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第4話 con sciotteza~緊張を解いて~

「ノクターンか……」


 空気に自然に溶けていくテノールを聞きながら、僕は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。

 フレッドの弟子、ノクターン。フレッドのプレイヤーアバターは非常に趣味の悪い醜い悪魔族で、猪のような顔に酷く獣染みた手、そして文字通り人間離れした強靭な肉体を持っている不人気な種族だった。なぜそれを選んだのか、と聞くと「最も醜い種族がこれだったからだ」と答えたというエピソードは彼の性格を物語っている。つまり、あまのじゃく極まりない男だったのだ。その弟子のノクターンは≪師に弟子は似る≫を使用しているため、今の容姿はフレッドの姿そのもの。そしてその声も、フレッドとそっくりの、醜い悪魔には似合わぬ美しい深みのあるテノールである。サービス終了前のIMMのNPCノンプレイヤーキャラクターの音声はあまり良くできているとは言い難い機械的な音声だった。勿論、技術者の努力もあり、昔よりはかなり人間に近いものになってきてはいるのだが、人間に近くなればなるほど、その違和感も目立つ。彼らの声は、本来、非常に冷たく、感情がどこにあるのか読めない、悪く言えばどこか心を騒がす不快な声だったのだ。けれど、今はどうだろう。乙女を始め、彼らの声はおそろしいほど人間に似ている。いや、人間そのものである。しかもその声はどれも聞き覚えのある、彼らの主人のものだ。IMMのサービス終了など嘘で、これはみんなの気合の入った僕に対するどっきりなのだ、とでも考えない限り、この事態は現実には起こり得ない現象に思える。けれど、僕の仲間たちはそんなに悪趣味な存在ではなかった。だからこれはどっきりなどでは、ない。一部タガが外れると保障しきれないところなので少し不安ではあるが。また、IMMのアップデートがあり、その結果としてこういう仕様になった、と考えることもできなくはないが、そもそもIMMはその終了がアナウンスされていたのであり、今さら新たなアップデートも何もないだろう。ということは、これは何か不可解な現象が起こっている、と考えるほかないのではないだろうか。そのことについて、弟子の魔物たちが何か感じ取っているのではないかと僕は考えて、僕の前に佇むノクターンに質問をした。


「ノクターン。君は、何かここ数日で違和感を感じることはなかったかな?」


 そんな質問をNPCにしている自分、そしてNPCがそれに答えるだろうと何の疑問も無く考え始めている自分が、不思議だった。ここは現実には遠く及ばない、仮想世界に過ぎない筈なのに。もともと現実に重きを置いていなかった僕の感性は、ここにきてその異常性を発揮し始めているのかもしれないと思った。


「違和感、と申しますと……」


 首を傾げつつ、考える表情になるノクターン。顎に手をあてる仕草が、彼の主人そっくりだ。その行動からして、彼は僕の期待にしっかりと応えられていることが分かる。やはりここは何かおかしいのだと、違和感が確信へと至った。


「そう言えば、プレイヤーの皆さまを目にしなくなりました。あるじ以外は」


 出てきた答えに、僕は少しがっかりする。サービスが終了したのだから、それは至極当たり前の話だ。

 ――当たり前の話?

 僕はそう考えている自分の思考に驚く。それを受け入れたら、自分がIMMに取り残されたと言うことを受け入れざるを得なくなると言うのに、もはや僕はそれを否定すらしていないのだ。笑えてくる。それはとどのつまり、僕が戻りたいと思っていない、ということにならないか。僕はそこまで現実世界に未練がなかっただろうか。いやそんなハズは…。再現のない問が頭の中を行き過ぎる。しかしこんなことを考えているよりも、今はやることがある。

