嗤う男の正体・3
ベジフォードと別れてから3日。慎重に行動しつつ、図書館へ。
ところが、である。
何の因果なのだろう。いや、もしかしたら彼方は予測済みだったのかもしれない。一応変装のために、髪は切り服装も平民と同じ(精々裕福な商家辺りの服装)物、それも男性用を着ていたというのに。
ベジフォードに見つかってしまった。
正確に言えば先に見つけたのは私の方。図書館に出入りしている姿を見た。元々私は知り合いが少ない。伯爵家の令嬢としてお茶会を開いたのは数回だし、招待されて行ったのも数回。後は病弱を押し通して断っていた。王家主催のお茶会などあの1回のみだ。つまり、ベジフォードのことは見つけるつもりが無くても見つけてしまった。
向こうにバレないように視線を逸らして本を探しつつ読んでは知識を吸収していく。
その過程に夢中になっていたら、私が座っていた席の隣にいつの間にか座っていた。
「何故」
静かな図書館なので低く小さく問いかければ、ニィッと笑ってから「仕事だ」 と返された。それはそうなのだろうが、席が埋まっているわけでもないのに私の隣なのが解せない。確実に私を見つけていた、という事だ。
「警戒するな。話が有る」
ベジフォードは時刻を決めて此処で待つように伝えて来た。私の存在を認識した上での言葉だ、逃げても仕方ない。どうせ今日一日この図書館に居るつもりだったのだし、構わない。ヤンには一日此処に居るから、少し気分転換に身体を動かして来い、と放り出した。物凄く嫌な顔をして図書館の前で待つ、と言うので、ヤンが図書館前に居たら目立つと言えば、渋々何処かへと行った。
尚、娼館に行っても構わない、と言えば、目を剥いて「そんな事をしている場合じゃないでしょう!」 と怒られた。何故私が怒られる。私は普通の令嬢ではない。前世の記憶が在るのだから、男の性というものを身をもって理解している、というのに。
「いいんです。俺のことは。お嬢を守って手足となるのが俺の役目だ」
そこまで言われてしまえば、それ以上に何も言えるわけではなく、では、一日休みだと思って好きにしておけ、といくらか金を渡しておいた。金そのものは今世の私の家で有った伯爵家を出る前に懐に入れたので、割と懐は暖かいが無駄遣いをする気は無い。
いずれ、復讐が終われば、私には不要なものとなる。それまでの間は、先立つ物が無ければ生活が出来ないのだから無いより有る方がいい、とある程度まとまった額を持っている。
さて、ベジフォードに指定された時刻まで一般的に公表されている王家の人物像をもう少し理解しておくか。王城の隣にある図書館だからなのか、思った以上に王族に関する本が置かれている。例えば、もう故人となった王の好物が書かれたもの。例えば、現国王一家の誕生日やそのプレゼントが紹介されたもの。まぁ一般公開しても問題無さそうな範囲でしか本にはなっていないだろうが、些細な情報がどんな役に立つのか判らないから、知っておく方がいい。
無用な知識として、知り得た端から忘れたい気持ちを抑え込んで覚えている。
そんな事をやっていたら刻限だ。ベジフォードがやって来てついて来い、と顎で示された。成る程、私が平民の男のフリをしている事を踏まえての扱いらしい。こういう時に出来る人間かどうか判別がつくのだろう。これでこの格好にも関わらず丁重に扱って来るような奴なら、踵を返す自信が有ったのだが。
ベジフォードの後を少し離れて着いていく。貴族に畏れ多くて近寄れない、と傍目に見えればそれで良い。図書館の奥まったところに埃を被っているテーブルと樫か何かの素材で出来た背もたれが有る椅子が有った。コレに座れって言う? 埃だらけだぞ? 私はともかく、お貴族サマは座ったらダメなヤツだろ?
