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マルタンの街での出来事(1)

 地上が誕生してから神々の戦い、天変地異をはじめ、様々なことが起きた。それから幾年と数えられない月日が流れた。先の世では獣人ともいわれるオークやゴブリン、精霊の感覚を持つエルフや背の低い屈強なドワーフなどの種族は人族に飼いならされていた。ゴブリンやエルフを含め機転の利く種属の一部は、その従順さから極まれに使用人として用いられた。だが、その多くは犬や猫のように扱われ、闘技場での見世物や労働の歯車に使われていた。世の中の人口程度には存在し、あまり希少価値もなかったので扱いも雑になり、個人の資産や単なる獣として見られていた。ゴブリンが単独で街を徘徊して所有者がいない場合には、手懐けられれば、その者の所有物となるが、そうでない場合は射殺しても構わないという暗い時世でもあった。


 街には兵士が闊歩する。ほとんどの者が規律正しく、街を行きかう人たちを監視し、また、秩序を維持するために威厳を張り出していた。一部の兵士たちは規律違反にあまり問われないとばかりに、街で見かけた人族とは異なる獣たちを当てつけに蹴り飛ばしていた。そのため兵士が巡回する時間帯になると、獣たちは決まって路地裏などあまり目立たぬ場所へ避難していた。この狭いなけなしの楽園では、とばっちりをあまり受けなかったからだ。しかし、突然の災難は、わめき散らす一部の兵士が暴発したときにやってきた。その兵士たちも本意で行ったわけではなく、良心が咎め、周囲に気兼ねしたので、徐々に獣に対する惨い行いも少なくなっていった。いつしか、街から追いやられた下層の人族たちも、獣に交じって鳴りを潜めた。このような集団は一か所だけでなく、大小かまわず人が集まる町や村などに作られていった。


 人族が治める大陸の東縁にマルタンという都市がある。他の都市を結ぶ交易拠点として栄え、その中継点として役割から多くの者が移住し、行き交った。切り立った山や深い森に囲まれているとはいえ、他の地域に比べれば穏和で過ごしやすいため、その環境がひきつけてレンガの城壁を持つ都市まで成長していた。周囲の村落に比べれば衛生も発達していたこともあり、それが獣やならず者の楽園を大きくする要因にもなった。区画整理も行われ、表通りには整然とした住居が連なっていた。

 レンガが積み上げられた住宅の狭間には土を掘り下げた排水溝がその両側に通っている。まつろわぬ者たちの住処は意外と小綺麗であった。当初は、排水溝に排せつ物などを流し込み、ゴミが散乱していたのだが、あまりにもひどくなり、兵士たちがその者たちを排除したことが切っ掛けで多少なりとも自治ができるようになった。人や獣に関係なく、自治を仕切れるものがこの小さな裏社会の底辺を牛耳っていた。このルールが守られている限り、住民や治安を守る者たちも目をこぼした。また、その者たちを追いやった後ろめたさもあるのか、以前は住民が無慈悲に捨てていたゴミも捨てられなくなった。

 街の奥まった路地裏は風なども穏和なため人気があったが、裏社会でも階層があるため、新参者にはその温もりさえも許されなかった。最初にたどり着くのは、暗黙の自治さえもなされていない、開けてはいるが、不衛生や通行量が多い場所であった。これはマルタンだけに限ったものではなく、大陸の都市部では良く見られた光景であった。


 厚手の長いリネンの布を頭からすっぽり覆うように巻いている者が二人いた。泥が乾ききらない路地に座り込んでいた。二人は数日街から出ることもあるが、夜になるまではじっとして動かず、決められた場所に明け方に戻ってくることを続けていた。乾いた泥がまだらに布にかぶっており、近寄るものさえいなかった。だが、布の隙間から僅かにのぞく緑がかった肌からゴブリンだと気付く通行人もいた。もうひとつは、毛先が縮れており、その黒髪や丸みを帯びた耳や顔つきから人族だと分かった。二人は寄り添いながら離れることもなく、昼間は布の塊として他のまつろわぬ者たちとともにレンガや木造の家が整然とした通りに並んで座っていた。

 二人には人目が多く過ごしにくい通りのほうが良かった。小さな塊から、まだ、大人になれていないと思われており、そういう子供は、環境は劣悪であれ、悪い意味でも人目が届く生き易い場所に集まってきていた。ただ、辛いことを経験しているのか、互いを見ず、じっと石ころのように座っているものが多かった。


