第伍話:思い出とキーホルダー
「……ふわぁーあ……んっ」
腕を組んで、大きく伸び上がる。
『面白かったねー!』
そうだな。確かに、思ってた以上に面白くて驚いたぜ。
遊園地の一件から四日。ゴールデンウィークもとうとう最終日。今日はゆまと映画館に来ていた。
何せ、明日からは学校が始まる。この一週間みたいに、ずっとゆまに時間を割いてやれる訳じゃない。
……ま。割きたくて割いた訳でもないんだけどな。割かざるを得なかった、って言い方の方が正しいのかもしれない。
『特にあのシーンが最高だった! 主人公とヒロインが寄り添って抱き合って……』
んなトコよりも、俺は断・然! あのバトルシーンだね!
ブツかり合い、掻き鳴らされる剣と剣! 飛び散る火花! 流れるような動きと荒々しい雄叫び! かぁーッ! 燃えるぅッ!
『でもでも、あの主人公のお父さん……カッコよかった! あれぞ漢の生き様、って感じ!』
そうそう! 聞いたかよ、あの台詞! 【俺がお前にしてやれる事など何一つない。だからせめて、お前の俺に対する恨みくらいは受け入れよう】……そうそう言えねぇぜあんな事! かっけぇったらありゃしねぇ!
『ホント面白かった! 連れて来てくれてありがとね、ゆーま!』
お、おう。
……またか。またこの感じだ。
遊園地に行ってからの四日間。俺達は色々な所へ遊びに行った。ゴールデンウィークなんてどうせどこも混んでるし、家にでもいりゃいいやと始まる前には思ってたのに、こんなに遊びに行く事になるとは驚きだ。
――そして。
どこかへ行く度に、ゆまは満面の笑みでありがとうと言ってきた。
その度に、俺は妙な感覚に見舞われ続けていた。
……遊園地の時にも感じた、あの既視感。
前にも同じような事があった……そんな気がして仕方がない。
ここまで気になるって事は、何かがあったんだ。それも、記憶が曖昧になる程の昔に。
何だ。何があった。俺は何を忘れてるんだ。
『……うま。ゆーま!』
ん? どうした、ゆま。
『どうしたじゃないよ。忘れてるとか忘れてないとか、ボーッと考えちゃってさ』
あぁ……悪い悪い。
『まったくもう……まぁいっか。じゃあその代わり、また明日ね! 明日も楽しい所に連れてってね!』
バカ言ってんじゃねぇよ。明日は学校だって何度言や分かるんだ――ん?
何だ? 何かまた妙な引っ掛かりが。
――今日は連れて来てくれてありがとう! じゃあ、また明日ね!
…………。
……あ。
『ゆーま?』
そうか……あいつだ。あいつに言われた事があったんだ。
頭の中でゆまの言葉が繋がった時、ようやく……分かった。
『思い出した? 何を?』
そうか。俺は頭の中で、この思い出と繋げまいとしてたんだ。
だから……思い出さなかったのか。
『思い出?』
「……沙紀」
思わず、その名を口にする。
次の瞬間。
それまで思い出そうとしなかった思い出が溢れ出してきた。
『誰? 誰の事?』
ゆまがキョトンとした表情で俺の顔を覗き込んでくる。
……この話は、わざわざするような話じゃないか。何でもないよ、ゆま。
『えー!? 何かそういうのヤだ! 教えてよ!』
何で食い下がって来るんだよ。別に面白い話でもないって。
『ヤだ! ヤだ! 聞きたい聞きたい! 一回気になっちゃったから聞かないと満足しない!』
あーもうホントに面倒くさいなちきしょう。
分かった。分かったよ。話せばいいんだろ、話せば。
『やった♪』
……念押ししとくが、本当に面白い話じゃないからな。
『分かってるって』
ホントに分かってんのかね……。
