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第31話 黄金の審判と計算士の少年

 ネメシスの朝は、かつてない熱と活気に包まれていた。

 新たな統治者となった組織レギオン【蜘蛛アラクネ】による、「市民税免除」と「食料配給」。

 この二つの革新的な政策は、長きにわたり貧困にあえいでいた下層市民にとって、まさに天から降り注ぐ恵みの雨そのものだったからだ。

 だが、光が強くなれば、落ちる影もまた濃くなる。

 既得権益を脅かされた者たちが、暗がりで醜くうごめき始めていた。

          ◇

 商業区の一等地に鎮座する、豪奢な石造りの建物。

 ネメシス最大の商会、「ゴルディア商会」の応接室には、重苦しい紫煙が立ち込めていた。

 革張りのソファに深く腰掛け、数名の男たちが密談を交わしている。彼らは皆、この街の経済を牛耳る大商人たちであり、裏で元宰相バルバロスと癒着し甘い汁を吸い続けてきた「悪徳」の象徴でもあった。

「ふん、【蜘蛛アラクネ】だと? たかが冒険者上がりの風情が、政治ごっこなど笑わせる」

 極太の葉巻をくゆらせながら吐き捨てたのは、商会長のゴルディアだ。

 脂ぎった肥満体の男で、その指には悪趣味なほど巨大な宝石の指輪がいくつも光っている。

「税の免除だと? ふざけるな。そんなことをされたら、我々が吸い上げる利益が減るではないか」

「ええ、その通りです。配給などもってのほかだ。ただでさえ彼らが持ち込んだ物資のせいで、市場価格が暴落しかけているんですよ?」

 同席した商人たちも口々に不満を漏らす。

 彼らは生活必需品を買い占め、故意に流通量を絞ることで価格を吊り上げ、民の飢えを金貨に変えてきたのだ。無料の配給など、商売あがったりである。

「心配するな。手は打ってある」

 ゴルディアは、たるんだ頬を歪めて醜悪な笑みを浮かべた。

「【蜘蛛アラクネ】が配給に使おうとしている食料、その追加調達ルートは全て私が裏から手を回して押さえた。近隣の農村や卸売業者を脅し、奴らには麦一粒たりとも売らせんようにな」

「おお、さすが会長! 兵糧攻めですか!」

「そうだ。いくら腕っぷしが強くとも、物がなければ配給はできん。民衆の期待を裏切れば、あの熱狂もすぐに冷める。そうなれば、また我々の天下よ」

 下卑た笑い声が室内に響く。

 自分たちがこの街の「真の支配者」であると信じて疑わない、あまりにも愚かな笑い声が。

 その時だった。

 ――ドォォォォンッ!!

 凄まじい爆音と共に、重厚なマホガニー製の扉が内側へ弾け飛んだ。

「な、なんだ!?」

「襲撃か!?」

 ゴルディアたちが慌てて立ち上がり、悲鳴を上げる。

 もうもうと立ち込める土煙。その向こうから、一人の青年が悠然と姿を現した。

 黄金を溶かしたような髪に、蒼穹そうきゅうの瞳。

 仕立ての良い純白のスーツを着こなし、まるで王侯貴族のような気品を漂わせている。

 かつては「古狸」と呼ばれた88歳の老爺であったが、今はマスターであるシンの【刻印】を受け、全盛期の若さと美貌を取り戻している。

 周囲の認識も【認識のヴェール】によって書き換えられ、彼が「若き天才」であることに誰も疑問を抱かない。

 レギオン幹部、十王序列一位・【商】を司る、ジェイドである。

「やあ、ゴミ掃除に来ましたよ。……ああ、失敬。悪だくみの最中でしたかな?」

 ジェイドは優雅に微笑んだが、その目は笑っていなかった。

 絶対零度のような冷徹な光が、商人たちを射抜く。

「き、貴様は商業ギルドのジェイド! 無礼だぞ! ここをどこだと思っている!」

「どこだって? ああ、今日から『私の倉庫』になる予定の場所ですね」

「はぁ? 何を寝言を……」

 ゴルディアが怒鳴ろうとした瞬間、ジェイドがパチンと指を鳴らした。

 バササササッ!

