第7話 私は、自分の心を解析できませんでした
その夜。
私は、眠れなかった。
「……原因、分析中」
ベッドに横になり、目を閉じている。
だが、意識が休止状態に移行しない。
心拍数は、やや高め。
呼吸は、浅くはないが、一定でもない。
「生理的異常は、なし」
結論としては、問題ない。
にもかかわらず、眠れない。
理由は、明確だった。
――レオン。
彼の声。
表情。
笑ったときの、わずかな目元の動き。
「不要な再生です」
そう判断し、思考を遮断しようとする。
だが、失敗する。
再生が止まらない。
「……これは」
私は、起き上がった。
机に向かい、ノートを開く。
魔法陣や理論式が書き連ねられたページの隅に、新しい項目を作る。
《心の挙動ログ》
日付。
時刻。
発生条件。
「……冷静に記録しましょう」
今日の試験。
ペア。
他者との接触。
レオンが、別の女子と会話した瞬間。
胸の圧迫感。
集中力の低下。
出力の揺らぎ。
「仮説:嫉妬」
既存知識と照合。
条件は、ほぼ一致している。
だが。
「……再現性が、取れません」
嫉妬は、特定の関係性と欲求に基づく。
私は――欲求を、定義できていない。
「私は、彼に何を求めていますか?」
問いを立てる。
答えが、出ない。
「一緒にいると、心が安定する」
「彼が失敗すると、心配になる」
「彼が笑うと、胸が温かくなる」
それは、事実だ。
だが、それを“欲しい”と表現していいのか。
「……定義不能」
ペンを置く。
胸の奥が、またざわついた。
「解析失敗……」
これは、初めての事態だ。
これまで私は、どんな問題も分解し、整理し、結論を出してきた。
不確定要素があっても、近似解は導けた。
だが、今回は違う。
「変数が、多すぎます」
しかも、その変数は――
私自身だ。
「自分の心を、外部観測できない」
致命的な欠陥。
私は、静かに息を吐く。
「……不安」
この単語を、初めて自分に適用した。
失敗するかもしれない。
理解できないままかもしれない。
その可能性が、怖い。
「心は、非合理ですね」
誰に言うでもなく、呟く。
そのとき。
ノックの音がした。
「……?」
こんな時間に、訪ねてくる人物は限られている。
扉を開けると、そこにいたのは――レオンだった。
「……起きてたか」
少し、気まずそうな表情。
「はい。睡眠に失敗しました」
「失敗って言うなよ……」
彼は苦笑しつつ、私の顔を覗き込む。
「顔、疲れてる」
「自覚は、あります」
私は正直に答えた。
「心の解析が、進んでいません」
彼は、一瞬だけ目を瞬いた。
「……それ、俺のせいか?」
即答できなかった。
否定すれば、嘘になる。
肯定すれば、意味が変わる。
「……関与しています」
私がそう言うと、彼は小さく息を吐いた。
「やっぱり」
廊下に出て、並んで腰掛ける。
夜の空気は、少し冷たい。
だが、不快ではない。
「アリアってさ」
彼が、ゆっくりと話し始める。
「全部、理解しようとするよな」
「それが、私の基本動作です」
「でもさ」
彼は、空を見る。
「分からないままでも、いいことってあると思う」
分からないまま。
未定義のまま。
「……許容できません」
そう答えたはずだった。
だが、声は弱かった。
「俺はさ」
レオンは、私を見る。
「アリアの心が分からなくても、隣にいたい」
その言葉が、胸に落ちた。
重く。
静かに。
確実に。
「……それは」
論理的な説明が、できない。
だが。
胸の奥が、ゆっくりと落ち着いていく。
心拍数が、正常域に戻る。
呼吸が、深くなる。
「……安定しています」
私がそう言うと、彼は少し笑った。
「それなら、成功だな」
成功。
解析ではなく、存在による安定。
「……暫定結論を出します」
私は、小さく呟く。
「心は、理解する対象ではなく……」
言葉を探す。
「共有するもの、かもしれません」
レオンは、何も言わず、頷いた。
その夜。
私は、少しだけ眠れた。
完全ではない。
だが、十分だった。
そして、はっきりと理解した。
心には――
解析不能な領域が、確かに存在する。
そしてそこに、
彼が関与していることを。




