第漆話:友との絆
「まったく……少しは大人しくしていて下さいよ。あなたは安静が必要な患者さんなんですよ?」
「はい……すんません」
「本当に分かってるんですか!? 毎日毎日病室を抜け出したりして――」
あーもう。分かったよ。分かってるって。
まぁ、自分が悪いのは間違ってないので、大人しく看護師さんの言い分を聞いている……振りをしてる。
展開が突然過ぎて状況が伝わらないわな。ちゃんと説明しようか。
あの日。孝明と清耶を置いて教室を跳び出した後、大雨の中川辺でびしょ濡れになりながら俺は叫び続けていた。たぶん、昼過ぎくらいまで。
……で。
気が付いたらこの病院のベッドで寝ていた。
一体何が起こったんだと思うだろ? 俺だって思ったさ。
どうもな。聞いた話じゃ、俺はその川辺で一人ブッ倒れてたらしい。それを、近くを通りかかった人が見つけて救急車で運ばれてきた、と。
まぁ簡潔に説明するなら、風邪をひいた訳だ。
……なっさけねぇとか思う奴はいるか? いるだろうな。ちなみに俺はそう思う。
個人的にはな。たかが風邪で病院なんて大袈裟なと思ったりする訳なんだけど。
どうやら、軽い細菌性肺炎かもしれないという事らしい。まったくもって自覚って奴がないんだが。
で、念の為に大事を取って一週間入院する事になったんだとか。
やれやれ。人が寝てる間にいつの間にか話があれこれ進んでやがってまったく。
それがつい一昨日の事。要するに、もう入院して三日目って事だ。
あくまでも『軽い肺炎かもしれない』程度のレベルなのであって、風邪である事に変わりはない。もう熱も大してねぇし、ほんの少し身体がダルい程度だ。
詰まる所、暇なんだよ。
入院なんてした事はないが、やってみると思ってる以上に暇なものだ。基本的に寝てる事しか出来ない。やれてもせいぜい本を読んだりするくらい。
な? 分かるだろ? 十六歳の健全な高校生としては、この暇な時間に耐えられないんだよ。
……今は、出来る限り暇な時間って奴を作りたくねぇしな。
「いいですね? ちゃんと大人しくしてるんですよ?」
「はーい」
戸が閉じられる。
俺がいるのは個室じゃない。病室には他にも人がいる。周りの人にうるさくしてごめんなさいと一通り謝り、俺はベッドに寝そべった。
はぁ……せめて個室だったら、ちょっと大きな音で音楽聞いたりとかしても周りの迷惑にならないんだろうに。
目を瞑り、息を落ち着ける。
その時だった。
「悠馬」
俺の名前を呼びながら、扉を開けて入って来る人影。
その人影に、俺はあまりにも記憶があり過ぎた。
「……孝明」
「それと、こいつもいるぞ」
「…………」
「清耶もいるのか」
孝明と清耶だった。
「……どうしたんだよ? まだ学校行ってる時間のはずだろ」
「今日は午前授業だったのでな。この鞄を届けがてら、清耶を連れて見舞いに来たのだ」
「……そっすか」
孝明が差し出した鞄を受け取る。あの日、俺が学校に置きっ放しにして行った鞄だ。例のキーホルダーもついてる。間違いない。
それにしても……。
ヤバい。すっげぇ気まずい。
なにしろ、二日前の教室での一件以来、こいつ等とは顔を合わせていない。
あの時は頭に血が上ってたからな……何言っちまったっけか、俺。
「悠馬。今日は清耶が、お前に言いたい事があるそうだ」
「へ?」
「なッ!? 孝明! お前またそうやって無理矢――」
「清耶」
孝明が、清耶の目をしっかりと見つめる。
おぉ。清耶が肩をすくめた。すげぇな孝明。対清耶のリーサルウェポンだ、お前は。
「うー……悠馬」
「何だよ?」
おーおー、拳なんて握っちゃってまぁ。一体何を言われるのやら。
しばらくあーとかうーとか唸った後、清耶は意を決したように口を開いた。
「その……こないだは……ごめん!」
その突然の謝罪に――俺はポカンと口を開けるしかなかった。
清耶が、謝った? 俺に?