 夏の日差しがゆっくりと路地裏から消え去ろうとする夕暮れであった。壁の外から慌ただしく馬車や兵士たちが帰ってきた。靴のこすれや轍からの軋みが路地の真ん中を通っていく。端にいる者たちは黙って意識だけでも壁側に寄っていく。まれに馬が怖がって積荷の馬車がそういう者たちを()いていくこともあるので、布の裾にも目を凝らして通り過ぎるのを待っていた。

 荷が十分に固定されていない馬車がふらつきながら通りを進んできていた。まもなく、レンガ塀の遠く向こうでは、荷台が壁に叩きつけられた鈍い音と、低い叫び声が響いた。一斉に目を向けた者たちはその馬車の動きをとらえようとした。近くの者はその場所から逃げ出し、馬車から遠い者さえも立ち上がっていた。

 汚れたリネンの二つの塊もガタガタと動き、すっと立ち上がって馬車と反対方向に走り始めた。黒髪の者は、肌が薄緑であり、特徴的なやや尖った耳以外、人と容姿あまり変わらぬゴブリンの手を強く引き、轍からの悲鳴に耳を傾けながらも、その歩幅を広げた。

「ギョーム、もっと引いて。走って」

黒髪の者はローブのように被っていた布から顔を出して一瞬後ろを見てから、口を一文字に引っ張ったギョームの手を引き、もう一方の左手は布を手繰るように腕へ巻き付けた。

 ギョームからは「ムー」と短い音が唇から漏れた。

 構わず、黒髪の者は吐く息に合わせて鋭く声を放った。

「あのすきまに――」

馬車が入ることのできない小さな路地に逃げ込めば助かるはずだと、二人はその先を見つめていた。まくり上がったリネンから解放されたいくつもの布袋が二人の腰に当たりながらゴム風船のように弾んでいた。麻黒の泥で汚れた子供の小さな指がまっすぐに路地に向かい、それに引かれるように飛んでいく。

 馬の蹄が高らかに空を切った。ようやく、商人の横の御者が口から太い犬歯が飛び出たオークと分かった。豚とブルドックが混じった顔に薄気味悪い深い笑みを浮かべ、二人に標的を合わせて手綱を切っていく。咳込む二人に追いつこうとオークも必死であり、鉄の首輪についた歪な黒い鉄輪はカンカンと鳴り響く。

 路地まで子供の背で二人分となると、黒髪の者は先に行かせたギョームを蹴飛ばし、路地へ放り込んだ。だが、馬の(いなな)きに寸でのところで黒髪の者は捕まった。体は無事に路地裏へと逃げ込んでいたが、リネンの布の()を蹄がつかんだ。黒髪の者はそれに引きずられてしまい、あおむけに倒れてしまう。幸いにも髪の一部を馬車が踏んでいっただけで布が包んだために目立った傷はなかった。しかし、黒髪の子供は微動すらしなかった。

「ユーリン……」

引き返してきたゴブリンのギョームは腰をかがめて他の者に聞こえないように耳元で(ささや)いた。二度、三度、肩を揺らし、左右を見渡してから肩に力を入れた。

 喉に詰まっていたものがその拍子に取れたので、小さく、そして大きく咳き込んでギョームを覗き込んだ。すぐさま翻り、轍の跡が残る布を引いて肩から(くる)み、ギョームを左側に入れ込んだ。

「ああっ……せっかく集めた、クコ……散らばっちゃった。ギョーム。お願い」

短く軽い拍子でギョームとともに土塊(つちくれ)も構わずに拾い集める。腰に付けた布に入れようとしたが、その薄い布は先ほどの襲撃で底が破れていた。

「また、直さないとね」

黒髪が乱れたユーリンはギョームに独り言とも取れる言葉を呟きながら、赤い破片を泥や土とともに拾い集めた。

 拳ほどの袋半分まで集まったところで、視線が集まってくるのを二人は察知した。肩越しに路地の惨状を見ると、死体と思わる場所には既に別の者が集り、身ぐるみをはいでいた。すべての者がありつけるわけではなく、落ちこぼれた数人が徒党を組んで向かってきた。

「逃げるよ――」

その短い言葉を残して二人は路地奥へ向かい、そのまま遠くへ駆けていった。

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