中編
今回、糖度控えめです。
新キャラたくさん出すと、後が大変かもしれませんが………とにかくどうぞ。
「…………………………」
目の前にそびえ立つ建築物に、玲夜は圧倒されていた。
無理もないか。と陸斗は苦笑する。
「え、あ、あの………ここ、ですか?」
そう不安げに尋ねたくなるのも分からなくはない。
目の前にそびえ立っているのは、一般的に言うならば高層マンションという物件だ。
それも間違いなく、上に高級と名の付く部類に当てはまるのは間違いない。
当然、一学生がこんな場所に暮らしていいはずがない。そんな金あるのかと聞きたいのは分かる。
「ちょっと訳ありなんだ。それは……今度話す」
「訳ありって………」
「安心しろ。別に何かあったとかそーゆーのじゃない」
眉を顰める玲夜に、陸斗はとりあえず弁解する。
少なくとも、彼女が考えているような「訳あり」ではないから。
「じゃあ、何なんです?」
「………その内話す」
今分かる事は、それはこんな場所で話すような事ではない。
納得していない様子ではあったが、玲夜もそれ以上は聞かなかった。
その内話すと言っているのだから、今急いで聞くような事でもない。
そんなわけで陸斗は部屋へと向かう。最上階の一つ下、8階の一角に彼は住んでいる。
「兄さん、まさか人には言えない事とかやってませんよね?」
やってない。
いちいちツッコむのも面倒なので、黙って部屋へと向かう。
そうして部屋の前まで行き、鍵を差し込もうとして………気づいた。
(………開いてる)
実家に戻る前、きちんと戸締まりは確認してきた。
遠出で部屋を空ける時はコンセントを抜いたり、冷蔵庫の中身を使い切ったり、そういった事は徹底している。
さらに言うとだが、高級マンション故にセキュリティも徹底している。鍵を持たない不審者が忍び込めば、即座に分かるくらいに。
となれば、考えられる可能性としては一つ。
「兄さん?」
若干の嫌な予感を感じつつ、扉を開く。
ちょうど待ち構えていたかのように、向こうには1人の少女。
「あ、陸斗お帰り」
そう、彼らを出迎えたのは見知った(玲夜にとってしてみれば見知らぬ)少女であった。
ボブカットで整えた明るすぎる赤毛。ほっそりとした体つきだが、出るところは出ている。間違いなく美少女の括りに含まれる少女だ。
そんな彼女を見て、陸斗は頭に手をやり、小さくため息を吐く。
「………千春、服くらい着ろ」
少女は全裸であった。
シャワーでも浴びていたのか、髪にはしっとりと水気が混じっており、湯気も立っている。
否、完全な全裸ではない。肩からバスタオルをかけており、辛うじて両の胸の先端だけは隠れている。
が、それは上だけの話。下は辛うじて下着を穿いているだけでしかない。
「えー、別にいいじゃん。どうせここ入ってくるの陸斗くらいだし」
「今日は俺だけじゃないんだ」
千春と呼ばれた少女は、その言葉に首を傾げた。
が、ようやく陸斗の隣にいた玲夜の存在に気づいたらしく「あ」と小さく声を上げる。
「………へー、陸斗もやるじゃん。彼女連れ込むなんて」
「馬鹿言うな。話くらいしてるだろ、妹だ」
「………ああ、なるほど」
千春は玲夜を見ると、にやにやにやけつつ。
「あたし、仁村千春。よろしくね」
「………よろしく、お願いします」
かなり好意的な千春とは対照的に、玲夜はしかめっ面だ。
それでもしっかり返事はしているので、無視するよりはマシだが。
いきなりほぼ全裸で、それも陸斗と親密な様子を見せつけられては、玲夜としても複雑だ。というか、とてもじゃないが好意的にはなれない。
そんな2人を見て、また新たな問題になるかもしれないと陸斗は再びため息を吐いた。
引っ越しの作業自体はそこまで手間取らなかった。
玲夜が家から持って来たのは身の回りのものと衣服。それくらいだ。
千春が転がり込んだ際に使う部屋を除いても、部屋は余っている。家具や他の日用品は後で揃えればいい。という事で………。
