表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/130

第103話 |帝都の闇《アンダー・ガルガロッサ》、あるいは|暴力と恐怖の宴《バイオレンス・パーティー》

 黒い雨が、止むことなく降り注いでいた。  鋼牙帝国(アイゼンガルド)の首都、鉄帝都(ガルガロッサ)。  その最下層に位置するスラム街は、地上にある工場群から排出された汚水と、行き場を失った貧民たちの怨嗟が澱のように溜まる、都市の掃き溜めであった。


 錆びついたパイプが迷路のように頭上を走り、そこから滴り落ちる黒い雫が、石畳に不快な染みを作っている。  腐った油の臭いと、鉄錆の臭い。そして、どこからか漂ってくる死臭。  帝国の繁栄を支える鋼鉄の都の、これが偽らざる裏の顔だ。


「……酷い空気だ」


 その汚泥にまみれた路地裏を、一人の少年が歩いていた。  ボロボロの麻服に身を包み、背中には薄汚れた荷袋を背負った、どこにでもいるFランクの冒険者――シンである。


 彼は顔を煤で汚し、背を丸めて歩くことで、周囲の風景に完全に溶け込んでいた。  行き交う浮浪者やゴロツキたちは、彼を一瞥すらしようとしない。ただの弱者、奪う価値すらないゴミだと認識しているからだ。


(だが、この淀みこそが、害虫どもにとっては居心地の良い巣穴というわけか)


 シンは前髪の隙間から、鋭い視線を闇の奥へと向けた。  彼の魔眼(アイ)には、このスラムの地下に張り巡らされた、巨大な犯罪組織のネットワークが透けて見えていた。


 『錆びた鎖(ラスティ・チェイン)』。  帝都の裏社会を牛耳る最大の犯罪シンジケートである。  彼らは帝国の軍部や貴族と癒着し、工場の横流し品や、違法な薬物、さらには人身売買までを手広く行っている。  先ほど、ジェイドが開通させた『魔導転移門(ワープ・ゲート)』を通じて帝国の資産を運び出す計画が進んでいるが、この『錆びた鎖』の存在は、今後の活動において目障りな障害となりうる。


 あるいは――彼らの持つ「流通ルート」と「情報網」を乗っ取れば、帝国の崩壊をさらに加速させるための強力な武器になる。


「……掃除の時間だ」


 シンは路地裏の突き当たり、誰もいない廃墟の影に身を滑り込ませた。  そして、こめかみに指を当て、脳内の精神感応網アラクネ・ネットワークを起動する。


『――ランドルフ、エレオノーラ。聞こえるか』


 思考波を飛ばすと、即座に二つの反応が返ってきた。


『おうッ! 待ってたぜ弟君! 兄貴から話は聞いてるぞ!』 『ええ、聞こえておりますわ。……ふふ、ようやく「お遊び」の時間ですのね』


 野獣のような野太い声と、艶めかしい女の声。  十王(デケム・キング)第五席【(ライオット)】ランドルフと、その副官である元第一王女エレオノーラだ。  二人は今、シン(18歳)の命令を受け、帝都の近郊まで隠密裏に移動してきていた。


『場所を送る。……帝都第8区画、地下倉庫跡地だ』


 シンは冷徹に告げた。


『そこが奴らのアジトだ。今夜は幹部たちが集まって、大規模な取引を行っているらしい』 『へへっ、なるほどな。……要するに、カチ込めばいいんだろ?』 『ええ。……わたくしたちの可愛い「弟君」に手出しさせないよう、綺麗にお掃除すればよろしいのですわね?』


 エレオノーラの言葉に、シンは内心で苦笑した。  彼女もまた、ランドルフと同じく、この「15歳のシン」を「主の弟」だと信じ込んでいる。  かつて闘技場(コロシアム)で彼女を叩きのめしたのがこの少年だったとしても、その後の地下宮殿(アンダー・ネスト)での謁見で、「あれは兄(18歳)が弟の体を借りて戦っていたのだ」という設定を刷り込んであるからだ。


 今の彼女にとって、シン(15歳)は、敬愛する主の唯一の肉親であり、守るべき庇護対象なのだ。


『ああ、頼む。……だが、派手にやりすぎるなよ? あくまで「裏社会の抗争」に見せかけろ』 『ガハハ! 任せとけって! 手加減くらいできるさ!』 『善処いたしますわ。……相手が、手加減できるような「形」を保っていればの話ですが』


