第参話:一人じゃないから
「お待たせ致しました。ジャイアントチョコバナナサンデーでございます」
「すまない。礼を言う」
「いえいえ。それでは失礼致します」
言いながら店員は下がって行く。
……っつーか。
「お前はまたのっけから甘そうなもん食うな……ジャイアント何だって?」
「ジャイアントチョコバナナサンデーだ」
「……お前さ。そんなん食って胸焼けとかしねぇの?」
「それ程やわな鍛え方はしていない」
「あぁそーすか」
鍛え方とかそういう問題なのか、なんてツッコミはしねぇよ。もう今更だからな。去年出逢って以来、何回そのツッコミをしてきた事か。もう言っても無駄だって事はよく分かったんだよ。
この目の前にいるイケメン野郎はな。この上ないくらい甘い物が大好きな奴なんだ。渋い番茶と甘過ぎない茶菓子とかが好きそうな顔してやがるくせにな。
この上ないって言うくらいだから、彼女さんと同じくらいなんだろ。
まぁ、その話はいいか。
『いいな! いいなーッ!』
ほれ。甘い物なんかチラつかせるから面倒くせぇのがさらに面倒くさくなってやがる。
『ゆーま! ゆーまッ! ゆまもッ! ゆまも食べたい!』
アホぬかすんじゃねぇ。お前、スプーンも触れないのにどうやって食う気だよ。
『だって食べたいもん!』
あー。グチグチうっせぇな。
ゆまの声はどうも耳じゃなくて頭に直接響いてるらしくて、無視すんのは至難の業だ。周りがどんなにザワついてようが関係なしに聴こえて来るからな。
『いーじゃん! ゆまも食べたいーッ!』
やかましい! これ以上騒ぐんじゃねぇ!
『じゃあゆーまが食べてよ!』
何でそうなるんだよ……。
『ゆーまが食べたらゆまが食べた事になるから! 食べて!』
「なんねぇよ! っつうか食うか! そんなもんッ!」
思わず声を上げる。
その瞬間、ザワついていた店内が一気に凍った。
ヤベェ。どうしよう。
「……心配しなくても、お前には一口もやらん」
……へ?
「何だ、サンデーの話じゃん」
「ビックリしたよ……急に大声なんて出すから」
「どんだけテンション高ぇんだよな全く」
た……助かったのか?
ってか、何で俺がこんな目に遭っとんじゃ!?
テメェのせいだからな……ゆま。
『人のせいにしないのー』
誰がどう考えたってお前のせいだろが!
あーもう。こいつと話してるとマジで疲れるわ。
「どうした悠馬。いつも大して落ち着きはないが、今日はいつにも増して落ち着きがないな」
「なぁ、それってけなしてるよな!? 全くもって持ち上げる気ねぇよな!?」
「無論だ」
「即答だなおい!?」
「いつも言っているだろう。男子たるもの、常に即断と――」
「即決を心がけるべし、だろ。もう何度となく聞いてるよ」
耳にタコが出来そうだぜ、いやマジで。
だが……これでどうやら確定したな。
ゆまの存在は、本当に誰にも見えてないんだ。声も聴こえてない。気配を感じる事もない。
もう孝明と待ち合わせてからかれこれ三時間が経とうとしてる。その間、結構色々な所へ行ってみた。ゲーセン、本屋、でもって喫茶店と。
どこに行ってもゆまははしゃぎっ放しで……どこに行っても、彼女に気付く奴はいなかった。
俺としては安心するばかりだったけど……ふとここへ来て、もう一つの疑問が生まれた。
――ゆまは、どう感じているんだろう。
『うーーー……甘いの食べたいよぅ……』
こいつには俺の心の声が聴こえる。だから、きっと俺がこうやって考えている事だって分かってるはずだ。
こいつは誰にも気付かれない。騒ごうが、はしゃごうが、喚こうが。俺以外にその声は聴こえない。
それを、ゆまはどう思うんだろう。
「馳走になった」
「もう食い終わったのかお前!?」
「何ならお前の分も頂こう」
「どんだけ食いてぇんだよ!」
「やー、投げた倒した! やり切ったぜー!」
「前半は調子が悪そうだったが、後半の追い上げは凄まじかったな。正直驚いたぞ」
「ったりめーだ。絶好調ならもっと行けたぜ、たぶん」
俺のベストスコアを舐めんなよ。これでも週に二回は通ってるマイボール持ちだぞ、俺ってば。
あ。何の話かってと、ボーリングの話な。
最初の方は俺の近くでフヨフヨ浮いてるゆまが気になって集中出来なかったけど、途中から波に乗れてスコアが伸びた。
ちなみに、孝明は運動神経メチャクチャいいくせに球技になると上手く感覚が掴めなくなるらしい。やっぱ人間、得手不得手ってのはあるもんなんだな。
「……む?」
「お? どうした?」
「すまん。電話だ」
そう言って孝明はポケットから携帯電話を取り出す。
……何で取り出しもせずに電話かメールか分かるんだってツッコミはなしにしとけ。きっと何かが違うんだ。振動する長さとかその辺が。
「あぁ、俺だ……む。もうそんな時間か……分かっている。今日は悠馬と少しな……」
あーやれやれ。どうやら幼馴染の彼女さんだね、ありゃ。
『ゆーま、あんなんじゃダメだよー』
あん? 何がダメなんだよ?
