19.ヒヨクの休日②
勢いよく浮き輪を掴んでやっても、静かに川に流されているだけのナナミーを見て、『しょうがねえナマケモノ族だな』と、ヒヨクはナナミーと一緒に流されてやる事にした。
『少しくらいは川遊びに付き合ってやってもいい』と考えていたので、ヒヨクも水に濡れてもいいような格好をしている。
仕事途中で置き去りにした書類はユキが片付けているだろうし、何も問題はない。
しばらく流されていたら、「お仕事は終わりましたか?」と聞いてきたので、「おおかたな」と答えながら『気遣って声をかけなかったのか』と気がついた。
「休日の仕事なんて、大した仕事じゃねえんだよ。俺を無視して通り過ぎてんじゃねえぞ」と伝え、仕事をしていてもとにかく声をかけろとアピールしておく。
そのうち機嫌が良さそうに歌を歌い出したナナミーに、ハンカチの刺繍をまた思い出して口の端が上がる。
あのハンカチは本当に悪くない。
レオードとコフィの姿を見つけたタイミングで、「そろそろジュースでも飲めよ」と声をかけて、ナナミーを抱えてザブザブと岸に上がってやった。
「あらナナミーちゃん。最後はヒヨクと泳いでたのね。ヒヨク、仕事は終わったの?」
岸に上がるとコフィに声をかけられた。
途中で仕事を投げ出してきたとも言えず、ヒヨクはフンと鼻だけを鳴らしてやる。
レオードの目が鋭くなったが、気にするほどの事でもない。
何も答えようとしないヒヨクに代わって、ナナミーがコフィに答えていた。
「お仕事はおおかた終わったみたいですよ」
「そうなのね。じゃあそろそろみんなでお昼にしましょうか」
レオードは「そうだな」とにこやかな笑顔をコフィとナナミーに向けてから、ヒヨクには呆れた顔を向けて嘆いてみせた。
「ヒヨク、お前こんな天気のいい休日にまで仕事をするなんて、どうかしてんじゃねえか?
本当にお前は可哀想なヤツだな。俺を見て、もっといい時間の使い方を覚えろよ」
レオードが、コフィの前でヒヨクを落として点数を稼ごうとしていた。
「俺は仕事よりもコフィとの時間が大切だ」と、コフィにアピールしたいのだろう。
「テメェが自分の仕事を押し付けてくるから、俺の休みが仕事漬けになるんだろうがよ!平日も早々に仕事を切り上げて、ナナミーと遊びたがるおふくろを連れてここに来てんのは聞いてんだよ!」と言ってやりたい。
だけどここでそれを言っても、レオードは「なんの話だ?」ととぼけるだけだ。
さらに後で「テメェはコフィの前で余計な事話してんじゃねえぞ」と凄んで見せて、さらに何倍もの仕事を押し付けてくる事も経験上分かっている。
ヒヨクはチッと舌打ちをして、「ジジイを呼んで来てやるから、バーベキューの用意を始めとけよ」と言い捨てて、余計な事は言わない事にしてやった。
バーベキューはまだ終わっていないが、ナナミーはうろに入ってお昼寝をする事になった。
ヒヨクが焼いてくれた干し芋とトウモロコシに、お腹がいっぱいになって眠くてウトウトしていたら、ヒヨクが「昼寝した方がいいんじゃねえか?」と声をかけてくれたからだ。
ナナミーは途中で拾った大きな葉っぱで入り口を塞いで、ウトウトしながら日に透ける葉脈を眺めているところだ。
サラサラと書類の上を走らせるペンの音で、葉脈の前にはヒヨクがいる事が分かる。
以前の連休の時のような穏やかな時間に、ナナミーは昼寝をするのはもったいないような気はしているが、とても眠たかった。
最近ハマっている川遊びを楽しみに、今朝は早起きして一人で川を三周もしたし、川辺にいるカメリア達やコフィ達にも大きな声で何度も挨拶をした。