なんて思っていたのだが、そうではなかった。
ベジフォードは更にその奥へ向かった。
なんだ? 本なんて無いじゃないか。埃を被ったテーブルと椅子の脇を抜けてその奥なんて何も無い空間だ。……と思っていたら違った。歩いて行くと階段が見えて来て、その下へベジフォードが足を向ける。その階段下には、誰かが立っていた。
瞬間、ベジフォードを睨んでしまったのは仕方ないと思う。
他人がいるなんて一言も言わなかった。
即座に踵を返そうとしたら、ベジフォードに腕を掴まれ、振り払う前に一歩私に近寄って来た。
グッ……
瞬時に巡る前世で男達に嬲られた記憶。
悲鳴も上げず、胃から迫り上がる物を飲み込んで低く呻くだけで終わらせた自分を褒めたい。だというのに、私が声を出す、と思ったのか、ベジフォードは男の手で私の口を塞いで来た。その行為に恐怖を覚える。
思い出したくもない悍ましい行為を彷彿とさせるその仕草に、冷や汗が流れ全身が震える。
「落ち着け、声を出すな。手を離すから」
ベジフォードは私の尋常じゃない姿に気づいたのか、ゆっくりとした口調で、穏やかな声音でそう言うと、私の口から手を離した。そして私と距離を取ったのを確認して、大きく息を吐き出す。……と、ベジフォードと視線が合った。痛ましいものを見るような目を向けてくる。
「何も、言うな。昔の記憶が甦っただけだ」
昔、を強調すれば、ベジフォードは私の前世だと気づいたのだろう。目を見開いた。
「そうか。そういえば、私の母と同じ、と言っていたな。……信じられず済まない」
私が前世の記憶持ちだという事を、今、ようやく受け入れたらしい。そういえば、この男の母もあの屑の魔術師とやらに嬲りものにされたのだったか。私の拒絶反応で男に恐怖心が有るその理由を把握して、この前私が話した前世の記憶持ちの事を思い出した、という事か。
「構わん。それで?」
深呼吸をして記憶を追い払うと、ベジフォードに階段下に居る人物の説明を求めた。
「何やら込み入った事情が有るみたいだね」
ベジフォードの説明より早くゆったりとした声音でその人物が声を掛けてくる。声からするとどうやら若い男のようだ。
警戒しながらベジフォードを見れば、ベジフォードが改めて口を開いた。
「此方は王弟殿下」
もう一度踵を返したが、それより早くベジフォードが「待て」 と小さく止めて来た。今度は不用意に触って来ないだけ、こちらを気遣っている、と見るべきで。それに免じて(それが王族への不敬だと知った上で)向き直る事はしないが足を止めた。
「気持ちは分かる。いや、本当のところは分からないかもしれない。だが、落ち着いて聞いて欲しい。この方は、21歳なのだ」
それだけで、怪訝に思う。
あの国王の弟にしては随分年齢が離れている。王妃どころか王子達よりも年下ではないか。第一王子というか、王太子だな、あいつなんぞ35歳のはずだが。
「えっ。ベジフォード。なんで年齢を最初に伝えたの」
背後の王弟殿下とやらは、私が背を向けているにも関わらず、咎めても来ない。《《あの》》王族だぞ? 屑で糞みたいな。何故咎め立てしてこないんだろう。そして、のんびりとした口調で尋ねて来る内容も随分とズレてないか。普通は私への詮索だろう。
そこで、ハッとした。
もしや、この男は最初から王弟殿下とやらに私を会わせるつもりで私の事を話していたのか、と。気に入らなくて睨み付ければ、落ち着け、と両掌を向けられる。
「もちろん、会わせたい人がいる、とだけ、君のことは話した。ただ、名前も年齢も何も伝えていない」
それはそれで、おかしいだろう。
ベジフォードも、おかしい。だが。
王弟殿下とやらが、更におかしい。
「胡散臭い相手に会わせようとする臣下もオカシイが、それで会おうとするアンタも大概オカシイな」
私はまだ振り向く事もしないで挑発する。
「ふふっ。王族相手にそんな口を利くなんて面白いね」
……本当にあの屑みたいな王族の一員か? 激昂するなら分かるが飄々とした口調に笑いを付けるなんぞ、あの国王や王妃に王子達にしてみろ。途端に罵倒されるか折檻される未来しか見えん。
お読み頂きまして、ありがとうございました。