 通信が切れる。  シンは廃墟の壁にもたれかかり、懐から一つに欠けたリンゴを取り出して齧った。


「……さて。猛獣の首輪は外した」


 シンはニヤリと笑った。


「食い散らかしてもらおうか。……帝国のゴミどもを」



 帝都地下、廃棄された貯水槽を利用した巨大な空洞。  そこは、地上とは隔絶された無法者たちの楽園だった。


 松明の明かりが揺らめく中、強面の男たちが酒を酌み交わし、下卑た笑い声を上げている。  積み上げられているのは、帝国軍の刻印が入った武器の木箱や、高純度の魔石(マナ・ストーン)、そして手枷を嵌められた奴隷たちだ。


「ガハハハ! 今夜も大漁だなぁ! 帝国の兵士どもはマヌケばかりだぜ!」 「違げぇねえ! 横流し品だけで蔵が建つ!」


 円卓の中央に座るのは、『錆びた鎖(ラスティ・チェイン)』のボス、ザガン。  全身に刺青を入れたスキンヘッドの巨漢で、その手には巨大な戦斧が握られている。  彼は元Aランク冒険者崩れであり、その凶暴さと残虐さで今の地位を築き上げた男だ。


「おい、次の商品の競りを始めるぞ! とびきり上玉のエルフだ!」


 ザガンが号令をかけると、部下たちが鉄檻を引きずり出してきた。  中には、涙を流して震えるエルフの少女が入っている。


「ヒャハハ! いい泣きっ面だ! 高く売れそうだぜ!」


 男たちが欲望に塗れた視線を向ける。  この場所には、法も正義もない。あるのは力と金、そして暴力だけだ。


 ――ズドォォォォォォンッ!!!!!


 突如、鼓膜を破るような轟音が響き渡った。  入り口の分厚い鉄扉が、まるで紙屑のようにひしゃげ、蝶番ごと弾け飛んだのだ。


「な、なんだぁッ!?」 「爆発か!?」


 舞い上がる土煙。  男たちが慌てて武器を構える中、その煙を割って、巨大な影がゆらりと姿を現した。


 身長2メートルを超える筋骨隆々の巨体。  首には太い首輪(チョーカー)のような装飾をつけ、上半身は筋肉の鎧を晒している。  その顔には、獲物を見つけた肉食獣のような、凶悪極まりない笑みが張り付いていた。


 レギオン・十王(デケム・キング)序列第五位、【(ライオット)】ランドルフ・ノックス。


「よォ。……楽しそうじゃねぇか、豚共」


 ランドルフは、ひしゃげた鉄扉を踏みつけながら、ドスの効いた声で言った。


「誰だテメェは! ここを『錆びた鎖』のシマだと知っての狼藉か!」


 ザガンが立ち上がり、戦斧を構える。  だが、ランドルフは鼻で笑った。


「シマ? ハッ、笑わせんな。  今日からここは、ウチの弟君シンの『砂場』になるんだよ。……テメェらみたいな汚ねぇ大人が、土足で踏み荒らしていい場所じゃねぇんだ」


「弟……? 何を訳のわからねぇことを……! 殺せッ! ミンチにして豚の餌にしろ!」


 ザガンの命令で、数十人の構成員が一斉に襲いかかった。  剣、槍、魔法。四方八方から殺意の刃が迫る。


 だが、ランドルフは避ける素振りさえ見せなかった。


「……(かゆ)いんだよ」


 ブォンッ!!


 ランドルフが腕を横に薙いだ。  ただそれだけの動作。  だが、そこから生じた衝撃波は、暴風となって男たちを襲った。


「ぐべェッ!?」 「がはっ!?」


 先頭にいた数人が、ボールのように壁まで吹き飛び、赤い染みとなって張り付く。  剣は折れ、鎧は砕け、人体は原形を留めないほどにひしゃげている。


「な、なんだ今の馬鹿力は……!?」


 男たちが戦慄する中、ランドルフは一歩踏み出した。  その体から、赤黒いオーラが噴き出す。


「――第一恩恵(ファースト・ギフト):【破壊衝動デストロイ・インパルス】」


 ランドルフの筋肉がさらに膨張し、血管が蛇のように浮き上がる。  理性を代償に、攻撃力を無限に上昇させる破壊の権能。


「兄貴に言われてんだよ。『派手にやれ』ってなァ!!」


 ドゴォォォォォン!!