 とりあえず疑問は置き、質問を続けた。


「あぁ……それはそうだろうね……ほかには?」

「他には……≪フォーンの音楽堂≫が……」

「ん?」

「あぁ、いえ」


 僕が首を傾げるのを、≪フォーンの音楽堂≫に文句をつけようとしたノクターンに対して不機嫌を顕したものと考えたのだろう。ノクターンは冷や汗を流しながら少し下がった。僕はかつて≪フォーンの音楽堂≫を破壊しようと――ギルド館やギルドビルは破壊不可能オブジェクトではない――挑んできた者を完膚なきまでの粘着プレイでいじめ抜いたことがあった。IMMはその運営の適当さから非マナー行為についても殆ど野放し状態だったから、PKプレイヤーキル行為を好んで行う者も少なくなかったし、それによる旨味もいつまで経っても改善されることなく放置されていた。むしろPK行為を推奨しているのではないかと思うほどの対応だった。そして最も儲かるPK行為がギルド館の破壊だ。それだけで大量の経験値が得られるだけでなく、一定期間そのギルドに所属していた者を奴隷として働かせることができ、さらにそのギルドメンバーの持っているアイテムの全てを収奪することができるというふざけた仕様だった。そのため、ギルド館狩りは絶えなかったが、それがなされると分かっていれば対抗策もすぐに生まれる。そもそもギルド館など持てるギルドは、その辺のプレイヤーなどに負けるような集団ではなかった。そのため、一部の無謀な人間を除いては、ギルド館狩りを行う者はすぐに減少したのだが、何を思ってか≪フォーンの音楽堂≫に襲いかかったPK集団がいたのである。それを僕は壊滅させた上で、復活する度にPKし、徐々にその気力を削いでいった。結果として彼らは死亡ペナルティを大量に受け、さらにせっかく集めていた様々なアイテムやマネーを全て僕に奪われてゲームから去った。あまりに酷いと言われたその顛末は、しかし≪楽団≫の名声にも繋がった。彼らはどうやら相当巨大なPK集団だったらしく、初心者狩りまで行う鼻つまみ者だったらしい。そのお陰で≪楽団≫は音楽都市ネオ・ウィーンを守る警察的役目を持つ団体としても期待され、GMからかなりの権限を付与されることになる。ただ、PK行為自体が規制されることはなかった。おそらく運営はIMMを混沌とした空間にしたかったのだろう。音楽家なんてものを受け入れたことからして、その度量の広さと整合性など考えていないという事がよくわかる。

 ともかく、そんなことがあったため、ノクターンとしても≪フォーンの音楽堂≫を侮辱するような行為は僕の逆鱗に触れ危険だ、とでも思っているのかもしれない。妙に怯えたような顔がそのことを表している。ただ僕はあのとき、攻撃されたから腹が立ったのであって、口でどうこう言われたから何か積極的行為に出よう!などと思う短気なタイプではない。

だから、ノクターンの懸念は全くの気のせいなのだ。

僕はなんでもないように続きを促した。


「いや、言いなよ」

「はぁ……勘違いしないで頂きたいのですが、私は音楽堂自体がどうこう、と言おうとしたのではございません。そうではなく、この音楽堂のある場所が……その、変わっているのです」

「……どういうこと?」

「≪フォーンの音楽堂≫は、数日前まで、音楽の都≪ネオ・ウィーン≫の一角に存在しておりました。その威容はネオ・ウィーンを訪れるものを驚かせ、またそこで奏でられる音楽は多くの人を魅了した……」

「誉めすぎだよ……それで?」

「しかしながら、今現在、確認した限りではこの音楽堂の周りには人の手による構造物が一切認められません。つまり、ここは街の中ではないのです」

「街ではない?」


 首を傾げていると、クララの弟子の魔物――クライスレリアーナ――が部屋の窓際まで歩いていき、窓を開いた。そこから爽やかな香りが部屋に広がり、なんだか気持ちが落ち着く。これは草木の匂いだろう。


「主人、ここからご覧くださいな」


 クライスレリアーナから笑顔でそう言われて、僕は乙女に一旦離れてもらいベッドから降りて窓に寄った。

 そこから見えた景色に僕は目を見開く。


「……森?」

「そうですわ。どうやら≪フォーンの音楽堂≫の周辺は森林のようなのです。何人か魔物たちに出て探ってもらいましたが、少なくとも1キロ四方には人工的な建造物はないようですわ。ただ……」


 クライスレリアーナが最後まで言う前に、僕は走りだしていた。後ろから呼び止める声が聞こえたが、とにかく外に出てみたかった。部屋を飛び出し、階段を下りて音楽堂の外に出る。


「……森だ……!!」


 そこには確かに深い森林が広がっていた。木々の隙間には闇が覗いており、浅い森ではない事が良く分かる。

 僕は深く息を吸い、確かめた。確かに、森の香りがした。生木の匂い、とでも言えばいいのだろうか。植物が作りだす、あの独特の匂いだ。

 それはIMMの世界にはなかったもので、僕は感動する。ここは、IMMの世界ではないのかもしれない。それはつまり、別のゲーム世界の中である、とかアップデートの結果である、とかそういうことではなく、そもそもここが現実で、地球とは違う別の世界なのではないか、という思いつきだ。