『さっきのボーリングー』
何だこいつ。俺の華麗な投球にケチつけんのか。
まさか自分の方が上手いとか言い出すんじゃねぇだろうな。そんなの確認のしようがねぇぞ。
『あんなに一杯倒しちゃって。ちゃんときれーに、避けてあげないとピンが可哀想じゃない』
そーゆーゲームなんだよ! ピン倒さないと意味ねぇの!
ダメだこいつ。そもそもゲームのルールを理解してなかった。
今時ボーリングのルールも知らねぇ奴がいるとは……ホントこいつは俺の予想の範疇を容易く超えて行きやがる。
「悠馬」
「ん? あぁ、電話終わったのか。彼女さんだったんだろー?」
「あぁ……それでな」
あ? 何だ? 何か凄い言いにくそうな事言う時の顔してねぇか?
わ。何かとてつもなく面倒事の予感。
「どうやらさっきのボーリング中に何度か電話をされていたらしくてな……」
「ありゃ。流石に投げてる最中は携帯なんか持ってやんねぇもんな」
「うむ……それで、どうも少し憤っているようだ」
ははぁ……『電話したのに出てもくれずに、友達と遊んでるってどういう事ー!?』ってな感じか? ヤだね全く最近の女子と来たら。相手が自分以外と遊んでるだけで嫉妬しやがんだから。
あ。別にそんなのは女に限った話じゃねぇか。
「……『浮気するなんて許せない』と言ってきた」
……………………はい?
「あんだって?」
「『浮気するなんて許せない』と言ってきたのだ」
「今すぐ彼女んトコ行ってその無駄かつ方向性を完全に間違え切ってる誤解を解いてこいッ!!」
浮気って何だよ!? 男同士で遊んでんのに浮気とか言われんのか!? 天然なのか!? ボケなのか!? それとも真面目に言ってんのか!?
どれにしたって嫌な事この上ないわぁッ!!
「む。良いのか?」
「良い良い。っつか、そんな突拍子もねぇ誤解されちゃ俺の方がかなわねぇよ」
割と本気でな。
「分かった……だが、悠馬」
「どしたよ? いーから行けって。待ってんぞ、彼女」
「お前も気を付けるのだぞ」
「あん? 何に気を付けろってんだ? 俺も孝明みたいに浮気だとかって誰かに誤解されるって?」
んな訳ねぇだろ。そもそも浮気なんてのは彼女がいて初めて成り立つものであって、生まれてこの方十六年間誰っとも付き合った事のねぇ俺には、そんなのは無縁の話題でしか――
「いや。お前の顔に影が見えるのだ」
……何? 今、何て言った? 顔に影が見える?
孝明は至っていつも通りの――クソを付けてもまだ足りないくらい真面目な顔で続けた。
「昔、誰かに聞いた事がある。顔に影の見える者は……近い内に運命の転機を迎える者だと」
「はぁ? 運命の転機? 何だそれ?」
俺はテレビの天気予報さえ信じようとしない男だぞ。
……なんてくだらねぇダジャレを言えるような空気じゃないな。
「運命とは自らの歩む道。転機に差し掛かった者は自らを試されるのだと言う。そこで道を違えれば……二度と戻っては来られなくなる」
俺の何を言ってるのか全く理解出来ないという表情を無視するかのように、孝明は続ける。
「転機とは選択するべき箇所。お前は選ばなければならないはずだ。何をかは分からないが」
それから孝明は大きく息を吸い込み――俺を諭すようにこう繋げた。
「何を選ぶにしろ、お前自身が歩む道だ。後悔をしないよう……自身の全てをかけて選べ。でなければ、お前はお前自身を恨み続ける事になってしまう」
この瞬間の孝明の瞳を、俺は今でも鮮明に覚えてる。
俺を真っ直ぐ見ているようで……どこか違う所を見ているようでもあった。その目線の先に何があったのかは今でも分からない。が、少なくとも俺にはそう思えた。
「それだけだ。お前なら大丈夫だとは思うが……気を付けろよ、悠馬」
「へいへい、わーったわーった。分かったから早く行け」
「うむ。それではな」
軽く手を振って、孝明はその場を後にした。
正直な所、この時の俺は何を言われたのかがさっぱり分からなかった。と言うより、そんな難しい事言ってる暇があるならとっとと彼女のトコに行ってやれよ、という気持ちで一杯だったんだ。
だから――孝明の言葉の意味を知るのは、もう少し後の話になる。
「……なぁ。ゆま」
『ん? なぁに?』
帰り道。誰も周りにいない事を確認した上で、俺はゆまに話しかけた。
抱いた疑問を聞いてみよう、と思ったからだ。
