第38話 魔王の地図、次なる獲物
光に満ちた地上の喧騒とは裏腹に、その場所は永遠の静寂と闇に支配されていた。
城塞都市ネメシスの地下深く。 物理的な座標を持たず、次元の彼岸に固定された絶対領域――拠点『地下宮殿』。
その最深部にある「玉座の間」は、肌を刺すような冷気と、物理的な質量を伴うほどの濃密な魔素の奔流で満たされていた。 黒曜石の床は鏡のように磨き上げられ、そこに跪く影たちを映し出している。
最奥の玉座。 そこに座すのは、この国……いや、この世界の裏側を統べる絶対支配者、シンである。
地上で見せる「Fランクの少年(15歳)」という道化の仮面は脱ぎ捨てられ、そこには本来の姿である18歳の青年が君臨していた。 漆黒の長衣を纏い、闇よりも深い黒髪と、血の池を煮詰めたような深紅の魔眼を持つ魔王。
「……面を上げろ」
シンの声が、重低音となって広間に響く。 一斉に顔を上げたのは、彼が手塩にかけて育て上げた最強の配下たちだ。
玉座の直下、最上位に控えるのは、組織の実働部隊長【四天】。 燃えるような赤髪のアレス。 慈愛の笑みを浮かべる聖女ミラ。 鋼鉄の巨躯を誇るボルトス。 影に溶け込む暗殺者チェルシー。
さらにその後ろには、この国の運営を担う【十王】たちが、緊張した面持ちで整列している。 ジェイド、ヴィンセント、ネモ、サフィナ……各分野のエキスパートたちだ。
「主よ! ご決断を!」
沈黙を破ったのは、アレスだった。 彼の瞳には、抑えきれない戦意の炎が宿っている。
「帝国の連中は尻尾を巻いて逃げ出しました! 今こそ好機! 我ら四天が出撃すれば、あの程度の軍勢、国境を越える前に灰にしてみせます! どうか、ご命令を!」
アレスの声に呼応するように、ボルトスも拳を鳴らす。 彼らは先の防衛戦や、自身の肉体に刻まれた新たな力の奔流を感じ、自信を深めていた。 Aランク(英雄級)を超え、さらなる高み――A+ランク(準災害級) に至ったという確信。
だが。 シンは、そんなアレスの熱狂を、氷点下の視線で射抜いた。
「……黙れ、駄犬」
「ッ……!?」
アレスの言葉が、喉の奥で凍りつく。 シンの瞳に宿っていたのは、賞賛でも許可でもない。 底知れぬ「侮蔑」と、浅はかな思考に対する「呆れ」だった。
「思い上がるな、アレス。……貴様らは強くなった。だが、まだ『準』だ」
シンは退屈そうに頬杖をつき、手元のワイングラスを揺らした。
「貴様ら一人が暴れれば、小国や一個師団程度なら壊滅させられるだろう。 だが、帝国は違う。 奴らは山脈を削り、独自の技術で武装した軍事国家だ。我々の知らない『奥の手』や、底知れぬ物量を隠し持っている可能性が高い。 今の貴様ら(A+)が正面から突っ込めば、未知の数と力にすり潰され、犬死にするのがオチだ」
シンはグラスを置き、虚空に指を走らせた。 パチン、と乾いた音が響くと、何もない空間に巨大な幻影の地図が展開される。
「戦争とは、ただの破壊ではない。リソースの奪い合いだ」
シンは玉座から立ち上がり、黒衣を翻した。
「勝っても、得るものが焼け野原だけでは意味がない。 我々が必要としているのは、帝国と長期戦を行うための『兵站』……食料、資材、そして労働力だ」
シンは地図の上を歩くように、指を滑らせた。 西の帝国から、視線を東へ。 ネメシスのすぐ北に隣接する、一つの国へと。
「灯台下暗し、とはこのことだな」
シンの指が、地図上の一点をトントンと叩く。
「ここだ。……次なる獲物は」
そこには、【ゼノリス王国】という文字が記されていた。
かつてネメシス地方を領土としていた宗主国。 歴史はあるが、長年の腐敗と失政により国力は衰え、今や斜陽の国家となり果てている。
「ゼノリス王国……ですか?」
十王第二席・【軍】ヴィンセントが、怪訝そうに眉をひそめた。
「確かに隣国ですが……あそこは腐りきっています。軍隊は弱体化し、貴族は肥え太り、民は飢えている。……攻め取る価値などあるのでしょうか?」
「あるさ」
シンは獰猛に笑った。 それは、熟れた果実を見つけた捕食者の笑みだった。
「腐っているからこそ、美味いのだ」
シンは両手を広げ、演説するように語りかける。
「ゼノリスには、広大な穀倉地帯がある。未開拓の魔石鉱脈がある。そして何より……数百万の『家畜』がいる」
