第壱話:そいつは突然現れた
いきなりだが自己紹介をさせて欲しい。
俺の名前は、神名悠馬。十六歳の高校二年生だ。
……自分で言うのも凄く嫌なんだが、俺はごく平凡な男子高校生って奴だと思う。部活に所属してる訳でもなし。趣味やら特技やらに特筆出来るものがある訳でもなし。学校の成績も中の下って所だし。運動神経だけは少なからずいい方らしいんだけど……自分じゃよく分からん。
こんな取り立てて誇れる所がある訳でもない俺だから、当然彼女なんかいやしない。好きになった子には振られ続けてもう……いや、数えるのも嫌になる。やめよう、この話は。
まぁ何が言いたいかと言うとだ。とどのつまり、俺は『普通』なんだ、って事。
何をもって『普通』なんだとか、そもそも『普通』って何なんだとか聞かれても俺には分からないし、そんな難しい事は考えるのも面倒だ。だが、周りと見比べて頭が抜きん出る事のない俺は、やっぱり『普通』って言葉が一番合ってるんだと思う。
たぶん、俺みたいな『普通』の奴は、それこそ当たり前のようにそこら中に溢れ返ってるんだろう。
例えば、自分が普段いる環境を思い描いてくれ。学校でも、職場でも、どこだって構わない。
そういう所にさ。一人くらいはいるだろ? あいつってあんまり目立たないよなーとかって思えるような奴。そういう奴が俺なんだよ。
何かしらやりたい事がある訳でもない。追いかける夢がある訳でもない。ただただ。過ぎ行く日々を無難に暮らし続けてきた。
……ちょっと待った。言いたい事はあるだろうが、もうちょっとだけ俺の話を聞いてくれ。
いやな。俺だって別に今の状態で満足してる訳じゃあない。そりゃもっと目立ちたいと思うし、誇れる何かを持ちたいとだって思ってはいる。
……思っては、いる。いるんだが……ぶっちゃけ何をすればそれが出来るんだかがさっぱり分からないんだよな。
と、まぁ長々と語っちゃ来たが、要は俺は『普通』のごくごく一般人なんだよ。
それを理解した上で――この話を聞いて貰いたいんだ。
高校も二年生に上がって一ヶ月が経った、四月の終わり。世に言うゴールデンウィークって奴が訪れたばかりの初日。
俺は、暖かく穏やかな陽の光に包まれながら、惰眠を貪り続けていた。
別に隠すつもりもないから正直に言えば、二日前に発売になったばっかのゲームを夜通しやり通して、夜が明ける前に床に就いた所だった。布団に入ってから一時間も経ってなかったと思う。
凄まじいまでの睡魔に襲われてやむなく寝たはずだったんだが……何がきっかけだったのか、ふと目が覚めた。
「……ん……んん……?」
目は覚めたが目を開ける気になれない。そんな経験、誰しも一回くらいあるだろ? この時の俺がまさにそれだった。
寝たばかりで身体がちょうど休み始めた所だったんだろう。妙な気怠さを感じながら、身をよじる。寝返りを打とうとしたんだよな。
そこで気付く。
「……ぬぁ……?」
身体が、動かない。
おいマジか。これが俗に言う金縛りって奴かと思って、とうとう目を開けようとした。
……今思えば、これが全ての始まりだった。
「……ん?」
『はぁーーーい♪』
「………」
静かに目を閉じる。息を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
危ない危ない。ゲームのやり過ぎか単に疲れ過ぎか、どうやら幻覚が見えたらしい。
だってあり得ない話だろ。一人っ子で、親戚が居候してるなんて話も一切ない男子高校生の部屋で、同い年ぐらいの女が俺の顔を覗き込んでいるなんて。
やれやれ。心を落ち着けて、と。
もう一度、目を開く。
『はーろぉー♪』
直後、これでもかというくらいにガンッ、ドガッとあちこちに身体をブツけながら後退する俺。金縛りって話はどこ行ったって程の勢いだ。
……思い切り肩をベッドの淵にブツけた……痛ぇ。
『んー……その反応は傷付くなぁ』
「この状態の相手に対して最初に投げ掛ける発言がそれかよ!?」
思わずツッコミを入れてしまった。
