第32話 eveille~目の覚めた~
パーティに集まった人々との顔合わせの大体を終えて、僕は精神的疲労を癒すためにバルコニーに出た。
パーティの主賓が会場にいないのは少し問題があるかもしれないが、僕らが行う事業について詳しく説明できる人間は僕以外にも当然いる。
ノクターンたち魔物や、ウィアたちだ。ウィアたちに関しては元は孤児であるから、それなりの格を相手に要求する貴族には侮蔑されかねないが、彼ら一人一人に魔物たちを一体ずつ付けている。これから彼らには貴族たちをはじめとする権力ある人間ともそれなりに相対してもらわなければならない。そのための慣れ、というものを身に着けてもらうための訓練として切り抜けてほしいと考えている。国王からの覚えもいいし、貴族にとっても今回の計画はメリットはあってもデメリットは少ないから、あまり極端なことをされるということは考えにくい。それに、もし本当にどうしようもなくなったときはノクターン達がフォローしてくれるから、あまり心配せずともいいと告げてある。
なので僕はぼんやりと空に浮かぶ星々を眺めて、息の詰まるやりとりを忘れようとしていた。
空には多くの天体が煌めいており、その瞬きは地球で見たものと変わらず美しい。
誰が言ったかは知らないが、どんな場所にいても同じ月を眺めている、という言葉が思い出される。
月の下には、人間の営みがある。誰かが月を眺めているとき、同じ月を眺めている誰かがいる。月が誰かを照らしているとき、また他の誰かをその月は照らしている。
月は一つしかなくて、だから、誰かを照らす月、誰かが見ている月は同じものだ。
月を眺めていれば、それだけで自分が誰かとつながっているのだと、地球の自分の家の自室で月を見ているときは、そう信じることができた。
けれど、今、僕が眺めている月は、どうだろう。
あの月は、確かに僕以外の誰かを照らしていて、また僕以外の誰かもまた眺めていることだろう。
けれどそれは、この世界にいる人間だけに限った話だ。
あの月は、地球を照らしてはいない。地球からあの月を眺めることも、また、できない。
僕はここで、この世界であの月を眺めるたびに思うのだ。
あぁ、僕は、地球の誰ともつながっていないのだな、と。
酷く虚しい考えが、僕の胸に去来する。
考えても仕方ない。この世界で生きるほかない今は。
そう思って諦めても、ふと空を見上げると、そんなことを思ってしまうのだ。
「……そんなところで主賓が何を佇んでいる」
不機嫌そうな声が、後ろからかけられる。
驚いて振り向くとそこには見覚えのある顔が立っていた。
「イヴェール公爵?」
「……なんだ。来て悪いか?」
「いえ……」
まさかこんなところで僕に声をかけるなどしそうもないと考えていたから驚いた、とは言いにくい。
彼の両手にはワインが握られており、その一つを僕に対して差し出してきた。
「これは……?」
「持ってきてやった」
そう言って黙り、僕の隣にやってくる。
その一部始終を見つめていて、酷く不思議な気分になったのは仕方ないことだ。
なぜ、一体何の目的で彼はこんなことをするのかと。
そう思ったからだ。しかし本人に聞くわけにもいかない。
まさかワインの中に毒でも入っているのか……?
と思ったが、今こんなところで僕を毒殺したとしても何の意味もない。
しかも彼の渡したワインで僕が死んだらまず間違いなく彼が疑われる。
そこまで愚かなこといくらなんでもするはずがなく、そうすると彼がここに来た理由が全く見えない。
混乱の中にいながら、とりあえずワインを受け取って口をつけた。
ちょっとやそっとの毒で僕が死ぬことはない。いざと言う時は解毒だってできるだろう。
一世一代の決心であった。
ところが、そのワインの味は予想とは異なり……。
「美味しい……」
「だろう? うちの領で作っているもののなかでも特に出来のいいものを持ってきた」
「そうなんですか……」
「とは言っても、数はそれほど確保できないものだ。夫婦でやっている小さな工房で作っているものでな。年間で10本程度しか出回らない」
「そんな貴重なものが、なぜここに?」
「このパーティをするにあたって何本かレイスに確保させたんだ。権力に興味のない貴族も、これが出る、と聞くと出てくる気になるかと思ってな。権勢欲に塗れた貴族よりも、そう言った貴族の方がお前の力にもなるだろう……」
それはあまりにも予想外な台詞だった。これだけ聞くに、アルボは本当に僕の事業に協力しているとしか考えられない。これが罠だ、と考えるには気を遣いすぎている。
アルボはパーティの席上で僕に恥をかかせようとしていることは間違いないはずなのに。
考えれば考えるほどによくわからなくなってくる。
そんな僕に対し、アルボは話題を変える。
「そう言えば、孤児院についてだが……」
孤児院。それは僕が権限を奪い取って好き勝手にしている部分だ。もともとイヴェール家は何もしていないも同然だったので、僕には文句を言われる筋合いなどないと考えている。だから何を言われても、気にする必要はないと思ったのだが……。
「彼らに仕事を与えてくれたこと、感謝している」
「……は?」
アルボはバルコニーから遠くを見つめながら言う。
その様子は非常にすっきりしていて、何か企みがあるようには見えない。
「僕が家督を継いで間もないことは、聞いているか?」
「……ええ」
「そう……そういうこともあってな、あまり枝葉に目がいかないのだ。出来ることも、今の僕には限りがある。特に孤児院には中々目がいかなくてな。経済的援助はしていたのだが……」
「ちょっと待ってください。孤児院にはイヴェール家の援助は殆ど届いていないという事でしたよ。それにイヴェール家からの使者が孤児を連れ去ろうとしていたではないですか」
正直、言った後にこれは言うべきではなかった、と思った。ただ単に表面を撫でるような会話をして、そこで話を終わりにすべきだったと。少なくとも、アルボ、という人物について、僕はあまり関わるべきではないと評価していたのだから。
しかし、ことここに至って、その評価が自分の中で変わりつつある。僕は勘違いをしていたのではないか?
急に、そのことが確かめたくなったのだ。
本当は、彼はどういう人物なのか。何を考えて、何のために行動しているのか。そういうことを。




