第100話 鉄の落日、あるいは強制された凱旋
帝都の空を覆う鉛色の雲が、赤く焼け付くように染まっていた。 それは夕焼けではない。地上で燃え盛る黒鉄宮の残骸が放つ、紅蓮の照り返しであった。
「――終わりだ、ゼギオン」
瓦礫の山となった王城の中庭。 その中心に、一人の青年が佇んでいた。 漆黒の外套を夜風になびかせ、血の色をした深紅の瞳で眼下を見下ろす魔王。 始祖・シン(18歳)。
彼の足元には、かつて大陸最強と謳われた鋼牙帝国の皇帝、ゼギオン・ヴァン・アイゼンガルドが無様に這いつくばっていた。 自慢の魔鎧は原形を留めぬほどにひしゃげ、隙間からは黒いオイルと鮮血が混じり合って滴り落ちている。
「あ……あぁ……」
皇帝の口から漏れるのは、威厳ある号令ではなく、壊れたふいごのような喘鳴だけだ。 彼の視線の先には、絶望そのものが鎮座していた。
全長百メートル。 天を衝くほどの巨体を誇る帝国の最終兵器、『鉄の古神』。 それが今、シンの背後に傅き、主人の命令を待つ忠実な番犬のように膝をついているのだ。 その頭部――兜のスリット奥で輝く眼光は、もはや皇帝を守る盾の輝きではなく、彼を断罪する処刑人の冷たい光を放っていた。
「余の……国が……。余の……力が……」
「形あるものはいつか壊れる。……だが、安心しろ」
シンは冷徹に告げ、皇帝の頭を革靴の底で踏みつけた。 泥水に顔を押し付けられ、ゼギオンが屈辱に呻く。
「この瓦礫も、この古神も、そして貴様のその鎧も。……すべて俺が『素材』として再利用してやる」
シンは、絶望に染まる皇帝の瞳を覗き込み、極上の笑みを浮かべた。 それは、獲物の喉笛を食い破った直後の捕食者だけが浮かべる、残忍で美しい笑みだった。
「スクラップ・アンド・ビルドだ、ゼギオン。……貴様の国は、今日からレギオンの『工房』へと生まれ変わる」
その宣告と共に、帝国の歴史は幕を閉じた。 鋼鉄の国は死に、その死体の上に、新たな支配者の旗が立つ。
「……ッ、く、ぅ……」
皇帝は何かを言い返そうとしたが、言葉にならなかった。 絶対的な「暴力」と「格」の違いを見せつけられ、魂の根幹からへし折られてしまったのだ。 彼はガクリと項垂れ、意識を手放した。
「(……さて)」
シンは気絶した皇帝を一瞥し、ふと空を見上げた。 体内の魔力回路が、微かな軋みを上げている。 帝都地下の動力炉から吸い上げた高濃度の魔素で維持していた「18歳の姿」だが、地上での活動時間が限界に近づいていた。
これ以上この姿を維持すれば、周囲の大気中の魔素まで根こそぎ吸い尽くし、帝都の住民ごと「枯渇死」させかねない。 それは、これから労働力として使う予定の家畜を殺すことになる。
「(……引き際だな。あとは仕上げだ)」
シンは古神の肩へと跳躍し、その頂点に立った。 眼下には、崩壊した王城を取り囲むように、呆然と立ち尽くす帝国の兵士たちや、避難してきた市民たちの姿が見える。 彼らは皆、恐怖に震えながら、空に浮かぶ黒い巨人と、その上に立つ魔王のような青年を見上げていた。
「見よ! あれが悪魔か!?」 「皇帝陛下が……負けたのか……?」
混乱と恐怖が伝染していく。 このままではパニックが暴動に変わり、無秩序な殺し合いが始まってしまうかもしれない。
(……そろそろ出番だぞ、ネモ、セリス)
シンは心の中で指を鳴らした。 パチン、という音が、物理的な音波となって戦場に響き渡る。 同時に、彼の姿が黒い霧に包まれた。
「――擬態・再開」
霧が晴れた時。 そこに立っていたのは、魔王のような青年ではなく――どこにでもいそうな、黒髪の少年だった。 ボロボロの服を着た、Fランクの荷物持ち。シン(15歳)。
