最後の復讐・10
「次は此処です。あなたのお望み通りですかね」
心なしか物言いが改まったような少年の声。塔というのは処刑出来ない人物の幽閉先だ、ということはこの身体に生まれ変わっていつ頃聞いたことだったか。
「私は恨んでいるがそちらは恨んでないのか」
少年の気持ちを先に聞いておこうとする。先程のように出し抜かれては堪らない。
「恨んでますよ。国王も、王妃も。でもあなたも恨んでいるようですから。だから今回は譲ります。あなたの後で構いません」
少年は意図に気づいたように正確な答えを述べて来た。
鉄の錆びついた臭いが互いの身体から立ち込める。返り血を咽び浴びたその所為だろう。互いの顔にその臭いに顔を顰める事はない。どちらかと言えば達成感のようなものが少年から見て取れた。おそらく同じ表情をこちらもしている事だろう。
「つまり、邪魔はしないという事でいいな」
「ええ。ただ忠告はさせて頂きます」
「忠告」
少年は何やら不穏なことを口にして薄く口元に笑みを象る。……聞いておく方が良さそうかと思うより早く、ずっと無言で背後に居たはずのヤンが前へ出て来た。
「犬だな。そんな怖い顔をするなよ。ご主人様に何もしやしない」
ヤンの行動に怖い怖い、と笑いながら少年はそんなことを言う。
「……あれか、王弟かベジフォードを影で護衛しているような立場のやつか」
尋ねると一瞬だけ目を丸くした少年はニヤリと音を立てるように笑う。
「なぜそう思った?」
「犬と言ったからだ。飼い主に忠実な動物なのは確かだろうがこの国に犬はあまり居ない。貴族でもあまり飼わない。故に忠実さを喩えるのに犬を出してくるというのは、私がヤンに黒い子犬と呼ぶことを知っているということ、そう思っただけだ。そして影から周囲を窺うのなら王弟かベジフォードの、それこそ犬だろう」
少年は参った、とばかりに両手を挙げてクツクツと笑う。
「頭の良い人だ。身体能力はお世辞にも良いとは言えないけれどそれを補うような賢さがある。だからあのお二人はあなたと手を組んだのか」
「さぁな」
あの二人が真実何をもって手を組もうと考えたのか、それは知らない。
「では、改めて忠告をさせてもらおう」
揶揄する雰囲気が消え去り少年は改めて口にした。先程の揶揄する雰囲気どころか今までの飄々とした雰囲気すら掻き消した相手は、少年のはずなのに人を圧する空気を出してきて、これがこの少年の本性か、と嘆息する。
まぁだからといって、それがどうしたというだけの話ではある。圧倒するような空気を出そうが威圧して来ようが、別にどうでもいい。
目的さえ、果たせるのならば。
「忠告とやらとは?」
「王妃のことさ。この塔がどういうものか知っているか」
「処刑出来ない人物の幽閉場所としか」
急に塔について尋ねられ知っていることを告げる。そうだろう、とばかりに少年は頷く。
「この塔の内部はまずあの扉を開けると人一人がようやく通れるくらいの階段になっている。螺旋階段というやつだ。グルグル回りながら上を目指す。ある程度の高さ大体はちょうど半分くらいの高さだな。その高さになると階段は終わり少しばかり広さがある。そこへ立つと扉があり、その扉の中に入ると部屋になる。灯も無いなら書物一つ無いベッドがあるだけの何もない部屋。外から見れば分かるが最上部に窓があるだろう。あの窓から射し込む日の光が唯一の光源。小さな窓から僅かに入る灯で大体の時刻を把握する程度の、部屋。大体は何もない部屋にずっと居ると気が狂う」
懇切丁寧な説明で理解した。
「つまり精神が狂った、と」
「そういうことだな」
「手を掛けることは寧ろ救いになる、か?」
「いや、そうでもない。あなた、大大陸を知っているか」
「聞いたことはある」
「その大大陸に、ソルリアという魔術の国があるんだが、この塔はそのソルリアという国の魔術師達が建てたと言われていて、この塔から生きて出られた者は正気に返ると聞いている」
なんだか随分と胡散臭い話になってきたな。
「疑う気持ちは分かるが、過去に無実の者がこの中に入って気が狂ったけれど無実が証明されて出て来た時には、正気に返ったという記述が残されている。高位貴族あたりは知っているだろう話だな」