「こんなもんでいいのか?」
カートを押しながら、陸斗はそう尋ねる。
今日買いに来たのは家具。さすがに陸斗一人で運べないサイズのものもあるが、それ以外で運べるもの……組み立て式の家具などを揃えに来た。
そのため、今カートには組み立て式の本棚が乗せられている。これならば、パーツ毎に分けられているため、運びやすい。
本当ならタンスも選ぼうと思ったが、当の玲夜は………。
「ええ。私、そこまでたくさん服持ってませんし。あまり買いませんし」
どうやら、我が妹はあまりファッションに興味はないらしい。
無論、一般的な女性として身だしなみには気をつけてはいるが、そこまで深く注意を払っている、というわけではないようだ。
なので大型のタンスではなく、中型……簡易的な組み立て式のものでいいと言った。
「………千春と同じ、か」
尤も、千春の場合は親に対する反発心かもしれないが。
そう思った時、隣の玲夜が不満そうな目で睨み付けている事に気づいた。
不機嫌な妹にやや顔を引き攣らせつつ、とりあえず尋ねてみる。
「どうかしたか?」
「別に。ただ、随分とあの方とは仲がよろしいようで」
キツイ言い方だ。棘を感じる。
どうやら考えていた事を口に出してしまったようだ。通りで目も厳しい。
ため息を吐きつつ、ある程度は話しておくべきだろうと、口を開いた。
「そりゃあ、半同棲みたいなもんだからな」
「ど、同棲っ!?」
「半分だ半分。アイツの家、すぐ上の階だぞ」
千春は基本、最上階の自分の家で暮らしているが、家庭の事情から一人でいる事が多い。
そのため、食事やら諸々の世話になるため、陸斗の部屋を訪れる事が多い。
「高級マンションの最上階が自宅って………何者なんです、彼女」
怪訝そうな顔でそう呟く玲夜。
確かに何も知らない人間ならば、そう思うのは至極当然だろう。
陸斗とて何も知らなかった時、まだ千春と出会って間もない頃は同じような疑問を浮かべていた。
「………色々あるんだよ。さすがに余所の家庭の事情だし、俺から勝手に話すわけにはいかない。だが悪い奴じゃあない。あまりツンケンするな」
そう言って、頭を撫でた。
「………兄さんが、そう言うなら」
撫でられつつ、むすっとした表情を少しだけ和らげる。
無論、玲夜とて無条件で会ったばかりの相手を嫌ったりはしない。
だが千春には、玲夜の知らない陸斗の姿を知っている。玲夜のいない時間を陸斗と過ごしているのだ。
現に、まだ完全には納得していない。
(これは……骨が折れそうだな)
「陸斗、お風呂貸してー」
そう、着替えを持って千春がやって来たのは日が沈んでからだった。
ちょうど、陸斗が夕飯の準備を始めた頃。いい匂いが部屋に立ちこめ始めた時だ。
「お前の場合、風呂だけじゃなく夕飯も食べて、泊まってくつもりだろうに」
「あれ、よく分かってんじゃん」
「それなりに長い付き合いだしな」
握っていたフライパンを置くと、親指で風呂場を指し示す。
が、その風呂場からは何か水音が聞こえる。
「玲夜が先に入ってるから、上がってから入れ」
「ふーん………」
そうは言われたが、千春は気にせず風呂場へと向かおうとする。
「おい」
女同士、一緒に風呂に入るのは特に問題無い。
これで相手が千春でなければ、陸斗も止めはしない。千春だから止める。
千春は極度の男嫌いであり、同性愛者だからだ。
「分かってるって、陸斗の大切な妹だもんね。手ぇ出さないよ」
「………本当だろうな」
千春との付き合いはもうすぐ3年。
さすがに一線こそ越えた事はないが、彼女の性格はよく分かっている。
嘘は吐くが、約束は守る。口から出した事は決して違えない。
「それにさ、あの子はあたしの好みから外れてるの。あたしの好みはこう、守ってあげたくなる小動物系なんだから」
「そうかい」
変な事するなよ。
それだけ言うと、再び料理に取りかかった。
………数分でどっちが飛び出てくるかと思ったが、意外にも二人共長湯らしい。