最後の一周はヒヨクと川を流されながら、もっと楽しくなってずっと歌を歌っていた。
とてもよく遊んだのだ。
ウトウトとまどろみながら、ナナミーはヒヨクの事を考える。
先週ヒヨクに渡したハンカチには、おそらくナマケモノの刺繍が入っている。
後で気がついた事だが、ナナミー用の包みの中には、ヒョウの刺繍が施されたハンカチが入っていた。
包みを開けた瞬間に、『あ。反対だ』と、ハリエットの入れ間違いに気がついたが、すでにヒヨクは帰った後で、どうする事も出来なかったのだ。
『あの時のハリエットさん、すごく急いでくれてたしな……』と、ハンカチを買った時の事を思い出す。
チレッグを意識しながら、急いでハンカチを包むハリエットの手が震えていた。
間違えてもしょうがない状況だったのだ。
同じ弱小種族として、あの時のハリエットの追い詰められた気持ちは、痛いほどに分かる。
ヒョウの刺繍を三つも頼んだし、そのうちの二つは運命のつがい同士のものだった。
「ヒョウとカメ」「ヒョウとコアラ」でペア組みをしたから、「ヒョウとナマケモノ」も間違えてペア組みしてしまったのだろう。
ユキに贈ったハンカチは、ちゃんと雪の結晶の刺繍が入っていたみたいだから、ナマケモノのハンカチは、やっぱりヒヨクが持っているはず。
『でもヒヨク様は、ナマケモノの刺繍を見ても受け取ってくれたし、そのままでもいいのかな?』と考えて、何も言わないままにした。
そういった流れで、ナナミーはヒョウの刺繍が入ったハンカチを持っているのだが、ハンカチを見るたびに、こそばゆい気持ちになる。
お揃いの色で、お互いの種族の刺繍が入ったハンカチを持つなんて、まるでヒヨクとナナミーが運命のつがいみたいだ。
こんなハンカチを大事にしているところを見られたら、ナナミーはヒヨクの事が好きなんだと誤解されてしまう。
『そんなんじゃないし!』と思うし、ハンカチは可愛いお菓子の缶にいれてベッドの下に隠している。
ヒヨクは仮認定の運命のつがいがいる人だ。
お揃いのハンカチを、ナナミーが宝物のように持っていてもいい人ではない。
一人の時に、時々缶を開いてみるだけだ。
少しだけ缶の中のハンカチを眺めて、すぐにベッドの下に戻しているだけで、宝物にしているわけではない。
『そうだ!宝物なんかじゃない!』とぎゅっと手を握り―――サラサラと聞こえる音に、またウトウトと眠たくなった。
『お昼寝から目が覚めたら、まだヒヨク様は外にいてくれてるかな。…………そうだといいな』
『ラニカさんが運命のつがいに正式認定されたら、ヒヨク様はラニカさんが選んだうろの前で待つのかな。
……………ラニカさんが運命のつがいに認定される前に名乗り出ておけばよかったな』
少し悲しい気分になって、ナナミーは眠りに落ちていく。
うろの前で仕事をしていたヒヨクは、スウスウと聞こえてきた寝息に、『眠ったか。――コイツが目が覚める前までに仕事を終わらせて、起きたらサトウキビ畑に連れて行かないとな』と、うろがある背中に意識を向けていた。
ナナミーは先週渡してやったサトウキビを気に入ったみたいで、ユキが外皮を剥いてやると、剥いたところをカシカシ噛んでいるらしい。
「そろそろ傷んできそうですから捨てましょうね」と、ユキが少しずつ短くなっていくサトウキビを見ながら声をかけたら、悲しそうな顔をしたそうだ。
新鮮なサトウキビを渡してやらなくてはならない。
『使える部下だしな。古いサトウキビを食わせるわけにはいかんだろ。毎朝もう少し早く家を出て、毎朝サトウキビを切ってやるか』
『忙しくさせやがって』と考えながら、機嫌よく書類にペンを走らせていた。




