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ゆまゆま!  作者: 高杉零
9/11

第玖話:急変

 それからの事は、実を言うとよく覚えていない。

 どこをどう帰って来たのか。俺は、自分の病室へと戻って来ていた。

 いつの間にか陽も落ち、辺りが暗くなる。

 その内に消灯時間も過ぎて、明かりもなくなった。

 俺は、自分のベッドの上で……おぼろげに天井を見上げていた。

 不思議なもんだ。真っ白なはずの天井が、辺りの闇に浸食されて黒く見える。

 ……まるで、俺の心みたいに。

「……そんな訳、ねぇだろ」

 そんな言葉が、口をついて出る。

 一度きりじゃない。部屋に戻って来てから、もう何度口にしたか自分でも分からないくらいだ。

 もう一度、目を閉じて思い浮かべる。

 由麻の病室。ベッドの脇。小さな机の上にひっそりと置かれた……キーホルダー。

 天使の翼の形をしていた。

 片翼だった。

 つけられた鎖が、引き千切れた跡があった。

 目を開けて、自分のベッドの脇を見る。

 昨日、孝明と清耶が届けてくれた、俺の鞄。

 その鞄につけられた……キーホルダー。

 天使の翼の形をしている。

 片翼。

 つけられた鎖が、引き千切れた跡がある。

「……ぎ……ッ!」

 見ているのも嫌になって、鞄からそのキーホルダーを引き千切る。

 たかが安物のキーホルダーだ。少しの力で簡単に千切れた。

 そのまま、真下のゴミ箱に思い切り投げ入れた。

「……はぁッ…………はぁッ……」

 ふざけるな……そんな事あってたまるか。

 何であれがあそこにあるんだ。

 あれは……俺のキーホルダーだ。

 もう二週間近く前に落とした。学校の帰り道。たぶん、鞄を振り回してた時だ。

 その時鞄から思わず手を離して……地面に鞄を落とした。

 今更思い出した。たぶんあの時だ。

 あの時に、鞄からキーホルダーが片翼――千切れた。

 それを由麻が拾った?

 拾おうとして事故にあった?

 何で。どうして。

 それが二週間前の出来事。

 その後、ゴールデンウィークの初日に……ゆまが俺の前に現れた。

 一方で……由麻の容体は急変した。生死の境を一週間も彷徨い続けた。

 一週間後。ゆまが俺の前から消えた。

 逆に、由麻の方は容体が少し安定したと言う。

 ナンデ。ドウシテ。

 俺のせいで、由麻は事故にあったのか。俺が、道端にあのキーホルダーを落としたから。

 俺のせいで、由麻は生死を彷徨ったのか。俺が、ゆまに出逢ったから。

 ……だとしたら。

 俺のせいで、由麻は目覚めないんじゃないのか。

 例えば、生命力なんてものがあるんだとして。

 由麻が、"ゆま"として俺の前に現れて。

 俺と一緒に過ごした一週間で、それを使い果たしてしまったんじゃないのか。

 仮に、由麻の身体から抜け出た魂みたいなものが"ゆま"なんだとして。

 俺と出逢った事で、その存在に気付ける奴を見つけて。

 "ゆま"が身体に戻れないように、引き止めてしまったんじゃないのか。

 詳しい事は分からない。もしかしたら見当外れなのかもしれない。

 けれど。

 今まで考え続けた何もかもより、この仮説が一番筋が通る。

 物的証拠なんて何一つない。それが正しいと証明する何かがある訳でもない。

 それでも。

 今まで考え続けた何もかもより、この仮説が一番納得出来る。

 認めざるを得なかった。

「ふ……っざけんな……ッ!」

 認めたくない。認める訳にいかない。認められる訳がない。

 嘘だ。嘘だ。嘘だ。

 そう、心に強く思っているのに。

 そう、信じたくてしょうがないのに。

 そう、声を大にして叫んでしまいたいのに。

 頭の中で、自分自身がそれを……認めてしまった。

 俺なんだ。

 由麻を事故に遭わせて。

 由麻の容体を悪化させて。

 由麻の意識が戻らなくしたのは。

 この、俺なんだ。

 ゆまの……いや、由麻の顔が頭に浮かぶ。

 ――ゆまの名前は、ゆま!

 ――ねぇねぇ。あなたの名前は何て言うの?

 ――ゆーまかー。ゆまの名前に【う】を付けたんだね

 やめろ。

 ――大丈夫だよ

 ――一人じゃないから

 ――ゆーまがいるから

 やめろ……ッ!

 ――ゆーまは一人なんかじゃないよ!

 ――だって、ゆまがいるもん!

 ――ゆまがいるよ。ゆーまの傍に、ずっといるよ。だから、ゆーまは一人じゃないんだよ

 やめろッ!!

 布団を広げ、頭から被る。

 それでも、考えが止まってくれる訳はない。

 ――あ。だからって無視するとかヤだよ?

 ――お前の顔に影が見えるのだ

 ――彼女に振られでもしたんだろー?

 ――まだ意識が戻らないの

 ――ゆーまの意地悪!