「つまり、王妃が出てくる可能性がある、と」
「無いわけじゃない」
何故、この塔から出られる可能性があるのかという疑問はこの際、気にすることはない。今夜、ここで王妃は死ぬ。気が狂っていて自分がやらかした事の反省も何もないのは気に入らないが、まぁどうせ、国王にもやらかした事を反省させないままにその命を奪った。今更か。
「なら、さっさと殺す」
迷うことなく言い切った。
「躊躇うことがないな」
「躊躇って欲しくて王妃の気が狂ったという話を出してきたのか? 残念だったな」
「あわよくば、と思っただけだ。気にしないでくれ」
少年は肩を竦める。少年の思惑に乗れず済まなかったな、とは思うもののそれだけだ。それよりも問題は、螺旋階段を上がる体力があるかどうか、だ。
「ヤン」
「はい」
「登れなかったら手を引いてくれ」
「分かりやした」
信じているわけじゃない。ただ、この黒い子犬なら命じれば必ず行うだろうと思っただけ。なんなく了承の返事を受けて少年がドアを開けたことを確認して、中へ足を踏み入れた。
結論から言えば、難なく登れた。……とは言えない。割と早いうちからヤンに手を引かれて登った。体力が無いことを差し引いても螺旋階段が緩やかではなく急だったことで体力温存のために手を引いてもらった。手を引かれるだけでも自分以外の力で登れるから素直に頼んでおいてよかっただろう。ヤンの前に居る少年はやや呆れた顔をしていたが、そんなことは知らない。登れたのだからいいだろう。降りる時にもまた手を引いてもらうことにすればいいのだ。
「これか」
螺旋階段が終わった先にドアがあった。
何の感慨も湧かないがドア越しに狂ったような高笑いが漏れ聞こえて来る。魔術師が作った塔も劣化しているから聞こえているのか、それともこういう仕様なのか。そんな事すらどうでもいい。
「ヤン、開けてくれ」
無言でドアに手を掛けるヤン。思ったよりもスムーズに開いたが開くに従い高笑いは直に耳に響いた。女の甲高い高笑いは癇に障るがまぁそれすらももう終わると思えば、落ち着ける。
ドアの向こうには鉄で出来た檻。
それこそ魔術師の魔法で壊せるような代物には見えない。魔術師の魔法とやらがどれだけ凄いのかは殆ど知らないが。片手で鉄の棒を一本握ると棒の方がまだ太いのだから。当然力自慢の人間だって折るどころか曲げることだって難しい。
その、向こうでかつて見た偉そうな女が狂ったように高笑いを続けていた。その頬……いや顔全体が煤やら目やにやら皮脂汚れやらで汚れていて、かつて見た時には絹の素材に宝石が鏤められレースがふんだんに使われたドレスを着て威厳を保っていたようだったが、今や木綿か麻か分からん日本で言う丈の長い長袖Tシャツのようなものを一枚着ているだけで高笑いを続けている。
今の自分の境遇に頭がやられたのか知らないが国王は自分の部屋だろう場所でただ寝ているだけの所を襲ったので観察することもなかったが、王妃は一応生きて元気に動いているからこのように観察出来る。観察した結果、同情心でも湧き上がるかと思ったが心のどこを探しても何の感情も見当たらない。
「こんなものか」
「お嬢? どうしやした?」
「いや。憎しみと恨み辛みで燃え盛るかと思っていたが、この女を前にしてそんな感情があまり湧かないことに気づいた」
呟きを拾ったヤンに胸のうちを明かす。
「では、やめますか?」
少年が即座に反応したが、その声はどことなく弾んで聞こえ、おそらく自分のターンだと思っているのだろう、と判断出来る。
「まさか。君がどんな恨みを持っているのか知らないがこちらも簡単に恨みを手放せるものじゃない。感情がそれほど湧かないからといって消えたわけでは、無いんだ」
そうですか、と残念そうに呟く少年に檻を開けられるか尋ねれば黙って鍵を差し出す。受け取って開けようとする前にさっさとヤンが鍵を受け取って開けた。
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