無事、婚約破棄されました
それを初めて見た時、私はすべてを奪われた。透き通ったガラスに射した夜明け色。暁の明星のように散らばる光。それは、私の生きる道を変えた――――――――
「セリーヌ! おまえとの婚約を破棄する!」
私達の婚約発表という名目で開かれたパーティーは、一瞬で婚約破棄の会場となった。
私の婚約者にして、この国の第二王子のグリッドは、周囲のざわつきを無視して私を怒鳴り続ける。
「なにが、伝説の聖女のように美しく癒やされる存在だ! この性悪女が!」
「……え?」
「おまえが裏でナターシャにしてきた悪行はすべて聞いたぞ!」
「あの……」
グリッドが隣に立つナターシャの細い腰を抱き寄せた。ナターシャが勝ち誇ったように私を見下ろす。
「そして、私は本当の愛を知った!! それを教えてくれた彼女と婚姻を結ぶ!」
堂々と宣言した言葉は、流行りの芝居で名場面と言われている主人公のセリフそのまま。また、物語の主人公と自分を重ねた茶番劇。でも、ここで下手に返してはいけない。
私は表情を変えないため、下唇をグッと噛みしめる。震える手はスカートを握って誤魔化した。
顔をあげ、なんとか声をしぼり出す。
「……かしこまり「さっさと私の前から消えろ」
言葉を重ねてくるなんて。わかりました。さっさと消えましょう。
「では、失礼いたします。ごきげんよう」
私は優雅に膝を折り、ホールを後にする。背後から引き止めるような声がしたけど、聞こえないフリをした。
だって早く立ち去らないと…………
「やぁっっっと、開放されたわ!」
屋敷に戻る馬車の中。私はあふれ出す笑いを盛大に開放した。
「お嬢様。馬車の中とはいえ、もう少しお静かになさってください」
「だって、やっと婚約破棄されたのよ! ここまで長かったわ。婚約破棄するって言われた時は、笑いをこらえるのに必死で、必死で……」
お腹をかかえて笑う私を侍女のマリナが淡々とたしなめる。
「お嬢様、態度と口が悪いです。黙っていれば人形のように可愛らしく、お美しいのに」
「もう、今ぐらいは見逃して。あ、このあと公爵家の面汚しって家からも追い出される筋書きだから。あとは、よろしくね」
「はい。荷物はまとめてあります」
「さっすが。できる侍女は違うわね」
マリナが少し寂しげに、でも淡々と答える。
「お嬢様に鍛えられましたので。ですが、本当によろしいのですか?」
「大丈夫よ。じゃあ、ここからは私の好きにさせてもらいましょう」
私は公爵令嬢らしく優雅に微笑んだ。
公爵家の次女として生まれ、気がつけば第二王子の婚約者。そして、学校の勉強から礼儀作法から婚約者教育の毎日。
勉強漬けでグレかけ……いえ、いえ。鬱ぎこんでいた私はある日、それに出会った。周囲の大人はブサイクだ、失敗作だ、と見向きもしなかったけど。
――――――――私は一目で虜になった。
※
激怒した父によって想定通り家を追い出された私は、動きやすい平民の服を着て、カバンを片手に山の中にいた。
「えっと……この辺のはずなんだけど」
山の麓の町で描いてもらった地図とも言えない落書き。それと、にらめっこすること数十回。私は見事に迷子になった。
「やっぱり一度、来た道をもど……キャッ!」
振り返ると同時に私は足を滑らした。重力に逆らえず、全身を打ち付けながら斜面を転がり落ちる。
バシャン!
転落した先は湖で。浅瀬だったから溺れることはなかったけど、体はぬれた。
「うぅ……こんなところで……私は、諦めな、い……」
必死に湖から這い出す。
私には壮大な目的がある。それを成し遂げるまでは、こんなところで倒れてなんか、いられな…………
痛みと寒さで意識が朦朧とする中、空から舞い降りてくる大きな影が見えた。
バチバチと暖炉の音が耳をかすめる。美味しそうなスープの匂いが鼻をくすぐる。
意識が浮上していくと、次に感じたのは全身を襲う痛み。とても起き上がれそうにない。でも、瞼は動く。
私は恐る恐る目を開けると、見知らぬ青年の顔があった。
「起きたか」
「ひゃっ!?」
「な、なんだ!?」
私の反応に驚いたのか、覗き込んでいた青年が下がる。
長い漆黒の髪に、精悍な顔立ち。鍛えられた筋肉質な体に、日に焼けた浅黒い肌。
社交界にはいなかった、たくましい系の美形。でも、それより惹かれたのは――――――――
黒髪の隙間から覗く、涼やかな紫水晶の瞳。まるで、夜と朝の狭間。朝焼けに染まった澄んだ空。見ているだけで吸い込まれそう。
「どうした?」
青年が怪訝な顔になる。見惚れたとはいえ、初対面の人に不躾な態度をとってしまった。
「ごめんなさい。突然でビックリして」
私は謝りながらも、顔だけを動かして状況の確認をした。
丸太を組んで造られた立派な家。
天井からは魔石を入れた灯り用のランプの魔道具がぶら下がる。家具は机と椅子とソファーと……必要最低限度の物しかない。
しかも、そのソファーには私が寝ている。ぬれた体を温めるために、暖炉の前に置いたのだろう。おかげで、ぬれた服はすっかり乾いていた。
あと、ソファーの背で見えないけど、後ろにはキッチンがあるようで。そこから、おいしそうな匂いが……
ぐぅぅぅ。
安心したためか、昼食を食べていないためか、お腹が盛大になった。もう公爵令嬢でも、なんでもないけど、これは普通に恥ずかしい。
顔を赤くした私の前から青年が消える。次に現れた時は、湯気がのぼる器を持っていて。
「……食べるか?」
「神ですか!?」
起き上がろうとした私は痛みで即ソファーに沈んだ。
「痛い……」
空腹より痛みが勝ってしまった。シクシクと心の中で泣く私にスープをすくったスプーンが差し出される。
「……ほら」
「え、あ、あの……」
「食べないのか?」
「い、いただきます!」
私は初対面の美形青年に「あーん」をしてもらい、スープを完食。なんの羞恥プレイですか、これ……
空腹が落ち着いた私は改めて礼を言った。
「あの、助けていただき、ありがとうございました。ケガの手当てから、食事まで……お恥ずかしいのですが、手持ちが少なくて。謝礼はあまりできませんが……」
「金はいらない。それより、なんで湖で倒れていたんだ?」
核心をついた質問に、私は大きく息を吸った。このために、山に分け入り、迷子になったけど。
でも、私の決意は変わらない。
「ニアという、ガラス職人の方をご存知ありません? 工房を訪ねようとして道に迷い、足を滑らせて湖に落ちたのです」
青年が少しの沈黙の後、ポツリと爆弾を落とした。
「……ニアはオレだが」
私は痛みを忘れて飛び起きた。
「あなたがニア様! ずっとお会いしたかっ……いたた……」
全身を突き刺す痛み。でも、こんな痛みに負けていられない。
私は立ち上がろうとして、ソファーから転がり落ちた。
「おい、無理するな」
心配する声は嬉しいけど、私にはそれよりも目的がある。
床を這いずりながら、私はニア様に近づいた。
「……して、ください」
「なんだ? よく聞こえない」
「私を! 弟子に! してください!」
「断る!」
それは、それは、清々しいほどスッパリと言われた。
まぁ、こんな初対面で匍匐前進で迫る女を弟子にしたくないわよね、普通は。わかってます。
本日の午後にあと2話、夜に2話投稿して完結します。
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