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第29話 蜘蛛の巣の叙勲

 王都ネメシスの地下深く。

 物理的な深度を超えた、座標すら定まらぬ異界の空間に、その宮殿は存在していた。

 拠点『アンダー・ネスト』。

 地脈の淀みに沈んでいた古代の空洞を、シンの魔力で拡張・改装した巨大な地下迷宮。その最深部にある「謁見の間」には、今、レギオンの幹部たちが続々と集結していた。

 音もなく、空間の影が揺らぐ。

 そこから湧き出るように現れたのは、アレス、ミラ、ボルトス、チェルシーの四天。

 そしてジェイドを筆頭とする十王たち。

 彼らはネモからの招集を受けると同時に、その身に刻まれた【共通恩恵リンク・ギフト】の権能を発動させ、自らの意志で影を渡り、この神域へと入室したのだ。

 この閉ざされた宮殿においてのみ、彼らは地上の演技ペルソナを脱ぎ捨て、真の忠誠を主に捧げることができる。

 最奥の玉座に座るのは、十八歳の真の姿をしたシン。

 幹部たちは主の御前に進み出ると、整然と跪いた。

「よく集まった。面を上げろ」

 シンの声が、広大なホールに響き渡る。

 全員が一斉に顔を上げる。その瞳には、主君への絶対的な信頼と、これから何が語られるのかという期待が宿っていた。

「先ほど、王城にて『幻視の魔王』なる害虫を駆除した。……少々騒がしい客だったが、手土産としては悪くないものを持っていたぞ」

 シンが右手を掲げる。

 その掌の上で、黒い魔力が球体となって渦巻いている。それは捕食した魔王から抽出した純粋な【才能ゼロ】の結晶だ。

「貴様らも地上での活動において、不便を感じていただろう? 若返った容姿を隠すための魔力消費、そして増え続ける部下の管理……」

 ジェイドやヴィンセントが、思い当たる節があるように深く頷く。

 彼らは現在、シンの魔力供給によって若返りや強すぎる力を隠蔽している状態だ。

「その煩わしさを解消してやる。受け取れ」

 シンが魔力の球体を握り潰す。

 弾け飛んだ黒い光の粒子が、無数の糸となって配下たちの胸へと吸い込まれていく。

 ドクンッ。

 彼らの魂にある【共通恩恵リンク・ギフト】の領域に、新たな回路が焼き付けられる。

 ――【認識のヴェールマスカレード】定着。

「おお……! これは……!」

 ジェイドが自身の頬に触れ、感嘆の声を漏らした。

 これまでは魔法で無理やり姿を誤魔化しているという違和感があったが、今は違う。

 世界そのものが、「ジェイドは若き青年である」と肯定しているような感覚。

 自身の存在が、修正された世界にカチリと嵌まったのだ。

「私の魔力を介さずとも、貴様ら自身が認識を操作できるようになった。これで地上でも、気兼ねなくその力を振るえるだろう」

「素晴らしい……! 感謝の言葉もございません、シン様!」

 ミラの背後から、チェルシーが影のように音もなく進み出て、深々と頭を下げる。

 彼女たちにとっても、魔力の節約は死活問題だった。

「礼を言うのはまだ早い。もう一つ、貴様らには必要なものがあるはずだ」

 シンは、特に十王たちに向けて視線を送る。

「これからレギオンは、国を飲み込み巨大化する。私の目が届かぬ末端の手足……貴様らの直属の部下が必要になる」

 再び、シンの影から禍々しい魔力が溢れ出す。

 ――【王の刻印ロード・エンブレム】定着。

「それは私が持つ支配の力の劣化版だ。対象の魂に恐怖と忠誠を刻み込み、決して裏切れぬ兵隊を作り上げる」

 シンは冷酷に笑った。

「良い駒を見つけたら、好きに刻め。私の許しなく死ぬことさえできぬ、忠実な軍団レギオンを作り上げてみせろ」

「はッ! この身と魂に代えても!」

 ヴィンセントが獰猛な笑みを浮かべ、床に拳を叩きつける。

 元ギルド長の彼にとって、絶対の忠誠を誓う自分の軍隊を持てることは、何よりの喜びだった。

「掃除も、分配も終わった。……後は、仕上げだ」

 シンは玉座の背もたれに体を預け、アレスを見やった。

「アレス。明日にでも王城へ行け。あそこの主が、お前に渡したいものがあるそうだ」

「承知いたしました」

 アレスは深く一礼し、武人としての顔で応える。

「あの震える小動物から、詫びの品を受け取ってくればよろしいのですね?」

 言葉の端々に、敵対者への容赦ない侮蔑が滲むが、主に対する姿勢はどこまでも忠実だ。

 すべてはシンの筋書き通り。

 この夜、地下の蜘蛛の巣にて、地上の運命は決定づけられた。

 ◇

 数日後。王城、謁見の間。

 かつて宰相が権勢を振るっていたその場所は、重苦しい空気に包まれていた。

 玉座に座る国王の顔色は優れず、周囲に控える文官たちも一様に青ざめている。

 対して、堂々と中央に立っているのは、深紅の髪を逆立てた男――レギオンマスター、アレス。

 彼は礼儀作法など知らぬとばかりに、大剣を肩に担いだまま王を見据えていた。

「よォ、国王陛下。話ってのは何だ? 俺たちは忙しいんだがな」

 不敬極まりない態度。

 だが、それを咎める者は誰もいない。

 彼こそが、最強の騎士団を単独で壊滅させたS級(天災指定)の怪物、「紅蓮の魔人」だからだ。

「よ、よく来てくれた、アレス殿……」

 国王は震える声で切り出した。

「此度の宰相バルバロスの暴挙……魔物を召喚し、都を危機に晒した件、誠に申し訳なく思う。余の監督不行き届きであった」

「ああ、気にすんなよ。後始末は俺らがやっといたからな」

 アレスが軽く手を振る。

 その後始末が何を意味するのか――宰相がどうなったのかを想像し、王は小さく悲鳴を上げそうになるのを堪えた。

「そ、そこでだ……。国を救った英雄である貴殿らレギオンに対し、感謝と謝罪の意を表し……これを」

 王の合図で、文官が恭しく一枚の羊皮紙を差し出した。

 そこには、王家の紋章と共に、決定的な条文が記されている。

「ネメシス市街および周辺地域の自治権を、レギオンに譲渡する……。つまり、今日からこの街は、貴殿らのものだ」

 それは実質的な敗北宣言であり、領土の割譲だった。

 だが、アレスは悪びれる様子もなく、羊皮紙をひったくるように受け取った。

「へェ、いいのかい? 俺たちが好き勝手やっても」

「も、もちろんだ……。治安維持、徴税、裁判……すべて貴殿らに一任する」

 王は力なく玉座に背を預けた。

 これで、自分はただの飾り物になった。だが、それでも命があるだけマシなのだと、自分に言い聞かせる。

 アレスは羊皮紙を懐にしまうと、獰猛な笑みを浮かべて踵を返した。

「交渉成立だ。安心しな、アンタの命とこの国は、俺たちのボス(弟君)が守ってやるよ。――俺たちのルールに従う限りな」

 重い扉が開かれ、アレスが去っていく。

 その背中を見送りながら、王都ネメシスは歴史上初めて、王家ではない組織――レギオン【蜘蛛アラクネ】によって統治される自治区となったのである。

 そして、その頂点に君臨するのは、Fランク冒険者を装う一人の少年であった。

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