「あのさー」
『何々ー?』
……う。そんなに目を見開きながら人の顔を覗き込むんじゃねぇよ。何か凄ぇ言い出しにくいじゃねぇか。
『何なのさ?』
「いや……」
少し躊躇って……俺は改めて口を開いた。
「お前って、結局何なんだろうな」
『……どういう事?』
俺が何を言ったのか、その意図を理解しかねたんだろう。ゆまはキョトンとした顔のまま、首を傾げていた。
構わず、続ける。
「やーさ。今日色んなトコ行って色々試してみて……お前が誰にも見えないし、お前の声が誰にも聴こえないって事は分かったんだよ」
『うん』
「犬やら猫やらもスルーするって事は、お前、単に幽霊って訳でもなさそうじゃん」
『んー……どうなんだろ。自分でもよく分からないからなぁ』
何でお前の方が俺より興味なさそうなんだ。
……ちっ。何か俺の方がイライラしてきたぞ。
「お前さ。一体どう思ってる訳?」
『どうって……何を?』
本当に分かんねぇのか? それとも何にも考えてねぇだけなのか? 何でそこまで能天気でいられんだ?
普通に考えろよ。お前自身の事なんだぞ。
「だから。誰にも見えないし、誰にも聴こえない。誰にも気付かれないって事をだよ」
ほんの少しだけ、俺の語気が荒くなる。
今日一日話してみて分かった事が、実はもう一つある。
俺には、ゆまの考えが理解出来ない。
それは単純に興味の持ち所がおかしいとか、何と言うか無駄に明るいとか、そういう事じゃない。
こいつは俺にとって、あまりにも捉え所が無さ過ぎた。
自由奔放と言えば多少は聞こえがいいのかもしれない。何にも縛られる事なく、自分を曝け出せる。今の――特に俺達のような若い世代には本当の意味で欠如してる能力だと思う。そういう意味では憧れこそすれ、不安に思う事でも何でもないはずだ。
だが――それだけじゃない。
ちょっとでも捉えようとすれば消えてなくなってしまいそうな。そんな弱々しさを、俺は感じたのかもしれない。
「いいのかよ、それで。そんなんじゃつまんねぇだろ? 寂しいだろ?」
俺がもしゆまと同じ立場だったら……それは、とてつもなく寂しい。
だってさ。たかが高校生の俺が言うのも変かもしれないけど、人なんて一人じゃ何も出来ねぇんだぜ?
遊ぶ事も。楽しむ事も。笑う事だって一人じゃ出来ないんじゃないかとさえ思える。
それって、すっごくツラくないか? 少なくとも俺だったら耐えられないような気がする。
そんな経験ないから想像するしかねぇけど……。
『大丈夫だよ』
「……え?」
不意に返ってきた返事に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
ゆまは、続ける。
『一人じゃ確かにツラいんだろうと思う。誰にも気付いて貰えないのは……きっと凄く寂しい。ゆーまの言う通りだと思うよ』
「だったら――」
『けどね』
少し俯いていたゆまが顔を上げる。
その顔は、とても優しく微笑んでいた。
そして、言った。
『一人じゃないから』
「……は?」
この時の俺が何を思ったのか、正直に言おう。
何を言い出したんだこいつは。素直にそう思った。
お前は一人だろって。誰にも見えないし、誰にも気付かれないんじゃ、何をどう頑張ったって一人じゃねぇかって。
そう、思った。
それを踏まえてなのかどうなのか。ゆまは優しく言葉を紡ぐ。
『一人じゃないんだよ。だって……ゆーまがいるから』
「……俺?」
『そう。だって、ゆーまにはゆまの事が見えてる。ゆーまにはゆまの声が聴こえてる。今日の朝、ゆーまはちゃんと気付いてくれたもん。だから大丈夫。一人じゃない』
そう言ったゆまの顔が、あまりにも優しくて。
『もし、ゆーまが気付いてくれなかったとしたら、たぶん泣いちゃってただろうな』
あまりにも、優し過ぎて。
『あ。だからって無視するとかヤだよ? そんな事したら、本当に泣いちゃうんだから』
「……なら、明日からがっつり無視してやるぜ、こんちきしょう」
『えーーッ!? 何で!? どうしてそういう話になるの!?』
「うっせぇ、黙れ。とりあえず帰んぞ」
『ゆまの質問に答えろー!』
「うっせぇってんだろが! 頭に思いっきり響くんだから喚くな!」
いつまでなのかはよく分からねぇけど……もう少しだけ。
このままでもいいか、なんて思ったんだ。