悪役令嬢は罪悪感を愛でる
これも一種の愛です、多分
彼には好きな人がいた。
アシル・コンスタン公爵令息。それが愛おしい私の婚約者。私、ソフィア・アレクサンドルは公爵令嬢。釣り合いはとれていると思う。爵位だけでなく、見た目も、教養も。でも、彼には好きな人がいる。
サラ・ベルナデット伯爵令嬢。彼の愛おしい幼馴染。親同士が仲が良く、幼い頃からずっと一緒にいたらしい。彼は私と一緒にいた時間より、彼女と一緒に過ごした時間の方が長い。しかも彼女は、病弱だった。何かあるとすぐに体調を崩してしまう彼女に、彼は私との時間を削ってまで付き添うのだ。
それは今日も、同じこと。
「ソフィア、ごめん。サラが体調を崩したらしいんだ。悪いけど、帰ってもいいかい?この埋め合わせは必ずするよ」
「埋め合わせなんていいわよ。行ってあげて」
「ごめん、ありがとう。…愛しているよ、僕のソフィア」
愛してるなんて、言わないで。あり得ないのに、期待してしまうから。わかりきった嘘すら、信じたくなるから。
「サラさんによろしくね」
「うん、本当にありがとう。行ってきます」
彼女は病弱だからと理由を付けて、自然豊かな領地を持つ彼の屋敷に住んでいる。彼女はいつも、私と彼が一緒に過ごしている時に限って体調を崩す。ここまであからさまだと、さすがに気付く。彼女は私に、彼との結びつきの強さを見せつけているのだと。
けれども私は何も言わない。…言えない。醜い女の嫉妬だと、彼に思われたくない。彼に嫌われたくない。一度だけ、サラさんの前で彼に私を優先して欲しいと言ったことがある。その時の彼の冷たい目を私は忘れられない。「君がそんな悪女だなんて思っても見なかった」と吐き捨てた彼を、サラさんが宥めるフリをして余計に火に油を注いでいたっけ。その後冷静になった彼に言い過ぎたと謝罪されて仲直りしたけれど、もう私はあんな思いはしたくない。それに、それでなくても社交界では私は、「アシル様とサラ嬢を引き裂く悪役令嬢」として有名になってしまったのだ。これ以上の悪評は勘弁願いたい。
ああ、けれど。
『私の誕生日パーティー』ですら、彼女を優先するのね。
私は彼が帰るのを見届けた後、急に気分が悪くなり部屋に戻らせてもらった。主役のいない誕生日パーティーは、しかし大いに賑わったらしい。
ー…
「ソフィア」
「ん…アル?」
あれから三日。体調が良くなることはなく、むしろどんどん悪くなるばかり。意識も朦朧として、熱も出て。けれど、原因不明らしい。おそらくはストレスのせいだとは言われたけれど。そんなぼんやりした意識の中で、彼の声が聞こえた気がした。幻聴かと思ったが、目を開けると彼が私のベッドのすぐ横に腰掛けていた。
「よかった。目が覚めた?食事はとれそうかな?」
「…サラさんは?大丈夫なの?」
私が彼女をほおっておいていいのかと聞くと、何故かアルは顔を顰めた。
「今はサラより君のことだろう」
「でも、貴方がいないときっと寂しがるわ。体調を崩してしまうかも」
「…婚約者が熱を出しているのに、他の女のところに行けって?」
だって、そんなの。いつものことじゃない。
「…私は大丈夫」
「どう見ても大丈夫じゃないだろ。それより、ほら、お粥を用意したんだ。食べさせてあげる」
「…サラさんにも、いつもそうしているの?」
ああ、いやだ。熱に浮かされて、普段なら我慢出来ることも口にしてしまう。
「…今までは。でも、もうしない。サラとは縁を切る。サラは実家に返した。…だから、ねえ、やり直すことは出来ない?もう一度僕にチャンスをくれないか?」
なんの話だろう。
「…うん。正直に告白しよう。サラは…僕のことが好きだったらしい。病弱だったのは本当。だけど、君といる時に体調を崩したのは振りだけだった。僕とソフィアの仲を引き裂くためだったらしい。そしてサラの両親も、それを応援していたとか。サラを公爵夫人にしたかったらしい。ソフィアが倒れたのを三人とも喜んで、嬉々としてそんな話をしていたよ。僕がそれを聞いてしまったのは偶然だったけれど、僕は三人を屋敷から追い出した。僕の両親も、もうあの家との付き合いは断つそうだ。今更だけど…本当に、ごめん、ソフィア」
…うん、なんとなく私はサラさんの思惑は想像ついていた。でも、アルにはきついだろうな。
「アル」
「ん?」
こちらに顔を向けてくれるアルの頭に手を伸ばす。なでなでと撫でると、アルは泣きそうな顔をした。
「…ごめん、今まで蔑ろにしてしまった。でも、僕はそんなつもりはなかった。それだけは信じて欲しい」
「うん。大切な幼馴染だったんでしょう?優しく接するのは当たり前だわ。結果的にそうなっただけで、私を蔑ろにするつもりはなかったのよね。わかってる。大丈夫よ。だから、そんな泣きそうな顔をしないで。私、貴方の笑顔が好きなの」
私がそう言うと、何故か余計に泣きそうな顔をするアル。
「僕は、もう、優先順位を間違えない。何よりも君を大切にする。だから、もう一度。僕とやり直して欲しい」
「わかったわ。貴方を許します」
「ソフィア…ありがとう」
「手始めに、お粥を食べさせてくれる?」
「もちろんさ」
ー…
あれから数ヶ月。アルは宣言通り、何においても私を優先してくれるようになった。サラさんとの付き合いももうないみたい。
「ソフィア。君が行きたいと言っていた劇のチケットを買ったんだ。よかったら一緒に行かないか?」
「ありがとう、アル。一緒に行きましょうか」
私とアルは今までが嘘のように、穏やかな時間を共に過ごしている。もう、サラさんが体調を崩したから、とか、そういった妨害はない。
「…ソフィア」
「なに?」
「愛してるよ。心の底から」
「私もよ。アル」
願わくば。どうか、その罪悪感を愛だと勘違いしたままずっと私と一緒に生きてください。それが私の、ささやかな願い。
きっと愛ですよね?