第28話 愚王の呼び声、禁忌の晩餐
王城、玉座の間。
ネモ・ローズによって逃げ場を塞がれた宰相バルバロスは、狂乱の笑みを浮かべていた。
「く、くく……終わり? 私が? ありえん、ありえんよ。私は選ばれた人間なのだ。貴様らのような下等な冒険者風情に、この国を渡してなるものか……!」
バルバロスは懐から、どす黒い輝きを放つ短剣を取り出した。
それは王家に代々伝わる「決して抜いてはならない」とされた封印の鍵。
「死なば諸共もろともだ! 蘇れ、古の災厄よ! この国の敵を食い尽くせェェッ!!」
ザシュッ!
バルバロスは躊躇なく自らの腕を切り裂いた。
噴き出した鮮血が床の魔法陣に吸い込まれ、空間が嫌な音を立てて歪み始める。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!
王城全体が激しく揺れ、床が爆ぜた。
地下の深淵から這い出してきたのは、漆黒のローブを纏った「人型」の怪物だった。
顔があるべき場所には目鼻がなく、代わりに無数の「眼球」が埋め込まれている。その姿は、人の形をしているが故に、決定的に人ではない異質さを放っていた。
Sランク禁忌指定魔獣【幻視の魔王ミラージュ・ロード】。
「はーっはっは! やれ! まずはあの生意気な道化師を殺せ!」
バルバロスが叫ぶ。だが、怪物は動かない。
それどころか、無数の眼球が一斉に召喚者であるバルバロスを睨みつけた。
『タ……り……ヌ……』
「え?」
『代償ガ……命、ガ……足リヌ……』
ヌルリ。
怪物の細長い指がバルバロスの首に伸びる。
求められているのは、召喚者の「魂すべて」だ。
「ひっ!? や、やめろ! 話が違うぞ! 私は主人だぞ!?」
『喰ラ、ワセ、ロ……ッ!』
「嫌だ! 助けてくれェェェッ!」
自ら招いた破滅に、無様に泣き叫ぶバルバロス。
その時だった。
「――おや。随分と楽しそうなパーティーじゃないか」
唐突に、少年のような声が響いた。
バルバロスが涙目で顔を上げると、いつの間にか玉座の背もたれに、一人の少年が腰掛けていた。
Fランク冒険者の荷物持ち――シンだ。
「き、貴様!? どこから入ってきた!」
「どこからでもいいだろう。折角、助けに来てやったのにな」
シンは皮肉な笑みを浮かべると、パチン、と指を鳴らした。
「――止まれ」
キィィィィィィン。
世界から色が消えた。
舞い上がっていた塵も、崩れ落ちる瓦礫も、すべてが凍りついたように静止した。
バルバロスと魔物もまた、動きを止められる――はずだった。
「さて。ただ止まった的マトを壊すのも味気ない」
シンの姿が揺らぎ、15歳の少年から冷徹な18歳の青年へと変貌する。
彼は退屈そうにバルバロスと魔物を見下ろし、指先で空中に円を描いた。
「特別だ。この領域の中だけで有効な『動く権利』をくれてやる。精々、俺を楽しませてみろ」
ドクンッ。
心臓が跳ねる音と共に、バルバロスと魔物の金縛りが解けた。
「う、動ける……!?」
『キ、サ、マ……?』
バルバロスは悲鳴を上げながら、出口へ向かって走り出した。
魔物は眼前のシンに敵意を向け、その人型の身体をしならせて襲い掛かる。
『オのレェェッ!! 死ネェェェッ!!』
魔王の腕が槍のように鋭く変形し、シンの心臓を貫こうと迫る。
物理攻撃と精神汚染の同時攻撃。Sランクの全力が放たれた。
だが。
シンはあくびを噛み殺しながら、迫る切っ先を人差し指一本で受け止めた。
「遅い」
パチン。
シンが指を鳴らす。
ズバァンッ!!
見えない刃が走り、魔物の両腕と両足が、根元から切断され吹き飛んだ。
『ギ、ギィィィアアアアアッ!?』
魔物が四肢を失い、ドサリと床に崩れ落ちる。
その背後で、逃げようとしていたバルバロスが扉に激突した。
「あ、開かない!? なぜだ!?」
「無駄だぞ、宰相。ここは切り取られた時間の檻だ。俺が許可しない限り、外への扉は存在しない」
シンは愉悦に唇を歪め、のたうち回る魔物を見下ろした。
「なんだ、こんなものか。お前の力は」
再び、パチンと指を鳴らす。
シュンッ。
吹き飛んだはずの手足が、映像を巻き戻すように魔物の身体に戻り、完治した。
『ア……? 治ッ、タ……?』
「ほう、再生したと思っているのか? めでたいな」
シンは嗜虐的な笑みを深める。
時間を巻き戻して肉体を修復した。だが、そこには一つだけ、意図的に残したものがある。
それは「切断された痛みと苦しみの記憶」だ。
脳髄を焼く激痛が遅れて魔物を襲う。
『ゴ、ガ、ア゛ア゛ア゛ッ!?』
『チクショウッ! 殺ス、殺シテヤルゥゥッ!』
魔物は再生した手足で再び立ち上がり、今度は全身から黒い波動を放った。
だが、シンはその波動の中を散歩でもするように歩き、また指を鳴らす。
パチン。ズバァンッ!!