まぁいいか。俺が、五歳の頃の話だよ。
俺には、凄く仲のいい幼馴染がいたんだ。
『ふんふん、それでそれで?』
名前は新田沙紀。俺ん家のすぐ近くに住んでた。
俺達は本当に仲が良くて……どこへ行くにも、何をするにも、ずっと一緒だった。
『……どんな子だったの?』
可愛い子だったよ。一緒にいると、周りから羨ましがられるくらい。
明るくて、ひょうきんで……とても楽しい子だった。
……ちょっと、ゆまに似てる。
『そう……なんだ』
それが……ある日。交通事故に遭った。
『交通……事故……』
その日、俺達は学校から帰ろうとしてた。
そしたら……途中で俺がハンカチを落としてな。
『拾おうとしたんだ……その子が』
あぁ。
で……そこに車が突っ込んで来た。後で聞いた話じゃ居眠り運転だったって。
『それで……事故に遭ったんだ……その子』
そう。その子と……俺が。
『ゆーまも!? ゆーまも事故に遭ったの!?』
二人して救急車で運ばれて……けど……。
『……ゆーま?』
けど……助かったのは……俺一人だった。
沙紀は……俺よりも酷い状態で……そのまま……死んじまった。
『ゆーま……』
……な。全然面白くない話だろ?
『そ、それは……』
けど……はぁ……。
『……ゆーま、大丈夫? 何だか落ち込んでるみたい……』
この話を思い出すとどうもな……。
沙紀が死んだのは、俺のせいなんじゃないかって……今でも思うんだ……。
『ゆーまの……せい……?』
だってそうだろ。
俺が落としたハンカチを自分で拾ってりゃ……沙紀は助かったのかもしれない。
いや、それ以前に俺がハンカチなんて落とさなけりゃ……。
『そんな事言っちゃダメ!』
……ゆま?
『起こった事は変えられない……だけど、自分が死んでれば良かったなんて言っちゃダメ! そんなの……悲し過ぎるから……』
けどよ! 俺のせいで人が一人死んでるんだぞ!?
それからだ……人と深く関わるのが怖くなって……適当に距離を取るようになった。
ダメなんだよ。関わった奴がいなくなるのが怖い。誰かを失うのが本当に怖い。
だから……一人でいる事を選んだ。
『違う……違うッ!』
何が違うんだ。何も違わない。
俺は一人でいい。一人がいい。一人なら……誰かを失う事もないから。
『違うもん! ゆーまは一人なんかじゃないよ!』
何言ってんだよ……どう見たって一人だろ。
『違う! そんなはずない!』
ゆま……?
『だって、ゆまがいるもん!』
……あ……。
『ゆーまがいるから、ゆまは一人じゃない。だから、ゆまがいれば、ゆーまも一人じゃない! そうでしょ!? 違う!?』
そういえば……そんな事言ってたっけか、ゆまの奴。
確か、ゴールデンウィークの初日だ。誰にも気付かれなくて一人で、寂しくないかって俺が聞いたんだったっけ。
『ゆまがいるよ。ゆーまの傍に、ずっといるよ。だから、ゆーまは一人じゃないんだよ』
ゆまは、俺の顔を覗き込みながら言う。
こいつ……俺を慰めてんのか。こんな俺を……。
『だから……ね? 一人だなんて、そんな寂しい事言わないで』
……そうか。
そうだよな。この一週間、俺一人じゃこんなにあちこち行かなかった。
俺一人じゃ、こんなに日々を楽しんでなかったろうしな。
ゆま。確かにお前の言う通りだよ。
『分かってくれた?』
あぁ。分かった。分かったよ。
確かに俺は一人じゃない。少なくとも、俺の傍にはゆまがいる。
やかましくて面倒くさい奴だが……確かに思うよ。
こいつといると、心から笑えるって。
……だから。
『だから?』
頼むから、顔をもう少し離せ。
