第肆話:合わせ鏡の間
『うっわー! 凄い凄ーい!』
うっわー。凄い面倒くさーい。
『ゆーま! あれ見て、あれ! すっごく高いよー!』
あーもう。ホントにうっせぇな、こいつは。
ん? 話が急過ぎてさっぱりついてけないって?
まぁ待て。いいから待て。
今俺達が何をしているのかを語るには、昨晩の出来事を語らなきゃならねぇ。
『ゆーま。遊園地ってどこにあるの?』
ゴールデンウィーク二日目の夜。俺の部屋でテレビ見てたゆまが、突然こんな事を言い出した。
ちょうどテレビで特番をやってたんだ。ヘヴンズランドっていう遊園地が、また新しいアトラクションを作ったんだと。
このヘヴンズランド、何でだかはよく分からないんだが、毎年毎年新しいアトラクションが作られてんだよ。そんなスパンでアトラクション作る遊園地なんざ他にないから、皆もの珍しくてこの時期は大抵メチャクチャ混みやがる。俺が生まれた頃にはもうあったはずだから、結構長いよな。
でもって、ゆまがこんな事を言い始めたのは、今年新しく作られたアトラクション【エンぜルフォール】のリポートが終わった所だった。真っ暗なコースを後ろ向きで、しかも凄まじいスピードで滑走する新感覚のジェットコースターなんだそうな。すっげぇ怖そうな感じが逆にウケていて、このゴールデンウィークも長蛇の列が後を絶えないんだとか。
……子供でも分かるよな。この後の展開が。
念の為、当たり障りのないように返してみる。
「そりゃ色んなトコにあるな。けど、そんなすぐに行けるトコにゃねぇぞ」
『ゆま、行ってみたい!』
……反抗、散る。
俺の対応がどうであれ、お前の言う台詞は初めから決まってただろ、間違いなく。
「はぁ……そう来ると思ったよ……一応、行けねぇ事はねぇぞ」
『ホントに!?』
「嘘ついてどうすんだ」
『どこに行けるの?』
「そこだよ、そこ」
言いながらテレビを指差す。
言わずもがな、行ける所ってのはヘヴンズランドに他ならない。実は電車で三十分とかからなかったりする。すぐに行けるトコにはないなんてのは真っ赤な嘘だ。
『ここ!? ここって、もしかしてこれにも乗れるの!? これ!?』
「そうだってんだろ」
どんだけテンション上がってんだよ。今時小学生でも遊園地くらいでそこまでテンション上がんねぇぞ。
『それは上がるよ! だって後ろ向きだよ!? 真っ暗なんだよ!?』
「意味が分かんねぇよ。っつか、普通に話してる時に人の心を読むんじゃねぇ!」
『読もうと思って読んでるんじゃないもん。勝手に聞こえるんだからゆまにもどうしようもなーい』
ちきしょう……おちおち考え事も出来やしねぇ。
『けど、よぅし! それなら明日行こー!』
「はぁ!? どんだけ急なんだ!? 何で明日なんだ!?」
『だって。ゆーま今日一日何もしなかったじゃない』
そりゃあ何かする気もなかったからな。日がな一日のんびりまったりしてましたよ。
「それがどうしたんだよ」
『そんなんじゃ身体にも悪いよ。思いっ切り遊んで思いっ切り発散しよー!』
これ以上何を発散せぇと仰るのか、ゆまさんや。
……あぁ。お前のせいで溜まってるストレスか。
『ゆまのせいじゃないもん』
「だから読むなっつーとろうが!」
ったく……あんまし好き勝手言ってっと連れてかねぇぞ、ヘヴンズランド。
『ゆまのせいでいいでーす』
「そこまでして行きてぇのか!?」
『うん、行きたい』
あぁそうかよ……。
正直、面倒くさいって言葉が俺の内面を完全に支配しようとしてるんだが。
『行きたい行きたい行きたい行きたい行きたい行きたいーッ!!』
「うっせぇ! ガキみてぇに騒ぐんじゃねぇ!」
『ゆま、今だけ子供だもん! 行きたい行きたい行きたい行きた――』
「だぁぁもう分かった! 分かったから騒ぐな! 俺の頭がひび割れるぅぅ……ッ!」
というそんなこんなのせいで、俺は起きたくもない朝五時なんて時間に叩き起され、このヘヴンズランドにやって来た訳だ。
くそ……ゆまの声が頭に聴こえるっての、俺にとっては脅迫以外の何物でもないぜ……。
でもって、来て早々とにもかくにもこれに乗りたいんだと口やかましいゆまに連れられるように、俺は【エンゼルフォール】の列に並んでる。
後ろを見てみる。
やー……なっげぇーーー。一体何百人並んでんだろうな、これ。もう並び始めてからそろそろ二時間は経とうとしてんぞ。
はぁ、やれやれ。ここまでゆまの言う事聞いてやるなんて、俺ってば優しいったらありゃしねぇな。
『ん? ゆーま、何か言った?』
何も言ってねぇ。
『そう?』
決して嘘じゃない。間違いなく、俺は何も口に出してない。
こんな人が大勢いるトコで、一人ブツブツ言ってる奴がいたら、そりゃ単なる変な奴でしかねぇだろ。
……しっかし。
改めて辺りを見回す。
右を見ても人。左を見ても人。前も、後ろも、どこを眺めても人、人、人。
流石はゴールデンウィークだ。連休ともなると、皆こういうトコに遊びに来るもんなんだなぁ。
……もしかしなくても、一人で来てる俺ってメチャクチャ浮いてね?