……何で?
「あーその……あん時……お前が元気ないのが分かって、その……俺、お前の事元気付けてやろうと思って! けど……お前の事怒らせちまって……」
「清耶……?」
「そんなつもりなかったんだ! 俺はただ……お前に落ち込んでて欲しくなくて……けど、孝明にも言われた。気持ちは分からんでもないが、言葉は選ばなくてはならん……って。ホント……ごめん……」
清耶の言葉を聞きながら、孝明が後ろでうんうんと頷く。
……何だ。そんな事か。
「分かってるよ、そんな事」
「悠馬……?」
そう。最初から分かってる。
こいつに悪気なんかない。さらさらない。こいつは単に、いつも必死なだけ。それが空回って、無駄にテンションが高くなるだけなんだ。
よく分かってる。それが分かってなきゃツルんだりしない。
「あん時は……俺が一杯一杯だった。いつもなら流せるもんが流せなかった。俺の方こそ……悪かったな。ごめん」
「ゆ……悠馬……」
ちょっと泣きそうになっている清耶を眺めてから、その目線を孝明へと移す。
「孝明にも心配かけたな。ごめん」
「別に、構わん」
こんな時でさえ古めかしい奴め。
「ゆ……悠馬ーーーッ!」
ドサッ、と俺に抱きついてくる清耶。
「おわっ!? だ、だからって抱きついてくんな! 俺はそういうのに興味はねぇ!」
「やれやれ。仲が良いのか悪いのか」
孝明、そんな事言ってねぇで助けろこの野郎!
「……それでだ、悠馬」
「あん? 何だよ?」
ようやくと清耶が落ち着いた所で、孝明が急に話を振ってきた。
「これで、お前の抱える問題が一つは解決した事になる訳だが」
「そうな」
「もう一つの問題は、解決したのか?」
もう一つの問題……聞くまでもねぇよな。
ゆまの事だ。
「いや……まだ何にも」
「そうか……」
むぅ、と孝明が唸る。こいつはこいつなりに考えようとしているんだろうか。
そんな中で、清耶がなぁなぁと話しかけてきた。
「どうした、清耶?」
「あのよー。冷やかしとかそーゆーの全部ナシでだぜ?」
「分かってるって、そんな前置きいらねぇよ」
「お前の問題って……マジで女関係なのか?」
これまた応えづらい事を……。
こいつの言う女関係ってのは、要は恋とか愛とかっていうのの事だからなぁ……変な応え方したらとんでもない事になりかねない。
――少し考えて、俺は応えた。
「……まぁ、な」
まぁ。少なくともゆまは女だし、この応え方は間違ってないと思う。
「ふぅーん……んならよ。俺がいいアドバイスを仕入れてきたぜ!」
「アドバイス?」
仕入れてきたって何だ。お前がアドバイスしてくれる訳じゃねぇのか。
「あのな。これは、俺のダチで彼女持ちの奴が言ってたんだけど」
「ほぅ」
「彼女と喧嘩した時は、お互いの為に何をするのが一番いいかを考えるのが一番だってさ」
…………。
「どういう事だ、それ?」
「さぁ。分かんね」
それが分かんねぇんじゃ意味ねぇじゃねぇかよ。
「どーゆー事なんすかね、孝明センセ」
あぁそうか。ここにも彼女持ちの先生がいたんじゃねぇか。
「さてな。俺は喧嘩などした事もないから分からん」
あーそーですか。
「……悠馬。俺はここはムカついていートコだよな?」
「ムカつく事は許可する。けど、それは病院を出てから一人で発散しろ」
「分かったぜ!」
たぶん分かってねぇが放っとこう。その内勝手に忘れるだろうし。
「まー話を戻すとだ。たぶん、相手が何をしたら喜んでくれて、自分は何をされたら嬉しいか、って事じゃねーの?」
「相手が何をしたら喜んでくれるのか、ねぇ……」
あいつが喜びそうな事か……。
パッと思い付くものだけでやたらたくさんあるぞ、おい。
「それはつまり、相手の立場に立って物事を考えろ、という事だろうな」
「相手の立場に立って?」
「うむ」
よく言われるあれか? 自分が相手の立場だったらどうするかとか、って奴か?
