが宝箱に手をかけようとした瞬間。
天井の岩肌が、粘液を滴らせながら音もなく蠢き始めた。
◇
その時、世界が反転した。
ポタリ。
天井から落ちてきた一滴の雫が、ボルトスの肩鎧に触れた瞬間、ジュウウッという不快な音と共に、鋼鉄が飴細工のように溶け落ちた。
「なっ……!?」
ボルトスが驚愕の声を上げる間もなく、天井と壁、そして床が一斉に脈打ち始めた。
岩肌だと思っていた壁面が剥がれ落ち、その下から赤黒い、濡れた肉壁が露わになる。
オォォォォォ……ッ!
地響きのような、あるいは巨大な生物の呻き声のような重低音が空間を震わせた。
「き、キャアアアアッ! 壁が! 壁が動いてる!」
チェルシーが悲鳴を上げる。
出口だったはずの青銅の扉はすでに肉の襞によって塞がれ、完全に退路は断たれていた。
「チッ、ふざけやがって! 焼き尽くしてやる!」
アレスが魔剣を振りかぶり、最大出力の火炎魔法を放つ。
「『紅蓮爆炎』!」
轟音と共に放たれた灼熱の奔流が、肉壁を舐める。
だが、その炎は決定打にはならなかった。
壁面から大量に分泌された粘液が、消火剤のように炎の勢いを殺し、焼けた端から肉が再生していく。
「な、なんだと……!? 俺の炎を受けて再生だと!?」
アレスの顔に焦燥の色が浮かぶ。
Bランク相当の『擬態部屋』の胃液は、魔法抵抗力を持つ特殊な溶解液だ。
そして何より、この部屋全体が「生物」であるため、生命力が桁外れに高い。
「アレス! ジリ貧だ! 盾が持たんぞ!」
ボルトスの叫び声。
彼が展開した魔力障壁は、降り注ぐ酸の雨によってガラスのようにヒビ割れ、限界を迎えようとしていた。
このままでは、あと数分で防御が破られ、全員が消化液の海に沈む。
Bランク最強を自負する彼らでも、相性と物量の差はいかんともしがたい。
(……悪くはない動きだ。だが、決定打に欠けるな)
その混沌の只中で、シンだけが冷静に戦況を分析していた。
彼は怯えて頭を抱えるフリをしながら、パニックに陥りかけたアレスたちの死角で、静かに右手を天井にかざした。
アレスが二発目の極大魔法を放とうと構え、ボルトスの盾が砕け散ったその瞬間。
シンの指先から、一本の『不可視の糸』が放たれた。
ヒュッ。
糸は酸の雨をすり抜け、天井の中央にある「シャンデリアのような突起物」――この部屋の頭脳にあたる『核』へと一直線に伸びる。
(そこか)
シンは指先を軽くクイクイと動かした。
ただそれだけの動作。
だが、その糸には山をも砕く始祖の膂力が乗せられている。
ブチブチブチッ!
肉を引き裂く音と共に、核が根元からねじ切られた。
同時に、シンの糸が核を内部から粉砕し、即死させる。
オ、オオ、オオォォ…………。
断末魔の呻きと共に、部屋全体の脈動がピタリと止まった。
再生を続けていた肉壁が力を失い、ダラリと弛緩する。
「……は、はぁ……はぁ……?」
アレスが肩で息をしながら、呆然と周囲を見渡す。
なぜ敵が急に死んだのか、彼には理解できていない。
だが、目の前で蠢くのをやめた肉壁を見て、彼の脳内でご都合主義的な解釈が成立した。
「へ、へへっ……見たかよ。俺の炎が……ようやく効いたみてぇだな」
アレスは脂汗を流しながらも、ニヤリと笑ってみせた。
「内部から焼き尽くしてやったぜ。……しぶとい野郎だったな」
「さ、さすがアレス! もうダメかと思ったわ!」
「うむ。まさかあの再生力を上回る火力とは……やはりお前は規格外だ」
ミラとボルトスが安堵と称賛の声を上げる。
彼らはギリギリの勝利に酔いしれ、気づいていない。
トドメを刺したのが、アレスの炎ではなく、部屋の隅でガタガタ震えている「Fランクの荷物持ち」の指先一つだったことに。
「ひ、ひぃぃ……た、助かったんですかぁ……?」
シンは涙目の演技で顔を上げ、心の中で舌を出した。
(やれやれ。手のかかる道化たちだ)
シンにとって、彼らを生かす理由はただ一つ。
この迷宮の最深部に眠る「何か」への案内役として、まだ利用価値があるからに他ならない。
◇
死した『擬態部屋』の口から吐き出されるように、一行は奥の通路へと進んだ。
そこは、迷宮内でも珍しい「安全地帯」となっていた。
かつての魔王の厨房だったのだろうか、枯れた噴水と石造りのベンチがある、少し開けた空間だ。
「今日はここで野営だ。……疲れた」
アレスがドカッとベンチに座り込む。
さすがの彼も、B+ランク相手の戦闘で魔力を消耗しきっていた。
「おい、Fランク。飯の用意だ。一番いい肉を使えよ」
「は、はいっ! 仰せのままに!」
シンは巨大なリュックを下ろし、調理の準備を始める。
その背中越しに、彼は暗闇の奥、さらに深くへと続く階段を見つめた。
ここから先は深層。
人の領域を外れ、死と狂気が支配する真の闇だ。
そしてその最深部から、得体の知れない邪悪な気配が漂ってきている。
(さて……メインディッシュまで、あと少しか)
鍋をかき混ぜながら、シンは小さく微笑んだ。
揺らめく焚き火の炎が、少年の影を巨大な蜘蛛の姿に映し出していることを、疲れ切ったアレスたちは知る由もなかった。
本日も読んでいただき、ありがとうございます!
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続きます。




