大気圏外のあなたへ、お元気ですか?
ロケット。
機体内に溜め込んだ推進剤を高速度で噴出させ、その反作用で推力を得る装置。重力による負担を減らすためには化学ロケット、惑星間旅行のような比推力を必要とする場合は非化学ロケットがそれぞれ適している。
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地球について太陽を挟んで正反対にある惑星・ウラヌセリウス。
地球では対となるウラヌセリウスについては余り知られていない。というか殆ど知られていない。今の地球の技術力では太陽を越えた天体観測は出来ないからだ。情報収集さえもままならなく、この惑星を知っている人など地球上にはいない。
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ウラヌセリウスについて太陽を挟んで正反対にある惑星・地球。ウラヌセリウスでは対となる地球については良く知られている。というか幼稚園児でも知っている。今のウラヌセリウスの技術力では太陽を越えた天体観測など朝飯前だからだ。地球という惑星自体のビジュアルは必須として、知る人ならば文化や歴史までも知っている。地球を既知のものとしている人など、数え切れないほどいる。将来のための予備知識としては当然だ。25歳になれば、ウラヌセリウス人は地球へ転送させられるからだ。
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サクサギは今年の誕生日で25歳になるウラヌセリウス人だ。地球についての文化と歴史を教える塾講師である。身長は170センチほど。頬がこけている痩せた男で、銀縁の細い眼鏡をかけている。
おれはこの星が嫌いだ──サクサギはいつも思っている。親の顔も覚えぬうちから政府特製のマンション(とは名ばかりの収容施設)に放り込まれ、10歳も違わないようなルームメイトに何から何まで世話してもらう。適当に学校へ行き、気付いたらよく分からん塾(寺子屋的な何か)の講師だ。
おれは知っている──地球ならば10代の頃から進路選択を見据えた授業を受けられるし、こんな訳のわからない塾で大して感謝されないのに働くこともないはずなんだ。
実際は地球だって大した変わりはないのだが、どうもウラヌセリウス人は地球に対しての憧憬傾向があり、地球を何か楽園のようなものと勘違いしているらしい。とりあえずサクサギも勘違い人員のひとりだ。
「おれは明後日誕生日を迎えたら地球人になれるんだ!不動産屋になってガチ儲けして一生札風呂に入って美女と暮らすぜ!!!」
塾講師にあるまじき野望である。
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「せんせえ」
サクサギははっとする。たった今、クソみたいな野望を咆哮したが聞かれてはないだろうな……。
施錠していたはずの扉を知らぬ間に開き、さも当たり前のようにそこにいたのはサクサギの運営する塾の生徒、トギリだった。性別不明の子供で、年は10歳。背が低く、生まれつき白い髪と朱い目を持っている。
トギリは所謂天才で、勉強はしなくてもできる。鍵を外側から何も使わずに開けるのもきっと何かの事象を応用してのことなのだろう。
天才なのにわざわざ塾に通っている理由は不明だ。
「お、トギリか。今日はどうした」
「せんせえ、不動産屋になっても儲けられるとは分からないよ。」
しっかり聞かれていた。
「確率としては大体4割くらいかな。」
でたらめなのか本当なのかよく分からないことを言ってくるトギリ。
「ってかトギリ。今日は休講だぞ、何か急用でもあったのか?わざわざ塾に来るなんて……」
「まあここせんせえの家でもあるからさ。」
「こんなボロビルで悪かったよな」
「いいじゃないか、1人で悠々自適に過ごせるんだからさ。」
「まあ″施設″はかなりぎゅうぎゅう詰めだからな……」
「お祝いしにきた」
唐突に用件を言う。話が通じているのか何なのか。
「え?お祝い?やだなあ、おれまだ結婚しないよ?」
「キモ。する人もいねえくせに何言ってんだこのクソジジイ。」
トギリがかなり辛辣な暴言を吐いた。本当なだけにサクサギはまともに傷付く。
「冗談、分かってるよ。おれの″出発″だろ?昨日からずっと電話やらメールやらたくさん来てるんだ」
「いや……違うかも。」
「ボクは」
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「じゃあな、気を付けて行けよ」
セマサはサクサギの幼なじみで、サクサギより3歳下の23歳だ。宇宙管理職という、大雑把に言えば主に地球に関する仕事をしている。その中でも地球との交渉や″転送″の準備などをする。
「セマサ、ありがとう。おれという平凡でイケメンな男がいたことを忘れないでくれ」
「大分脚色してんじゃねェか。てめェはただのガリガリメガネ野郎だよ、自惚れてんじゃねェ」
「ハハッ、ひどいなセマサ。まあ君ほど格好良くはないけどね」
「うるせェ」
セマサと別れ、サクサギは冷たい、音のやけに響く廊下をこつこつと歩いていく。そして、『ロケット室』と書かれた扉をノックする。
がちゃり、と中から鍵を外す音が聞こえ、長い黒髪の女が現れた。
「…」
「久しぶりだね、ナイオ。」
ナイオはサクサギの塾の元同級生で、セマサと同じく宇宙管理職員。ロケットを発射する前段階を調える重大な任務を担う。
「きみはまだ24だっけ」
首を縦に振るナイオ。
「そっか」
ぎぎぎ、とナイオは鈍く黒光りする扉を開く。中からは大層な設備が見え、さらにその中に身動きできないほどの小さな椅子がある。サクサギは椅子に座り、横にあるシートベルトで自らを固定した。
『地球までは約5年です。その間にあなたの記憶は消されます。』
と、ロケットのモニターの合成音声が言った。その間にナイオは何やら紐状の機械をいくつもサクサギの頭に貼り付ける。
『機械があなたの脳に電気ショックを与え、今までの記憶を全て消し去ります。』
(今までの25年が5分の1で全て無くなるのか。すごいな……)そう思いながら、サクサギはナイオに顔を向ける。
「じゃあね。ナイオ。」
ロケットの扉を閉める直前、ナイオが何かを言った気がした。
◆◆◆
「ボクはせんせえの誕生日を祝いに来たんだよ。」
「え?」
「明日は学校の用事で来れないんだ。だから今日。」
みんな地球転送のことばかりで誕生日など忘れていた。そういえば誰も祝ってくれていなかった。自分でも忘れていたくらいに。
トギリは満面の笑みで言う。
「おめでとう、せんせえ。」
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サクサギが転送されてから25年。都心にある某進学塾。小さな学舎に、今日もたくさんの人が訪れる。
「策作木せんせえ、ここが分かんないです」
「戸霧はよく質問してくれるね、あぁ、ここはこの原理を応用して……」
「策作木先輩、収入印紙どこやりましたか」
「ん?確か世政君に渡さなかったかなぁ」
「内尾さん、探してんのこれェ?」
「それだ」
◆◆◆
今日も、遠い異星からこの地球へと、僕らは転生し続ける。
そしてその惑星のことは、誰も知らないのだ。
でもきっと、あの星に残してきた人々は空を見上げる度に、理想郷へ旅立った僕らにこう呟くのだろう。
大気圏外のあなたへ、お元気ですか?
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