それなら……少し分かる。
俺は、あいつの事を色々知っているつもりで、結局何も知らなかった。
あいつは、一人で頑張ってた。たった一人で、恐怖と戦いながら。
俺は、それをちゃんと理解してやれなかった。見てやる事が出来なかった。
そういう事、なのかな。
「……悠馬」
しばらく俺が考え込んでいると、ふと孝明が話しかけてきた。
何だ何だ。いつもは無口なくせに、今日は随分とよく喋るな、孝明の奴。
「今度は何だ?」
「今日、ここへ来たのは……清耶に謝罪をさせる為だけではないのだ」
ん? 違うのか?
あぁ、もしかして俺の事を心配したから来てくれたんだとかそういう事?
「……すまなかった。悠馬」
…………はい?
「何でお前が謝るんだ?」
「俺は……偽りを語った」
へ? ほえ? 何? 何だ? 何言ってんだ、こいつ?
偽りを語った? 嘘ついた、って事か?
これが漫画なら頭の上に無数の『?』が飛び回っている事だろう。そのぐらい、孝明の発言は理解が出来なかった。
元より小難しい事を平気で言ってくる奴だ。こいつが言う事を全て理解なんて出来なかったし、それをおかしな事だと思うなんてのはとうに通り越していた。
が。それにしたって、今回の発言は意味が分からな過ぎる。
「どういう事だよ?」
「俺は先日言ったな。お前の事を全て分かってやれるとも思っていないし、分かろうとも思わない、と」
あぁ。そういえばそんな事言ってたな。
……改めて聞くと心にグサッとくるな、この言葉。何か切ねぇぜ。
「あれは嘘だ」
「嘘? どこが?」
確かにグサッとはくる。
グサッとはくるけど……決して的外れな意見じゃないと思った。
「確かに俺は、お前の事をよく知らん」
「……まぁそりゃそうだろうな」
当たり前なんだ。知らないのは。俺が何も言ってないんだから。
ゆまには俺の心の声が聴こえていた。
だから、何も言わなくても勝手に全てが伝わっていた。
けど、こいつ等は違う。
言葉で言わなくちゃ、何も伝わらない。
何も、おかしな発言ではないと思ったんだが……。
「だが……分かろうと思わないなどというのは嘘だ」
「……嘘って?」
「先日のお前を見て、俺は……何という事を言ってしまったのだと、自分を恥じた。ついてはならん嘘をついた。俺は――」
孝明はそこで言葉を一旦止めた。
目を閉じて息を吐き、再び大きく息を吸い……もう一度目を開いて、こう言ったんだ。
「――全てを分かる事は出来ないかもしれん。だが……分かりたいと思う」
この時の孝明は、俺の見た事のない顔をしていた。
照れていた……んだろうか。見た目にはいつも通りの仏頂面で、眉間にしわも寄ってたが……少しだけ、目の焦点が合っていないように見えた。ほんのり耳が赤かったようにも思う。
「お前が何も語らないのなら、無理に聞き出すような権利はないと感じていた。だが、もう聞かずにはいられん。可能な限りで構わない。話してくれないか。俺は、お前の苦しみを知りたい。何故なら――」
一呼吸置いて、孝明は口にする。
俺の中にあった何かを、ブチ壊す言葉を。
「――俺にとって、お前は大切な友だからだ」
……この言葉が、俺にどれだけの衝撃を与えたのか。それを言葉にして表すのは、はっきり言って無理だと思う。
所詮は高校のクラスメート。そんな風に思ってた。
仲はいい。けれど、その程度。そんな風に考えてた。
……こいつが、どう思ってくれてるかも知らずに。
「お、俺も! 俺だってそう思ってるぞ! 悠馬も孝明も、俺の大切な友達だ!」
……同じ言葉でも、清耶が言うとちょっと軽薄になる。
