第1章 泥だらけのエスケーパー(part 8)
翌朝の天候は、昨夜からは一転して快晴に近かった。
昨夜は、夜半から雨が強く降り始めたので焚火も出来なかったが、新たに手に入れた衣服の優れた防寒性能のお陰で寒さに震えずに済んだ。
突然に訪れた極楽鳥への注文機会だった割には、必要な品物を正確に注文していたのだ。
「ジュンイチが、この服を手に入れて呉れていたお陰だったね」
その点はハルカも俺に感謝している様だ。
俺達は昨日汲んで来た水で歯を磨き終えると、出発の準備を始めた。
リヤカーの荷台は木箱や衣類、キャンプ用品等で満杯状態に成ったので、少しでも多く積める様に幌は外した。
そして荷物が落下しない為に、ゴム製の紐で積み荷を括り付けた。
それでも食料品や小物が入りきれなかったので、リヤカーのサイドに付いている金具に、昨夜、極楽鳥が支給品を包んでいた布袋に品物を入れてからそれを幾つもぶら下げた。
それで漸く、必要な品物を全て積み終える事が出来た。
「だが、流石にこれ以上は、荷物を増やせ無いな」
俺は思わず本音を呟いてしまった。
「ジュンイチ、こめんね」
ハルカがそう言って、俺に謝った。
「あ、いや、君は色々と災難に遭ったのだから気にする事は無いよ」
俺は努めて平然を装った。
ハルカは足を怪我しているから仕方が無いのだが、これを俺一人で引くのかと思うと、少しばかり身震いを覚えた。
サンミッシェル専属防衛隊で、コンバット部隊から作戦司令部に転属に成ったので、最近はトレーニングをサボっていたのだ。
そのバチが当たったか?
「昨日、鳥さんから貰ったサポーターは具合が良いの。ゆっくりだったら一人で歩けると思う」
おお、そうか?それは有り難い!
俺は嬉しく成ったのだが、今から直ぐに歩け!とハルカに言うのもナニだしなぁ。
「俺が疲れ切ったら歩いて貰うよ。だがその前に、ハルカを乗せてこのリヤカーを引いたら、どの位重いのかを確かめて置きたいんだ」
結局、俺は妥協案をハルカに申し出た。
「最初は、わたしは荷台の後ろに腰を掛けても良いって言う事?」
「そうだよ。さあ、ハルカ、出発だ」
俺は覚悟を決めると、西の方角に進み始めた。
リヤカーはその引き始めには、気を失いそうな程、腕の馬鹿力と足腰のバネが要求されたが、動き始めると案外楽に引けた。
それはきっと、道にウッドチップが敷き詰められているお陰だった。
それでも、その速さは亀の歩みよりは早かったが、ロバの歩行よりは遅かった。
「大丈夫?ジュンイチ」
「ああ、今の所はな」
俺はリヤカーを引きながら、昨夜のハルカとの遣り取りを思い出していた。
俺達は出会ってからまだ半日しか経っていないので、お互いの事をもっと知りたかったのだが、知ったからと言ってこの世界から抜け出せない限り、それには意味が無い事もお互いに分かっていた。
結局、俺達はお互いの事は聞かず終いだった。
その代わり、他愛も無い話をした。
「あの極楽鷲、俺が色々と多種に亘る物品を注文したのに良く間違えなかったな。メモを取る様子も無かったし」
「ふふふ、ジュンイチ、あの大きな羽根でメモ帳にメモとか書き込んだりしたら、相当怖いわよ」
「確かに」
俺とハルカは笑い合った。
「彼奴、案外、記憶力が良いのかな?」
「多分ね」
それから暫くすると、テントの外は雨が降り出していた。
「ねえ、ジュンイチ」
ハルカが寝袋超しに俺に話し掛けてきた。
「わたし、とても心細いの。今夜も明日も明後日もわたしの傍で眠ってね」
ハルカの傍で眠るも何も、これだけ狭いテントだ。
嫌でも傍で眠る事に成る。
遠くで眠る為には、俺はテントの外で寝る以外に有り得ない。
そう思った時、俺はハッと成った。
若しかしたら、ハルカは自分とひとつのテントで寝る事に俺が遠慮して、テントの外で寝ない様にそう言って呉れたのかも知れなかった。
この雨模様の寒空に外で眠ったら、幾ら新しく手に入れた衣服でも、明日生きて目が覚めるかどうか俺には自信がない。
ハルカが優しい女で助かった。
勿論さ。俺はずっと傍で寝るやるよ。おやすみ、ハルカ。君に良い夢が訪れますように。
そして、ハルカが微かな寝息を立てた頃、俺にも睡魔が襲って来た。
「ああ駄目、ソイツは銃では仕留められないの!雷で攻撃して頂戴!むにゃむにゃ」
ハルカの寝言で俺は眼を覚ました。
俺の祈りとは裏腹に、ハルカは怖い夢を見たようだ。
突然、見知らぬ不気味な世界に連れて来られて、足に怪我まで負っているのだ。
楽しい夢を見ろと言う方が、土台無理だったのかも知れない。
昨夜の俺はそれから、毛布を包み直して眠りの闇に、再び落ちて行ったのだった。
暫くリヤカーを引いていると、インナーを一枚着ているだけだったが、汗が滴り落ちて来た。
「ふーっ、ハルカ、ここで一休みをしよう」
「お疲れ様、ジュンイチ。これからはわたしも歩くから!それから朝はスープだけだったから、少し早いけどお昼にしましょう」
「そうだな。こんな訳が分からない世界に閉じ込められても、腹が減るとはな」
「はは、それは未だ生きている証拠よ」
「そうだな、空腹に感謝か?」
俺は感謝と言う言葉で思い出したのだが、ハルカは俺と出会えた事に感謝していると言っていた。
俺だって、若しハルカと出会えていなければ、今頃は一人でブツブツ文句ばかりを言いながら、嫌々リヤカーを引いていた筈だ。
それに引き換え、今は多少重くてもリヤカーを引く事に意欲が有るし、ハルカの事を守ってやらなければと言う使命感も有る。
感謝するのは、寧ろ俺の方なのだ。
俺はハルカに改めて感謝して、リヤカーから食料品が入った袋を降した。