第49話 帰還・新たな【ゼロ】への挑戦
空間が、悲鳴を上げて裂けた。
物理的な破壊音ではない。 世界の座標そのものが強制的に抉り取られ、本来あるべきでない「穴」が穿たれたことによる、次元の断末魔だ。
城塞都市ネメシスの地下深く。 地上の光も音も届かぬ、深淵の彼岸。 始祖たるシンが、己の権能のみで世界から切り離し、再構築した絶対不可侵の聖域。
拠点『地下宮殿』。
その最奥に位置する「玉座の間」は、張り詰めた緊張感と、物理的な質量を伴うほどの濃密な魔素に支配されていた。 壁面を覆う黒曜石の柱は、地下の燐光を吸い込んで妖しく脈動し、天井に広がる偽りの星空が、冷徹な支配者の瞳のように瞬いている。
その空間の中心に、漆黒の亀裂が走る。 そこから溢れ出したのは、底知れぬ闇と、それを従える王の気配。
次元の裂け目から、三つの影が実体化する。
先頭を歩くのは、漆黒の外套を翻す王――シン。
地上での「一五歳の少年」という擬態を解き、本来の「一八歳・始祖」の姿に戻っている。 その身から溢れ出る覇気は、以前にも増して濃密で、空間そのものを震わせていた。 彼が一歩踏み出すたびに、足元の黒曜石が軋みを上げ、大気が畏れをなして道を譲る。 その瞳は、血の池を煮詰めたような鮮烈な深紅。 見る者すべての魂を射抜き、その深淵へと引きずり込む魔性の輝きを放っていた。
そして、その背後に付き従う二人の美女。 彼女たちが放つ魔圧は、異常の一言に尽きた。
一人は、艶やかな黒い着物を着崩した、妖艶な和装の美女。 濡れたような黒髪は腰まで流れ、切れ長の金色の瞳は、爬虫類を思わせる冷酷な光を宿している。 その背後には、かつて世界を焦がし、大陸一つを灰に変えたとされる伝説の黒龍の幻影が、陽炎のように揺らめいている。
もう一人は、豪奢なフリルのついた純白のドレスに身を包んだ、金髪縦巻きの少女。 可憐な容姿とは裏腹に、その真紅の瞳には底知れぬ虚無と、数千年分の血の渇きが宿っている。 彼女の周囲だけ時間が凍りついたかのような静寂があり、同時に、触れるものすべてを腐食させる死の甘い香りが漂っていた。
彼女たちが放つ存在感は、単なる「強者」のそれではない。 「災害」そのものが人の形をして歩いているかのような、生物としての格の違いを見せつける圧倒的な暴力。
玉座の間で待機していた既存の幹部たち――炎の四天アレスをはじめとする面々が、思わず呼吸を忘れるほどの重圧が、そこにはあった。 心臓が早鐘を打ち、脂汗が背筋を伝う。 本能が「動くな、動けば喰われる」と警鐘を乱打しているのだ。
「……戻ったぞ」
シンの低い声が、重低音となって広間に響く。 彼は悠然と歩を進め、最奥に鎮座する漆黒の玉座に深く腰を下ろした。 足を組み、頬杖をつき、眼下に平伏する配下たちを見下ろす。 その姿は、まさしく夜の王。
同時に、二人の美女は競うようにしてその足元に跪いた。
「お帰りなさいませ、シン様。……ああ、玉座にお座りになるお姿も素敵ですわ♡ その冷徹な眼差し……ゾクゾクいたします」
黒髪の美女――夜霧が、陶酔した声を上げて頬を紅潮させる。 彼女はシンのブーツに頬をすり寄せ、主の匂いを肺いっぱいに吸い込んでいる。
「ふん。まあまあの椅子ね。私の氷の棺よりはマシかしら。 ……でも、シン様が座るなら、私もその膝の上に座りたいわ」
金髪の少女――リリアが、不敵に微笑みながらも恭しく頭を垂れる。 その瞳は、獲物を狙う肉食獣のように爛々と輝き、隙あらば主の寵愛を独占しようという野心を隠そうともしない。
その異様な光景を呆然と見つめていたアレスが、震える声で尋ねた。
「シン様……。そのお二方は……?」
アレスは位階A+(準災害級)。 地上の冒険者ギルド基準で言えば、国家戦力に匹敵する猛者であり、人間が到達しうる限界を遥かに超えた存在だ。 十王たち幹部の中でさえ、彼に並ぶ者はいない。 だが、そんな彼の本能が、けたたましい警鐘を鳴らしている。
