俺の幼馴染が突然「幼馴染のサービスは終了します」と宣言した話
「うーん、ここのセリフは何か違う気がするなぁ。もう少し分かりやすく伝えた方がいいかも」
「なるほど」
「ここのキャラの表情はもうちょっと抑えた方が展開あってるよ」
「ごもっとも」
俺、市蔵大喜は漫画家のタマゴだ。タマゴというと聞こえはいいが、実際は定職に付かずアシスタントのバイトとWEB漫画の掲載を細々続ける実家暮らしのアラサーだ。恥ずかしながら収入はほとんどないに等しく、このところ両親の視線が痛いことこの上ない。
だが俺自身かつて大手雑誌から新人賞をもらったり、読み切りが掲載されたりとそれなりに漫画に対して実力があると自負している。今更この生活をやめるつもりはない。そして俺は新作の持ち込みを目論んで今朝からずっと自室に籠もって漫画を描いている。
「で、このページの構図なんだけど…」
今、俺の目の前のベッドに座って俺の描いた漫画片手に論評しているのは隣に住んでいる幼馴染の青井碧だ。残業後の仕事帰りでありながら嫌な顔一つせずに俺の部屋に来てくれた。スーツ姿でズバズバと論評している様はさながら雑誌編集者のようだ。昔から碧は俺の漫画をよく読んでくれていて、俺にとっては最初のファンだ。それでいて的確なアドバイスや指摘もしてくれる。彼女のお陰で新人賞が取れたといっても過言ではない。
だからお互い社会に出て、それぞれ道を歩み出してからも俺はなんだかんだで彼女の論評を当てにしていた。いつもいきなり電話して呼びつけても文句一つ言わず、的確にアドバイスをしてくれる。碧にとって俺は幼馴染としてしか見られていないかもしれない。否、それは俺も同じなのだろう。しかしながらお互いにいい歳になってきた気がする。ふと真面目に話す彼女の顔を見ながら俺はぼんやりと考えていた。
一体いつまでこの関係を続けられるのだろう。この関係を壊したくなくてズルズルと来てしまった。彼女はどう思っているのだろう。俺は………正直自信がない。今、言うべきか?それとも留めるべきか?視線を宙に向けているといきなり頭にクッションが降ってきた。
「いて!!」
「こら!人の話聞いてないでしょ!」
クッションを頭から降ろすと碧が頬を膨らませて俺を睨みつけている。いつの間にか上の空になっていたようだ。俺は慌てて碧へ弁解する。
「ごめんごめん。ついボーッとしちゃったんだ」
「はあ~…折角良いことをいってあげてたのに。だから読み切り限定の万年アシスタントなんだよ」
「うっ…その言葉は俺に効く」
俺はフッーと溜め息をついた。俺の様子を見て碧が心配そうな顔をする。
「どうしたの?具合でも悪い?」
碧はベッドから立ち上がると椅子に座る俺の前まで来て俺の額に手を当てた。碧は昔からそうだ。今のようなこんな感じで自然に俺の体に触れるから思春期の時は本当にやばかった。今でもまだドキドキしてしまう。しばらくすると納得したのかまたベッドに戻って座った。
「良かった、熱はないみたいだね」
「お、おう。ありがとう」
「どういたしまして、って顔赤いよ。昼間から酒でも飲んだ?」
「そんなわけない」
「だよね」
碧はからかうような笑みをこぼした。サラサラの黒のロングヘアーを掻きながら八重歯を見せて笑う碧を見て俺はまたドキッとする。やっぱり言うべきだよな…。
俺が悶々としていると、突然碧がカバンからある紙を取り出して俺の前に見せた。何の変哲も無いはずのA4用紙を見た瞬間、俺は目を丸くした。
紙には大きな文字で「幼馴染のサービス終了のお知らせ」とハッキリ書かれていたのだ。
「へ?え??幼馴染のサービス??終了ぉぉ?!」
俺はとんでもなく間抜けな声で紙の文字を音読する。俺の動揺を他所に碧の顔は真剣そのものだ。一体全体何のイタズラだというのか。
「言っとくけどイタズラじゃないよ」
心が読まれた?俺は慌てて碧に理由を聞く。一体全体俺が何をしたのだろう。
「これって…つーか幼馴染ってサービスだったの?」
「普通仕事帰りに呼びつけて遅い時間まで付き合うなんてあり得ないからね。昔ならともかく今は社会人なんだし、不規則な生活しているアンタと違って私は朝早いんだよ。本来なら何か奢ってくれてもいいくらいじゃない?」
「う…ごもっとも。ぐうの音も出ない」
「そんな訳だから今日を持って幼馴染としてのサービスは終わりね」
碧はそう言い切るとベッドの下に置いてある自分のカバンを持って俺の部屋から出ようと立ち上がる。俺はどうしていいか分からないまま呆然としていたが、ドアに碧が手を掛けたとき俺は思わず立ち上がって碧の腕を掴んだ。不意のことに碧はビクッとしている。俺がこんな行動に出るとは想定外だったのだろう。
「……何?」
「延長」
「へ?何のこと?」
「幼馴染のサービスの延長は出来ないのか?」
我ながら馬鹿なことを言うものだ。俺は心の中で自嘲する。しかしながら此処で彼女を引き留めなかったら絶対に後悔する。直感的に俺は行動していた。口から出任せかもしれないが、今の言葉に偽りはない。
「そんなものないよ」
「ないのかぁ………」
碧の回答は無慈悲なものだった。俺はガックリと項垂れる。そりゃそうだろうなぁ。今まで幼馴染という関係に散々甘えてきた部分もあるし、碧には碧の生き方がある。このままズルズルと今の関係を続けてもお互いの為にならないだろう。俺が諦めかけて碧の手を離そうとしたとき、何か思ったのか碧がカバンから再び紙を取り出した。
「言っとくけどサービスの延長はないよ。ただまだ私と関係を続けたいなら別のコースがあるよ。正直もの凄く高く付くけど覚悟はある?」
「………構わないよ」
さっきの諦めかけた気持ちとは逆の言葉を俺は発している。もの凄く高く付こうが何だろうが関係ない。成るように成ればよい。だって今の俺に失うものなんてないんだから。
「じゃ、この契約書にサインして」
碧が見せた紙にはハッキリと『婚姻届』と書かれていた。俺は目をパチクリする。ん?んん??んんん???
「え、えーと…これってその所謂、何というか…」
「サインしたら最後、簡単には契約は取り消せないからね。わかってる?」
「………本当に俺でいいの??ほぼフリーターみたいなもんだけど」
「今更いう?アラサーになるまで待たせといて。いつまでも煮えきらないから強引にいったんだよ。経済的には気にしなくても結構。私が食べさせてあげるから文句は無しよ」
碧の目の奥が鋭く輝く。彼女はマジだ。だが、怖気づいている場合ではない。俺は腹を括ると紙にサインした。
「これでいいか?」
「うん、結構」
「で、幼馴染のサービスは終わったから次は夫婦としてのサービスになるってことか?」
「夫婦はサービスじゃないよ。『契約』だからね」
「うん、確かに高く付くな」
「そんな訳だから明日行くよ」
「何処に?」
碧の言葉に首を傾げていると碧が左手の薬指を指した。ああ、そういうことっすか。
「ね?高く付くでしょ?」
「…ま、今の俺には痛いが、望むところだ」
そんな訳で俺たちは夫婦になった。そしてそのすぐ後に大手漫画雑誌の連載が決まったのは別のお話だ。
ご一読ありがとうございました。