玲夜が上がったのは、千春が入ってから10分ほどしてからだった。
風呂で何か話したのだろうか、陸斗の前だというのに少し落ち込んだような様子だ。
「あの、兄さん。千春さんの事で少し……」
「話は食事の後で、だ」
話すとなれば長くなるし、その間に料理も冷めてしまう。
それに話している途中で千春が上がって来てしまう。それだと余計に気まずくなる。
玲夜もそれは分かったのか、無言で頷くと配膳を手伝い始める。
それから更に数分して、千春も上がって来た。今度は最初の時とは違い、きちんと服を着て。
一人で食べるよりも、二人の方がいい。二人よりも三人だ。
千春がよく乱入してくる事があるので、いつも陸斗は多めに作る。余ったとしても、次の日に食べればいい。
「へー、じゃあ玲夜は高校3年なんだ。来年大学……あたしと同じだね」
「え。でも千春さんって………」
ビールを手に取る千春に、玲夜は困惑する。
千春は容姿だけで判断するならば、間違いなく陸斗と同じか少し下くらい。
それにさっきからビールをぐびぐび飲んでいる。成人しているはずだが………。
「あたしは陸斗と同い年で、今二十歳。色々あって学校マトモに行ってなかったんだ。で、今通信の学校に通ってて、大学進学しようって思ってる」
「そ、そうなんですか」
「………まぁ、陸斗に会うまではあたしも荒れててさー」
感慨深く、そう溢す千春。
ほんのり頬が赤いのは、もしかしたらほどよく酔ってる証拠なのかもしれない。
「ま、昔話は長いし怠いし恥ずいし、後で陸斗から聞かせてもらいなよ。………ベッドの上で」
一瞬、その言葉の意味が分かっていなかったらしい。
が、少しして玲夜の顔が赤くなっていく。
「ち、千春さんっ!」
「あはははは、まぁいいじゃん。さっさとくっついちゃいなよー」
げらげら笑い出す千春に、陸斗も小さくため息を吐く。
やたらハイテンションな千春は止められない。酒に弱いくせして、とにかく飲む。そして潰れる。
現にこの数分後、しっかり酔いつぶれた千春の姿があった。
ソファに寝かせてタオルケットをかけ、その上で陸斗はようやく口を開く。
「俺と千春が初めて会ったのは2年前、大学進学を控えていた頃だ」
元々、陸斗はそこまで強く進路が確定していたわけじゃない。
あくまで家を離れたくて、県外の学校に進学したくらいだ。
無論学校でも上位の成績をキープしていたため、相応の大学に進む事は難しくない。現に担任教師からもそのようにすべきと言われていた。
だが、何がやりたいのか分からず、自問自答を繰り返していたそんな頃、不良に絡まれていた少女と遭遇した。それが千春だ。
「アイツが男がダメだって聞いたか?」
「ええ。お風呂で少し。それと………」
ちらり、と熟睡している千春を見て、躊躇いながらも玲夜はその言葉をひねり出す。
「………そうなった原因についても」
「そうか」
そこまで話しているのなら、説明も省ける。
恐らく千春も、玲夜が信頼出来る相手だと分かったから、その部分も話したのだろう。………元々、陸斗が彼女の前で妹の話をしていた点が大きいのかもしれないが。
「アイツの実父はそれなりに有名な政治家でな。俺がここに住んでるのも、その人の関係もある」
「どなた、なんです?」
「………聞いたら驚くぞ?」
陸斗が口にした名前に、玲夜も思わず驚愕を顔に浮かべる。
今、国政関連のニュースでは必ず耳にする名前だ。今後一生関わり合う事のないはずの相手だ。
玲夜の驚きように、陸斗も思わず苦笑してしまう。………現に、自分も彼に初めて対面した際は相当に驚いていた。
「アイツの母親はその人の愛人だったらしい。………何人も男侍らせてる女で、千春は母親としての顔を見た事がない」
義父も義父で酷い男。幼い千春に虐待を加え、母親もそれを見て見ぬ振り。
そして千春が小学校になるかという頃、彼女は義父に襲われた。
本来、何年も後に知るはずだった男という存在は、彼女にとってトラウマの象徴となった。