 ランドルフが床を殴りつけた。  衝撃が地面を伝わり、広範囲の床が爆発的に隆起する。  立っていた男たちが空中に放り出され、バランスを失う。


「オラオラオラオラァッ!!」


 ランドルフは空中の敵に向かって拳を振るった。  拳圧だけで空気が弾け、男たちの体を空中で粉砕していく。


 それは戦闘ではない。一方的な蹂躙。  暴風雨が過ぎ去るように、人の形をした災害が通り過ぎた後には、肉片と瓦礫しか残らない。


「ひ、ひぃぃッ! 化け物だ!」 「逃げろ! こいつには勝てねぇ!」


 残った男たちが、蜘蛛の子を散らすように出口へと殺到する。


 だが。


「あら。……ご挨拶もなしに退席だなんて、マナーがなっておりませんわね」


 出口の前に、いつの間にか一人の女性が立っていた。


 燃えるような赤髪に、切れ長の瞳。  豪奢な真紅のドレスを纏っているが、その背中からは、漆黒の炎で織り上げられた禍々しい翼が生えている。


 元第一王女にして、ランドルフの副官。  【黒炎の支配者ブラック・フレア・ルーラー】エレオノーラ・ゼノリス。


「どけッ! 女ァ!」


 男の一人が、エレオノーラに向かって剣を突き出す。  だが、その剣先が彼女に届くことはなかった。


 ボッ。


 音もなく、男の剣が黒い炎に包まれた。  いや、剣だけではない。男の腕、肩、そして全身が、一瞬にして漆黒の炎に飲み込まれたのだ。


「ぎゃああああああああッ!?」


「汚らわしい。……わたくしに触れようなどと、一億年早くてよ」


 エレオノーラは優雅に扇子を開き、口元を隠した。  男は悲鳴を上げながら転げ回るが、炎は消えない。  水をかけても、土をかぶせても、その炎は燃料(命)が尽きるまで燃え続ける地獄の業火。


「――第一恩恵(ファースト・ギフト):【黒炎の翼(ブラック・ウィング)】」


 エレオノーラが翼を広げると、そこから無数の黒い羽根が舞い散った。  羽根は床に落ちると同時に発火し、逃げ道を炎の壁で塞いでいく。


「さあ、ダンスの時間ですわ。……主の弟君を不快にさせた罪、その魂が燃え尽きるまで踊って償いなさい」


 彼女の瞳には、かつての王女としての気品と、魔女としての残虐性が同居していた。  彼女にとって、今の主人はただ一人。  あの絶対的な魔王シンと、彼が慈しむシンのみ。  それ以外の人間など、燃えるゴミと変わらない。


「ヒィィッ! 助けてくれぇぇ!」 「熱い! 熱いよぉぉぉ!」


 男たちが炎に巻かれ、絶叫する。  ランドルフの拳と、エレオノーラの黒炎。  二つの暴力に挟まれ、帝都最大の犯罪組織は、文字通り「消滅」の危機に瀕していた。


 その地獄絵図の中心で、ボスのザガンだけが、膝をついて震えていた。


「な、なんなんだ……お前らは……!」


 部下たちが全滅していく様を、呆然と見つめる。  自分の築き上げた帝国が、たった二人の侵入者によって、数分で瓦礫の山に変えられてしまった。


 カツ、カツ、カツ。


 炎の向こうから、軽い足音が近づいてくる。  ランドルフでも、エレオノーラでもない。もっと小さく、軽い足音。


 現れたのは、ボロボロの服を着た、黒髪の少年だった。  手にはリンゴを一つ持ち、それを齧りながら、燃え盛る地獄の中を散歩するように歩いてくる。


 ――シン。


「よォ、弟君! 綺麗にしといたぜ!」 「お待ちしておりましたわ、シン様。……少し埃っぽいですけれど、我慢してくださいませ」


 先ほどまで鬼神の如く暴れていたランドルフとエレオノーラが、少年を見るなり態度を一変させ、恭しく道を空ける。  ランドルフは親愛なる兄貴分のようにニカっと笑い、エレオノーラはスカートの裾をつまんでカーテシーをする。


