21.認定取り消し申請
ある日の休憩時間、ナナミーは神妙な顔をしたラニカに声をかけられた。
「ナナミー、あなたに話しておきたい事があるの。ここで話すような話でもないし、今日は私も定時に退社するから、夕方私と一緒に寮に来てちょうだい。みんなにも紹介したいし、今日は寮に泊まっていけばいいわ」
「ダメだ」
『ラニカさんが定時退社してまで話したい話って何だろう?』と緊張しながら、「分かりました」と答えようとしたナナミーに代わって、ヒヨクがバッサリとラニカの誘いを切り捨てていた。
「ちょっと何?私はヒヨクさんじゃなくて、ナナミーに話をしているのよ。
私の人付き合いに口出しするのは止めてよ。私の部屋にナナミーを泊めるからって嫉妬しないで」
呆れた目をヒヨクに向けたラニカが、はあとため息をつく。
「―――もう。いいわ、分かったわ。先にナナミーに話してからって思ったけど、あなたに先に話した方がよさそうね。
言いにくいんだけど、私のアザはあなたのつがいの証じゃないみたい。あなたがくれたクリームで、アザがほぼ消えてるのよ。完全に消えたら、つがい認定協会に、認定取り消しの申請をするつもりよ。
さすがキエール社の最高品質クリームね。即効性があるし、今度ウチのコスメ部門から、コラボ商品を生み出せないか提案してみようかしら」
ナナミーは「ラニカのつがいの証が消えかけている」という衝撃的な事実に、目を見開いたまま驚きの声を上げる事も出来なかった。
「言いにくいんだけど」と言いながら、晴れ晴れとした顔をヒヨクに向けるラニカを、ただ見つめる事しか出来ない。
黙って立ち尽くすナナミーの前で、いつものように二人が言い合いを始めた。
「ラニカ、テメェ……!そのクリームを取り寄せてやったの俺だろ。効果が見えたらすぐに話せって言った言葉を忘れたのか?!まず俺に報告しろよ。何でコイツが先なんだよ!」
「――もう。誰が先でもいいじゃない。私の一番になりたがるなんて、本当に子供なんだから。
ヒヨクさんがそうやってナナミーに張り合おうとする事が分かっていたから、ここで話せなかったのよ。
いい?ヒヨクさん。ナナミーは私の大事な部下なの。アザが完全に消えたら、私はここを去らなきゃいけなくなるのよ?ここに置き去りにされるナナミーが、どれだけショックを受けるか分からないの?
―――あ!ナナミー、そんなにショックを受けないで。私がここを去る時は、あなたを引き抜いていくつもりよ。これからもずっと一緒だから、心配しないで?」
立ち尽くしていたナナミーに、ラニカが優しい声でナナミーの転職を告げていた。
引き抜き提案で、ナナミーの目がさらに見開かれると、ラニカがふふふと笑ってくれる。
「そうよ。私たちは短い間でも、共にビジネス道を歩んできた戦友だもの。ナナミーをこんな場所に置いていく事なんて出来ないわ。
私は最適な環境が、仕事の能力を高める事を知っているもの。あなたには量ではなく質で仕事をしてほしいの。私と一緒に来てくれるなら、今まで通りに残業なしを約束するわよ」
「え!残業なし………!!ラニカ様、も―」
「断る」
「もちろんついて行きます!」と言いかけたナナミーの言葉を遮って、ヒヨクがラニカの神のような提案をバッサリと切り捨てていた。
今までラニカに向けていた鋭いヒヨクの目が、今度はナナミーに向けられている。
「ナナミー。お前はどっちの上司を選ぶか、コイツにハッキリ言ってやれよ。
―――あ?声が小せえぞ。ハッキリ言えや!」
ナナミーは怯えながらも、『ここが人生の分岐点だ』と悟り、人生最大の勇気を振り絞って「ラニカさんを選びます」と答えようとした。
だけど「ラ」と発する前に、口の動きを読んだヒヨクに「ハッキリ言えや!」と凄まれて、危険を察知したナナミーは「ヒヨクサマデス」と答えを変える。
ラニカを選んだ先に天国のような職場が待っているとしても、ヒヨクの鋭い目が、「そこに辿り着く前に地獄を見せてやる」と告げていた。
ここは「ヒヨク様です」と答えることのみが正解だ。せめてもの抵抗として死んだ魚の目で答えてやったが、ヒヨクは満足そうに頷いている。
「そうだろ?分かってんじゃねえか。安心しろよ、俺の元でもそれほど残業なんてねえからよ。休日はしっかり休めよ」
晴れ晴れとした笑顔を見せながら、鬼畜な上司が「休日以外はしっかり働けよ。遅くまで残業したくなかったら、キリキリ働け」と、鬼畜な労働条件を告げていた。
「アリガトウゴザイマス」と遠くに心を飛ばして答えてやる。
「―――そう?もう本当にナナミーは義理堅い子ね。こんな上司でも捨てられないのね。でも答えは急がないから、転職の事はもう一度よく考えてみて?
ナナミー、あなたには苦労かけたわね。私への独占欲で、ヒヨクさんに嫉妬される毎日は辛かったでしょう?」
「答えは一度聞けば十分だろ?コイツの意見が変わる事なんてねえよ。
なあ、ナナミー?お前は後で意見を変えるような、いい加減なヤツじゃねえよな?俺はそういうヤツが一番大っ嫌いなんだよ、分かってるよな?
そうだラニカ。言っとくが、俺はテメェの事を想った事なんて一度もねえから安心しろよ」
いつものように二人は、ナナミーを挟みながら嫌味を言い合っている。
ナナミーはいつものように、ぼんやりと二人の間に立っていた。
仕事から帰ってきたナナミーが、カシ……カシ……と、皮を剥いてあげたサトウキビをかじりながら、いつものように今日の出来事をユキに話してくれた。
「ユキお姉さん。今日すごい事が分かったんだよ。仮認定されたラニカさんのつがいの証が、もうすぐ消えそうなんだって」
「え?!そうなんですか?」
ユキは驚きの話題に、グラスにジュースを注ぐ手が止まった。
「うん。高級なシミ取りクリームで、アザって消えるみたい」
話しながらナナミーは、自分の左側のお尻を気にしていた。
ユキは「ナナミー様。高級シミ取りクリームで消えるのは、シミだけですよ。つがいの証は、レーザー治療でも消えませんから。日焼けで濃くなる事もないですよ」と教えてあげたかった。
だけどプロのつがい付き使用人として、仕える主人達の運命に口出しする事ははばかられた。
ナナミーは、ユキがナナミーのつがいの証のアザを見てしまった事を知らない。
ユキがアザを見てしまった事を知られたら、ここまで築き上げてきた信頼関係を壊す事になるかもしれない。
「そうですか。……でもヒヨク様はラニカ様の事がお好きなようには見えませんでしたし、お二人にとっては良かったかもしれませんね。運命のつがい様同士というのは、とても穏やかな時間を過ごされるようですから」
「ナナミー様とヒヨク様のように」と続けたい言葉をグッと抑えて、ユキはナナミーに微笑んだ。
「……そうかな?ヒヨク様って、本当はラニカさんとそれほど仲良くなかったのかな?」
カシ……カシ……とサトウキビをかじるナナミーの顔が嬉しそうだった。
「そのサトウキビも、今朝ヒヨク様が切ってくれたものなんですよ」とさりげなくヒヨクを持ち上げる。
今日もユキは、つがい付き使用人としてのプロフェッショナルな仕事ぶりを見せていた。