目の前の二人は、「格」が違う、と。
生物としての次元が違う。 自分たちが「強者」であるなら、彼女たちは「天災」そのものだ。 もし戦えば、瞬きする間に塵も残さず消滅させられる――そんな確信めいた死の予感が、アレスの肌を刺していた。
「紹介しよう。今日から『細蟹』に加わった新入りだ」
シンは退屈そうに頬杖をつき、二人を示した。
「右の着物が、元・始祖の暗黒龍ヴァルガス。今は【夜霧】だ。 ……左の生意気なガキが、吸血鬼の真祖。名は【リリア】。 どちらも位階SS(天災級)だ」
「なっ……!?」
アレスだけでなく、控えていた十王たちも息を呑んだ。 室内の空気が凍りつく。
位階SS(天災級)。 それは単騎で大国を滅ぼせる、歴史書の中だけの存在。生ける伝説。 人類が束になっても敵わぬ、理外の怪物たち。 それが二人も、同時に配下になったというのか。
「あら?」
夜霧がゆっくりと首を巡らせ、アレスたちを見やった。 その金色の瞳が、爬虫類のように細められる。 それは、獅子が蟻を見るような、圧倒的な捕食者の視線だった。
「シン様。このひ弱な生き物たちは何ですの? 魔力はスカスカ、血の巡りも悪い。……まさか、これらが幹部ですの? シン様の配下を名乗るには、あまりに貧弱すぎて……掃除係の間違いではありませんか?」
「ぷっ、あはは!」
リリアが遠慮のない嘲笑を上げた。 その声は鈴を転がすように愛らしいが、内容は猛毒そのものだ。
「本当ね! 位階A+(準災害級)? 冗談でしょ。私の時代なら雑巾掛け係も務まらないわよ。 ねえ、そこの鎧の人。私、喉が渇いたのだけど。その首、差し出してくれない? 少しは役に立ってみなさいよ」
リリアの殺気が、鋭い針となってアレスの肌を刺した。
動けない。 アレスは剣の柄に手をかけることさえできなかった。蛇に睨まれた蛙のように、絶対的な捕食者の前で金縛りにあっていたのだ。 心臓が早鐘を打ち、脂汗が背筋を伝う。 恐怖。純粋な死への恐怖が、歴戦の英雄の足を縫い止めている。
(くそっ……! 体が、動かん……!)
屈辱。 表の組織レギオン【蜘蛛】のマスターとして、都市を支配してきた自負が、音を立てて崩れていく。 これが、世界最高峰の怪物たちの領域なのか。 自分たちが目指していた「頂」は、これほどまでに高く、遠い場所にあったのか。
「……いい加減にしろ」
冷ややかな声が、その場の空気を凍らせた。
ドォン!!
シンの指先から放たれた黒い閃光が、夜霧とリリアの足元を爆ぜさせた。 床の黒曜石が砕け散り、衝撃波が二人のドレスと着物を煽る。
「ひゃっ!?」
「ああんっ♡」
二人は同時に悲鳴(一方は嬌声)を上げ、即座に平伏した。 先ほどまでの傲慢さは消え失せ、主の怒りに怯える愛玩動物の姿へと変わる。 その切り替えの早さは、彼女たちがどれほどシンを恐れ、そして崇拝しているかの証明でもあった。
「アレスたちは、私が『ゼロ』から育て上げた古参だ。ぽっと出の野良犬どもが、偉そうに格付けをするな」
シンは玉座から彼らを見下ろす。 その瞳にあるのは、絶対的な支配者としての威厳と、配下への歪んだ所有欲。
「力だけの怪物は幾らでもいる。だが、私の手足として動ける『忠義』と『知性』を持つ者は少ない。 ……アレス。顔を上げろ」
「は、はいっ!」
アレスが弾かれたように顔を上げる。 その顔は蒼白だったが、瞳の奥の炎は消えていなかった。 主が自分を庇ってくれた。自分たちを「必要」だと言ってくれた。 その事実だけで、恐怖は勇気へと変わる。
「安心しろ。お前たちの進化の準備も進めている。この程度の新入りに気圧されるな。 いずれ、お前たちもこの領域(SSランク)へ引き上げてやる」
「……ッ! ありがたき幸せ……!」
アレスは深く頭を下げた。その目には、悔しさと共に、主への狂信的な忠誠の炎が宿っていた。
(強くなる。必ず。この怪物たちと肩を並べるまでに……!)
