無事、ではない状況になりました
吹きガラスを作るための吹き棒は一本しかない。それだと、どうしてもニアと、その、か、かかか、間接キスをするということになる。
「そ、そんな恥ずかしいこと、私にはできません!」
私は頭を抱えて工房のスミに座り込んだ。
「婚約をしてない男女が……いえ、婚約していても結婚前の男女がそのような、はしたないことを! で、でも、吹きガラスを作るためには…………」
悶々と考え込む私を見かねたニアが、別のガラスの作品の作り方を教えてくれた。
「小さい作品になるが、初心者にはいいだろう」
ニアが作業台にカバーがないランプを置いた。魔法石で火力を強めているそうで、その火は赤ではなく青く燃えている。
「青い火は初めて見ました」
「極秘の魔道具だからな。他言するな」
「はい!」
他言してはいけない物を見せてくれたってことは、弟子として信用されてるってことよね。
私は心の中でガッツポーズを作りながらニアの説明を聞いた。
「この小さいガラスをピンセットでつまんで、火に当てる。で、溶けてきたら、こっちの棒に巻きつける。火から外して形を整えたら、あとはゆっくり冷やす」
「……それだけ、ですか?」
「それだけだが、うまく巻き付けないと丸いガラスはできない。あと、慣れてきたら他の色のガラスを加えて、好きな色のガラス玉が作れる」
「好きな……色」
私の脳裏に、あの花瓶が浮かぶ。紺色から紫に変わる夜明けの空を自分で作りたい!
「頑張ります!」
こうして私の挑戦が始まった。
※
私は毎日、弟子の仕事の師匠の世話を終えてから工房に入るようになる。
そこでニアの作業を横目に自分の作品を作るのだが、ふと気がついた。
私はあの夜明け色のガラス玉を作ろうと必死なのに、ニアは透明なガラスからあの色を作り出している。ガラスの配合の違いか、こっそり染料のようなものを混ぜているのか。ずっと観察していた。
でも、なにもしていない。
試しに同じ原料から作品を作った。
すると、私は透明なガラス玉になったのに、ニアは夜明け色に染まったガラスに。ちなみに作品は皿……らしい。私には陸に打ち上げられたタコ……にしか見えなかったけど、そこは黙っておく。
ニアが私のガラス玉を見て、しみじみと呟いた。
「意外と器用だよな」
「どちらかというと、ニアが不器用なだけだと思ぃ……」
ジロリと睨まれていることに気づき、口を閉じる。
ニアの様子をうかがうように見上げると、プッと吹き出された。出会った頃より私を見る紫の瞳が柔らかい。それに、無愛想だった顔に表情が増えてきた?
見つめる私にニアは軽く手をふった。
「別にオレが不器用なのは事実だから、いいんだよ。それより、なにか作りたいモノはあるか?」
「え?」
「慣れてきたようだし、ガラス玉以外のモノを作ってもいいだろ」
「それなら!」
私はガラス玉を作りながら考えていたことを言った。
「ガラスのアクセサリーを作ってみたいです!」
「アクセサリー?」
「はい。ガラスの形を丸ではなく雫形にして、それをネックレスやイヤリングにつけるんです」
ニアが不思議そうに首を傾げる。
「そういうのは宝石で作るんじゃないのか?」
「宝石にはない色でアクセサリーを作るんです」
「あー、そういうことか。面白そうだし、好きにやってみろ」
「はい!」
こうして、私の試行錯誤の日々が始まった。そんな、ある日。
あの色を出す方法を知りたい私は、ニアの斜め後ろからガラス作りをこっそり覗いていた。
ニアが窯の中にある赤く溶けたガラスを見つめる。通った鼻筋にキツく結ばれた唇。シャープな顎に太い首。
吹き棒を持つ無骨な手に、筋肉がはっきりと浮き出た二の腕。
炎に照らされたニアの姿はどこか神秘的で、つい目を奪われてしまう……
ただ、不思議なことにニアが汗をかいているところを見たことがない。工房はこんなに暑いのに。
私は額を流れる汗をハンカチで拭おうとした、次の瞬間。
「オワッ!?」
「キャッ」
ガラスを吹き棒の先端に巻き付けたニアが振り返りながら、私の存在に驚いた。いつもなら、私の存在にすぐ気づくのに、今日は気づいていなかったらしい。
私の後ろにある台座に吹き棒を置こうと動いていたニアの勢いは止まらない。いや、急には止まれない。このままだと、私の顔面が吹き棒に殴られる。
「ヒャッ」
逃げられない私は肩をすくめて目を閉じた。
「クッ」
短いうめき声。恐る恐る目を開けると、ニアが吹き棒を短く持ち、先端が私に届かないようにしていた。
眼前で止まる真っ赤に燃えたガラス。熱気で前髪が少し焦げた。
って、そんなことより!
