第1章 泥だらけのエスケーパー(part3)
俺は慌てて、その声がする方向に駆け出した。
そこには、長髪の若い東洋人の女が仰向けに倒れていた。
「大丈夫か?」
どうやら、その姿形は、此処の小山の崖から滑り落ちた様に見えた。
「いててて!」
その女は顔を顰めたが、俺はそれには構わずに彼女の上半身を起こした。
「ちゃんと立てるか?」
俺の言葉にその女は立ち上がろうと試みたが、痛みで上手く立てなかった。
「なぜ滑り落ちたりしたのだ?」
「そこの丘の上から、池らしい地形が見えたの。それで、もっと良く確認しようとして身を乗り出したら足が滑っちゃった!」
「足元に気を付けるべきだったな」
「ええ、昔のスマホみたいな器具に付いていた望遠鏡で覗いていたから」
「そうだったのか?それじゃ滑り落ちても可笑しくは無いな」
その女は色違いだったが、俺と似たような衣服を着ていた。
「君も昨晩、何者かの手によってこの世界に送り込まれてきたのか?」
女はこくりと頷いた。
俺は女の足首や膝をあれこれ調べて、彼女の負傷は軽度の捻挫だと診断した。
彼女はバックパックを背負っていたから、頭部を打ち付ける事を免れた様だった。
更に腰に毛布を巻いていたから、腰を強打する事もなかった筈だ。
不幸中の幸いと言うべきか?
「君の足は捻挫している様だ!取り敢えず、君の荷車まで俺が君を背負って行くから、バックパックはそこに置いてくれ!重いし!後で俺が取りに来てあげるから」
「それが、朝起きたら誰かにわたしのリヤカーは盗まれていたの!」
「えっ?」
予想はしていたが、この世界にはかなりの数の人間が送り込まれているらしい。
俺達より前に来ていて、物資が無くなったので生き残る為に盗みを働いたに違いない。
正に、仁義無きサバイバルゲームだな!
これは俺も、これからは気を付けなくてはいけないな。
「あ~あ、わたしが竜巻を起こせたら、捻挫なんかしなかったのになあ」
女が呟いた。
「気持ちは分からない訳ではないが、今は生き残って出口を見つける事が先だ!」
「貴方、わたしを連れて行って呉れるの?」
「仕方が無いだろう。君をこのまま放っておく訳にも行かないし。兎に角、俺のテントで休息しよう」
「有難う、恩に切るわ。わたしの名前はハルカ!遥・オブライエン・緑川よ。父と祖母と曾祖父が日本人で、母と祖母は米国籍よ」
その女は、俺に自己紹介をした。
「そうか、ハルカか。俺はジュンイチだ。潤一・姉小路・紅森!名前の通り生粋の日本人だ」
「そう、貴方の名前はジュンイチなの?」
明るい場所で良く見ると、ハルカは鼻筋が通った美形の女性だった。
多分、年齢は20歳前後だろう。
「君は日本人とのハーフなんだな。俺達は日本に縁が有るみたいだ。まあ、日本はファイナルフラッシュが起こる直前に、主権を放棄して新国際連盟の管轄下に入ったから、国家としてはもう無いがな」
「ジュンイチ、ファイナルフラッシュで全ての国が消滅した筈だから、新国際連盟の管轄下に入ったかどうかは関係無いわ」
「確かにな」
ハルカはルックスもスタイルも抜群なので、若しも、そこそこのレベルで歌が唄えたり、演技が出来たら、ネオエデンの行政府から歌手か女優として指名されているかも知れない。
ネオエデンには、過去に制作されたムービーやドラマ等がストックされているのでそれを家で観る事が、市民に取って唯一のアミューズメントだったのだが、近年はライブ感を求める市民の要望が強まっていた。
そこで行政府は市民の要望に応えるべく、行政府が養成した人材でコンサートや演劇を開催する様に成っていた。
また、国際情勢が緊迫化した為、シェルターへの受け入れ人数を増やす為に、ネオエデン内の広い公園は全てが住居に衣替えをした。
その結果、現在、残っている公園は狭い公園だけで、その数も10か所にしか過ぎない。
その為、公園の使用が許可されるスポーツは、今世紀の中頃まで人気が有った、モルックとゲートボールに限定されていた。
行政府はこれらのスポーツに、リアルな娯楽性を付加する為に、プロスポーツ化を検討しているらしい。
軍人の俺には、そんな緩目のスポーツに市民が熱狂するとは、とても思えなかったのだが・・・。
ハルカは自分の荷車を盗まれた事がショックだった様で、自分のバックパックを外そうとはしなかった。
それはそうだろう。
サバイバル用品無しで、この先、どうやって生き残れば良いか、きっと途方に暮れている筈だったから。
ハルカには、俺のバックパックも持って貰い、俺はハルカを背負ってキャンプを張った場所まで一緒に戻った。
俺は軍隊で身体は鍛えているのだが、ハルカと2つのバックパックの重量は可成り重くて、テントに着いた頃には息が上がっていた。
「ふーっ!所で、君の方は身体が冷えただろう?」
俺は汗だくだったが、寒そうにしているハルカに気が付いて、俺はそう声を掛けた。
「ジュンイチの背中は熱かったけど、少しね」
俺はパンプキンスープと水を温めると、それぞれをマグカップに注いでハルカに勧めた。
「まさか盗まれるとは思っていなかったので、ミネラルウォーターも1本だけリュックに入れて、後は荷台に積んでいたから、もう水も残り僅かになっていたの」
それで水を求めて彷徨い、池は見つかったが覗き込み過ぎて崖から転落したと言う訳か?
しかし、水も無く毛布も腰に巻いていた割には、ハルカのバックパックはヤケに重かったのだが・・・。
「ハルカ、これからは二人で共同生活だ。君のバックパック、中身を見せて貰っても良いかな?」
「いいわよ、どうぞ」
俺はハルカのバックパックを見て驚いた。
ミネラルウォーターをホールドする全てのポケットには金色の石が詰まっており、バックパックの中にも銀色の石が7個も入っていた。
更に缶詰めもぎっしりと入っていた。
道理で重い筈だ!
「君は意外に金持ちだったんだね?」
「ええ、でもそれは本当に極楽鳥が来てくれたらの話だけど」
ハルカは、俺の方を見てニッと笑った。
綺麗な歯並びと愛くるしい笑顔が見れた。
サンミッシェルでは、きっと彼女に言い寄る男性が多いに違い無い。
その時、遠くで大きな羽ばたきの音と、キーッと言う鳴き声が聞こえた。
「ジュンイチ、極楽鳥かも知れないわ」
「そうだな。ハルカ、俺の石もこの袋に詰めるから重いが背負って呉れ。まあ、俺はそれも一緒に君まで背負うんだがな。さて、極楽が出るかの地獄が出るか?ハルカ、そのお姿、拝見と洒落込もうぜ!」