 虚空から無数の羊皮紙が雪のように舞い落ちる。

 商人たちの目の前に散らばったそれらは、ゴルディア商会が隠していた「裏帳簿」や「違法取引の証拠」、そして「借用書」の写しだった。

「な、なっ!? なぜこれを!?」

「金庫は厳重に封印していたはずだぞ!」

 狼狽える商人たちをよそに、ジェイドは床に落ちた書類の一つを革靴のつま先でトントンと叩いた。

「貴殿らの商売、雑すぎてあくびが出ますよ。横領、脱税、違法奴隷の売買……。バルバロスがいなくなれば、もはや誰にも揉み消せない罪ばかりだ」

 ジェイドは憐れむように肩をすくめる。

「さて、商談をしましょうか、ゴルディア会長。貴殿には莫大な負債があるようですね? 他国への借金、焦げ付いた投資案件……総額で金貨五億枚ほどでしょうか」

「そ、それは……! だが、返済期限まではまだ……」

「その債権、すべて私が買い取らせてもらいました」

「……は?」

 ゴルディアの思考が停止する。

 債権を買い取った? 金貨五億枚もの借金を?

 新興組織に過ぎない【蜘蛛アラクネ】に、そんな資金力があるはずがない。

「嘘だ! ハッタリだ! そんな大金、どこにある!」

「ハッタリかどうか、試してみますか?」

 ジェイドの瞳が、妖しく黄金色に輝く。

 主より賜りし第一恩恵ファースト・ギフト――【真眼のトゥルー・アイ・ロード】。

 その瞳には、世界の全ての「価値」と「真実」が数値となって映し出されていた。隠し金庫の場所、暗証番号、そして彼らが溜め込んだ汚い金の流れ……全てが丸裸だ。

「――【資産凍結フリーズ】、そして【即時徴収】」

 ジェイドが短く告げた瞬間、世界が軋むような音がした。

 ゴルディアの指にはまっていた宝石が、首飾りが、そして部屋の奥にある隠し金庫の中にあったはずの資産が、魔力の粒子となって霧散し、ジェイドの手元へと吸い寄せられていく。