『一人じゃないよ、ゆまがいるじゃん』
この場合、お前はカウントされねぇの。
『何でー?』
周りから見たらお前は見えねぇだろ。俺とお前にとっちゃ二人でも、周りから見たら一人なの。
『まーまー。何でもいいじゃない、ゆま達が楽しければ』
そりゃそうかもしんねぇけど。
まぁいいか。知ってる奴に出逢わない事だけを祈っとこう。
『あ、そろそろゆまの番だよ!』
お前の、じゃなくて俺達の、だけどな。っつか並んでんのは俺だから、正確には俺の、だ。
『まだこだわるの? そんなのどうでもいいじゃんってばー』
うっせぇよ。お前はフヨフヨ浮いてるだけだろが。地に足つけてずーっと立ちっ放しの俺の身にもなれ。
『ゆーま、足痛いの?』
一時間くらい前からずっとな。
『何で座らないの?』
この列に並んでっからだろうが!? 誰のせいで並ぶ羽目になったと思ってんだ!?
『電車で寝過ごしたゆーまのせい』
……左様でございましたねお嬢様。
そう。何を隠そう、ここへ来る途中の電車の中で、俺は見事に三十分近く寝過ごしていた。そのせいで開園ラッシュに間に合わず、長蛇の列に並ぶ羽目になったんだ。
あーそうでしたよ。どーせ俺のせいですよ。俺の足が痛ぇのも、地球が丸いのも、世界から戦争がなくならねぇのもみーんな俺が悪いんじゃちきしょうめ。
『まーたそうやってすぐイジけるー』
「お次のお客様方どうぞー♪」
『あ、ゆま達の番、次だよ! 行こ!』
へいへい。
「何名様ですかー?」
「……一人っす」
「一名様ですかー。それでは、一番前のお席へどうぞー」
一番前ね。えーっと。一番前、一番前ー……っと。
っておい!? 一番前って一人席かよ!?
「パパー。あのお兄ちゃん、何で一人で座ってるのー?」
「こら、指差したりしちゃいけません」
……耐えろ。これは試練なんだ。耐えないと先はねぇんだぞ、神名悠馬。
スタッフに促されるまま、安全バーを下げる。
『ワクワク! 楽しみー!』
おいこら。何でテメェは人の足に腰かけてやがる。
『だって、ゆまも乗りたいもん』
あーそーっすか。
はぁ……他の奴に見えなくて本当に良かった……。
「まもなく発射致しまーす!」
おぉう。もう発射すんのかよ。
あれ。何か忘れてるような。
キィィィィと甲高い音が響いていく。
あ。そういえば。
「それでは皆様、いってらっしゃーい!」
ゆまって何にも触れなかったんじゃのわぁぁぁぁぁぁぁッ!?
し……死ぬかと思った……。
『ぶー……全然楽しくなかったー……』
そりゃそうだろ。よくよく考えたらお前、何にも触れねぇって事は乗り物乗れねぇんじゃねぇか。
ホント焦った。マジでどうしようかと思った。
急激な加速度で一気にスピードが上がる中、ゆまだけがポツンと一人取り残されてるし。
例の俺とゆまが離れられない現象のせいで、俺とゆまの身体がそれぞれ引っ張り合うし。
おかげで安全バーが肩にメッチャ食い込むわ、後ろ向きでウネウネ回って死ぬ程怖ぇわ。何回横に回転しやがったんだ、あれ……。
やー……本気で怖かった。ありゃ確かにスリルだ。絶叫マシン好きにはたまらねぇだろ。まだ心臓がバクバク言ってやがる。
『むーーー! つまんないつまんないつまんないー!』
んな事言ったってな……じゃあお化け屋敷にでも行くか? あそこなら乗り物はねぇぞ。
『絶対に嫌』
即答だな、おい。何でだよ。
『お化け怖いもん』
お前も似たようなもんだろ、と思う俺は間違ってるのか?
