仇の一族・2
「お嬢……何やら揉めましたか?」
ヤンがこっそり聞いてくる。ああ、二重音声なんて貴族でもないヤンには聞こえないよね。私はにっこりと笑っておいた。多分、その笑みでヤンは私が怒っている事に気付いたのだろう。それ以上は何も言わない。それでいい。さて、と。
私は視界の端で立ち上がった王太子を捉えていた。こっちに歩み寄って来るようだが、気付かないフリをしよう。私に用事があるとは限らない。下手に反応するのも厄介になりそうで、お茶の味を楽しむ事にした。
「グレイル伯爵令嬢。宜しいかな?」
……チッ。このバカ王太子。私目当てかよ。
落としていた視線を上げると同時に、驚いて動揺した素振りをする。今、気づきました、と思われなくてはいけないのだから。
「あ、も、申し訳ない事でございます。ええと……殿下」
気付かなかった事を詫びて、初めて会った(前世では会っているけれど、今世は初めてだから)相手に“殿下”と呼びかける。
「いいよ。私はレナード」
「お、王太子殿下っ」
相手の自己紹介を待って、恐れ多い事を! とばかりに悲鳴混じりの声を上げる。これだけ令嬢らしからぬ失態を犯したのだ。側妃に選ばれないだろう。レナード。前世では確か18歳だったか。という事は現在33歳。……ああ、オッサンになったわねー。どうでもいいけど。
「そんなに畏まらなくていいよ。令嬢は今、何歳だったっけ」
「12歳を迎えました」
「そうか」
っていうか、普通に考えて、33歳の王太子の側妃って嫌だよね? 歳の差半端ないよ? 親子レベルじゃん。犯罪にならないのか? ここに来ているご令嬢方……ああ、ナントカ侯爵令嬢も含めてだけど……せいぜい、私より5歳くらい上までってとこ? 17・18歳だよ? まぁそれくらいなら、まだちょっと離れているだけで済む?
そもそも側妃が必要ならもっと早くに探しておけば良いのに。なんで今更。
「君は側妃には興味がないのかな?」
はい、その通りです。
……って言えれば楽だけど、それは今、するべき事じゃない。いや、今でも良いけど、それは即ちこの国への復讐開始だからね。ヤンがオッケー出してないのに、復讐始める程無謀じゃない。
だって、私の望みは、復讐の完結。
それはつまり、こいつらに反撃のチャンスを与えてはいけない。ということ。
ヤンが「大丈夫」と言ってないのに復讐を始めてしまえば、こいつらに反撃のチャンスを与えるようなもの。誰か分からない相手に殺されるかもしれない恐怖を与えて、初めて私の復讐に価値が出る。その恐怖も与えないまま、反撃なんてされてやるものか。
恐怖心を覚えつつ、反撃が出来るかもしれないという希望を持たせた上で、その希望を刈り取って復讐してやらなきゃ、意味が無い。復讐さえ終わるなら、私なんてどうなってもいい。だから今は我慢の時。
「いいえ」
「そう。それなのに、傷モノだ、と言うの?」
「私の身に起きた事は現実ですので」
「成る程ね。うん、正直なのは良いね。気に入った。おいで」
王太子が私の手を取る。長い袖のドレスで良かった。瞬間的にゾワリと二の腕が粟立つ。吐き気がしそうだ。アイツらにオモチャにされた事を思い出して、そっと目を伏せた。きっと、恥ずかしがっているように見えただろう。
王太子に合わせて歩き出す私の後ろからヤンがついてくる。ヤンの顔は見えないけれど、きっと私を案じてくれている。それくらい、彼は前世の私を敬ってくれていた。
「お前達、彼女はどうだろう?」
王太子が弟達と先程までいたテーブルに、私を連れてくる。同時にそんな事を言うが、意味が分からない。
「兄上が気に入ったなら良いんじゃないかな」
「話をして、為人を見極めてみなくちゃ」
「そうだな。正直なところは好ましいが、私達の側妃になるからには、他も知らなくちゃね」
弟王子2人の言葉に、王太子が言う。私達の側妃。その表現がなんだかおかしく思う。私は戸惑っているような表情で王太子や弟王子達を見た。隣の席の王妃が執り成すように王太子に声をかける。
「まぁまぁ、あなた達。グレイル伯爵令嬢は、側妃の事をきちんと知らないのよ? もちろん、ここにいるご令嬢方も説明を受けていないわ。きちんと話してあげなくちゃ」
側妃の説明。
ご令嬢方が一気にシンと静まり返って王妃を見る。
「実はね。この子達の正妃達が、ちょっと夜の睡眠をきちんと取りたい。と私に訴えて来てね。でもそれぞれに側妃を付けると、それはそれで正妃達と上手くやれるか分からないから、3人で1人の側妃を見つけて欲しいって事でね」
つまり、愛人を3人で共有させろ、ということか?
ちょっと待て。王太子なんか、それこそ結婚して15年は経っているはずなのに、今頃、夜がキツイって正妃達が言い出すのは、おかしくないか?
そもそも3人で共有する愛人って……
私は嫌な記憶が蘇る。まるで前世のようだ。アイツらのように嬲られ慰み者にされる。私がカタカタと身体を震わせると、怯えていると思ったのか、王太子がにこやかに笑ってきた。
「そんな怖がらなくていいよ。まだ君に決まったわけじゃないからさ」
まだ決まったわけじゃない。
この一言に救われるわけが無い。私の可能性もあるのだから。というか、まともな淑女教育を受けた令嬢達が、そんな事を言われて喜ぶわけがない。案の定、そっと令嬢達を見れば、私に突っかかってきた侯爵令嬢ですら、顔色が青かった。一体誰が3人の王子達に共有される側妃などになりたい、というのか。
言うなら、それは相当欲の深いご令嬢だろう。
「まぁ本当は、3人それぞれが一番良いんだけどねぇ」
王太子がニコニコニコニコと言っているが、まぁその方がまだ分かる。解りたくないが。それにしても。本当に何故今更なのだろう。王太子は王太子妃と結婚して15年経つ。子どもは今の情報によれば、10歳と8歳。第二王子は正妃と結婚してから10年。子どもは7歳。第三王子は正妃と結婚してから7年。子どもは3歳だったはず。
本当に今更じゃないだろうか。
「兄上。グレイル伯爵令嬢は、ずっと震えたままだ。手を離してあげたら?」
怯えているように見せかけるために、時折身体を震わせていた。
「グレイル伯爵令嬢。そんなに怖がらなくていいよ」
「こんな話を聞かされて怖がるなって言っても無理でしょ」
王太子がにこやかに言うが、すかさず第三王子が突っ込む。それをにこやかに笑って聞いているのは、誰あろう王妃。
これがこの国の王家か。
つくづく、人でなしだ。
こんな奴らの血など残しておいても害にしかならない。
「さぁ。他のご令嬢方とも話して来なさいな。それぞれが気に入ったご令嬢の中から選ぶ方が良いわ」
さも当たり前のように促す、この王妃がおかしいのは、神経なのか脳みそなのか。日本の精神科医が、カウンセリングをしたらどう判断されるのか。
……こんな事を思わないと、まともに立っていられない程、私の身体は震えていた。ーー怒りで。
お読み頂きまして、ありがとうございました。