そんな悪夢は数年にわたって続き……今から5年前、義父と実母が麻薬所持の現行犯で逮捕され、その際に虐待の事実も明らかとなり、千春も保護された。
「その後は実父に引き取られたんだ。………そもそも、その人も千春の存在は知らされていなくてな」
知った当初、拘置所に殴り込みにかけるという勢いだったのを、どうにか押し留められたとか。
その後、千春も実父に引き取られたのだが………。
「………千春さん、言ってました。優しくしてくれるのが辛かったって」
「アイツも、アイツの新しい家族も優しすぎた。千春の事を好意的に受け止めてくれているのはよかったんだが、どう接していいのか分からない。千春もどう接していいか分からない。………結果すれ違いが続いて、千春もグレた」
引き取られた後も、千春のトラウマは消えなかった。
男に触れられる度、幼少期からの悪夢を思い出す。だから男嫌いで、千春は女に走った。
実父や異母弟にも接する事が出来ない。高校にはマトモに通わず、不良のレッテルを貼られ、また荒れた。………そんな頃に陸斗と出会った。
「アイツとはかなり気があってな。その関係で家族との橋渡しをしたり、トラウマ克服に付き合ったり」
「………例えばどんな?」
「大した事はしてないぞ。手を繋いだり、一緒にいるようにしたり、最近は添い寝とか」
添い寝と口に出した瞬間、玲夜の視線が厳しくなった。
男と女が添い寝をして、それだけで済むはずがないというのが世間の声。
慌てて陸斗は弁明の言葉を紡ぐ。
「いやいや、ほんと何もしてない。ただ隣で寝るだけで、せいぜい抱きつかれたりとか………」
「抱きつかれる?」
「と、とにかくっ! アイツと男女の事は何も無い! ノンセクシャルで仲いいだけだから!」
そんなトラウマ克服を繰り返している結果、どうにか過敏な反応こそしなくはなった。
陸斗が今、こんな高級マンションで生活しているのは、千春の事があったためだ。
進学先がようやく決まった頃、千春の父から「下の階の部屋に住むのはどうだろう」という申し出があった。大学にも近いし、千春のトラウマ訓練にも役立つ。家賃については向こう持ちなので心配しなくていいと。
無論、陸斗も最初は断った。さすがにここまでしてもらうのは申し訳ない。
「あ、断ったんですね」
「当たり前だ。………だが、とにかく強引でな」
その辺の強引さは千春と同じ。………父親に似たのかもしれない。
結果、気がついたら契約書に印鑑を押していた。なし崩しにここに住む事が決定していたのである。
………ちなみにこのマンション、他にも有名人が住んでいるため、たまに鉢合わせる事がある。
「ところでここのお隣。誰が住んでるか分かるか?」
「誰なんです?」
「聞いて驚け。神崎玖楼と瑪瑙夫妻だ」
玲夜は再び驚いた。
神崎玖楼と言えば、有名小説家だ。近年ではメディア出演も増えている。
彼の代表作「御狐様とボク」を始めとする「御狐様シリーズ」はシリーズ累計120万部の大ヒットを放ち、1年前にアニメ化。さらに現在実写化も進んでいると聞く。
その妻、瑪瑙は女優として活動しており、現在の月9「影法師」に主要人物として出演するなど、活躍している。
「結構フランクなんだよ、あの二人。よくキャンパスで顔合わせるし、休みは普通にご飯食べに来るし」
「い、意外ですね。でも、神崎玖楼さんといえば不倫疑惑が報じられてましたけど………」
3ヶ月ほど前の話だ。
神崎玖楼の不倫疑惑が、ワイドショーやらゴシップ雑誌で取り上げられていた。
何でも某有名モデルとホテルへ入る様子が写真で収められたとか………。
が、二人をよく知る陸斗はと言うと、即座に手を振って否定する。
「ああ、無い無い。あの二人のバカップルっぷりは見てて砂糖吐き出すから。多分あれ、どっかのでっち上げか、相手の女が勝手に言ってるだけだから」
どうせその写真も合成だろうと、陸斗もそこまで気にしていない。
現に疑惑が報道されても、二人はどこ吹く風と言った様子だった。