シンは満足げに頷くと、視線を二人のSSランクへと戻した。
「さて」
シンは場を収めると、本題に入った。 彼は右手を掲げる。 その手は、白く、細く、しかし世界を握り潰せるほどの力を秘めている。
「夜霧、リリア。お前たちの【才能】を寄越せ」
「はい、喜んで!」
「優しくしてね……?」
二人の胸元から、光の球体が浮かび上がる。 それは彼女たちの魂の根源。存在を定義する核。
夜霧からは、全てを飲み込む漆黒の【虚無】の才能。 リリアからは、鮮烈な赤色を放つ【不死】の才能。
二つの相反する概念が、シンの手のひらの上で渦を巻く。 通常ならば反発し合い、核爆発クラスのエネルギー崩壊を起こすはずの危険な合成。 空間が悲鳴を上げ、黒と赤の火花が散る。
だが、シンの固有能力【才能捕食】の理は、それら全てを「食材」として処理し、強制的に融合させていく。
「――術式展開」
シンが指先を弾いた瞬間。
ブワァァァァァッ……!!
漆黒の玉座の間が、光の奔流に埋め尽くされた。 シンの掌を中心に、幾何学的な魔法陣が爆発的に展開される。
一つではない。十でもない。 数百、数千、いや数万、数億。
「な、なんだこれは……ッ!?」
アレスが目を見開く。 空中に浮かび上がったのは、無数の魔法陣が重なり合い、歯車のように噛み合った巨大な「球体」だった。 赤、黒、紫、金。あらゆる色の光が明滅し、それぞれが異なる数式を刻んでいる。 それはまるで、星空そのものを地上に降ろし、圧縮したかのような圧倒的な情報量。
「第74層、接続。第820層、反転。……虚無の核を触媒とし、因果を固定する」
シンは無造作に指を動かす。 その指先の動きに合わせて、数万の魔法陣が一斉に回転し、形を変える。 まるで、神が世界を設計するかのような、圧倒的な演算速度。
キィィィィィン……!
高周波の音が鳴り響く。 魔法陣の層がさらに増えていく。 数億を超える術式が、螺旋を描いて圧縮され、一つの点へと収束していく。
「見ろ……これが、主の魔法……」
十王の一人、魔法使いのセレンが震える声で漏らす。 彼女の魔眼をもってしても、その術式の0.1%も理解できない。 ただ分かるのは、目の前で行われているのが、魔法という枠を超えた「理の創造」であるということだけ。
相反する【虚無】と【不死】。 絶対に混ざり合わないはずの二つの概念が、シンの構築した数億の魔法陣という「檻」の中で強制的に縫い合わされ、新たな形へと鍛造されていく。
バチバチバチッ!!
空間が歪み、亀裂が走る。 だが、シンは表情一つ変えない。 ただ、冷徹に、そして完璧に、術式を編み上げ続ける。 その額に汗一つかいていないことが、彼の底知れなさを物語っていた。
「……凝固」
カッ! と眩い光が弾けた。
数億の魔法陣が、一瞬にして極小の点へと圧縮された。 光が晴れた時、シンの手の中に残ったのは、一本の「鍵」だった。
黒曜石の柄に、真紅の宝石が埋め込まれた、禍々しくも美しい鍵。 その表面には、先ほど展開されていた数億の魔法陣が、ナノ単位の微細な彫刻となって刻み込まれている。 見る者の精神を蝕むような、不可解で美しい幾何学模様。
【界渡りの鍵】。
完成だ。 シンは口元を歪め、凶悪な笑みを浮かべた。
「これで、迎えに行ける」
最強の矛が揃った今、必要なのは最強の盾にして、組織の屋台骨。 『あいつ』が戻れば、この騒がしい猛獣園も少しは静かになるだろう。
シンは立ち上がり、鍵を握りしめた。 視線は、玉座の間のさらに奥。 厳重に封印された『儀式の間』へと向けられた。
「行くぞ、お前たち」
シンが声をかけると、控えていた夜霧とリリア、そしてアレスたち四天が一斉に顔を上げた。
「鍵は完成した。……目覚めの時間だ」
シンは黒衣を翻し、歩き出す。 その背中には、確信があった。 次に目覚める男こそが、この世界を恐怖の底に叩き落とすための、最後のピースであると。
「待ちわびたぞ。……我が最強の執事よ」
魔王の軍勢が、いよいよ完全体となる時が来た。 地下の闇の中で、歴史が変わる音がした。
読者の皆様、本日も更新にお付き合いいただきありがとうございます!
ついに役者が揃いつつあります。
SSランクの美女(?)二人を手に入れたシン様ですが、古参のアレス君にとっては胃の痛い展開に……。
でも大丈夫! シン様はちゃんと部下を見ています。アレス君の今後の超進化にご期待ください。
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明日も更新します。