『ゆま、お化けじゃないもん。怖くないから違うんだよ』
どういう理屈だよ、それ……。
他に乗り物じゃなくて楽しめそうな何か……ねぇ。
何かねぇかな。何かあるような気がする。
んー……。
あ、そだ。あれがあんじゃん。
『ん? あれって?』
いいからついて来い。行くぞ。
『はーい』
能天気な返事と共に俺についてくるゆま。
……何だろうな。何か犬か何かを連れてるような気分になってきたんだが。
『……ねぇ、ゆーま?』
な、何かなー、ゆまさん。俺は決して君の事を犬だと言ってる訳じゃあな――
『ゆーまってさ、彼女とかいるの?』
……は?
別にいねぇけど……何で?
『じゃあさ。今までにいた事は?』
ねぇよ。悪かったな。
『ふぅーん……じゃあ、デートとかもした事ないんだ?』
なきゃ悪いかちくしょう。
っつか、お前はあんのかよ?
『分かんない。覚えてないもん』
……ちっ。何かズルくねぇか、それ。
『そんな事言ったって仕方ないじゃーん』
あーそうっすね。仕方ないっすね。
『……くふふ。でもそっか。デートした事ないのかぁ』
何だよ。そんな話引っ張るんじゃねぇよ。
『いやいやいや……にゃはは。何か照れちゃうにゃー』
何でお前が照れんだよ。お前全く関係ねぇだろうが。
『べー。教えてあげないよッ!』
……何なんだ、おい。
お、着いた着いた。ここだ。
『ここ、なぁに?』
入ってみりゃ分かるよ。んじゃ行くぞ。
『ほーい』
「いらっしゃいませー。水鏡の迷宮、【トワイライトミラージュ】へようこそ!」
「一人なんですけど」
「はい、大丈夫ですよ。それでは、出口目指して頑張って下さいね!」
はいはいっと。
ふぅ。何か少し慣れてきたな、一人ですって言うの。
『ホントは二人なんだけどねー』
しょうがねぇだろ。ちゃんと二人に見える時に来たら二人って言おうな。
『え……それって……』
あん? どうしたよ?
『い、いや……何でもないよ』
そうか。んなら入るぞ。
入口をくぐって建物の中に入る。
洞窟のような通路を抜けた先には――
『ふわぁ……』
いつもギャアギャアとやかましいゆまが、思わず言葉を失っている。
無理もねぇ。俺も、初めて来た時は確かそんな感じだったと思う。
四方八方を鏡で囲まれた大迷宮。それがここ、【トワイライトミラージュ】だ。
本来はただ通り抜けるだけの通路だけな訳なんだが……周りを鏡に囲まれるだけでこんなにも印象が変わる。
とにかく綺麗で……不思議なんだ。自分の映った合わせ鏡が、無限に広がっていくような感覚。
どこまでも。本当にどこまでも繋がっている。どこまでも行ける。そんな気になる空間。
流石にゆまの姿は映し出されないけど……それでも、ここなら少しは楽しめるだろ。
それに……ここなら俺が独り言喋ってても、誰も気付きやしないだろ。
「どうだよ、ゆま。ジェットコースターなんかよりは楽しいか?」
『うん!』
「そうか。そりゃ良かった」
うん、か。どうやら本当に楽しめてるみたいだな。
ゆまは、しばらくの間合わせ鏡の世界を食い入るように眺め……それから、口を開いた。
『……ゆーま』
「ん? 何だ?」
『今日は、連れて来てくれてありがとね』
満面の笑顔で、ゆまは言った。
自分は心から楽しんでいる。言葉などなくても、ありがとうと伝えて来ているような――そんな微笑みだった。
その表情を見て……俺は何故か、妙な感覚を覚えた。
こんな経験が前にもあったような……そんな、既視感に近い感覚。
そんな事がある訳がない。生まれてこの方十六年間、彼女なんていた事もない俺が、こんな風に女子に優しく微笑まれて感謝されるなんて経験があるはずがない。
気のせいだ……この時は、そう思った。
「何だよ改まって。連れて来なかったら来なかったでギャアギャアと喚き散らしてやがるくせに」
『うん、そうかも。でも、ありがと』
「へいへい」
まぁ。何にせよ、楽しんで貰えたなら何よりだ。
しばらく鏡の迷宮を堪能した後、俺達は帰路についた。