後編
どういう風の吹き回しか、研究の話をする前まで不機嫌だったはずのエドガー様は、それまでの無愛想が嘘のように饒舌に語り出し私の味方になると言う。
確かにラインセント王国の女性の地位は低く、それも貴族の令嬢が研究者として小麦開発に関わっていることに難色を示した人たちもいたが、そんなことよりも領地で二度と飢饉を起こさないほうが大切だった私は全て放っておいた。結果を出すことの方が重要だったからだ。おかげで我が家に迷惑をかけ、研究費を捻出するためにさらに貧乏になってしまったが、お父様は研究に成功すれば領民の命が救えるのなら惜しくないと言って躊躇わず差し出してくれた。
未曾有の飢饉に陥ったあの当時、領主館で保存していた蓄えを全て領民に放出しても追いつかなかった作物不足。伯爵家が借金をしたのだってそれを解消するためで、領民を一人でも救うためであった。お父様は領民を守ることが爵位を持つ貴族の役割だと、常日頃から言っている素晴らしいお人で娘の私はお父様を誇らしく思う。
「カルタル様にそう申し出ていただけるのは嬉しゅうございます。カルタル領には国一番の広さと蔵書率を誇る私立図書館があると聞いておりますので、そちらに出入りする許可をいただけましたらと思います」
「それぐらいお安い御用だ。後で父上に話を通して頼んでおこう。しかし、伯爵領とカルタル領の間には距離があるが通うつもりか?」
「ありがとうございます。許可をいただけましたら、数日ほど私立図書館に程近い宿を借りて通うつもりです。詳しい研究の内容はお伝え出来ないのですが、今は新しく改良した種が無事に発芽するか確認している段階でございますので、それを待っている間にケイル国以外の寒さに強い小麦の品種について調べたいのです。我が領地にある図書館ですと限界がありますので、国一番の広さを誇るカルタル私立図書館の出入りをしたいと思いまして」
「なるほど。それなら、調べている間はこの邸に滞在すれば良い。滞在の許可は領地を任されている兄に聞かなければ分からないが、君の研究がいかに意義あることなのか兄であればすぐに分かってくださる」
エドガー様の提案に暫し思考が止まった。この提案は善意からではなく、ラインセント王国の農産業に大きな変革を齎す期待からくるものであることはひしひしとエドガー様の様子から伝わってきた。きっと、私が小麦開発をしていなければ私自身を見なかったのであろう。ただの政略結婚の相手で、エドガー様にとっては価値のない妻であると。だって、私は知っている。エドガー様は件の男爵令嬢を心から愛していたと、遠縁の令嬢から嫌になるほど教えられていたのだから。
実際にエドガー様に会って確信した。このお方は今でも男爵令嬢を愛していると。研究の話を出す前までは、私になんて微塵も興味が無く心ここにあらずな状態でどこか遠いところを見ていた。それなのに、研究の話をした途端に目の色を変え、積極的に私に研究の話を振ってきた。恐らくエドガー様は、私に研究から付加価値を見出したのだろう。なんと分かりやすいお方なのかしら。
「大変有難い申し出ですが、そこまで甘えるわけにはいきません」
「それはどうしてだ?」
「私とエドガー様はまだ婚姻前でございます。流石に貴族の令嬢として婚姻するまではエドガー様のお屋敷に滞在するわけにはいきませんから」
「あぁ……そういうことか。気が付かなくて申し訳ない。だったら、離れを使えばいい。それなら一緒の屋敷ではなくなる」
それ、あまり違いがないのでは? と戸惑いつつもう一度丁寧にお断りしようとするが、どうやらエドガー様の中では決定事項らしい。すぐに近くにいた侍従を呼び寄せ、何やら指示を出している。私の意思は聞いてくれないみたいだ。
「アメリア、結婚の日にちだが研究が落ち着いてからで構わない。こちらで準備は進めていくから、君は研究に集中してくれ」