……俺の顔に近過ぎて恥ずかしい。
『あっはは! ゆーま顔真っ赤!』
うるせぇっつーんだ。
『ねぇゆーま、何してるの?』
「あん? 何って、学校行く準備だけど?」
それ以外の何に見えるんだ、お前。
『学校?』
「あぁ。ゴールデンウィークも今日で終わりだからな。明日からまた学校だよ」
っつっても、今週の学校は明日だけな訳なんだけどな。
一日だけ行ってまた土日になるなら、休みにしてくれたっていいと思うんだけどなぁ。
『学校かぁ……ゆーまのクラスメートってどんな人がいるの?』
「ん? そうだなぁ……とりあえず孝明はいるだろ」
『孝明って、こないだの人だよね?』
「そーそ」
後はー……やたらやかましくてウザい奴もいるな。
『へぇ。仲いいの?』
「そんな事ない……って言いたい所だけど、何故かトリオとして認識されてんだよな」
『へぇー! 楽しみだな、会うの!』
そんなに楽しみにするような事でもねぇけどな。
けど、そっか。ゆまと一緒に学校に行くのって初めてだ。
授業中でも平気で話しかけてくるんだろうなー……こいつ。話しかけられても表立って反応しないようにしねぇと。
えーと。教科書は持った。ノートも入れた。あ、ヤベ。筆記具出しっ放しだ。
『あれ? ゆーま、それ何?』
「へ?」
あれこれと鞄に物を詰めている所で、不意にゆまが声を上げた。
「何の事だ?」
『それそれ。その鞄についてる奴』
「ん? あぁ、もしかしてこれの事か?」
『そうそう』
ゆまの視線から、話題の対象が鞄についたキーホルダーの事だと分かる。天使の翼の形をした、少し大きめのキーホルダーだ。
『そんなのつけてるなんて、珍しいじゃない?』
「そうか?」
『ゆーま、そういうのつけそうにないもん』
あーそうですか。色気づいてなくてすんませんね。
「確か誰かから貰ったんだよ。ただ俺、鍵なんて家の鍵くらいしか持ってねーから、別にキーホルダーなんていらねぇし。だから鞄につけてんだ」
『へぇ……でもさ。何でそれ、片方しかないの?』
そう聞かれた時、俺は正直驚いた。
確かに、鞄についているキーホルダーは片翼分しかない。そして、これは本来双翼のキーホルダーだった。
けど、何でそれをゆまが知っているんだろう。
……まぁいいか。どうせ聞いても理解出来る答えじゃねぇだろうし。
「や、実はな。一週間半くらい前に、落としちまったらしくて」
『落とした?』
「あぁ。学校からの帰り道にな」
学校を出る時にはあったのを覚えてるから、歩いて帰って来るまでのどこかだとは思ったんだが。
まぁでも所詮貰い物だし、なくても困るもんじゃねぇから放っといたんだよ。
『ふぅん……』
「どうした? それが気に入ったのか?」
『うぅん……ただ何となく気になっただけ』
「そか。ふ……ぁーあ。俺はそろそろ寝るぞ。電気、消すからな」
『はーい』
布団を被りながら、脇にいるゆまの姿を見る。
はてさて。明日はクラスの奴等をこいつにどう紹介しよう。
どうせならインパクトのある紹介をしてやりてぇよな。
へへ。こいつがどんな感想を持つのか、ちょっと楽しみだぜ。
さぁ寝よう寝よう。今日は気持ちよく寝られそうだ。
そして、翌日。
小鳥の囀りが聴こえてくる頃、俺は目を覚ました。
いつもより早く目ぇ覚めたな……そんだけウキウキしてるって事か。アホかね俺は。遠足行く前の小学生じゃあるまいし。
やれやれ。そろそろ起きて風呂でも入ろうかね。
んじゃ、まずはゆまを起こしてっと。
――そこで、初めて気付く。
「……あれ?」
一週間ずっと同じ所で寝ていたゆまの姿が――なかったんだ。