008
走りながら俺たちは住民を起こすべく、大声を上げる。
「今すぐ起きろ!! 襲撃だ!!」
「起きなきゃ死ぬ! さっさと起きて!」
声を張り上げながら走るのは疲れた身体には少々辛いが、それでもやるしかない。出なければみんな死んでしまう。そう確信せざるを得ないほど、今迫ってるモノはやばい。
「朝っぱらからどうしたぁ~?」
「なんだ、またお前ら二人か。今度はどうした?」
「朝からうるせぇぞー」
俺たちの声につられて、人々が目を覚ます。
寝ぼけ眼で、現状を把握しきれていないが、それでも起きてくれさえすればあとは逃げてもらうだけだ。
「説明は後でするから、さっさと逃げろ! じゃなきゃ死ぬぞ!」
「あ? 何言ってんだお前さん。変な夢でも見たか?」
「夢なんて見てねぇ! いいからさっさと逃げろって! もう時間が――」
呑気にしている八百屋のおっさんに、俺は怒鳴りつけるように言い放つ。その最中――
「おん? んだぁ、こいつは?」
とうとうそれはやって来てしまった。
八百屋のおっさんの腕に止まる一匹の虫。
黒い体に、歪に引かれた赤い線。八センチほどの、虫にしては大きく、けれど、生物としては小さなその体躯。
まるで脅威を感じない見た目なのに、俺の本能がこいつはやばいとかつてないほどの警鐘を鳴らす。
「おっさん逃げろぉッ!!」
叫びながらその虫を払おうと八百屋のおっさんに駆け寄る。が、間に合わない。
虫は、小さな咢を開くと八百屋のおっさんに噛みつく。
「へ?」
それだけで、八百屋のおっさんの腕の半分以上が消失する。
吹き上がる鮮血。驚愕に見開かれる瞳。そして、傷口から広がる、虫と同じ形の赤い線。
「が、があああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああ!!」
おっさんが絶叫を上げながら喉を掻きむしってもがき苦しむ。明らかに、腕を抉られた痛みとは別の痛みがおっさんを襲っている。
「おっさん!!」
「ダメ、カナト!」
おっさんに駆け寄ろうとする俺の腕を掴んで、アミエイラが止める。
「放せアミエイラ! 早く助けねぇと――」
「もう無理! 手遅れ! ちゃんと見て!」
アミエイラが声を荒げて俺の言葉を遮る。その目には涙が溜まっており、彼女が辛いながらも冷静に状況を見ているということを、嫌と言うほど俺に理解させる。
俺は、奥歯を噛みしめて感情を押し殺す。
そして、力の限り叫ぶ。
「全員逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
俺の声で今まで驚愕で固まっていた者達が悲鳴を上げながら一斉に駆け出す。
「広場に逃げてください! そこでイルミナス様が結界を張っています! 早く、広場へ!」
ちょうどいいタイミングでイルミナスのパーティーメンバーが声を張り上げて避難誘導をする。
避難誘導はあいつに任せて大丈夫だろう。とにかく、俺たちは――
「アミエイラ!!」
「うん!」
アミエイラの名前を呼べば、アミエイラは自分が何をするべきなのか理解しているのか、すぐさま返答を返す。
俺はもうすぐそこまで来ている奴らを睨み付けながら叫ぶ。
「あのクソ魔王に目に物見せてやれ!!」
「バーニング・フレア・ランス!!」
俺がそう叫べば、直後にアミエイラは魔法を放つ。
五メートルはゆうに超える炎の巨槍が十本出現し、空中でその身を無駄に遊ばせることなく、出現の直後にすぐさま射出される。
十本もの炎槍が空中に炎の軌跡を残しながら、向かって来る魔王めがけて飛翔する。
先頭の集団に着弾、直後、爆音が響き渡る。
その間、俺はただ見ているだけではない。先ほど先行してやってきた一匹をナイフで真っ二つに切り裂き、他に似たように先行した個体がいないかを捜していた。
「アミエイラ、どうだ?」
爆炎が晴れ始めたころ、俺はアミエイラに問う。
しかし、アミエイラから返答は無い。
「おい、アミエイラ、どうなんだ」
「……ってない」
「あ? 聞こえねぇよ」
「減って、ない……」
「は?」
言われ、俺は空を見上げる。
空には、爆炎を突き破りながら飛翔する魔王の姿があった。
