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第33話 白衣の天使と腐った神

 ネメシスのスラム街。

 そこは、光の当たらない場所だ。

 ジェイドの経済改革も、ヴィンセントの治安維持も、まだこの澱んだ最下層までは届ききっていない。

 腐った水と排泄物の臭いが充満する路地裏。

 ボロ布を纏った貧民たちが、ゴホゴホと咳き込みながら、唯一の希望である「教会」の施療院へと列を作っていた。

「お、おい! 並べ並べ! 神の慈悲を受けたくば、喜捨きしゃの精神を示さんか!」

 施療院の前で怒鳴り散らしているのは、中央教会から派遣された司祭ガストンだ。

 神に仕える身とは思えぬほど肥え太り、手にはジャラジャラと小銭の入った袋を提げている。

「ガストン様……お願いです、息子が高熱で……」

「金貨一枚だ」

「そ、そんな……! 銅貨三枚しかありません……!」

「ならば失せろ! 信仰心の足りぬ者に、聖水を与えるわけにはいかん!」

 ガストンは縋り付く母親を足蹴にした。

 母親が泥水の中に倒れ込み、抱かれていた子供が火がついたように泣き出す。

 この国の医療は、教会が独占していた。

 「病は悪魔の仕業」と説き、高額な聖水や祈祷を売りつける。それが治療の全てだった。

「ひどい……!」

 その時、列の横から少女が飛び出した。

 亜麻色の髪を三つ編みにした、あどけない少女だ。粗末な服は土で汚れているが、その瞳には強い意志が宿っていた。

 手には、すり潰した緑色の草が入った器を持っている。

「おばさん、これを! 『月光草』の根を煎じたものです! 熱冷ましの効果がありますから!」

「あ、ありがとう……!」

 母親が震える手で薬草を受け取ろうとする。

 だが。

 バシャッ!