 カラン、カラン……。

 ジェイドの足元に、山のような金貨や宝石が出現し、積み上がっていく。

「あ、あ……あぁ……!?」

 ゴルディアが腰を抜かし、へたり込む。

 自分の全財産が、物理法則を無視して一瞬にして「徴収」されたのだ。

「私の目は、あらゆる物の『価値』と『所有権』を見抜く。……残念ですがゴルディア殿、貴殿にはもう、パンツ一枚の価値もありませんよ」

「ひぃぃぃッ! お、お助け……!」

 ゴルディアは床に額を擦り付けた。

 プライドも何もない。ただの薄汚い物乞いのように命乞いをする。

「わ、私は優秀な商人でございます! 必ずやお役に……! この街の物流は私が握っているのです!」

「優秀? 貴殿が?」

 ジェイドは冷ややかに鼻で笑う。

「勘違いも甚だしい。貴殿が握っていたのは物流ではなく、ただの『淀み』だ。私が指を鳴らせば、新しい水路はいくらでも作れる」

 ジェイドはゴルディアを見下ろす。その視線は、もはや人間に対するものではなく、処理すべき廃棄物を見る目だった。

「さて、ゴミども。貴殿らには新しい仕事を用意しました」

「し、仕事……? 助けてくれるのか!?」

「ええ、衣食住完備です。北の鉱山で、死ぬまで石を運ぶ簡単な仕事ですよ。賃金はもちろんゼロ。……精々、国のためにその身を削って働いてください」

「いやだぁぁぁッ! 助けてくれぇぇぇッ!」

「金なら返す! 隠し財産も全部出すからぁッ!」

 泣き叫ぶ商人たち。

 ジェイドが軽く手を振ると、部屋の影から武装したレギオンの兵士たちが音もなく現れ、彼らを次々と拘束していく。

「連れて行け。この部屋の空気が腐る」

 絶叫を残し、悪徳商人たちは引きずり出されていった。

 こうして、ネメシスの経済を蝕んでいた癌は、たった数十分の手術で切除された。

 後に残ったのは、回収された莫大な資産と、それを冷ややかに見下ろす黄金の支配者だけであった。

          ◇

 騒動の後始末を部下に任せ、ジェイドは商会の外へ出た。

 外の広場には、ゴルディア商会の倉庫から解放された食料が運び出され、歓喜する市民たちの姿があった。

「ジェイド様! ありがとうございます!」

「レギオン【蜘蛛アラクネ】万歳! 新しい領主様万歳!」

 市民たちの感謝の声に、ジェイドは優雅に手を振って応える。

 その姿は、誰もが認める若き指導者そのものだ。

(……やれやれ。主様からは『民心掌握も任せる』と言われていますが、慣れない役回りは疲れますね)

 内面では毒づきつつも、ジェイドは完璧な笑顔を崩さない。

 すべては真の主、シンのため。この街を、主が座るに相応しい玉座へと変えるための布石だ。

 ふと、ジェイドの視線が群衆の片隅で止まった。

 歓喜に沸く人々の中で、一人だけ異質な動きをしている少年がいた。

 商会の制服らしきボロボロの服を着た、猫背の少年だ。歳は十代半ばだろうか。

 彼は解放された食料には目もくれず、地面に座り込んで、なにやら地面に木の枝で数字を書き連ねていた。

 ジェイドは何気なく目を細め、その手元を盗み見る。

『……倉庫Aの在庫量に対する配給ペースの減衰率……』

『……ゴルディア商会の崩壊による周辺物価の変動予測……3日後に塩の価格が1.2倍に……』

 少年はブツブツと呟きながら、恐るべき速度で計算式を書き殴っていた。

 その計算速度、そして着眼点。

 ただの子供ではない。この混沌とした状況下で、感情に流されず、数字という「真実」だけを見つめている。

(……ほう?)

 ジェイドの足が止まる。

 ゴルディア商会の帳簿を見た時、妙に整理された箇所があったことを思い出す。あの杜撰な経営の中で、数字だけが正確に合致していた奇妙な帳簿。

 あれを処理していたのは、ゴルディアではなく……。

(……原石、か)

 ジェイドは口元を微かに緩め、興味深そうに少年を見つめた。

 【計算】という特異な才能ゼロの片鱗を感じる。

 声をかけようとして、ジェイドは思いとどまった。

 今はまだ、その時ではない。

 だが、そう遠くない未来、彼は自分の執務室に必要な「金庫番」となるかもしれない。

「ルカ、と言ったか……。顔は覚えておこう」

 誰に聞いたわけでもないが、商会の名簿にあった下働き少年の名前がふと浮かんだ。

 ジェイドは雑踏に紛れる少年の背中を見送った後、踵を返した。

 悪徳は一掃された。

 だが、経済という魔物を飼いならし、この街を繁栄させる戦いはこれからが本番だ。

 若返った肉体と、主より授かりし権能。

 それらを駆使し、ジェイドはかつてない高みへとこの国を押し上げることを誓う。

「すべては、偉大なるシン様のために」

 夕日に染まる街を見下ろし、若き商業王は静かに微笑んだ。

本日も読んでいただき、ありがとうございます!

今回のジェイドの活躍、いかがでしたか?

商才と権能で相手の全てを奪い尽くす、彼らしい無慈悲な解決法でした。

もし「面白かった!」「ジェイドかっこいい!」と思っていただけたら、

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続きます。

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