この時点で、既に日常とは全く違ったと言っても過言じゃない。ツッコミなんて、普段なら絶対にやらない事だ。心の中で思いながら、結局口に出さずに終わってしまうのが常なのに。
あまりにも思いがけない、あり得ない出来事に気が動転しきっていたのか。あるいは、もうこの時点で既にそいつの空気に当てられていたのか。
平々凡々を体現したような俺が、非日常の世界に足を踏み込んだ――まさにその瞬間だった。
『おぉ、気付いてくれた!』
「いや、流石に気付くって」
その距離じゃ、と繋げるのは何だか憚られた。なにしろ、その女は俺の目と鼻の先に四つん這い状態で座ってやがったんだ。
俺は寝てた状態から無理矢理上体だけ起こしてベッドの淵に腰かけてるような状態。
……言わなくても分かるだろ。恥ずかしいんだよ。
「っつかお前誰だよ? 何でこんなトコにいんだ!?」
『おぉ! それって、ゆまに話しかけてくれてるんだよね!? そうだよね!?』
ダメだ。会話になってない。
……って。
「ゆま? お前の名前か?」
『そうだよ。ゆまの名前は、ゆま!』
わざわざ言い直さなくても分かるんだが。
しかし、ゆま……ゆまねぇ。
記憶の中を探って行く。が、どれだけ思い出そうと思っても、目の前の女に該当する相手は一人もいない。
という事は、だ。
「なるほど、不当侵入って奴か」
『それを言うなら不法侵入じゃないの?』
……バカだと笑わば笑え。どうせ俺の知識なんてこんなレベルだよ。
『ゆまは不法侵入なんてしてないよ。気が付いたらここにいたんだもん』
「不法侵入するような奴は皆そう言うんだ」
『そうなの?』
んな訳ねぇだろ。そう言おうとした所で、ようやく意識がはっきりしてきた。とりあえず状況を何とか把握しようと思考を巡らせる。
結果、把握出来た状況は二つ。
扉に鍵をかけた自分の部屋に、見知らぬ女がいる。
その女はあろうことか自分のベッドに潜り込んでいる。
……何なんだ、この訳の分からんいきなりの展開は。
『ねぇねぇ。あなたの名前は何て言うの?』
「へ? あー……悠馬だ。神名悠馬」
『ゆーまかー。ゆまの名前に【う】を付けたんだね』
何でお前基準なんだよ。単に名前がちょっと似てるだけだろ。
っつか。何でお前はこの状況で平然としてんだよ。
『ねぇゆーま。ゆまは何でこんな所にいるの?』
「俺が知ってる訳なくねぇか!?」
それを俺が知ってたら凄ぇだろ!? そんなの俺が知りてぇっての! むしろお前が教えろよ!
とりあえず強盗やら泥棒やらの類じゃなさそうだなと思い、抱いた疑問をブチ撒けてみる事にした。
「っつーかお前、どうやって入って来たんだよ。家に鍵だってかかってるし、部屋の扉にだって鍵あるんだぞ?」
『知らないよ。気が付いたらここにいたんだって言ってるじゃない』
それをどうやって信じろって言うんだ、こいつは……。
……と。そこである事に俺は気付いた。
「お……お、お……」
『お? おお? きーなのっぽのふるどーけいー』
「おおおおお前!? 何で浮いてんだ!?」
『へ?』
俺に指差され、初めてゆまは自分の手と脚を見る。
ベッドについていたはずのそれは……明らかに宙に浮いていたんだ。
『あれー? ゆま、何で浮いてるんだろー?』
「何でそんなにのほほんとしてやがんだよ!?」
ツッコミつつも、それまで気恥ずかしさからきちんと直視してこなかった少女――ゆまの姿を改めて確認する。
白いワンピースを着込み、肩にさえ届かない程の髪が顔の動きと連動してほんの少し揺れている。それだけ、と言えばそれだけの格好。
正直、可愛いと思った。
およそ俺の人生の中で、ここまで可愛い女子と出逢える事なんてあり得ないだろうと本気で思える。学校にだってそりゃあ可愛い女子の一人や二人いるが、やれあいつは何たらクラスの誰かさんと付き合ってるだの、やれあいつは誰かさんと誰かさんで二股かけてるだのと聞きたくもない噂ばかりが耳に入って来るんだよ。あーテンション下がるぜちくしょうってなもんだ。