 ――お前が何も語ろうとしないからだ

 ――お前等を繋いでた枷みたいなもんが、何かの拍子に外れたんだよ

 ――こんな物を見つけなければ……

 やめろ! やめろ! やめろ!!

 ――由麻もあんな事故に巻き込まれなかったでしょうに

「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!」

「おい! 何だよ! うるせぇぞ!」

 ガンガンとカーテンの柱を叩かれ、ハッと我に返る。

 気が付くと、身体中が汗でびっしょり濡れていた。

 すみませんと謝りながら、服を着替える。

 ……が。心は晴れない。

 何か、飲もう。そう思った。

 静かに病室を出る。

 俺のいる病室は、東病棟の端だ。部屋を出ると、すぐ脇が行き止まりになっていて、そこには――窓があった。

 その窓に、目をやる。

 向かい合った、西病棟が見える。

 同じ階。端から真正面に見えるはずの病室。

 ……由麻がいる、あの病室。

 俺が深い闇の中に堕とした女の眠る場所。

「……く……ッ!」

 見ているのさえツラくて、目を逸らす。

 その場を後にして、通路を歩いて行った。






 この病院は、アルファベットの【C】の字を書いてちょうど中心に当たる場所にナースステーションがある。

 病室からだと、そこに向かうまでの途中に、自動販売機があった。

 入院してからの四日間、しばしばコーヒーを買った自動販売機。

 だが、今はコーヒーを飲むような気分じゃなかった。

 一刻も早く、眠ってしまいたい。

 そうすれば考える事もない。悩む事もない。起きてからまた続くんだろうが、ひとまず寝てしまえばその間は安泰だ。

 そう思って、ホットミルクのボタンを押した。

 ガシャン、と病院の消灯時間を一切考慮していない音が鳴り響く。辺りが静かな分、この音が耳障りな程にうるさく感じた。

 近くのベンチに腰掛け、ホットミルクの蓋を開ける。

 ――その時だった。

「……はぁ。何とか一命を取り留めたわ……」

「ご家族には連絡したの?」

「当たり前よ。お母様がさっきまでいたけど……流石にお帰りになったわ。時間も時間だし、容体はちゃんと説明したしね」

 看護師達が話をしているのが聴こえた。

 ナースステーションに近いからか、辺りに音が一切ないからか……その声は驚く程よく届いた。

「でも……矢野さん。この四日間くらいは容体も安定してたのに」

 矢野さん? 矢野さんって……まさか。

「ホントよ。先週一週間も不安定な状態が続いたのが嘘みたいだったのにね」

 先週。一週間。不安定だった。

 節々に出て来る単語から、聴こえている話が、由麻に関する事である事が分かる。

 ……待て。

 さっき、あの人達何て言ってた?

 ――何とか一命を取り留めた

 ――この四日間くらいは容体も安定してたのに

 これらの言葉から想像出来る話は……一つしかなかった。

 由麻の容体が、急変したんだ。

 何でだよ……また俺の前に"ゆま"が現れた訳でもないのに……!

 心臓が激しく脈打つ音が聴こえる。血の流れが勢いを持ち、身体中を駆け巡るのを感じた。

 頭の中で、声が響いた。

 ――運命とは自らの歩む道。転機に差し掛かった者は自らを試されるのだと言う。そこで道を違えれば……二度と戻っては来られなくなる

 ――転機とは選択するべき箇所。お前は選ばなければならないはずだ。何をかは分からないが

 ――まだ、選択の時は来ていないらしい。その時を……見誤るな

 その後、俺の頭を支配したのは……とても簡単な予想だった。

 ……このままだと、由麻に会えなくなるかもしれない。

 そう思った瞬間。

 俺の身体は動き出していたんだ。






「……はぁ……はぁ……」

 昼に来たばかりの西病棟。その端近く。

 目的の場所に到達するのに、それ程時間はかからなかった。

 時間が遅いので、人がほとんどいないというのもある。何度か巡回の看護師に出会いそうになったが、隠れる事で事無きを得ていた。

 扉に、手をかける。

 瞬間。本当にいいのか、っていう漠然とした不安が頭をよぎった。

 何か気になる事があった訳じゃなかった。ここまで来てしまった以上、それをやらずに帰るなんて考えられなかった。

 なのに。

 その不安は、形にもならないまま……俺の身体を押し戻した。

 扉に手をかけたまま、後ろを振り返る。

 誰も、いない。

 昼間はあんなに人がいたのに、誰もいない。

 俺が一人で……ポツンとそこにいる。

 扉を見つめ、目を瞑る。

 ――何を選ぶにしろ、お前自身が歩む道だ。後悔をしないよう……自身の全てをかけて選べ。でなければ、お前はお前自身を恨み続ける事になってしまう

 ――お前は一人じゃねーんだからな。俺はバカだけど……一緒に悩むくれーの事は出来っから!

 ――ゆまがいるよ。ゆーまの傍に、ずっといるよ。だから、ゆーまは一人じゃないんだよ

 ……そうだよ。そうだよな。

 一人じゃ……ねぇんだよな。

 意を決して、もう一つの手を扉にかける。

 頑強なはずのないそこを……両手で静かに開けた。

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