07.転生者ナナミー
目を覚ますと、知らない場所だった。
ふわぁぁあんと大きくあくびをして、ナナミーはゆっくりと体を起こす。
ここはどこだろう?
身を起こしたままぼんやりと座っていると、コンコンと部屋がノックされ、使用人らしい格好をしたお姉さんが入ってきた。
「あ……おはようございます」と、とりあえず挨拶をしておく。
「おはようございます。よくお休みになられましたか?お仕事に向かわれる前にお風呂に入りますか?」
目が合ったお姉さんが笑顔で挨拶を返してくれたので、「あ、はい。お願いします」と、ナナミーは聞かれるままに答えた。
ここがどこかは分からない。
だけどお姉さんはとても優しそうだし、悪い人ではないだろう。警戒する必要はなさそうだし、それにお風呂にも入りたい。
弱小種族は、なるべく自分の存在を消そうとする習性がある。
弱小種族のナマケモノ族のナナミーも、お風呂にまめに入って、匂いと共に存在感も洗い流してしまいたい派だ。
どんな状況であっても、「お風呂に入りますか?」と聞かれたら、反射的に「はい」と答えてしまう。
「身体を洗うのをお手伝いしましょうか?」と親切なお姉さんは声をかけてくれたが、アザ持ちの身としてはここがどこであっても、人前で体は晒せない。
丁重にお断りして、一人でゆっくりお風呂に入らせてもらう事にした。
ふぃ〜とお風呂から上がると、テーブルには豪華な朝食が用意されていた。
色とりどりの野菜スティックや、いちごやブドウなどのフルーツが並び、干し芋までも用意されている。
何故かVIP待遇だ。
『もしかして』とナナミーは思う。
もしかしたら前に読んだ小説のように、ナナミーは目覚めと共に物語の中に転生して、いつの間にか貴族のお嬢様になってしまったのかもしれない。
ナナミーのいるこの部屋は、高級そうな家具が並び置かれた広い部屋だ。
目覚めた時のベッドも、ナナミーの部屋のベッドより何倍も大きい。部屋についたお風呂も豪華だった。
ナナミーのお世話をしてくれているお姉さんがにこやかなのは、この物語の貴族のナナミーに昔から仕えてくれている侍女だからかもしれない。
お嬢様気分でお姉さんに世話を焼かれながら、いちごやブドウをモグ……モグ……と食べていると、部屋の扉が開いて、鬼畜な上司ヒヨクが顔を見せた。
「え……?どうして私の部屋に?………ってそれより、こんな朝早くからの訪問だなんて迷惑です」
ヒヨクまでも一緒に転生してしまったのかもしれない。だけど転生してもこの男は変わらず無礼者のようだ。
ナナミーはヒヨクの転生を驚きつつもたしなめると、ヒヨクが目を見開いた。
「ナナミー、なんでお前に客人を見るような目で見られねえといけねえんだよ?!ここは俺の屋敷で、お前が客人だろうが!」
「――え、ここヒヨク様のお屋敷?……まさか攫われた……?」
ヒッとナナミーが怯えると、ヒヨクの声が低くなる。
「おいテメェ……。起こしても起きないテメェをここまで運んでもてなしてやった俺に、誘拐疑惑をかけるつもりか……?」
「あ」
そうだ。
そういえば占い師のテントに入ったヒヨクを待ちながら眠ってしまったんだった。
「思い出したか。……まあいい。俺は隣国で急な用が入ってな。今持ってる仕事を急いで片付けたいから、お前もそのつもりで気合い入れて仕事しろよ。
オラ、いつまでも食ってんじゃねえぞ。仕事行くぞ」
ヒヨクは「行くぞ」と言いながらナナミーの腕を掴んで、スタスタと歩き出した。
次にりんごを食べようとしていたナナミーは、りんごを握ったまま今日もズルズルと引きずられていく。
全身の力を抜いて引きずられながら、シャリ……シャリ……とりんごをかじるナナミーは思う。
ヒヨクはきっと、あの占い師の占い通りに、心を大きく動かされた女性―――隣国で出会ったカピバラ族のつがいに会いに行くのだろう。
『私はつがいでは無かった』と思うと、ナナミーは少し寂しい気持ちになった。
長い間運命のつがいだと思っていた人は、ただの鬼畜な上司でしかなかったのだ。
だけどそれが運命ならしょうがない。
『受け入れよう』と、引きずられながらシャリ……シャリ……とナナミーはりんごをかじる。
会社も近くなってきた時、「ヒヨク様おはようございます。……あれ?ナナミーちゃん?」と、出社途中のベアゴーに声をかけられた。
「あ。ベアゴーくんだ。ベアゴーくん、背中に乗せてよ」
「いいけど……。ナナミーちゃん、絶対歌わないでよ。朝から頭の中で歌が回るなんて嫌だから」
「分かってるよ。じゃあヒヨク様、ここからはベアゴーくんと行きますね」
鬼畜上司ヒヨクに好意を持っている訳ではないし、ヒヨクから女子認定されている訳でもないが、つがい持ちにあまり近づかない方がいいだろう。
ナナミーはヒヨクに腕を離してもらって、背中を向けて屈んでくれたベアゴーの背中に掴まった。
「今日からなんか急ぎの仕事があるみたいだよ。ベアゴーくん、早く終われるように、今日は気合いを入れて頑張りなよ。ゴッゴー、ゴッゴー、ベアゴー号♪ 」
「ちょっと〜。歌わないでよ。全然分かってないじゃん」
賑やかに立ち去る二人を眺めながら、ヒヨクは何となく気分が悪かった。
あのナマケモノ族の部下には、何かとイライラさせられる。
昨日も、運命のつがいについての有益な情報を手に入れて急いでいるというのに――テントの外に出たらアイツがぐうすか眠っていた。
どれだけ揺さぶって起こそうとしても起きないし、しょうがないから連れて帰って部屋を用意したが、屋敷で一番上等な部屋を用意してやったというのに、礼の一つもなく、まるで自分が屋敷の主かのように寛いでいた。
今日もこの俺が腕を掴んで引きずってやっていたというのに。
ベアゴーを見た途端にベアゴーの背中に乗りに行きやがった。
ヒヨクは、イライラと大きく気持ちを揺さぶられていた。