閑話~亡き王女のためのパヴァーヌ5~
その巨大な門は、馬車が前に停止すると誰も開閉する人がいないにも関わらず自動的に開いていく。
魔法かな、と思ったもののそれが正しい推測なのかどうかは乙女にはわからない。フィーネに尋ねようとも思ったがその横顔を見るにあまり質問をしていいような雰囲気ではない気がして乙女は口を噤む。
門を抜けると曲がりくねった道が遠くに見えるお城まで続いていた。
そう、お城だ。
真っ白な美しい白亜の城、とはとても評することのできないどことなく心を騒がせる不気味な作りの城だった。
壁はくすんだ灰色で、いくつか見える尖塔の先には恐ろしげな容貌の哄笑するガーゴイルが下界を見下ろして鎮座している。窓枠を覆う装飾もとげとげしい茨を象ったようなもので、全体的に人を拒絶するような雰囲気を感じるのだ。
――フィーネには似合わない。
乙女はそう思って、眉を寄せた。
フィーネがその城のことをどう思っているのかはわからない。
ただこれは彼女の趣味ではないのだろうということは、フィーネが窓越しに城を見つめる視線からなんとなく感じ取れた。
ならなぜこんなところに住んでいるのか、聞いてみたい気がしたが、それすらも憚られる空気がここにはある。
結局、フィーネが自ら語りだすまでは聞いてはいけないのだろうと乙女はあきらめた。
ほどなくして、馬車は静かにその不気味な城の入り口まで進み、そして止まった。
音もなく停止したのは御者の腕か、それとも馬車が特別性だからか。
フィーネは馬車が停止したのを確認して乙女の方に笑いかける。
「着いたわ。降りましょうか、乙女」
「うん」
待っていると馬車の扉が開き、執事がフィーネの手を取って降ろした。続いて乙女にも手を貸そうとしたが乙女は身軽にも自分でさっさと降りてしまう。
フィーネも執事も一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで「じゃあ、行きましょう」と乙女の手をとって静々と進んでいく。
城の門は見上げるほど高く、成人男性が数人いないと開けられないような重厚さを感じさせるものだ。
しかし実際は誰も力を加えていないのに簡単に開いていく。どこかに絡繰でもあるのだろうか、と周囲を見回してみるが、どこにもそのようなものは見えず乙女は首を傾げる。
――そもそも。
そう、そもそも、こんな大きなお城に住んでいるフィーネは一体何者なのだろう。
イミリダ大森林はレド侯爵やエスメラルダ王女が言うにはほとんど人の手の入っていない魔境だと言う話だった。
事実、森林の魔物は強力で、一対一で戦えば近衛騎士ですら敗北しかねないものが多い。
人が住めるような場所ではないのだ。
なのに、フィーネはこんなところに城を持ち、そしてさしたる警戒もせず道なき道に馬車を走らせる。
奇妙な、少女だった。恐ろしく、奇妙な。
でも、だからと言って乙女は彼女のことをそう、悪いものとは思えなかった。
なぜだろう、と思う。
しかしいくら考えてもその答えは出ずに元の混乱へと思考は戻っていく。
静々と進んでいくフィーネ。
ついていくしかない乙女。
その道行きは得体の知れない何かに続くような気がした。
それでも、前を歩くフィーネには暗闇に灯る蛍のような輝きを感じるのだ。
追わずにはいられない、あの光の向かう先に確かに道がある。
そんな気持ちがする。
ホールを抜け、その正面にある階段を昇ると縦に長い大きな扉があった。
これもまた簡単に開くようなものとは思えなかったが、やはりフィーネがその前に立つと音も立てずにゆっくりと開いていく。
フィーネは振り返りもせず、中へと入っていった。
執事がそのあとに続こうとするが、一瞬こちらを見て笑った。大丈夫だと、そうつぶやくように。
乙女は二人の後に続き、そして部屋の中へと入った。
◆◇◆◇◆
扉の向こうに広がっていたのはまるで夢のような光景だった。
城に入ってすぐの玄関ホールの何倍もの広さの舞踏場がそこにはあった。