「い、いや。流石に減ってないってことは無いだろ」
あれだけの数がいたのだ。減っていないと錯覚しても仕方のないことだろう。けれど、アミエイラはふるふると首を横に振る。
「違う。確かに、数は減った。けど、その後すぐに元に戻った……ううん。それどころか、増えてる……」
相手がもっと他の人ならば、冗談か気のせいだと馬鹿にしたいところだが、相手はアミエイラだ。こんな局面で嘘をつくようなやつじゃないし、なにより戦闘時の観察眼などは信頼している。そのアミエイラが断言しているのだ。俺はそれを嘘だと言えないし、思わない。
だからこそ、この現状が絶望的であることを理解できた。
「――ッ!! アミエイラ! ありったけぶちかませ!!」
「了解。ダンシング・フェザー!!」
アミエイラが両手を構え、魔法を放つ。今度は、相手の数が増えているかを調べるために、視界が塞がれず、かつ、現状高威力を発揮できる風の魔法を選択した。
今度は、俺も目を離さない。
高威力の風刃の群れが魔王に衝突する。刹那、先頭を切っていた魔王はバラバラに切り裂かれる。
やはり、攻撃は喰らっている。が、異変はすぐにやってきた。
「なんじゃそりゃっ!?」
それを見て、思わず素っ頓狂な声を上げる。
魔王は、先頭が切り裂かれて絶命すると、後ろから押しあがるように増殖したのだ。なんの前触れも無かった。ただ急激に魔王が増えたと言うのだけが分かった。
「どうすんだこれ! こんなんじゃきりがねぇぞ!」
「とりあえず、もう少し撃ってみる?」
「それしかねぇか! 頼む!」
「ん、了解」
とりあえずの方針としては、魔王に魔法を撃ちまくって、時間を稼ぐ。それで、魔王が増える理屈を俺が暴く。ってところか。
方針は固まった。けれど……
「これじゃあ、こっちがジリ貧だぞ……」
このままでは、こちらが魔王の勢いに負けてやられてしまう。しかし、現状これが最善策だ。他にできることは無い。
俺は周囲に目を向け、周りの状況を見定める。どうやら、もう避難もあらかた終わり始めてきたようだった。
「アミエイラ! 避難も大分済んできたみたいだ! 俺たちもいったん退くぞ!」
「了解」
俺は腰に括り付けていたポーチから液体の詰まった瓶を取り出す。これは、ビンの中に可燃性の高い魔物の体液を入れて、徐々に発熱していく発熱草を括り付けた、言わば異世界版手榴弾と言った代物だ。
威力はアミエイラのお墨付き。因みに俺が開発したわけでは無い。普通に市販で売ってる代物だ。因みに、名前は「爆裂瓶」だ。安直なのはご愛敬だろう。
俺は、アミエイラの魔法の合間のつなぎとして爆裂瓶を投げながら、広間に向けて後退する。
しかし、それでも何匹かは抜けて行ってしまう。たかが二人の時間稼ぎだ。穴が合って当然と言えた。
俺は逃げながらも、魔王を観察する。
「……は?」
魔王をまじまじと見て、俺は呆けた声を出してしまう。
先ほどは、遠目でしかも元の色が禍々しくて分からなかったが、近くを通った魔王を見た瞬間、記憶に引っかかるものがあった。
俺はこれを、見たことがある……。
いつ、どこで見たのかは分からない。ただ、形状がとても良く似ていて、違いと言えばその大きさだけであった。それほどまでに、魔王は俺の知っているものと酷似していた。
そして、数瞬の間を置いて思い出す。
そうだ、母親の実家のある田舎で見たのだ。こいつは、こいつらは――――イナゴだ。
正体に確信が持てた。けれど、今の状況にそれは役に立ちそうにない。
そんなことを考えていたからだろう。魔王の目がこちらを向く。やばいと思った時には遅かった。
魔王がこちらめがけて飛んできた。いや、正確には――
「アミエイラッ!!」
俺は考えるよりも先に、身体が動いていた。
「――ッ!?」
両の手でアミエイラを突き飛ばした直後、魔王の咢がふるわれる。
そうして魔王は、易々と――――俺の左腕を食い千切った。
喧騒が聞こえる。
誰かの怒声だったり、叫び声だったり、泣き声だったり。ああ、特に泣き声が酷い。もう耳元でわんわん泣いててたまったものではない。煩すぎて眠れない。
……あれ? 俺、なんで寝てるんだっけ?