 ガストンが横から手を出し、器を叩き落とした。

 貴重な薬草が泥にまみれる。

「あ……」

「貴様、またか! 『魔女』の真似事はやめろと言ったはずだぞ!」

 ガストンが少女の髪を掴み上げる。

「い、痛いっ……!」

「皆の者、聞け! この娘、エリーゼは雑草を『薬』などと偽り、神聖な治療を妨害する異端者だ! 草などで病が治るものか! これこそ悪魔の所業である!」

 周囲の貧民たちが、怯えと疑いの目を少女エリーゼに向ける。

 彼らには知識がない。教会の言葉が絶対なのだ。

「ち、違います……! 私はただ、みんなを助けたくて……!」

「黙れ! 神に背く魔女め、ここで火炙りにしてくれる!」

 ガストンが狂信的な笑みを浮かべ、杖を振り上げた。

 誰も助けない。誰も声を上げない。

 エリーゼが絶望に瞳を閉じかけた、その瞬間。

「――あらあら。随分と騒がしい豚小屋ねぇ」

 ねっとりと鼓膜に絡みつくような、甘い声が響いた。

「あ?」

 ガストンの動きが止まる。

 路地裏の空気が、急激に冷え込んだ。

 いや、冷えたのではない。死の気配が濃厚に立ち込めたのだ。

 汚泥にまみれたスラムに、あまりにも異質な人影が立っていた。

 紫色の長い髪に、病的なまでに白い肌。

 白衣をだらしなく着崩し、その瞳は焦点が合っているのかいないのか分からないほど濁っている。

 だが、その口元だけは、三日月のように妖艶に歪んでいた。

「なんだ貴様は! 教会の神聖な儀式を邪魔する気か!」

「神聖? ……うふふ、笑わせないでよ」

 女は恍惚とした表情で、自らの指先を舌で舐めた。

「泥水を『聖水』と偽って売りつけ、あまつさえ粗悪なドラッグで患者を依存させる……。美しくないわ。とっっっても不愉快」

「き、貴様ぁぁ……! 名乗れ! 何者だ!」

 ガストンの怒声に対し、女はゆらりと体を揺らし、歌うように告げる。

「レギオン幹部、十王序列九位・【医】を司る、サフィナよ」

 サフィナ。

 その名が告げられた瞬間、彼女の背後に赤黒いオーラが滲み出る。

 それは医療者の清廉な気配ではない。人の命を玩具のように弄ぶ、マッドサイエンティスト特有の狂気だ。

「レギオン……【蜘蛛アラクネ】だと!? 異端者の集まりめ!」

「異端で結構よ。……さて、診察してあげるわ、豚さん」

 サフィナが一歩踏み出す。

 ガストンは慌てて懐から小瓶を取り出した。

「く、来るな! これを見ろ! 教皇聖下より賜った『神の奇跡』だ! これを浴びれば貴様など……!」

「あら、成分分析(解析)してあげる……」

 サフィナの濁った瞳が、怪しく発光する。

 【第一恩恵:生体解析バイオ・アナライズ】。

「……汚水9割、砂糖水1割、それに微量の麻薬……。うふ、うふふふッ! 酷い、酷いわぁ! こんな汚物を『薬』と呼ぶなんて、調合への冒涜ね。……死んで詫びなさい?」

「なっ、なぜ成分を……!?」

「ボクの目はね、物質の構造から生物の細胞ひとつひとつまで、ぜーんぶ『視えちゃう』の」

 サフィナは愛おしそうに、懐から巨大な注射器を取り出した。

 中には毒々しい紫色の液体が満たされている。

「貴方の体も視えるわよ? ……重度の肝硬変、動脈硬化、それに性病のデパートじゃない。……うふふ、そんな汚い体じゃ、解剖する価値もないわね」

「ひ、ひぃぃぃ!? く、来るな! 化け物ぉぉ!!」

 図星を突かれたガストンが悲鳴を上げ、杖を振り回す。

 衛兵たちに攻撃を命じようとするが、サフィナはケラケラと笑うだけだ。

「治療してあげる。……もっとも、貴方の腐った脳みそには、劇薬が必要だけどね♡」

 サフィナの手元で、注射器の針がキラリと光った。

「――【強制投与インジェクション】」

 ブスリ。

 目にも止まらぬ速さで、サフィナはガストンの首筋に針を突き立てていた。

「あ……が、ぁ……!?」

「はい、注入~♡」

 ドロリとした液体が流し込まれる。

 ガストンは白目を剥き、その場に崩れ落ちた。泡を吹き、ビクビクと痙攣している。

「あら、死なないわよ? 神経を過敏にするお薬なの。風が吹いても、服が擦れても、皮膚を剥がされるような激痛が走る……素敵な薬でしょう?」

「あ、ぎ、ぎゃあああああああッ!!?」

 ただ床に転がっているだけなのに、ガストンは絶叫を上げ続けた。自分の着ている服の重さすら、今の彼には拷問なのだ。

 サフィナは悶え苦しむガストンを「汚いモノ」として跨ぎ、倒れている少女エリーゼの元へ歩み寄る。

 そして、地面に落ちた薬草の器を拾い上げた。

「……へぇ」

「え……?」

「先ほどの『月光草』の調合。……悪くないわね。独学にしては、筋がいいわ」

 サフィナはねっとりとした視線で、少女の顔を覗き込んだ。

 まるで、新しい玩具を見つけた子供のような目だ。

「な、名前は?」

「え……? エ、エリーゼです」

「エリーゼちゃん。……うん、いいわ。キミ、いい匂いがする」

 サフィナは少女の頬に指を這わせ、妖艶に微笑んだ。

「今はまだ原石だけど……ボク好みの色に染まりそう。……うふふ、楽しみができたわ」

 サフィナはそれだけ呟くと、興味を失ったように立ち上がった。

 今はまだ、連れて行かない。

 この子がもう少し育って、自分の実験(研究)について来られるようになったら、その時に「食べて」あげればいい。

「あ、あの……! ありがとうございました……!」

 背後から聞こえる感謝の声を背に、サフィナはふらりと歩き出す。

          ◇

 数時間後。

 ガストンら悪徳神官たちは、痛みで発狂しながら衛兵に引き渡された。

 サフィナが気まぐれにばら撒いた解毒薬によって、スラムの患者たちも回復し、広場は感謝の声で溢れていた。

 その光景を遠くから見つめ、サフィナは気怠げにあくびをする。

「……あーあ、つまんない。もっと骨のある病気はないのかしら」

 彼女の気まぐれな「掃除」によって、街を蝕んでいた病巣の一つは切除された。

 残るは、インフラと裏社会。

 サフィナは空を見上げる。そこには、魔導の炎を操る鍛冶師と、影に生きる掃除屋たちの気配があった。

「さて、ヴォルカン、シノ。……次は貴方たちの番よ。精々、派手にやって頂戴ね」

 紫髪の魔女は、妖しく笑うと、新たな主の待つ地下宮殿の方角へと闇に消えていった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!

これにて、

・悪徳商人の粛清(完了)

・野盗騎士団の壊滅(完了)

・腐敗神官の排除(完了)

ネメシスの「大掃除」がひと段落しました。

サフィナの狂気的な治療、いかがでしたでしょうか。

毒をもって毒を制す。まさにこの作品らしい解決法でした。

次回はこの街が劇的に進化します。

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