「……お、お前……?」


 ザガンは、目の前の少年を凝視した。  魔力は感じない。覇気もない。ただの子供だ。  だが、この二体の怪物が、この少年にだけは絶対の敬意を払っている。


 シンは齧りかけのリンゴを放り投げ、ザガンの前の瓦礫――かつて玉座だった椅子に、どっかと腰を下ろした。


「……よう。おじさんがここのボス?」


 シンは無邪気に小首をかしげた。  だが、その瞳の奥には、燃え盛る黒炎よりも昏い、底知れぬ闇が広がっていた。


「ひッ……!」


 ザガンは息を呑んだ。  本能が告げている。目の前の怪物は、ランドルフやエレオノーラとは違う。  「(ランク)」が違う。  これは、人の形をした深淵(アビス)だ。


「商談をしようか」


 シンはニヤリと笑った。


「この組織……『錆びた鎖』の所有権、僕に譲ってくれるよね?」


「じ、譲る……? 俺の組織を……?」


「うん。だって、もう『中身』は空っぽだし」


 シンは周囲の死体の山を指差した。  構成員は壊滅。商品は焼失。残っているのは、場所と名前だけ。


「それに、おじさんも死にたくないでしょ?」


 シンが指をパチンと鳴らす。  その瞬間、ザガンの首元に、目に見えない何かが巻き付いた感触があった。  締め付けられるような、冷たい糸の感触。


「……ッ!?」


「僕の言うことを聞けば、命だけは助けてあげる。……その代わり、今日からおじさんは僕の『犬』だ」


 シンの背後で、ランドルフが拳を鳴らし、エレオノーラが黒炎を揺らめかせる。  拒否権などない。  従うか、死ぬか。


「……わ、わかった……! 従う! 俺はあんたの犬だ! だから殺さないでくれぇぇッ!」


 ザガンは額を地面に擦り付けた。  裏社会の帝王と呼ばれた男が、一人の少年の前に完全に屈服した瞬間だった。


「いい返事だ」


 シンは満足げに頷き、立ち上がった。


「じゃあ、さっそく仕事だよ。……帝国の貴族たちに、僕たちの『商品』を売りさばいてきて」


「し、商品……?」


 シンは懐から、数枚の羊皮紙を取り出し、ザガンの前に放った。  そこには、ジェイドが用意した「悪魔の契約書デビルズ・コントラクト」――法外な利息と魂の担保を条件にした、借用書の束があった。


「金に困っている貴族はいっぱいいるでしょ? 彼らに『救いの手』を差し伸べてあげるんだ。……たっぷりと毒を塗った手でね」


 シンは邪悪に微笑んだ。


「この街の裏側を、僕たちの糸で埋め尽くすんだ」


 ザガンは震える手で羊皮紙を拾い上げた。  これは、帝国の経済を内側から腐らせるための猛毒だ。


「……りょ、了解しました……!」


 こうして、帝都最大の犯罪組織は、一夜にしてレギオン・蜘蛛(アラクネ)の傘下へと下った。  表では魔導転移門(ワープ・ゲート)による資源の略奪。  裏では犯罪組織を使った経済汚染。


 鋼鉄の帝国は今、内外から同時に食い荒らされようとしていた。


「帰るぞ、二人とも。……兄貴が待ってる」


 シンは瓦礫の山を降り、出口へと向かう。  その背中に、ランドルフとエレオノーラが付き従う。


「へへっ、久しぶりにいい運動になったぜ!」 「ええ。少しはストレス解消になりましたわ」


 三つの影が、炎上するアジトを後にする。  彼らが去った後には、新しい「(ルール)」だけが残された。


 帝国の夜は、まだ明けない。  だが、その闇の中で、蜘蛛(クモ)の目は赤く、妖しく輝き続けていた。

本日も読んでいただき、ありがとうございます!


もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけたら、


ブックマーク登録と、広告の下にある【☆☆☆☆☆】の評価ボタンを、星5つ(★★★★★)ポチッと押していただけると執筆の励みになります!


続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