彼は古神の肩から飛び降り、ふわりと地面に着地した。 そして、瓦礫の山から顔を出し、怯えたような声で叫んだ。
「だ、誰かーっ!! 助けてくれぇぇぇ!!」
その悲鳴が、膠着していた時間を動かした。
直後。 空から数千枚のビラが、雪のように舞い降りてきた。 同時に、帝都中に設置された拡声魔石から、鈴を転がすような美しい声が響き渡る。
『――帝都の皆様、聞こえますか? 怖がらないでください!』
声の主は、レギオンの広告塔、セリス女王だ。 (無論、その演出と脚本を書いているのは、裏で糸を引くネモだが)
『先ほどの黒い巨人……そして、それを鎮めた黒衣の騎士をご覧になりましたか? あれは、皇帝ゼギオンが禁忌を犯して呼び出した悪魔と……それを討ち滅ぼすために我々レギオンが降臨させた、怒れる守護神――『断罪の守護神』です!』
「守護神……?」 「あのでかいのが、俺たちを助けてくれたのか?」
国民たちの間に、動揺と困惑、そして微かな安堵が広がる。 彼らにとって、古神は「恐怖の象徴」だった。だが、それが「悪(皇帝)を倒すための神の力」だと説明されれば、その恐怖は「畏敬」へとすり替わる。
『皇帝は、自らの野望のために国民を燃料とし、悪魔に魂を売りました! 地下の工房で、あなた達の家族が何をされていたか……その真実を知ってください!』
空から撒かれたビラには、地下工房の惨状――人間を燃料として燃やす魔導炉や、子供たちを改造する実験室の写し絵(ネモが念写した魔法写真)が印刷されていた。
「こ、これは……メラの工房じゃないか!」 「俺の息子も……こんな目に遭っていたのか!?」 「皇帝め……! 俺たちを殺す気だったのか!」
真実は、時に猛毒となる。 国民たちの皇帝への忠誠心は、一瞬にして憎悪と殺意へと反転した。 自分たちが信じていた国が、自分たちを食い物にする怪物だったという事実は、彼らの心を粉々に砕き、新たな「救い」を求めさせた。
『ですが、もう大丈夫です! 我らが守護神が、悪を断罪しました! 帝国の皆さん! あなた達は解放されたのです!』
セリスの声が、高らかに勝利を宣言する。 だが、その宣言には一つだけ欠けているものがあった。 「誰が」解放したのか、という物理的な実体である。
シンは瓦礫の陰で、念話をした。
「アレス、聞こえるか」
『はッ! こちらアレス。……主よ、ご無事ですか!?』
ノイズ混じりの念話が、脳内に直接響く。 背景には、剣戟の音と、爆発音が微かに混じっていた。
「ああ、こっちは終わった。……そっちはどうだ?」
『こちらも掃討完了です! 四騎士とかいう雑魚ども、跡形もなく消し去りました。 現在、ネメシスの防衛を固めつつ、残党狩りを……』
「よし。なら今すぐ帝都に来い」
シンの無慈悲な命令に、一瞬の沈黙が流れた。
『……はい?』
アレスの間抜けな声が返る。
『い、今すぐ……でございますか? しかし主よ、ネメシスと帝都は、馬車でも一週間かかる距離です。 ワイバーンを飛ばしても、到着は明日の朝に……』
「遅い」
シンは即答した。
「今、この瞬間の『熱』が必要なんだ。 民衆が動揺し、救世主を求めているこのタイミングで、お前たち英雄が颯爽と現れる。……それが最高の演出だろう?」
『そ、それはそうですが……物理的に……』
「言い訳はいい。……俺が呼ぶ」
シンは、未だ体内に残っている古神由来の膨大な魔力を、足元の影へと集中させた。
「準備しろ。……少し『揺れる』ぞ」
『ちょ、待っ――』
アレスの悲鳴を無視し、シンは影に向かって指を弾いた。
「――影渡り・強制召喚」
ズズズズズズズズズッ……!!!!!
