第33話 miserere~憐れみたまえ~
僕の言葉に驚いたように目を見開いたアルボは、額に手を当ててしばらく考えると、持っていたワイングラスの中身を一息で飲み干してから語りだした。
「……なんだ、それは。少なくとも、僕はそんな事を指示した覚えはない」
「本当に知らないのですか」
苦々しげに言ったアルボに確認のために聞いてみる。
けれど、僕の口から出たその言葉はほとんどただの相槌に近かった。
アルボの表情や反応を見る限り、彼の言っていることが嘘であるとは言えないような気がするからだ。
アルボも、若いとは言え、それなりに経験も積み国王や高位貴族たちに認められ始めている貴族だ。
そうであるなら、当然のこと腹芸の一つや二つ、出来ないことはないだろうし、今のこの表情すらも演技である可能性が考えられないわけではない。
だから僕がこれは嘘ではない、と思ったのはただの勘に過ぎない訳だが、往々にしてそう言った直感と言うのは当たるものである。
それに考えてみれば彼が仮に嘘をついているとしても、孤児院についての諸々の権利は既にすべて僕の手中にある。このまま話を聞いても、問題はないはずだと冷静な頭が計算した。
「知らない。逆に尋ねるが、そもそも孤児院の孤児等連れ去って一体何の意味がある? 誰も引き取り手がいないからこその孤児院だろうに……」
孤児たちの身の上を思ったのか、眉を寄せてアルボはそんなことを言った。
孤児を連れ去っても、意味がない、と。
それはつまりアルボがあの孤児院にいるフィーリアの歌唱スキルを知らないか、それ自体に有用性を見出していないことを意味する。
そのどちらかなのかは分からないが……。
「アルボ……いえ、イヴェール公爵は孤児院を訪ねたことはおありではないのですか?」
そう聞くと、アルボは遠くを見るような目になって言った。
「ない訳ではないな……両親が生きていたころの話になるが」
そうして、アルボはそのときの思い出、というべきものを話し出した。
母に連れられて行ったスラムの端に立っている教会に差し込む柔らかな光。
孤児たちと一緒に市井の遊びを楽しんだこと。
孤児院の管理責任者である修道女に毎月必要な額を渡していたこと。
その当時、孤児たちは十分に満ち足りた生活をしているように感じられたこと。
聞いていると、まるで別の場所について話しているようだった。
管理責任者の修道女とがいたという話はウィアとフィーリアに聞いたが、ある日突然引き上げてしまって、それから戻っていないという話だった。
それはイヴェール家からの言いつけに従ったことだと修道女は話したというが、この調子では真実は全く別のところにあるのではないだろうか。
「公爵になられてからは?」
「いや、行っていない。そんな暇もなかったし、孤児院は経済的援助以外に出来ることもなかったから後回しになっていた。しかし先ほども言ったが、十分に生活の資を賄える程度の金額は渡していたはずだぞ。なのになぜ援助が届いていない、しかも孤児を連れ去る、などということになる?」
一体何が起こっているんだ?
と本当に不思議そうな目を向けるアルボに、やはり嘘は見えなかった。
しかしそうなると、分からない。
どのあたりに混線があるのか、という疑問が生じる。
そもそも、アルボが渡していたという金銭は一体どこに行ったんだ?
彼は誰に渡していた?
答えてくれるかどうかは分からなかったが、とりあえず聞いてみることにする。
「イヴェール公爵は生活費は渡していた、と言いますが、それは一体誰にです?」
「……? 孤児院の管理を任せている修道女だが? 会ったのではないのか? 孤児院に関する権限がお前に移るに当たって手紙が届いたが……」
「手紙?」
「あぁ。『孤児院は新たにエドワード殿が管理することになったので、経済的援助は不要になった。ついては自分はお役御免になったので本部に戻らせてもらう』と。お前に会ったが中々の人格者で孤児院の管理を任せても問題はないだろうとも記載してあったぞ」
そんな馬鹿な、と思った。
そんなことがある筈がないと。そんな修道女に僕は一切会っていない。
そもそも、修道女はかなり前にもう孤児院を去っているのである。
それなのに、僕が孤児院の権限を奪い取るまで生活費を受け取っていた、という。
ここまでくれば、だれだって気づく。
「イヴェール公爵。僕はその人に会っていませんよ。もっというなら、その修道女はかなり前に孤児院を去っています。これは孤児院の孤児たちに確認を取っていますから、明らかなことです」
「何を言っている? そうだとするなら、イヴェール家が出した金銭はどこへ行った」
「そんなことは、今のお話を踏まえれば簡単に答えが出ることです。つまり」
――横領ですよ。
そう言った僕の顔を、大きく見開いたアルボの目が見つめていた。