その中心には豪奢で巨大シャンデリアがぶら下がっており、またダンスの邪魔にならないように配置されたテーブルの上には極めて美しく盛りつけられた上質の料理が並べられている。壁ひとつとっても気品のある美しい色に染め上げられており、カーテンなど虹をそのまま織り上げたような色彩の一枚布で作られている。カーテンは透けるような薄さで、外の光をそのままホールの中へと導いていた。先ほどまで曇っていた夜空も今は晴れているらしい。月の光がわずかにカーテンを抜けてホールまで降りている。
これは天上の舞踏会である、と言われてもきっと乙女は信じたことだろう。
その舞踏場で、多くの人々が手を取り合いながらダンスを踊っていた。
緩やかなもの、激しいもの、そのテンポは流れてくる曲によって様々だが、それでもこういった集まりにかなり慣れた教養ある人々なのだと言うことが分かる。
ただ、ひとつ奇妙な点を挙げるなら、彼らは皆、仮面をかぶりその素顔を隠してると言うことだ。
男女問わず、皆仮面をかぶっている。例外は、見当たらない。給仕を行っているボーイですら仮面をかぶっているくらいだ。
一緒にホールに入ってきたフィーネと執事を見てみれば、先ほどまでは素顔だったのにいつの間にか仮面姿である。
きっとこれはそういう趣向なのだろ。しかし乙女は素顔のままで、これでいいのだろうかと思っていたところ、フィーネが笑ってこちらをみて「あなたはそのままで」と言った。
何も恥ずかしいことではないのだが、自分以外のこの場にいる者のすべてが仮面姿であるのに、自分だけ素顔を晒している、というのはなんとなく恥ずかしいような気がするが、フィーネからこのままでと言われたのだ。このままでいる他ない。
乙女はそれから自分の仕事を思い出し、ホールに響く音楽に耳を傾けた。
美しい音色ではあった。
この世界特有の楽器だろう。
ただ、どこか淡白で表現に幅がないのだ。決められた音符をただ鳴らしているような、そんな印象すら抱いたしまうような面白味のない演奏。
技巧的ではあるし、ここまでの演奏を行うにはそれなりの修練が必要なのも理解できる。
ただ、これを音楽である、と言ってしまうことには抵抗がある。
不思議だった。人であるなら、もう少し音に感情が出るものだからだ。どんな楽器を扱っているにしても、そして奏者がどれほど未熟であるとしても、音には感情が宿る。
なのに、この演奏にはまったくそれがない。
「……あなたには、この曲はどんな風に聞こえる?」
フィーネがそう、乙女に聞く。
乙女は答える。
「喜びも、悲しみも、怒りも、楽しさも、何も感じない。何もない、そういう音色に聞こえるよ」
「……そう。そうね。きっとそうなのでしょうね……」
乙女の言葉にいったい何を思ったのか。
フィーネは自嘲的な笑みを浮かべてそう言った。
しかしそれも一瞬のことで、フィーネはすぐに通常の表情に戻ると乙女に言う。
「あなたには、これからこの奏者の代わりに演奏してもらいます。いいかしら?」
「……何を弾けばいいかな?」
「あなたの主が、いつか人を癒す曲を弾いたと聞いたことがあるの。あなたにも、弾ける?」
それはおそらくエドワードがレド侯爵たち近衛騎士にかけた範囲蘇生のことを言っているのだろう。
なぜそれをフィーネが知っているのかはわからない。
ただ、バイオリンや竪琴など持ち運べる大きさの楽器でそれを奏でるにはかなり高い楽器演奏スキルが必要だった。だから、乙女にはそれはできない。
しかし、今回乙女が弾くのはピアノだった。
ピアノはIMMに置いて持ち運んで演奏することを想定されていない楽器だ。使いどころは大規模戦争で砦や城のどこかに設置し、そして弾き続ける、そんなところくらいにしかない。
だからその要求スキルレベルはかなり低めに設定されており、ピアノでなら乙女にも範囲蘇生をかけることは可能だった。
「……できるよ」
「そう。なら、最後の曲にそれをお願いできるかしら。まず、数曲演奏してもらって、最後にその曲を。最後以外の曲に何を弾くかは、あなたに選曲を任せるわ」
そうして、フィーネは乙女に演奏すべき場所を指示し、そしてホールの中心へと歩いていく。
途中、パートナーらしき男性と会話をし、手を取り合っているのが見えた。
きっとフィーネは彼と踊るのだろう。
それにしても、なぜフィーネは範囲蘇生などと言うものを求めたのか。
乙女はそう、自問する。
けれど自問せずとも、乙女は、その答えはすでに見つかっているような、そんな気がしていた。