帝都の正門前。 何もない石畳の影が、まるで底なし沼のように広がり、沸騰し始めた。 空間がねじ切れ、距離という概念が無理やり圧縮される。
「う、うわぁぁぁぁぁッ!?」 「きゃぁぁぁっ!?」 「ぬおぉぉぉぉッ!?」
影の沼から、四つの人影が勢いよく「吐き出された」。 まるで、深海から急浮上したかのように、彼らは地面に転がり、咳き込んだ。
アレス、ミラ、ボルトス、チェルシー。 四天の四人が、ネメシスから数千キロの距離を一瞬で飛び越え、帝都の土を踏んでいた。
「げほッ……ごほッ……! し、死ぬかと……」
アレスが青ざめた顔で口元を押さえる。 三半規管がめちゃくちゃにかき回され、今にも胃の中身をぶちまけそうだ。 鋼鉄の巨漢ボルトスでさえ、顔面蒼白で膝をつき、震えている。
「あ、ありえませんわ……。影の中を、渦のように……」 「酔った……気持ち悪い……」
ミラとチェルシーも、ドレスや服を乱し、ふらついている。 ネメシスでの激戦の疲れなど吹き飛ぶほどの、強烈な空間酔い。 これが、始祖による強制転移の代償だった。
「……着いたか」
瓦礫の陰から、シンが涼しい顔で歩み寄ってくる。
「お、主よ……! こ、これはあまりにも……」
アレスが涙目で抗議しようとするが、シンは冷徹に指を指した。
「アレス。……国民が見ているぞ」
「ッ!?」
ハッとして周囲を見れば、崩壊した城壁の隙間から、帝都の国民たちが呆然とこちらを見つめていた。 突然、影から現れた深紅の鎧の騎士たち。 彼らが何者なのか、固唾を飲んで見守っている。
「シャキッとしろ。……お前たちは『解放軍』だ。 疲れも、吐き気も、一切見せるな。堂々と、美しく、英雄として振る舞え」
シンの絶対命令。 アレスは奥歯を噛み締め、必死に胃液を飲み込んだ。
「……くぅッ!!」
彼は立ち上がり、マントを翻す。 蒼白だった顔色を、魔力操作で無理やり紅潮させ、震える足に力を込めて仁王立ちする。
「――帝都の民よッ!!」
アレスの声が、帝都に響き渡る。 それは、吐き気をこらえた必死の咆哮だったが、国民には「力強い勝利の宣言」に聞こえた。
「我らはレギオン・蜘蛛! 圧政からの解放者だ! 邪悪な皇帝は倒れた! これより、この街を我らが保護する!」
「うおおおおおっ!!」 「レギオン万歳! 英雄アレス万歳!」
歓声が爆発する。 国民たちは、アレスの姿に希望を見出し、熱狂的に迎え入れた。 だが、その英雄の背中には、冷や汗がびっしょりと滲んでいることを、誰も知らない。
「……やれやれ。手間のかかる連中だ」
シンは、国民の熱狂を冷ややかな目で見つめながら、小さく息を吐いた。
「(……しかし、この移動方法は効率が悪いな)」
シンは自身の掌を見つめた。 今回の強制召喚で、古神から吸い上げた魔力の半分近くを消費してしまった。 自分一人ならともかく、軍隊や物資を移動させるには、コストがかかりすぎる。
「(それに、あんなに酔っていては戦力にならん)」
ボルトスが盾の裏で密かに嘔吐しているのを見て、シンは眉をひそめた。
「『道』が必要だな。 ……もっと楽に、誰でも、一瞬で移動できる『門』が」
シンの脳裏に、先ほど破壊した『鉄の古神』の内部構造がよぎる。 あの中に組み込まれていた、未完成の転送付与術式。 あれを解析し、ヴォルカンの技術とシノの発想で完成させれば――。
「……シノとヴォルカンを呼べ」
シンは、吐き気をこらえて笑顔を振りまくアレスの背中に向かって、念話を送った。
『(アレス。パレードが終わったらすぐに仕事だ。 帝国の技術を接収し、新しいオモチャを作るぞ)』
『(は……はい……! ですが主よ……少しだけ、休憩を……)』
『駄目だ。鉄は熱いうちに打てと言うだろう?』
アレスの悲痛な叫びは、民衆の歓声にかき消された。
鋼鉄の帝国は死んだ。 だが、レギオンの夜は終わらない。 魔王の無慈悲な労働命令と共に、新たな支配と技術革新の夜明けが始まろうとしていた。
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続きます。