ああ、ダメだ。思い出せねぇ。
まあ、いっか……とりあえず、寝よ――
「カナト……ッ! やだ! やだやだやだッ!」
俺を呼ぶ声が聞こえる。駄々をこねるようにいやいやと繰り返す。何が嫌なのかは分からないが、こんな寝ぼけた頭でも分かることが一つだけある。
これ以上、この声の主を泣かせてはいけないということだ。
じゃあ、どうする? 決まってる。今すぐ起きて彼女を安心させることだ。
どうしようもないほどの倦怠感と眠気、それと痛みが俺を襲う。が、関係ない。
倦怠感? こいつがぐずった時の方がもっと面倒くさい。
眠気? こいつ以上に優先すべき項目でも無い。
痛み? そんなのいつものことじゃねぇか。こいつの度を越したツッコミほどじゃねぇ。
結局どれもこれも関係ねぇ。俺は、起きてこいつを安心させるだけだ。ただ、それだけだ。
そう思ってしまえば、起きるのは容易かった。
泥沼に浸かっているように重たい意識を無理矢理浮上させ、俺は起き上がる。
「いつまでもピーピー泣いてんじゃねぇ。しゃきっとしろい」
「――ッ! カナト!」
俺が起き上がれば、涙で顔がくしゃくしゃになったアミエイラが抱きついてくる。
「いつまでも……寝て、ないでよ……! しゃきっとして!」
泣きながら俺に文句を言うアミエイラ。これは、素で俺に怒ってるな。
俺は右手でアミエイラの頭をぽんぽんと撫でる。
「悪かったよ。もう起きた」
頭を撫でてやれば、更に泣き出す。
おいおい。いつからお前、そんな泣き虫キャラになったんだ? いつもはもっとツンツンしてんだろ。
アミエイラが落ち着くまで、俺はアミエイラの頭を撫で続ける。
それと並行して、俺は周囲の状況を確認する。
周囲は、はたくさんの人で埋め尽くされており、喧噪の理由はこれであった。更に周りを見渡してみれば、そこがイルミナスが結界を張っているという広場であることが辛うじて分かった。まあ、だいぶ景観は崩れているが。
「あ! カナカナ起きた!」
「カナト、起きたか」
「おう、おはよう。寝不足だったから丁度良かったわ」
心配そうに声をかけてきたレイとシアに、俺は軽口を交えながら応える。
そんな俺に、シアは明らかにムッとしたような顔をする。
「もう! こっちはかなり心配したんだからね! そんな軽口叩く前に、まずは言うことがあるんじゃないの?」
腰に手を当てて、自分、怒ってますと態度でも主張するシア。
「そうだぞ、カナト。オレたちがどれだけ心配したと思ってる?」
レイも、その綺麗な柳眉を吊り上げて、珍しく怒っていた。
「……悪い。心配かけたな」
流石の俺も、こんな状況で軽口を叩くほど礼儀知らずでは無い。
「うん、心配した」
「心臓に悪いから、これっきりにしてくれ」
「悪い……」
思いのほか真剣なその口調に、俺はその言葉しか言えなくなる。
「反省してるならもういいよ! それよりも、カナカナが起きるの待ってたんだから!」
「俺を?」
「ああ。正直、現状もうすでに消耗戦だ。このままいけば、オレたちは負ける」
レイの言い放った現状に、俺は思わずため息を吐く。
「起き抜け早々に凶報持ってくるとか、容赦ねぇなぁ……」
「それくらい切羽詰まってるってこと!」
「分かってるよ。んで? 俺に何しろって?」
ぼやいてはみたが、現状それほどまでに切羽詰まっているということは理解していた。なにせ、結界に何百何千ではきかない魔王が張り付いているからだ。
周囲では、結界に張り付いている魔王を結界の内側から魔法や剣、魔道具などを駆使して駆除をしていた。
しかし、魔王が剥がれた隙間から次の魔王が結界に張り付く。確かに、これではきりがないし、消耗戦になるのも頷ける。
「まさか、戦えってか? ご存知の通り、俺は強くもねぇし、その上今割と重傷なんだが?」
言って、俺は魔王に半ばから食い千切られた左腕を上げる。そこで、アミエイラがビクリと震えるが、俺は頭をぽんぽんと叩いて気にするなと伝える。
そう言えば、魔王に食われたはずなのに魔王のような赤い線が刻まれない。
まあ、刻まれないならそれでいい。つまるところ、俺は魔王の攻撃は物理しか喰らわないということだ。呪いだかなんだか分からないが、とりあえず、俺は噛まれても平気らしい。
いや、噛まれたら滅茶苦茶痛いから平気ではないのだが。てか、おそらくその痛みのせいで気絶したのだが。まあ、即死の呪いは効かないということだ。それだけで、やりようは増える。
「いや、カナトは戦う必要は無い」
「は? じゃあ、何しろってんだよ?」
「考えてくれ」
「は?」
え、自分でやることを考えろって? え、じゃあなんで俺が起きるの待ってたの?
