森の小花
「あ」
屋敷の森を一人で散歩していたナナミーは、道の脇に咲く花を見つけて立ち止まった。
目を引いたのは、可愛いピンク色の小花だ。
近くに寄ってしゃがみ込み、じっと花を見つめる。
「わ〜可愛い花……」
赤みを帯びるピンクと、黄みがかったクリーム色が混ざり合っている丸い小花は、まるで熟した桃が咲いているようだ。
美味しそうな色合いがとても素敵で、ヒヨクに見せてあげたくなる。
『この小さい桃みたいなお花を渡して、「好きです」って告白してみようかな……』とナナミーは考える。
つがいだと打ち明ける勇気はない。
だけど気持ちは伝えたい。
告白するべきか。
告白するべきではないか。
―――それが問題だ。
小花の前でしゃがみこみ、悩む様子を見せるナナミーを、ユキは遠くの木の陰から見守っていた。
ユキは「告白するべきですよ」と声をかけたい衝動をぐっとこらえる。
つがい付き使用人のユキは、仕えるナナミーが花を見つめながら何に悩んでいるを知っていた。
きっと今日もナナミーは、ヒヨクに花を渡すべきか、気持ちを告白するべきか否かを悩んでいるのだろう。
ずっとナナミーを見守ってきたユキには分かる。
花の前に長くしゃがみ込んだ後に、花を摘まずにしょんぼりした顔で立ち上がった時は告白を諦めた時だ。
そして花を摘んだ時はヒヨクに告白をすると決心した時で、そのままヒヨクの執務室に向かうはずだった。
気に入った花を摘んで渡しても、ヒヨクの前では恥ずかしそうに口をモゴモゴと動かすだけで、まだ告白が成功した事はないが、今日こそはナナミーに勇気を出してもらいたい。
ユキは仕える二人に、早くつがいとしての幸せを手に入れてほしかった。
もちろんヒヨクだって何もしていないわけではない。
ただヒヨクの告白ではダメなのだ。
皆に敬われる存在のアザ持ちの者達は、数少ない言葉でも周りが意を汲んで全てを察してくれるので、言葉が足りない者が多い。
ヒヨクは常々、「俺はつがいなんてどうでもいいと思ってんだよ」とナナミーに話している。
―――それは「大切なのはナナミーで、つがいの証の有無などどうでもいい」というヒヨクの告白だ。
だけど、「どうでもいい」という言葉を聞くたびに、不安そうな顔を見せるナナミーに、「つがいの証などなくてもナナミーを想っている」というヒヨクの気持ちは伝わらない。
だからユキはナナミーからも、自分の気持ちを告白してほしいと思っていた。
二人の気持ちが通じ合えば、つがいだという事実も告白できるかもしれない。
『あと一歩を踏み出してくれたなら……!』と、ユキはもどかしい思いで、手のひらをぐっと握り込んだ。
『あ……』
ずいぶんと時間が経った後、ナナミーがゆっくりと手を伸ばして花を摘み、ゆっくりと花を空に掲げた。
顔を上げたあのポーズはきっと、決心がついたポーズだ。
今日は告白の決心がついたらしい。
息を潜めて見守っていたユキは、一足先に屋敷に戻って、とびきりのジュースをヒヨクの執務室に用意する事にした。
定時キッカリに仕事を上がって帰るナナミーを追いかけるように、ヒヨクももうすぐ帰ってくるだろう。
最近のヒヨクは持って帰った仕事を始める前に、執務室でナナミーと一緒にジュースを飲むのを日課にしている。
今日は特別美味しいジュースを用意して、ナナミーの告白を勇気づけなくてはいけない。
ヒヨクの執務室へと続く長い廊下を歩いているうちに、「告白だ!」と勇んでいたナナミーの気持ちは次第にしぼんでいった。
足が止まり、手に持つ花をじっと見つめる。
小さな桃のような可愛い花。
こんなに特別に可愛くて美味しそうな花を贈ったら、何も言わなくてもナナミーの気持ちは伝わってしまうだろう。
特別な花は、「大好きだ」という気持ちだけではなく、「つがいだ」という事実まで伝えてしまうかもしれない。
「お前が俺のつがいなのか?」と聞かれたら、冷静に「違いますよ」と嘘をつけるだろうか。
もし「そうなんです」と答えてしまったら、今の関係は終わってしまう。
つがいだと知られてしまうこと。
―――それは社畜への帰り道だ。
『やっぱり止めようかな……』
告白の勇気はもう消えかけていた。
小桃のような花はハンカチに優しく包んで、カバンに入れておく事にした。
告白はまた今度にしよう。
ヒヨクの執務室に着くと、ちょうどヒヨクがナナミーを探しに来てくれるところだった。
ユキが特別に美味しいジュースを用意してくれたらしい。
「どうぞ」とユキがナナミーの前にグラスを置いてくれると、桃の甘く爽やかな香りがふわり立ち上がった。
「あ、桃………」
濃厚な香りが、桃をかじってもいないのに口の中に桃を感じさせた。
スンスンと香りを楽しんでからストローに口をつけ、ゆっくりと一口飲んでみる。
「桃――――!!」
ドキーン!と心臓を撃ち抜かれた。
濃厚な桃が口の中でとろけて、身体中に染み渡っていく。ゴクリと飲み込んでも余韻を残す桃が、心の緊張をほぐしていく。
夢中になってジュースを飲み終える頃には、告白に対する不安な気持ちなど消えていた。
美味しい桃のジュースがナナミーに自信をくれた。
『今なら告白できる』と決心して、ナナミーはカバンからハンカチに包んだ花を取り出して、ヒヨクに差し出した。
特別な花が、「ヒヨク様が好きです」とナナミーの気持ちを伝えていた。
それだけではなく、「実はつがいの証を持っているんです」とも伝えている。
ドキドキしながらナナミーは、ヒヨクの返事を待った。
「―――俺に?」
美味しそうにジュースを飲むナナミーを眺めながら、幸せな気持ちに浸っていたヒヨクは、突然に差し出された小さな花を受け取った。
ナナミーは時々ヒヨクのために花を摘んできてくれる。
受け取ったピンクの花は、森に咲くような雑草だが、大事そうにハンカチに包んでカバンに入れていた花なのだから、ナナミーにとっては特別な花なんだろう。
何も言わずにコクリと頷くナナミーの頬が、差し出された花のように染まっていて、とても可愛いかった。
きっとこれは、日頃のヒヨクの告白を受け入れた答えだと気がついて、ヒヨクの心が舞い上がる。
『俺も応えなくては』と想いを言葉にする。
「いい花だな、大事にするよ。……俺は本当につがいなんてどうでもいいと思ってるからな。俺の言葉を忘れるなよ」
―――途端。
ナナミーの瞳が不安そうに揺れた。
毎日のようにヒヨクは自分の気持ちを伝えているつもりだが、やはり「つがい」という言葉を聞くと不安になってしまうようだ。
『この気持ちは絶対に変わらない』という想いを信じてもらうには、これからも伝え続けなければいけないだろう。
「本当にどうでもいいと思ってんだぜ?」と、眉を下げたナナミーに、ヒヨクはしっかりと伝えておく。
『ああ……今日もダメだったわ……』
部屋の片隅でドキドキしながら成り行きを見守っていたユキは、しょんぼり顔になったナナミーを見守る事しか出来ず、もどかしい思いで手のひらをグッと握り込んだ。