陸斗の前でもイチャつくので、思わず灰皿投げてしまった。
「バカップルぶり、かぁ………」
「………?」
ぼーっとする玲夜を見て、陸斗は何とも言えない不吉な予感を憶えた。
玲夜の転校手続きは終わっている。
転入試験も問題無くクリアしているし、ここから充分に通える距離だ。
ただ、向こうと違って街は広い。その分人も多いし、トラブルも多くなる。
(………アイツ、変な事に巻き込まれてなければいいんだが)
大学で授業を受けていても、そればかりが頭に浮かぶ。
無論、授業の内容は頭に入っているので、大丈夫ではあるのだが。
と、そこでぽんと肩を叩かれた。
「大変そうだね、陸斗」
「………玖楼」
くすくす笑いながら声をかけてきたのは、隣室の友人だった。
パッと見、中学生にも見間違えられるほどの童顔かつ小柄な体格。化粧や服装を整えれば、女に見えるかもしれない。
神崎玖楼は小説家として著名であるが、年齢こそまだ陸斗と同い年。二十歳になったばかりである(本人談)。
「妹さんの事、心配?」
「………まあな」
玲夜はあまり社交的だとは言い難い。
前の学校でも友人を作らなかったそうだし、今回も少し心配ではある。
「お前の方こそどうなんだ。例の不倫騒動」
「あれ? あれは単にこの前のパーティーで言い寄ってきた子がいて、それでやんわり断ったんだけど、それを根に持ってるみたいなんだよ」
「女って怖いよな」
「まったくだよ」
互いにそう感想を述べて、苦笑する。
玖楼はまだ二十歳になったばかりだが、結婚している。その辺りを詳しく語るには、かなり時間が必要なので割愛する。
対する陸斗も最近は義妹と同居を始めた。元々彼は異性にモテる方なので、色々と気をつけなければならない。
最近気づいたのだが、どうも玲夜は嫉妬深い。他の女と少し仲良くしているのを目にしただけで、後で煩く言ってくる。それも単刀直入にではなく、ねちねちといびるように。なので余計に辛い。
「僕も瑪瑙に嵌められて結婚したようなもんだし」
「後悔してるのか?」
「まさか」
分かり切った質問なので、実際聞く意味はなかった。
あのバカップルぶりからして、後悔しているようにはとても見えない。
「んじゃ、俺用事あるから」
「あれ、今日アルバイト休みじゃなかった?」
「妹の迎えだ。初日だし、少し様子見も兼ねてな」
校門で、転校してきた風峰玲夜の保護者だと説明したら、簡単に入れてくれた。
と言うより、母校である事も大きかったのかもしれない。守衛の男性が陸斗の顔を覚えていたため、すんなりと通してくれた。
(玲夜は、と………)
見慣れた校舎の中を進んでいき、教えられた教室の方へと向かう。
ふと、教室の中から何やら聞こえる。気になったので覗いてみて………ふと思った。
様子を見に来て正解だったかもしれない、と。
傍から見れば、美男美女のカップルで絵になるのだが、女の方は心底嫌がっているようにしか見えない。
そして男の方からは見えないが、玲夜は鋭利な笑みの影で確実に握り拳を固めている。あれは数秒後に放たれる事間違いないだろう。
さすがに目の前で乱闘騒ぎは見たくないので、とりあえず陸斗は玲夜に向かって呼びかけた。
「失礼しまーす」
もし、彼女に耳や尻尾があったなら、ぴこーんと立っただろう。
振り返った玲夜の表情に喜色が浮かぶ。
「兄さん!」
さっきまで話していた相手など目もくれず、陸斗の方へと向かっていく。
「初日だから様子見がてら、迎えに来たぞ」
「ありがとうございます! じゃあ帰りましょう!」
既に纏めていたのであろう荷物を持ち、教室を後にしようとする。
が、それに待ったをかけたのは、さっきまで玲夜と対峙していた男子生徒だった。
教室へ出たところへ立ちはだかり、突如現れた陸斗に対して敵意を込めた視線を向けてくる。
明らかに玲夜絡みなんだろうなと思いつつ、陸斗は現状を確認するため、隣の義妹に向けて口を開いた。
(………お前、何したんだ?)