その言葉に、幹部たちの喉が鳴る音が聞こえた気がした。
「帝国という硬い殻を噛み砕く前に、まずは手近にある柔らかい肉を喰らって、栄養をつける。 ゼノリス王国を丸ごと飲み込み、我が軍の『胃袋』とするのだ」
「なるほど……!」
第一席・【商】ジェイドが、感嘆の声を上げて膝を打つ。
「ネメシスという『点』ではなく、ゼノリスという『面』を支配する。 そうすれば、帝国との長期戦にも耐えうる国力が手に入る……。さすがは主、完璧な布陣です」
「理解したなら、話は早い」
シンは地図上のゼノリス王国を、手刀でなぞった。
「だが、勘違いするなよ。……軍隊を進めて城を落とす、などという野蛮な真似はせん」
シンの瞳が、妖しく輝く。
「外から攻めれば、他国の介入を招く。民も逃げ出すだろう。 ……だから、喰うのは『中』からだ」
シンは握り拳を作った。
「内側に入り込み、血管に毒を流し、脳を麻痺させ、心臓を握り潰す。 気づいた時には、国という名の皮だけを残して、中身はすべて我ら『細蟹』に入れ替わっている……。そういう『国盗り』だ」
寄生。侵食。乗っ取り。 それは、武力による征服よりも遥かに残酷で、逃げ場のない支配の形。
「役割を与える」
シンの号令に、幹部たちが一斉に緊張した面持ちになる。
「ジェイド」 「はッ!」
黄金の髪を持つ美青年が進み出る。
「貴様は『経済』で殺せ。 ゼノリスの貴族どもは金に汚い。その欲望を利用し、物流を握り、通貨を操り、国の借金を買い占めろ。 パン一枚買うのにも、我々の許可が必要な状態にしてやれ」
「御意。……フフッ、商売敵を干上がらせるのは得意分野です。骨の髄までしゃぶり尽くして差し上げましょう」
「ネモ」 「はぁい、マイ・ロード♡」
影の中から、道化師の仮面をつけた美女がにゅるりと現れる。十王第三席・【諜】。
「貴様は『情報』で腐らせろ。 王都に入り込み、目と耳を張り巡らせろ。王族の弱み、貴族の醜聞、民衆の不満……全てを暴き出し、利用しろ。 特に、この国を蝕んでいる『毒』の正体を特定しろ」
「了解~♪ ボクの得意な『お芝居』で、王城の中枢まで入り込んであげるよん」
ネモは仮面の下で舌なめずりをし、くるりと回ってみせた。
「ヴィンセント、アレス、及び四天」 「ハッ!」
武闘派の面々が背筋を伸ばす。
「お前たちは『牙』を研いでおけ。 今はまだ、お前たちの出番ではない。だが、国が腐り落ち、民衆が救済を求めたその時こそ、圧倒的な武力を持つ『正義の味方』として降臨し、腐った王家を断罪する役を与えてやる」
「……ッ! 心得ました!」
アレスの声が弾む。 ただ破壊するのではなく、英雄として迎えられるための破壊。そのシナリオに、彼は武者震いした。
「そして、私は……」
シンは、自身の胸に手を当てた。 Fランクの少年の姿ではなく、魔王の姿のまま。
「少しばかり、地上の空気を吸いに行くとしよう」
「主自ら、でございますか?」
ミラの目が驚きに見開かれる。
「ああ。……『Fランクの少年』という最高の迷彩を使ってな」
シンはニヤリと笑った。
「腐った国には、必ず美味そうな『歪み』が転がっているものだ。 肥大化した欲望、虐げられた怨嗟、あるいは……誰にも届かぬ絶望。 そういった『負の感情』こそが、我々にとっての最高の足場となり、武器となる」
シンは、黒いインクを含ませた筆を手に取った。 そして、空中の地図に描かれたゼノリス王国の領土に、無造作に「×」印を刻みつけた。
ジュワァァァ……。
インクが地図を侵食し、黒い染みが広がっていく。 それはまるで、致死性の毒が血管を巡り始めたかのような、不吉で、美しい光景だった。
「行くぞ。……どんな『玩具』が落ちているか、楽しみだ」
シンの宣言と共に、地下宮殿の闇が一斉に蠢いた。 無数の蜘蛛たちが、新たな獲物を求めて散らばっていく。
王都ゼノリス。 栄華を誇るその都は、まだ何も知らない。 自らの足元に、国をも飲み込む巨大な落とし穴が口を開けたことを。
そして、その穴の底から、世界最悪の捕食者が、舌なめずりをしながら見上げていることを。
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