「レイ! それだけじゃ伝わらないでしょ! カナカナには、現状を打開する策を考えてほしいの!」
俺が疑問に思って小首を傾げていると、シアが補足を入れる。
しかし、補足が入っても俺は小首を傾げずにはいられない。
「なんで俺? 俺じゃなくても、適任がいるだろ?」
そうだ。俺より頭のキレる奴はいる。例えば、イルミナスだ。あいつは、認めてしまうのは悔しいが戦闘の腕も良ければ、頭も良い。状況判断力もあれば、即応力もある。まさにチートのようなやつだ。
そんな奴がいるのに、わざわざ俺を頼る意味が分からない。
俺がそのような思いを込めて二人を見ると、二人はこれでもかと言うほど溜息を吐く。
「イルイルは確かに頭がキレるよ? たまにこっちが怖くなるくらいに。でもね」
「あいつは予想の出来る事態にしか対応ができない。こういう時、一番対応がうまいのがお前だ」
シアの言葉を受け継いでレイが言う。
「それにね、わざわざカナカナを頼る理由はそれだけじゃ無いよ?」
「頼られるような、思い当たる節が無いなぁ……」
実際、俺は強くは無い。それこそ、今いる四人の中で一番弱いくらいだ。だからこそ、なぜ俺が頼られるのかが分からない。
俺の弱音ともとれる言葉に、シアは優しく微笑む。
「ボクたちがカナカナを頼るのは、カナカナだからだよ」
「は? なに、どういうこと?」
カナカナカナカナ言ってて何言ってるか分からない。
「だから! カナカナだから、ボクたちは頼るんだよ! 今まで話して、一緒に戦って、一緒にご飯食べたりして……一緒の時間を過ごしてきたカナカナだからこそ……仲間だからこそ信じられるし、頼れるんだよ」
「右に同じくだ。……お前を頼る理由が、これだけじゃ不満か?」
シアが優しく笑いながら、レイがふっと爽やかに微笑みながら言う。
「認めるのは業腹ですが、おれも同じ意見です」
そう言いながら、イルミナスが少しやつれた顔でこちらに歩いて来た。
「イルイル、結界の維持は?」
「他の者に任せてきました。おれは力を温存します」
シアの質問に応えた後、イルミナスは俺を見る。
「現状、おれでは打破する力も知恵も発想もありません。できるのは時間稼ぎがせいぜいです。この結界も、もう十分ともたないでしょう」
「うへぇ……超絶望的じゃねぇか」
「ですから、さっさと現状を打破する策を思いついてください。このままでは全滅です」
「……オーダーきついぜ、全く……」
「あなたならできる。そう思ったからこそ、今力を温存しているのです。不服ですが、好きなように使ってください」
そう言うと、イルミナスはその場に座る。どうやら、見た目以上に憔悴しているらしい。
俺は、皆の顔を見る。皆、確信を持った瞳で俺を見る。
俺に抱き着いているアミエイラも俺を見上げている。しかし、その瞳は涙にぬれていても強い信頼を宿していた。
……馬鹿じゃねぇの。そんな理由だけで、俺を信じるとかさ。普通、もっと合理的に考えるだろ。こんな局面なんだからさ。信用とか、それだけで……。
「ハッ! お前ら本当に馬鹿だわ」
本当に馬鹿だ。俺なんか信じるとかさ。
「なんでわざわざ俺なのかね~。お前ら気付いてるか? 俺なんかを頼ってる時点で、結構状況詰んでるぜ?」
信頼が重い上に、現状も切迫してる。そんな状況で打開策を見つけろだなんて、無茶ぶりにもほどがある。
……だけど、そんな目で、そんなこと言われたら――――応えるしかねぇじゃねぇか!!
俺は無理矢理勝気に笑って見せ、ニヤリと悪童のように口角を吊り上げる。
「任せとけ!! 状況詰んでるんなら、これ以下になることはねぇ!! 気負わなくて済むって話だ! 覚悟しとけお前ら! 無茶無謀な策、弄してやるよ!」
俺が声高らかにそう言えば、四人は満足そうに頷いた。
現状は絶望的。皆それなりに疲弊している。後ろには守らなくちゃいけない人たちがいる。敵の能力は未知数。驚異的な増殖力と即死性のナニカ。まさに絶体絶命だ。
だけど、諦めるわけにはいかない。
守るべきものがいて、それを守りたい理由があって、友が、仲間が俺を信じてくれると言うのなら、俺は負けるわけにはいかない。
弱い俺は、更に左腕を半ばから失っていると言う体たらく。直接戦闘は期待できない。けれども、諦めない。
なにせ、隣にはアミエイラがいて、近くには俺を信じて託してくれる仲間がいる。
そしてなにより、俺には変わらない、変えられない想いがある。
このままいけば全滅。俺も皆も死んでしまって、魔王を倒す術がなくなってしまう。物語は修正されない。
だれも救われない。そんな終わり方、俺は絶対認めない。何せ俺は――――
「――――バッドエンドが、大嫌いでね」
俺は、自分でも自覚できるほど底意地の悪い笑みを浮かべる。
さあ! 目に物見せてやるよ、クソ虫ども!