まぁでも、嘘じゃないんだろう。単にこいつが持ってる雰囲気が軽いだけだ。
話そう。
そう思い至るのに、それ程時間はかからなかった。
「……分かった。全部、話すよ」
俺は、全てを二人に話した。
バカにされたって構いやしないと思った。何も隠さず、全部話した。
ゆまとの出逢い。色んな所へ行って、色んな事をした事。その時俺が思った事も全て。
俺の過去に関する話もした。
沙紀の事。事故の事。それがある種のトラウマになっていて、誰かと深く関わるのが怖くて仕方がない事も。
そして――ゆまが突然消えた事。
二人は、黙ったままそれを聞いていてくれた。
あの清耶でさえ、一言も茶々を入れずに聞いていてくれた。
一通り話し終わった時――外は既に陽が落ちようとしていた。
「……なるほどな」
俺が話し終わって、最初に孝明が口を開いた。
「つまり、そのゆまという女性がどこに行ったのか。何故消えたのかが分からない、という事だな」
「そうなるな」
「ふむ……」
腕を組み、孝明は真剣に考え込む。
「うーーーん……どっかに行ったんならともかく、急に消えたってなるとなぁ……何か痕跡が残ってる訳じゃねーだろーし……」
その隣では、清耶が頭を抱えながら悩んでいた。
「こんなんはどーだ? 例えば、お前等を繋いでた枷みたいなもんが、何かの拍子に外れたんだよ。で、ゆまちゃんはそのままフヨフヨ漂って、今もまだ迷子になってる」
「どうだと言われても、それはどうすれば解決するんだ?」
「……ですよねー……」
「それよりも、ゆまという女性はやはり霊魂に近い存在で、黄泉の国へ旅立ったと考える方が自然ではないのか?」
「それ、お前の言葉をそのまま返してやるぜー」
「……それもそうだな……」
そんなこんなを言い合ってさらに十五分。
「すみません。面会時間が終わりますので、申し訳ありませんが今日は……」
と、看護師が入って来て告げる。
大した議論も出来ないまま帰らざるを得なくなった二人は、多分に申し訳なさそうな顔をしてた。
「すまない……悠馬」
「ごめんなぁ……」
だが、俺の気持ちはいくらか楽になっていた。
「いいって。お前等に話してすぐ解決しちまうんじゃ、先週からずっと悩んでる俺がバカみてぇじゃん」
これまで、ゆま以外の誰にもして来なかった話。
一人で、ずっと抱え込んで来た重荷。
それを誰かに話すというのが、こんなに楽な気持ちになれるなんて、思ってなかった。
「……悠馬」
「ん?」
部屋を出ようとした孝明が、そこで振り返って俺を呼んだ。
「前に、お前の顔に影が見える、という話をしたな」
「……あぁ」
確かに言われた。ゆまと初めて出逢った日だ。
「運命の転機を迎える……だっけ? 確か」
「そうだ」
後悔しないよう、自身の全てをかけて選べ――だったっけ。
いつ、何をかは分からなかったけど……選べなかったのかな。俺は。
ゆまが消えちまった今、そう思う。
「あの影だが……まだ、お前の顔に見えたままなんだ」
「……へ?」
「まだ、選択の時は来ていないらしい。その時を……見誤るな」
「お前は一人じゃねーんだからな。俺はバカだけど……一緒に悩むくれーの事は出来っから!」
それだけを言って、二人は病室から出て行った。
二人の出て行った扉を見つめながら……俺は、ゆまの言葉を思い出していた。
――一人だなんて、そんな寂しい事言わないで
……ゆま。お前の言う通りだった。
俺は、どうやら一人じゃなかった。
あんな事を言ってくれる奴等が、こんなに近くにいてくれたんだ。