voice
この世界に音が存在しないところはない。それが最近、風邪をひいたときに分かった。
ひとりきりで冷たい布団に潜り込んだとき、外から人の笑い声は聞こえていたし、生きていると証明する鼓動が耳障りで、きっと、沈黙すらも無音ではない。耳に痛い沈黙なんてよく聞くけれど、音階も把握出来ないような高い音が、確かに鼓膜を通過する。聞こえているのだから、認識出来ているのだから、イコールそれは無音ではないのだ。
聞こうとしなければ聞こえなくて、私たちの耳はよく出来ているなと感じる。クラスメイトの下劣な会話、女子の悪口、自分の脈拍、不快に聞こえるなにもかも。この狭い教室の中で、私が聞きたいと思うことはなにもない。遠い国のテロリストとか、殺人事件のニュースを聞き流す彼ら彼女らの発する文字列よりも、大切なことがきっとある。そんな気がする。
「…………雪名、」
最近は耐性なんてものがなくなってしまって、すぐ雪名に頼ってしまう。雪名は助けてくれるから。雪名なら、私を理解ってくれるから。
Yシャツの裾を引っ張る。顔が熱かった。雪名の顔を見ないように俯く。それは甘えだ。最低で最悪な甘え。本当は雪名と距離を置いた方がいいって分かってる。
──好きなんだけど、お前のこと。
風邪をひいたとき、そう言われた。まるで明日の日課を伝えるみたいに、とても自然だった。自然すぎて、疑えないほど。
私の逃げ道を塞がれたのが分かった。頭の回らない私に、また言うからと。静かだった。静まり返っていたのに、その空間は無音ではなかった。鼓膜の中でうるさいほど、心音が響いていたのだ。
「……気持ち悪ぃの?」
「…………保健室」
雪名が立ちあがって、私の腕を引いて歩き出す。歩幅が狭かった。私に合わせてくれているのだと知っている。あの日からの雪名は、直球で率直に、態度行動言葉全てで、私のことが好きだと言う。隠さないそれらで、私は逃げ場を更に塞がれていく。
階段を下りて、一階の踊り場で立ち止まった。キュッ、とリノリウムを滑る音が止む。振り返った雪名。私は、雪名の腕の中にいた。
「……酔ったんだろ?」
強引で、暴力的なまでに優しかった。雪名の匂いはすきだ。でも、安心できるはずの雪名に安心できない。もっと甘えたいと脳内で呟く。そう思う私は私じゃない。私じゃない誰かの声が、私に似ている。その声できっと死んでしまう。
雪名の心臓の音が聞こえる。木造の校舎に響き渡るチャイムよりも大きく。私と同じくらい、鼓動の音が早かった。
名前を呼ぶ。雪名の声が、今なによりも聞きたいと思った。
「…………愛がほしい」