それと比べたら、この目の前にいる少女はそういった噂なんかとも縁遠そうな――ある意味で"真っ白だ"と思えるような女子だった。
だが……そんな事よりも気になる事がある。
よく見れば、彼女の身体はほんのりと霞がかっているようにも見えた。色素が薄いとでも言えば良いのか。全体的に薄ぼんやりとしていて、何となくはっきりしない。
そして、彼女は自分の前で浮いている、というこの状況。
「まさか……お前。幽霊ってんじゃねぇだろうな?」
自分で言っててもそんなバカなとしか思えなかった。
そんな発言に対して、ゆまはキョトンとしながら平然と返して来る。
『幽霊? ゆま、幽霊なの?』
「だから俺が知ってる訳ねぇだろっつの!?」
大体、『幽霊なの?』なんて聞かれて答えられる奴なんかいねぇよ。
あーもう。訳分かんねぇぞ。
「結局、お前何なんだよ?」
『ゆま』
「名前は知ってんだよ。どっから来た?」
『分かんない』
「何しにウチに来た?」
『分かんない』
「お前ん家はどこにある?」
『分かんない』
おいおい。迷子のガキかこいつは。
そういやちょっと子供っぽい感じがしなくもない。
「歳は?」
『ゆーまはいくつなの?』
「俺か? 俺は十六だけど……」
『じゃあゆまも十六!』
「じゃあ!? 今じゃあっつったか!?」
『うん! 十六!』
「うんじゃねぇよ!」
だぁぁぁぁぁッ! 何なんだよこいつは! 話が全然先に進まねぇじゃねぇか!
『だって……全部分かんないんだもん』
…………。
何ですと?
「全部って……全部?」
『うん。歳も、どこから来たのかも、何でここにいたのかも、今まで何してたのかも、全部』
……ダメだ。言ってる意味が理解出来ない。
『ゆま、自分の名前しか覚えてないの。さっきから思い出そう思い出そうって頑張ってはいるんだけど……何も思い出せないの』
「何だそれ。記憶喪失って奴か?」
『なのかなぁ』
わー。救いがねぇー。そんなんどうしろっつーんだ。
『さっきね。ここで気が付いた時、ゆーまが寝てたからその間に出て行こうと思ったの。だけど、出来なかったの』
「はぁ? 何で?」
『分かんない。出て行こうととしたら、思いっ切り後ろから引っ張られるみたいな感じで……ここから離れられないみたいなんだもん』
何だ何だ。一体どういう事なんだ? 嘘言ってるっぽい感じでもねぇけど……。
『仕方ないから漫画でも読んで時間潰そうと思ったんだけど……それも読めなくて』
「ちょっと待て。って事はテメェ、人の部屋勝手に漁ろうとした訳か」
『何かねー。本とかが持てないの。触ろうとしてもスカッスカッてなっちゃって、全然触れないんだよ』
「軽くスルーしてんじゃねぇよ! そういうの泥棒っつーんだぞ!?」
何でこいつはこう人の話を聞こうとしねぇんだよ!
それとも俺か? 俺なのか? この状況をおかしいと思ってる俺だけがおかしいのか!?
……この状況?
「……ははぁ……なるほど。そういう事か。分かった」
『何か分かったの?』
俺は全てを理解した。これ以外に、答えと呼べるものは存在しなかった。
さぁ、全てを終わりにしてやるんだ、俺。
『……ゆーま?』
「あん? 何だ?」
『何で布団被り直してるの?』
「これは夢だ。俺の妄想だ。彼女もいねぇ俺の見る悲しい幻想って奴なんだ。だから寝る。寝れば治る。現実に戻れる。だもんだから、おやすみ」
いやはや全く。随分と悲しい夢を見ちまったもんだ。
さて。現実の俺は今もまだ深い夢の中にいるはずだ。とっとと目覚めて、この訳の分からない空想世界とおさらばしよう。
『ゆーま? 空想世界ってなぁに? ゆーまー? ゆーまってばー?』
じゃあな、空想世界の住人よ。勝手に創り出して悪かったな。俺が目覚めたら何もかもなかった事になる。許せ。
もう二度と……会う事はないはずだ……から……。
~一時間後~
『あ。ゆーま、起きた?』
「夢じゃねぇのかよぉぉぉぉぉぉッ!?」
こうして、俺とゆまの奇妙な生活は始まりを迎えたんだ。