エドガー様は私が完全に無視されていたと思っていた結婚の日取り確認を覚えていたようだ。研究の話がエドガー様の中では終わった話らしく、漸く本日の目的である内容を口にした。私からすればそちらをしっかりと話し合いたいと思って臨んだ顔合わせの場だったが、エドガー様はやはり私との結婚については然程興味がないのだろう。一気に面倒くさそうな態度に変化し、どこか他人事のように感じる。
それでも、エドガー様は結婚の準備を引き受けると言った。もちろん私も出来ることはする予定だが、残り三ヶ月は研究を優先しても良いみたいだ。それが嬉しかった。
「ご配慮してくださりありがとうございます」
「アメリアの研究は国を大きく変えるかもしれないからな、当然のことだ。ああ、それと、結婚後も研究は続けてくれて構わない」
「え、よろしいのですか?」
「当たり前だ。研究は続けてこそ意味のあるものになる。ましてやそれが国の農産業に影響するものならな。設備など研究に必要なものを後でリストアップして渡してくれ。すぐに用意は出来ないが、早めに準備しておいて損はないだろ」
「何から何まで……ありがとうございます。けれど、研究の設備については仲間たちと相談させてください。寒さに強い品種の開発をしているので、場所はそのまま移動しないほうがいいかもしれませんので」
「それもそうか。研究は好きだが、特別詳しいわけでもないからそれについてはアメリアたちの判断に任せる。ただもし個人的にアメリア一人が研究するのであれば、研究室は用意するつもりだ」
婚姻前なので屋敷の滞在についてはまだ納得していない部分もあるが、それ以外の優しさに私はエドガー様に感謝した。研究が落ち着いてから結婚出来ること、カルタル領の私立図書館に出入り出来るよう取り計らってくださること、何よりも結婚後も研究を続けて良いと言ってくださったこと。通常であれば考えられない好待遇。貴族の男性に嫁ぐなら研究は諦めなくてはならないと思っていたから余計に。そのために、研究の途中とは言え迷惑かけないよう研究仲間に引き継ぎしている最中だった。
けれど、研究が続けられるのなら、今開発している品種以外の小麦だって作れるかもしれない。そうなれば本当にラインセント王国の農産業は転換期を迎えるだろう。その一役買うことが出来るのなら、研究者冥利に尽きる。
「エドガー様」
「なんだ」
「これからどうぞよろしくお願いします」
「ああ、よろしくなアメリア」
最初に会ったエドガー様と違い、今度はしっかりと私と目を合わせ言葉を返してくれた。今、このお方が誰を好きでも構わない。王家の怒りを買った瑕疵のある男でも構わない。私との結婚に興味を持っていない相手でも構わない。今の私が望むのは、研究を理解してくれるその点ただ一つ。それさえ理解していてくださるのなら、私も精一杯の務めを果たしましょう。
そうして、私アメリアとエドガー様の初顔合わせは幕を閉じた。それから三ヶ月後、研究が一段落した私はエドガー様のもとに嫁ぎ、カルタル領で引き続き小麦開発の研究を続けた。ただし、寒さに強い新しい品種の小麦は伯爵領で研究を続け、その傍らでカルタル領の気候にあった新しい品種の小麦開発に勤しむこととなる。二つの領地で研究をするため、カルタル領から出られないエドガー様を置いて行ったり来たりするのだが、伯爵領に行く際エドガー様は着いて行けないことに悲しまれる。
エドガー様が置かれている境遇は身から出た錆であるので、あまり同情の余地はない。それでも、カルタル領でエドガー様と暮らしている時は顔合わせの時の予感が的中し、研究に行き詰まった私に的確な助言をくださる。元々の頭の良さが研究に活かされているのである。だから、いつか一緒に伯爵領に行けたら、と願う。
そう遠くない未来で、ウィルビセス殿下が突如訪問され、処罰されてからのエドガー様の領地での働きぶりを評価し、カルタル領以外に私の故郷である伯爵領なら行くことを許されるとは、この時の私たちはまだ知らない。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!