「ニア!」
「さすがに熱いな」
カランと吹き棒が床に落ちる。ニアは邪魔だから、と吹き棒を持つ時に手袋をしていなかった。
つまり、素手で吹き棒の焼けた部分を掴んで……
「ごめんなさい! 私が声をかけずに見ていたから」
「いや、気づかなかったオレが悪い」
「でも……いえ、それより手を見せてください。すぐに冷やさないと」
私は両手を隠そうとするニアの手をとった。ビクリとニアの手が震える。
「ほら、痛むのでしょう? 早く水で……あれ?」
私はニアの手のひらを見て目を丸くした。高温で熱くなっている吹き棒を握ったのだから、火傷をしていると思った。
でも、目の前にある手には火傷も傷もなく……
顔をあげると、ニアも私と同じように目を丸くしていた。
「火傷、しましたよね?」
「痛みもあったし、火傷した……と思ったんだが」
二人そろって首をかしげる。
私はもう一度、ニアの手を見た。私の手よりも一回りも大きくて、骨ばってゴツゴツしている。この手で、あのキレイなガラスを……
「……おい」
「ひゃっ! ご、ごめんなさい!」
気がつくと私はニアの手を触りまくっていた。慌てて手を離したけど、私の顔は真っ赤になっていただろう。
ニアの顔が見れない私は思わず背を向けてしまった。背後でガタリと音がする。
少しだけ振り返るとニアが立ち上がっていた。
「一休みしよう。茶を淹れてくる」
「それなら、私が!」
「いいから、座っていろ」
ニアがそそくさと工房から立ち去る。浅黒い肌の耳がかすかに赤くなっていたように見えたのは、きっと気のせい……
お互いに少し気まずい休憩を終えて、再びガラス作りを再開した。すると、徐々にいつもの雰囲気に戻り、一日が終わる頃には、普段通り。
でも、ニアが私を見る回数が増えた。
それもそうよね。私がガラス作りの邪魔をしてしまったから……これでは弟子失格になってしまう!
私はこれまで以上に家事とガラス作りを頑張り、今までの人生の中で一番充実した日々を過ごしていた。
――――――――あのバカ王子が動き出すまでは。
山の麓の町に買い出しへ行くと、店に私宛の手紙が届いていた。差出人は頼れる有能な侍女マリナ。
ガラス工房に戻った私は急いで手紙を開けた。
「あー」
私は手紙を読みながら漏らした声に、すかさずニアが反応する。というか、最近は私に関しての反応が早いような気が。
「どうした?」
「元婚約者の第二王子が私を探しているそうです。大勢の人が集まったパーティーで、堂々と婚約破棄をしたのに」
ニアの視線が鋭くなる。
「前にその話は聞いたな。だが、なんで探しているんだ?」
「元婚約者が選んだ相手が王家の礼儀作法も、勉強もまともにできないそうです。当然といえば、当然ですけど。私が十数年かけて学んで身につけたことを、こんな短時間で覚えるなんて、天才以外には無理でしょう」
「それで、なぜ君を探すことに?」
私は肩をすくめた。
「私の父が、元婚約者の相手のそんな姿を見て『こんな女より自分の娘が劣っていたというのか! 公爵家をなめているのか!』と、激怒したそうです」
「……面子の問題なのか?」
「まあ、そういう父なので。そして、私はここに誘拐されたことになり、第二王子が兵を連れて奪い返しにくるそうです」
私は話を締めくくって、手紙を封筒に戻した。そこにニアが声を挟む。
「…………待て。誰が誰を誘拐しているって?」
私はニアと自分を交互に指さした。
「ニアが、私を、誘拐している」
ニアが額を押えて天井を仰いだ。
「なぜ、そうなるんだ」
「元婚約者は自分が婚約破棄したことを、棚よりも遥か高みの山頂に置いて、私がいなくなったのは誘拐されたから、ということにしたそうです。あと、婚約破棄もしていないことになっています」
「…………」
さすがに何も言えなくなったのかニアが黙る。こんな言い訳をする第二王子も問題だけど、それを通す王も大問題。もう、バカにかける言葉はない。
「安心してください。こうなることは想定内なので、手は打っています。隣国になりますが、従姉妹が国境沿いの伯爵家に嫁いでいまして。なにかあった時は、そこを頼れるように根回ししておきました。ほとぼりが冷めるまで、そこに引っ越しましょう」
「親に勘当されて行く宛がないって泣きついていなかったか?」
「そうでしたっけ?」
私は満面の笑みで、すっとぼけた。そんな私にニアが感心したように表情を崩す。
「ガラス職人より、策略家のほうが向いてるな」
「私は! 自分が納得する! ガラス作品を! 作りたいんです!」
私はそこで言葉を切ると、自分の部屋へ足を向けた。
「それより、今は早く荷物をまとめて……」
歩きだそうとしたところで肩を掴まれた。振り返ると、ニアがまっすぐ私を見つめている。
「あ、あの、どうしました?」
いつものニアとなにかが違う。ガラス作りをしている時の真剣な眼差し。まさか、それを自分に向けられるなんて。
掴まれた肩が熱くなる。ドキドキと激しく心臓が波打つ。その音がニアにまで届きそうで、私は思わず胸を押さえた。
そこで、ふわりと優しい風が舞う。ニアの長い黒髪が揺れ、朝焼けのような紫の瞳が私を射抜いた。
「これぐらい、オレがなんとかしよう」
口角をあげ、ニヤリと笑う。男前の笑みに思わず見惚れかけ、慌てて我に返った。
「いや! 相手は小隊を組んだ兵士ですよ! 一人でなんとかできる相手では……」
そこで優しく頭をなでられる。
「弟子ぐらい守れないと、師匠にはなれんからな」
「っ!?」
不覚にも私は真っ赤になってしまった。