 そこまで考えて、僕はここが現実かどうか確かめる最も簡単な方法を試してみることにした。インベントリから、僕の愛器――ユグドラシル――と、世界樹と竜馬の毛によって作られた、常にバイオリンの音色の安定するだけの摩擦力を持つ弓を持つ。両方とも大規模戦闘レイドをギルドの皆でこなして手に入れた、伝説級武器レジェンダリィ・ウェポンであり、僕以外の誰も持っていない。顎当てに顎をあて、弓を構える。そして、弓を引いた。

 僕は、驚く。調弦は合っていないが、少なくとも鳴った音は明らかにIMM内で聞いていた少し味気ない音ではなかった。現実の、しかも一流のバイオリニストだけに許された最高峰の響き。

 僕はペグを回しながら調弦し、今度は曲を弾いてみる。


――やっぱり間違いじゃ、ない。


 明らかにバイオリンからは倍音がなっていた。IMMは楽器自体も周りに存在するものも一切楽器の音色に共鳴することはなかったから、この事実はここがIMMの中ではないのだと言うことを明確に証明している。しかも、僕の演奏技術はこれほどまでに高くない、と言いたくなるほどにバイオリンが上達していた。ただ弾く音が違うだけではない。出したい音を、どのように弾けば出せるか、そのための方法が頭の中に次々と浮かび、また体もその通りに、まるで以前から何度もその音を鳴らしてきたかのように自然に弓を引き奏でることができるのだ。

 これは、ありえないことだった。IMMでの演奏技術は所詮、現実世界と変わらない。スキルで色々な調整がなされるとしても、そのほかの部分――拍の取り方とか、音量の調整とか、耳の良さとか、音楽的な思考能力とか、がプラスされる訳ではないのである。にもかかわらず、今はその全てが、僕の頭の中に、いや、僕の体の中に叩き込まれていた。まるでよく夢想していた世界最高峰の音楽家にでもなったかのように。

 呆然自失の体で突っ立っていると、


――チュンチュン


 と、鳥が飛んできて僕の肩に止まる。あまりにも警戒心のないそのようすに僕は驚くが、まぁたまにはこういうこともあるだろうと思って、もう一度バイオリンを弾いた。

 すると、今度はタヌキがやってきて、僕の前に止まり見上げてくる。次はキツネ、さらにはリス、熊、狼、と、様々な動物があらわれて僕の前に腰掛けるのである。


「おいおい、あるじサマ、これはなんだよ……」

「……動物達が集まっていますね……」


 僕の後ろでそう言ったのは、突然部屋を飛び出した僕を追いかけて出てきたノクターンと、羊頭の獣人族をしていた僕の友人――ニコロの弟子であるカノンである。

 僕は振り返ると、二人を見て肩をすくめる。


「どうにもなつかれちゃって」

「いえ、あるじ。演奏されたのであればそれは当然のことかと」

「え?」

「あるじの音楽にはありとあらゆる生き物を魅了する力があります。そのため、その動物達もやってきてしまったものと愚考いたします」

「魅了……」


 その言葉には身に覚えがあった。なにせ、IMM内で音楽家を名乗るために必要な最も重要なスキルだったからだ。

 つまりは≪魅了の音楽ミュージック・オブ・ファッシネイション≫である。

 このスキルを持つ者は、魔物に一定時間楽器演奏を披露すると魔物を懐柔テイムすることができるというものであり、音楽家をバランスブレイカーたらしめた有名なスキルだ。このスキルは、音楽家の特典、弟子システムを使ったとしても魔物に譲り渡すことのできないもので、原則これを扱えるのはプレイヤーキャラクターだけである。

 ノクターンが言うのは、つまり僕がこれを使ったから動物たちが集まった、ということなのだろう。しかしそれにしても不思議な事である。IMMには一応動物も存在したが、魔物とは違って彼らは演奏を聞かせたからと言って懐くことは無かった。それが製作者の手抜きなのかそれとも何らかの深い理由があってなのかは分からなかったが、魔物のことだけ念頭に置いていて動物はすっかり放置、というのが最もありそうな話である。

 とはいえ、ここがどこだかは未だに全く分からないが、ここでも僕のスキルが使え、かつ≪魅了の音楽ミュージック・オブ・ファッシネイション≫が通用すると言うことが分かったのは非常に大きい収穫だった。つまりこの世界で動物に襲われても音楽を聞かせればどうにかできるということなのだから。魔物はいるかどうかわからないが、この分ではいたとしてもスキルは通用するのではないだろうか。楽観するのは危険だが、多少、安心できたのも確かである。

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