再び手足が千切れ飛ぶ。
『グギャアアアアッ!?』
パチン。
シュンッ。
元通りに治る。
魔物は諦めず、再生するたびにシンに殴りかかり、噛みつこうとし、魔術を放った。
だが、その全てが届く直前で、手足を切断され、また治される。
パチン。ズバァンッ。
パチン。シュンッ。
パチン。ズバァンッ。
「はぁー……がっかりだ。もっと足掻けよ」
数百回、数千回。
切断と逆再生の無限ループ。
次第に魔物の動きが鈍くなる。
怒号は悲鳴に変わり、やがて懇願へと堕ちていく。
『モ、モウ……イヤダ……殺シ、テ……殺シテェェ……ッ!』
魔物は人の形のまま、地面に額を擦り付けて土下座した。
プライドも殺意もへし折られ、ただ「死」という救済を求めて泣き叫ぶ。
「…………」
無視。
シンは無表情のまま、ただ機械的に指を鳴らし続ける。
そこに慈悲も、怒りすらない。
ただ、飽きた子供が玩具おもちゃを壊して遊んでいるだけの光景。
さらに数千回の「処刑」を経て、魔物は完全に発狂し、ピクリとも動かなくなった。
ただ痙攣しながら、虚空を見つめているだけ。
「……チッ。もう良いか。反応すらなくなったしな」
シンは興味を失ったように呟くと、ボロボロになった魔物の頭を鷲掴みにした。
「喰らえ、【暴食の蜘蛛】」
ズズズッ……。
シンの影から伸びた黒い糸が魔物を包み込み、一瞬で圧縮して黒い球体へと変えた。
パクリ。
それを口に放り込み、喉を鳴らす。
「不味い。恐怖で熟成させすぎたか」
感想はそれだけ。
Sランクの災厄をスナック菓子のように平らげたシンは、ゆっくりと踵を返した。
その視線の先には――扉の前で腰を抜かし、失禁して震える宰相バルバロスがいた。
逃げることもできず、今の惨劇を特等席で見せつけられていたのだ。
「ひっ、あ、あぁ……」
シンがカツカツと足音を立てて近づいてくる。バルバロスは逃げようと這いずるが、壁に阻まれて動けない。
「あ、あ……許し、て……」
シンの顔が、目の前まで迫る。
だが、シンは意外な言葉を口にした。
「安心しろ、宰相。――殺しはしない」
「え……?」
バルバロスの顔に、希望の色が浮かぶ。
助かる。殺されない。
安堵で力が抜けそうになった、その時。
ニィッ。
シンの唇が、三日月のように裂けた。
「死なない代わりに――永遠の苦しみを与えてやる。あそこで死んでいる魔物のことが、羨ましいと思える程にな」
「な……?」
シンがバルバロスの肩に手を置く。
途端に、バルバロスの体感時間が狂った。
全身の神経が焼き切れるほどの激痛が走る。だが、意識を失おうとすると、勝手に「時が戻り」、覚醒させられる。
廃人になることすら許されない。
死ぬことも許されない。
痛みと恐怖の記憶だけが積み重なり、永遠に続く一秒間を繰り返す。
「あ、ア、ガ、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛――ッ!!!」
声にならない絶叫を上げるバルバロスを置き去りに、シンは「時の檻」の結界を調整した。
この空間の中では、バルバロスだけが永遠に地獄を巡る。
「――世界よ、回れ」
シンが指を鳴らす。
カチリ。
凍りついていた時計の針が動き出すような、硬質な音が響いた。
世界に色が戻る。
風が吹き、埃が舞う。
だが、バルバロスだけは動かない。彼は永遠に繰り返される一秒の中で、誰にも届かぬ絶叫を上げ続けている。
「ネモ」
シンが呼ぶと、柱の影が揺らぎ、道化師の仮面を被ったネモ・ローズが姿を現した。
彼女は恭しく膝をつき、熱っぽい吐息を漏らす。
「はい、ここに。……素晴らしい『ショー』でございました、我が主マスター」
彼女もまた、止まった時の中で身動き一つ取れなかったが、その「眼」だけは主の勇姿を焼き付けていたのだ。Sランクの魔物を玩具のように壊す絶対的な力。その余韻に、彼女は震えている。
「このゴミは地下牢へ運べ。死なせぬよう、丁重にな」
「御意に」
ネモは影を操り、廃人となったバルバロスを闇の中へと引きずり込んだ。
これで、この国の癌は排除された。
「他の者たちにも伝えろ。――『アンダー・ネスト(地下宮殿)』へ集合せよ、と」
シンは虚空に手をかざす。
空間が裂け、黒い霧が渦を巻く【転移の門】が開かれた。
それはシンだけでなく、彼の刻印を受けた配下ならば誰でも作り出せる、影の次元への入り口だ。
「少しばかり、褒美を用意してある」
シンは黒い霧の中へと足を踏み入れ、その姿を消した。
残されたのは、誰もいなくなった玉座の間と、窓から差し込む冷たい月明かりだけだった。
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