第7話 藤浦剛という男 後編
馬車へと戻ると、全員から質問攻めにあった。
特にイグナーツと言う赤い髪の男は、狂気的なまでの好奇心で詰め寄ってくる。
「ステータスを隠蔽しているわけでは無いんだよな?」
「はあ、そんなこともできるんですか」
「では、君のその戦闘能力はどこで身につけたんだ?」
「幼少の頃から、『武道』をやっていまして」
「ん? 何て言った?」
「え、『武道』と」
「……なるほど。エルナ殿下」
「ああ、おそらく異世界の言語であり、翻訳魔法でも翻訳が出来ない。つまり、ここの世界には存在しない概念なのだろう」
武道が、存在しない。確かに、日本における武士道の概念はとても複雑だ。この世界で言い表すのは難しいだろう。
「戦闘の技能のようなものです」
「つまり、ディルクを倒したのも、その技能によるものなのか?」
「ええ、まあ」
「そうなると、ますますレベルが1という事の説明がつかない」
「ああ、私を倒すほどの戦闘訓練を受けていれば、レベルも上がるはずだ。しかし……」
「レベルは全く上がっていない。異常だな」
レベルだとかステータスだとかの事で、馬車の中は大論争が巻き起こっていた。
「エルナ王女!」
御者台に乗っていたていたアーべラインが、耐えかねたように怒鳴った。
「早く王都に行かなければなりません。そういった話は、まず王都へ行ってからにしてください!」
アーべラインはそういうなり、鞭を振るって馬車を走らせた。
馬車に揺られ、異世界の景色を眺めていると、イグナーツが話しかけてきた。よく見るとこの男、右腕が義手のようである。騎士の籠手のような腕だ。
「メンバーの紹介がまだだったな。うっかりしていた」
イグナーツはまず背の高い女性を指さした。それに気が付いたのか、彼女は少しムッとする。
「彼女はレオノーレ。伯爵家の長女なんだが、伯爵が病弱でな、三人の兄弟と相続争いをしてるんだ。それぞれ違う派閥に居る。いつも袖に鞭を隠し持っててな、事あるごとに振り回すんだ。そして、あそこにいる背の小さい男が、アブラハム。学者なんだが、あんまパッとしねぇな。俺の方が何倍も頭がいい。あと、あの禿げは医者で、レオポルドっていう名前なんだ。藪医者だから気をつけた方がいい」
「嘘はいけないって教わらなかったの? イグナーツ」
「ホラを吹くんじゃないよ。君の方が頭がいいだって? 君が召喚陣を作れたのは僕のおかげだってこと、忘れないでよね」
「藪医者は酷いなぁ。これでも一応名門を卒業したんだ」
三人に囲まれ、少し面倒くさそうになってきたので、隙を見て移動することにした。
馬車には衝撃吸収能力が無いらしく、乗り心地は最悪だ。外観も王女が乗っているにしては見すぼらしい。カムフラージュのためにわざとそうしているのかもしれない。
エルナ王女は大きなクッションの上に座っていた。流石にこの揺れでは堪えるらしい。
「フジウラ。退屈していたんだ。貴殿の世界の事を話してくれないか?」
「ええ、いいですよ。何を話しましょうか」
歴史。政治。技術。人口。治安。国家。私は中卒で、この年までずっと武術の事ばかり考えてきた。はっきり言ってしまえば学の無い男だ。それでも、私の知っている範囲で、彼女の質問に答えた。彼女はやはり王家としてなのか、政治について聞くことが多かった。
「ディルクを投げ飛ばした技も凄かった。何と言う技術なのだ?」
「合気です」
「アイキ?」
合気とは、九百年前から続く日本古来の武術を元に、武田惣角が創始した大東流合気柔術や、植芝盛平の合気道などに代表される技術である。相手の力を利用し、相手を投げ飛ばし、封殺する。合気道では呼吸力と言う表現を用いて説明されたりもする。
合気道の技術は、関節技にどうしても目が行ってしまうが、その本質は重心の移動や崩しにある。
相手の力を、重心を崩すことによってあらぬ方向に向けるのだ。つまり、相手のパワーが大きければ大きいほど、相手にかかる効果が大きいことになる。
なので、合気道では重心を安定した状態にすることを最も重要視している。巨人の王貞治は、合気道から着想を得た一本足打法で、ホームラン王に上り詰めた。現役時代、一本足で子供が三人ぶら下がっても安定していたという。
介護の現場でも、この技は応用されている。
「ふむ、俄かには信じがたいな」
エルナは疑いの目で私の説明を聞いていた。無理はない。現代日本でも、合気道の技の信憑性に疑いを持つ者もおり、論議をかもしだしている。
老人が大男を投げ飛ばす。そんな映像から、信じられない、やらせではないかという声が絶えないのだ。さらにここはステータスがものをいう世界である。
「しかし、現に貴殿はディルクに勝っている。その話も本当なのだろう」
「貴女にもお教えできますよ」
「本当?!」
合気道はその実践性から警察や自衛隊にも取り入れられ、護身術としても広く認められている。今の王女にはピッタリだろう。
「ええ、いざというときに、きっと役立つと思います」
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藤浦剛。普通に生きていたら、彼の存在を知ることはないだろう。しかし、いざ格闘技、武道の道に深く踏み込むと、彼の名前は嫌でも耳に入ってくる。
曰く、現代格闘技の理想形
曰く、武の体現者
曰く、最強の遺伝子
彼が格闘技界を震撼させたのは十六の時。
イタリアでウェイトが倍もあるレスリングチャンピオンを再起不能にまで叩きのめし、アメリカではボクシングのヘビー級チャンピオンの肋をグローブ着用のまま砕き、中国では少林寺の僧を十人同時に相手取る。噂が広まるのはそう時間がかからなかった。
彼の手はノールールでの違法な地下格闘技にまで及んだ。残虐なショーが連日執り行われ、殺し合いのプロや、肉食動物すら登場する狂った場所。その中でも、いや、その中でこそ、藤浦は圧倒的強さを見せつけた。
それからというもの、世界中の格闘家や武道家から試合を申し込まれ、いつのまにか掛けられた懸賞金により、命を狙われることになった。
本人はそのことについてなんの疑問も持っていなかった。
何故か。
彼にとって、それがごく自然なことだったからだ。
幼い頃から、祖父のもとへ名のある格闘家達が、決闘を申し込んでくるのを見ていた。(無論、日本における決闘は違法である)。強ければ、戦いを避けることはできない。それを確かなことだと思っていた。
命をかけた戦いの中で、藤浦はこれまでにない快感を味わっていた。
今まで積み重ねた戦闘の技術の全てが、人を倒すのに有効だと証明する度に興奮し、歓喜し、感動した。彼の戦闘スタイルは多岐にわたる。試合に出る度に、毎回全く違うスタイルで、まるで実験をしているかのように戦っていた。
表舞台には興味が無かった。UFCなどの大手タイトルからのアプローチもあったが、そのほとんどを断った。彼にとって強くなることは、言うなれば自己満足でしかない。そこに名誉は必要なかった。
藤浦剛、二十三歳。いつの間にか、彼は世界中の格闘家から恐れられる人物になっていた。
「武道は一生であり、一瞬である」
元養神館館長 塩田剛三