(何もしてませんよ。ただあの人、えらくしつこかったんです)
要するに、言い寄られていたのだろう。
陸斗が割り込まなかったら、そのしつこさに玲夜がパンチ放っていたのは間違いない。
どう言ってどかすか悩んでいると、男子生徒の方から一方的にまくし立てて来た。
「君はどこの誰だい? マイハニーの手を勝手に握っていいと思っているのかい? 彼女に触れていいのは僕のように選ばれた人間だけなんだ。分かったらとっととその汚い手をどけるといい」
―――寒気が走った。
他者の言葉を聞いて鳥肌が立ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。
いや、陸斗はマシだ。玲夜はかなり酷い。このまま男子生徒が口を開くようであれば、無理矢理にでも口を閉じにかかる顔をしていた。
目の前の相手に混乱しつつも、視界が広く持てている陸斗は、もしかしたら大物なのかもしれない。教室や廊下にいた他の生徒を見てみると、全員陸斗と似たような顔をしている。
………どうやら、彼はこれがデフォらしい。
(………マイハニーって)
(わ、私は何もしてませんって! あの人が一方的に言ってくるだけですから!)
そりゃそうだろう。
どう見たって、アレは玲夜の好みとは思えない。
ふぁさ、と金髪(地毛?)をかき上げる姿は様になっているが、あの言動を見ていたら正直微妙だ。
「とにかく、さっさとどきたまえ。彼女も嫌がっているじゃないか」
「いや、嫌がってるって………寧ろ玲夜から握ってるわけで」
「ぐだぐだと無駄口は叩かないでくれたまえ。早くふげぇっ」
とその瞬間、別の生徒によって頭部を殴打され、イケメン男子は倒れた。
ぞろぞろと他の生徒も集まってきたかと思うと、ずるずる引き摺って連れて行かれる。………妙に手慣れている感があるのは気のせいだろうか?
そんな突然の事に二人が呆気にとられていると、二人に向けて坊主頭の男子生徒が頭を下げてきた。
「すみません、自校の恥がご迷惑をおかけしました」
「あ、いや、えっと………いいのか、あれ」
「大丈夫です。あれくらいでどうにかなるなら、苦労してませんので」
「………そ、そうか」
どう反応していいのか分からない。
やはり、あれがデフォのようだ。あれはあれでかなり希少価値が高い気がする。
「風峰さんもごめんねー。あのバカが迷惑かけて」
「は、はあ」
女子生徒も好意的に接しているため、どうやら玲夜の存在は悪く思われていないらしい。
その部分を確認できて、陸斗はホッとした。
そのまま帰路に就き、彼はそれとなく学校での様子を尋ねてみた。
「どうでしょう。………ただ、少なくとも退屈はしないで済むと思います」
「だろうな」
あれがデフォなら、退屈はしないだろう。
少なくとも、周りは玲夜の事を悪く思っていないようだし………。
「兄さん」
「なんだ?」
「大好きです」
満面の笑みを浮かべて、妹はそう告げた。
「………俺もだよ」
繋いだ手は、温かかった。
仁村千春
陸斗の半同居人(一応上の階に住んでいる)。20歳。
某大物政治家の私生児。諸事情から認知されておらず、母方の姓を名乗っている。
過去の経験から男に対してトラウマを持っている。現在は緩和されたものの、若干駄目とのこと。
現在は通信制の高校に通っている。成績は悪くない様子。
神崎玖楼
陸斗の友人で、隣室に住んでいる。既婚者。20歳(本人談)。
大学生ながら、小説家としてメジャーデビューしており、代表作は「御狐様とボク」。